ケイケイの映画日記
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2006年06月29日(木) 「ククーシュカ ラップランドの妖精」

本日観て来ました。本当はシネフェスタ9時40分からの「インサイド・マン」を観る予定でしたが、息子から用事を頼まれその時間がアウトに。さてどれにしようと、お気に入りに入っている劇場HPを覘いていると、この作品が明日で終了と書いてあります。えらいこっちゃと、12時10分の回を無事鑑賞してきました。タイトルに魅かれて観たかった作品ですが、淡々と進む画面に対して反比例の濃ーい内容で、本当に見逃さず良かったです。息子に感謝しなくちゃ。フィンランドが舞台のロシア映画です。

1944年、第二次大戦末期の北欧フィンランドの最北部・ラップランド地方。フィンランドはかつての自国の領土を取り戻すべく、ドイツ軍と同盟を組み、ロシア軍と闘っています。反戦思考の強いフィンランドの兵士ヴェイッコ(ヴィッレ・ハーバサロ)と、反体制思想を咎められたロシア軍の大尉イワン(ヴィクトル・ブィチコフ)は、フィンランドの先住民サーミ人のアンニ(アンニ・クリスティーナ・ユーソ)にそれぞれ助けられ、言葉のわからない三人の男女の、奇妙な共同生活が始まります。

前半は懲罰で鎖につながれ置き去りにされるヴェイッコの様子や、味方の誤爆で吹き飛ぶソ連兵の姿なんぞが映り、普通の戦争モノだったのかと思いました。

三人の共同生活は言葉がわからないので、とてもユーモラス。皆勝手に自分だけしゃべり、会話は成立しませんが、その分相手に言葉が解れば、絶対口にしないようなセリフも発します。それがとっても面白い!噛み合わない会話の中、三人とも本音しか喋りません。

タイトルの妖精とは、アンニのこと。4年前夫が出征したっきりで、粗末な掘っ立て小屋のような家に住み、数頭のトナカイの放牧と、あとは自給自足で生きています。一人寝が寂しかった彼女は、急に二人の男が目の前に現れ、欲望を隠しません。「死にかけの病人なのに、ほてってしまったわ。」「私に障らないで。それだけで濡れるから。」「早く私を押し倒して」などなど、あからさまなセリフの数々が、この逞しく生々しい妖精から発せられると、とてもユーモラス。女の魔性とか不義密通の淫靡さもなく、食欲や睡眠と同じく生理現象、快楽などと大それた物でもなく、人生の楽しみの一つだと思えます。自分たちを助けてくれた女性だと、男性二人が彼女に敬意を払って欲望を隠しているのに対し、アンニがいつコノ男達を食っちゃおうかと、虎視眈々なのが笑えます。

友好的でもう戦争などしたくないヴェイッコに対し、イワンはあくまで好戦的。ヴェイッコがドイツ軍の軍服を着せられていたこともあり、最期までファシストと罵ります。ヴェイッコが普通にフィンランドの軍服を着ていたなら、ここまでイワンも固執したかな?と思います。この表現に、ヨーロッパではナチスに対する嫌悪感は、当時から今もってぬぐいされない存在なんだなと感じました。しかしこの様子も、アンニをめぐる恋のさやあて同様、言葉が通じないことを上手く使って、ユーモラスに表現しています。

キノコはあたるから食べちゃダメ、トナカイのお乳を搾り、その中にトナカイの血を混ぜたものは病人に精気を与える、解毒のハーブ入りのスープなど、文明の発達していなさそうなこの土地の、生きる知恵が土俗っぽくも神秘的に表現されます。現代の価値観で見ても、なるほどと納得出来る言い伝えで、国は違えど人として生きる先達への敬意が湧きます。

その最もたるのが、死の淵に彷徨う人を耳元で音を鳴らし、犬の遠吠えを真似、意識を呼び覚まそうとするおまじない。人間の聴覚は生命の最期の最期まで感じる力があるそうで、このおまじないも、生活の知恵から生まれたものだと思います。フィンランド版三途の川が出てくるのですが、それが日本で言い伝えられている様子ととても似ていて、びっくりしました。このシーンは寓話的なこの作品を一層際立たせ、私は一番好きな場面でした。

男性の精を浴び、見る見る美しく生き生きしてくるアンニが印象的。牧歌的なのどかな雰囲気の中、母にも看護士にもシャーマンにも「女」にもなる彼女は、神が与えし命を尊ぶ術を、私たちに教えてくれているようです。大阪は30日の金曜日まで。東京・名古屋は上映終了のようですが、これから公開の地域の方は、お時間があれば是非どうぞ。忙しい毎日を送る中、一服の清涼剤になる作品かと思います。


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