ケイケイの映画日記
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2005年05月04日(水) 「Shall We Dance?」


ご存知周防正行監督作の大ヒット作のリメイクです。2日に観ました。最初この話を聞いた時、リチャード・ギアとジェニファー・ロペスなんてちょっとイメージ違いすぎて、きっと失敗するだろうと思っていましたが、とんでもない。妻役にスーザン・サランドンを配したと聞いた時、きっと元作より妻がアピールされた作品になるのだろうなと思っていましたが、その通りになっていました。元作の良さを生かしながら、素敵にアメリカ風夫婦ものにリライトされた作品です。前日にお茶しようと友人からメールがあり、これ見る予定やけど、一緒する?と送ったら二つ返事でOK。彼女も元作は観ていますが、やっぱり好評でした。

主に遺言書の作成を手がける弁護士ジョン・クラークは、高級デパートでディスプレイを担当する、家庭も仕事もきちんとこなす妻ビヴァリー(スーザン・サランドン)と二人の子供たちに囲まれ、幸せな生活を送っていました。しかし毎日の生活に不足ではないが物足りなさも感じていました。そんなおり毎日の通勤電車の窓から見えるダンス教室の窓から、物憂げな美女ポリーヌ(ジェニファー・ロペス)が気になりだした彼は、ついに教室の門をたたきます。ポリーヌのことが気になってのはずだった彼ですが、いつしか社交ダンスの練習に夢中に。しかし決まって水曜日は帰りが遅い夫に、妻は浮気を疑います。

元作は兄嫁の好意で、まだ幼稚園にも上がっていなかった三男を姑に預け、当時の私ではなかなか行けなかった劇場で二人で観ています。日本版のしがないサラリーマンとアメリカ版の裕福そうな弁護士では、設定は違っていますが、両方ともに共通しているのは、家庭に不満はないし妻も子供も愛しているけど、心の底に今の生活に物足りなさを感じていることです。これは生活レベルに関係なく、熱中する趣味もなく、家と仕事場を往復するだけの中年期以降の男性には、共通した感覚ではないかと思います。

日本版では郊外に家を買ったばかりで、「ローンのため会社に身を売ったような気分」という自嘲的なセリフをはく主人公に対し、主婦としての愛がいっぱいの妻は新しい巣作りに一生懸命。夫婦ともこれから頑張らねばというのは伝わるけれど、微妙に思いが違い、特に妻は巣の主(あるじ)が誰であるかというより、新しい巣に対しての思い入れが強かったように感じ、その微妙な温度差と隙間が、プラトニックですが役所広司を草刈民代に向かわせる要因になったかと、当時感じました(一回しか観ていないのでうろ覚え)。

アメリカ版の妻は、夫の誕生日に家族で集うよう子供たちにも言い聞かせ、仕事で遅くなるときも食事の用意はしてあり、仕事も順調家事も手抜きなしで頑張っています。そんな充実した毎日を送る妻に、自分の些細な空虚感を言い出せないジョンに、夫としての優しさや寂しさを感じ、設定の違いにも違和感はありませんでした。むしろ女性の社会進出が顕著な現在では、こちらの方が時代に合っているかと思います。ギアは細やかな行き届いた演技でジョンを好演していました。

優雅で憂いのあった草刈民代に対し、情熱的で気が強そうなジェニロペでは雰囲気が違いすぎて戸惑うかと思いましたが、踊りこそジェニロペらしいタンゴなどで見せ場を作っていますが、彼女がとても愛らしく暖かだったのでびっくり!挫折から立ち直れない寂しさや弱さも表現出来ていて、好感が持てました。

杉山と舞の心模様に重点を置いた日本版では妻の存在は少々希薄で、私は同情したものですが、アメリカ版は倦怠期以降の夫婦(結婚20年、うちより短い)が人生のパートナーとしてのお互いを再確認し、堅実に誠実に生きてきた中年男性の小さな冒険心が、周りの人々にもう一度自分も頑張ろうと影響を与えるようなお話になっています。登場人物の心のひだには深く入り込まず、ライトなし上がりになっていますが、全編心地よい暖かさとユーモアに包まれた作品でした。他は竹中直人、渡辺えり子、田口浩正、徳井優の役回りやエピソードなどはほとんど元作を踏襲、変にいじるよりこれで良かったと思います。

中年以降になると、昔○○をやっていた、あるいは○○の立場にいた、とこんな話が案外中心になってはいないでしょうか?過去も大切な思い出ですが、これからどう生きるかと言う未来と現在はもっと大切。いくつになっても熱中するものがあるっていいなぁと、仕事中や駅のプラットホームで、夢中でステップの練習をするギアを見て思います。たとえそれがヘタの横好きでもいいではないですか、幸せで楽しければ。「映画を映画館で観ること」という熱中できることがある私って、幸せだなぁと思った次第。私もギアみたいに嬉しそうな顔をして映画館に向かっているんでしょうか?


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