ケイケイの映画日記
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2006年01月27日(金) 「博士が愛した数式」


昨日久しぶりに道頓堀東映パラスで観てきました。近場のラインシネマでレディースデーに観ようと思っていたところ、お友達のとめさんから劇場鑑賞券を二枚プレゼントしていただきました。数ある劇場の中からこの作品を上映しているパラスをチョイス。せっかくなのでどなたか誘おうと思い、私より一回り若い奥さんが一緒に観て下さることに。神様は最適な人を私とご一緒させて下さったようで、原作も読んでいる方です。平日朝イチなのに場内はほぼ満員。二人で並んでポロポロ綺麗な涙をたくさん流しました。心に染みるというより、心を暖かく陽だまりで包んでくれるような作品です。

シングルマザーの杏子は結婚出来ない相手を愛し、息子(斉藤隆成)を生んだ後、家政婦を職として彼と二人で生きていました。杏子の今度の派遣先は記憶が80分しか持たない数学の博士(寺尾聡)。雇い主は博士の生計の面倒をみる兄嫁(浅丘ルリ子)で、10年前二人で能を観た帰りに事故に合い、博士は後遺症として記憶障害が残りました。毎日会うのにいつも初対面の博士。しかし暖かく穏やかな人柄は杏子を和ませ、彼女に息子がいると知ると、そんな小さな子が家で一人で待つのはいけないと、博士は連れてきて毎日いっしょに夕食を共にするよう言います。息子は博士から「良い心のいっぱい詰まった頭だ」と頭を撫でられ、ルートと呼ばれて可愛がられます。このままずっと穏やかに日々が過ぎて行くであろうと思われたある日・・・。

数式公式がいっぱい出てきますが、どれもこれも博士が語るととても暖かみがあるのです。一般的に数字数学と言うと、冷たい印象ですが、微塵もそう感じさせません。二つの数字を堅く結びつける友愛数、夜空の星の如くたくさんあるのに、唯一無二の素数の話など、こんな先生に習っていれば、私も数学が好きになったのにと思ったのは、私だけではないはず。

毎日杏子の足のサイズを聞き、「24は4の階乗だ。実に潔い数字だ」と彼女を褒め、ルートにも毎日「賢い心がいっぱい詰まった頭だ」と、頭を撫でます。記憶が80分しか持たない博士が、毎日同じ言葉を繰り返すのは、それは心からそう思ってのはず。行き当たりばったりなら、毎日会話がクルクル変わるはずなのです。そんな嘘のない博士の人柄に、杏子とルートは真心を感じたのでしょう。

毎日毎日同じ会話なのに、杏子が弾むように嬉しそうに答える姿に、彼女はルートを生んだ後、こんなに人に褒めてもらったことがないのでは?と思いました。シングルマザーは、婚外、離婚、死別の順で世間の風当たりが強いと思います。直接的な描写はありませんでしたが、それはルートも同じだったのでないでしょうか?繰り返し同じことを聞かされると、人は辟易してしまうものですが、博士からの心からの良き言葉のシャワーは、干からびたスポンジが見る見る水を吸収するかの如く、杏子とルートの心に広がったのだと思います。

家政婦と雇い主の域を超えた関係では?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、私には擬似家族には見えませんでした。私の幼い頃の我が家にも家政婦さんがおり、家族旅行にいっしょに行ったり、遊びに行ったり、楽しい思い出もたくさんありますが、あくまで親しい間柄でも家政婦さんでした。それは別のところに派遣された杏子を、そこの人が「家政婦さん」と呼ぶ姿で表していたと思います。心から相手を思っても、私は家政婦なのだというのが、杏子のプライドなのだと思います。それはイギリスの執事にも似ているように感じさせるほど、杏子は分別のきちんとつく人に感じました。それはラストの四人のシーンにも現れていました。

義理の弟を疎んじる兄嫁に見えた浅丘ルリ子ですが、そんな簡単な役で、この人をキャスティングするかなぁと思っていたら、やっぱり理由がありました。以下ネタバレ(その後にも文章あり)**************








昔から浅丘ルリ子は厚化粧が目立ちますが、今回はそれに老いが目立ちすぎるなと感じていました。それは博士と事故前、道ならぬ恋に落ちていたからなのですね。毎日博士は事故直前で記憶が始まります。自分の老醜を恋しい人に見せたくなかった女心なのですね、あの厚化粧。自分が誘った能を観た帰りに事故に遭ったこと、博士の子を生む勇気がなかった自分。博士を見るとき罪悪感でいっぱいになるのに、彼から一瞬たりとも目が話せない兄嫁。いつも「義弟」と他人行儀に呼ぶのは、自分を戒めるためだと解釈しました。哀しく複雑な女心に胸が締め付けられます。

杏子の手を握り、「暖かな手だ。女性の手は冷たいと思っていた。」という冷たい手は、事故直前重ねた兄嫁の手だったのでしょう。彼の記憶に深く深く残る彼女。博士の人生には冷たい手も暖かい手も、両方必要なのだと思います。











ネタバレ終わり*************


80分しか記憶がないと言う割には、それと感じさせる描写が希薄で、1日は記憶が持つように感じ、原作ではどういう風に描いていたか気になります。

記憶出来ないことをメモして服に安全ピンで留めまくっている博士は、「メメント」を彷彿させます。ちょっとユーモラス、そして深く哀しさを感じさせます。満開の桜を散歩する博士と杏子、真夏のルートの試合の観戦など、四季折々の美しさと楽しさを映す撮影と、演じる出演者の誠実さが、この物語を哀しさより、品の良い優しさで包み込む感じになったと思います。

寺尾聡は博士そのものだと感じさせて絶品。深津絵里は、この人を見て大好きだという人も少ないでしょうが、嫌いだと言う人もめったにいないでしょう。そういう無個性さがいつまでも新鮮さを失わない秘訣かと感じました。初の母親役も上手にこなし、ピュアな印象が強く残ります。ルート役の斉藤君が、大人になったルートを演じた吉岡秀隆にそっくりだったのがご愛嬌。でもあの寝癖はいりません。彼を持ってくると、すぐそういう風に演出しがちですが、それはもう監督さん方、止めてもいいじゃないでしょうか?

















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