ケイケイの映画日記
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2005年04月29日(金) 「バッド・エデュケーション」

ひえぇぇぇぇ!火水と「阿修羅城の瞳」「ハイド・アンド・シーク」と観て、3れんちゃんの昨日の木曜日、一番すごいのがきました。一昨日3時間しか寝ていないのにこのヘビーな内容、身も心もヘロヘロです。あぁまいった!前二作の高評価により、カルト的人気監督から巨匠の誉れも高くなったアルモドヴァルなのに、「トーク・トゥ・ハー」に比べて劇場数が減ったのは何故かなぁと思っていましたが、なるほど人を選ぶ映画です。お腹いっぱい謎もいっぱい、でも幻惑され魅せられた作品です。

1980年のスペイン。新進監督のエンリケ(フェレ・マルティネス)の元に、少年時代の同級生で初恋の相手であるイグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が16年ぶりで訪ねてきます。今は俳優をしているというイグナシオは、自分の書いた自伝的脚本を携え、これを元に映画を作ってくれと言います。条件は主演を自分にすること。彼のあまりの変貌ぶりに、本当にかつて自分が愛したイグナシオか疑心暗鬼になるエンリケですが、撮影は開始。順調に作品が作られる中、ある人物の登場でイグナシオの秘密が暴かれます。

ゲイテイストの作品は意外と多く、古くは美青年オンパレードだった「モーリス」「アナザー・カントリー」、ちょっと前では「ウエディング・バンケット」「ハッシュ!」などは、ゲイを主題にしながら容易に自分の立場に置き換えて見ることも出来、また戸惑い偏見を持つ人も描くことで、性を超えた人間性の尊重を訴えていました。が!!!この作品はかけらもそんなところはありません。首尾一貫、愛だ、男だ、セックスだ!で貫かれ、ストレートな性的嗜好の人の理解など、皆目気にしていない感じがします。猥褻だし仰天もしますが、ある意味崇高ですらありました。

お話は現在、過去、そして映画の中の虚構とが入り乱れますが、わかりずらさはありませんでした。戸惑うのではなく幻惑された感じは、時空をいじっていたからと感じます。これが理路整然と過去から現在なら、毒が強すぎたかと思いました。性的場面は刺激を軽く通り越した生々しさで、結合部分こそ写していませんが、なんだか裏ビデオを観ているよう。しかしあの手の物にはない、官能性と淫靡さが漂っています。そして攻撃的。ガエルが眠っている男性にまたがりセックスしてしまう場面がありますが、女性の場合は、「抱きたい」のではなく「抱かれたい」が強いと思うので、女装していてもやっぱり男なのだと妙に感心してしまいました。

しかしその性的場面なのですが、少年時代の同性愛は甘美的で幼く描き、神父による性的虐待の少年愛は痛々しく、大人になってからはズバズバあられもなく描いていますが、これには全部誰が見ても美しいガエル絡み。観客に受け入れられ易いよう、細心の注意を払って描いています。ですから世間が言うほど、アルモドヴァルはこの作品を好き勝手に作ったとは思いませんでした。イグナシオは何故主役を演じるのに執着したか、彼の秘密と共に哀れや切なさも感じ、作品に深みも与えるので、興味本位のゲイ作品と取られる事を避けるのを助けたと感じます。この辺は商業監督としての彼の力量でしょうか?

ただやっぱり私にはわからないこともあり。息子がゲイであるのに、全然母親や身内の嘆きや葛藤が出てこない。私はゲイのお友達はいませんが、人間的に好きになれば仲良く出来ると思っていますが、息子たちからもし告白されたら、これは別問題です。矛盾していますが、まぁ「招かれざる客」と同じです。それともそういうのを描く必然性がない映画だったから?あんまり身内が普通なので、私には返って不思議でした。

それとエンリケにはイグナシオと再会する前、公私とものパートナーがいたはずですが、あっさりイグナシオが取って代わったのに、どうして揉めないんでしょう?これも筋に関係ないから?これが男女ならそういう場面の一つは絶対出てくるはずですが、男性同士は別の人に愛が移ったら、あっさり引き下がるのでしょうか?

そしてこれはネタバレ疑問(ネタバレ終了後にも書き込みありです)













エンリケはファンがイグナシオ殺害に手を染めたことを知り、彼に別れを告げますが、なんか冷たい。ファンがイグナシオに成りすましていたのは、とうに知っていたのに彼と同棲していたのは、好奇心ではなく愛だったんじゃないの?言葉に出して真実を告げたら壊れてしまうからでしょう?確かにファンは殺人者かも知れませんが、その動機には同情できるものもあります。それにエンリケはイグナシオがエンリケを終生恋焦がれていたほどには、イグナシオを愛していなかったはず。昔の甘い思い出だった人より、寝食をともにし体を何度も重ねたファンに対して、あんなにあっさり一瞬で決断出来るんでしょうか?




















ガエル君のファム・ファタール(いや、オム・ファタールか?)ぶりを堪能しつつ、男同士の愛の濃厚さに目眩がしそうです。レズビアンを描いてここまで魅惑的な作品にはならないでしょう。やっぱり男の人には勝てないのかと、別に意味で思った次第です。「バッド・エデュケーション」なんですから、そこに留まったイグナシオの姿を通してこれは彼らが通った神学校を指しているのでしょうか?そういえば一番の「悪役」も哀しく破滅しちゃったしね。観たこともない作品を観て、圧倒されまくって終わりの巻き。のんけの男性には辛い作品でしょうか?ゲイの男性は良くも悪くも「とても男らしい」がよくわかりました。


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