ケイケイの映画日記
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2005年01月04日(火) 「カンフーハッスル」

映画に影響された、人生が変わったと言う経験を持つ方も多いと思います。私の場合は「少林サッカー」がそれ。当時フルタイムパートで小さな会社の事務をしていましたが、時給の割り増しもなく土日祝も遠慮なく出勤させられ、残業も当たり前。「悪いね。」の一言もなく、お金を払っているのだから当然と言う態度の社長夫人。おまけに意地まで悪いときている。それでも足にぶらさがっている息子3人を育てるために、経済的に夫を支えねばの一心で我慢していました。

そんな時「少林サッカー」を観たのです。笑って憂さ晴らしをしようと思っていたのに、私の心に強く残ったのは、恵まれない環境でも自分を信じて夢を実現しようとする彼らの姿でした。思い切り笑って泣いた帰り道、あんな会社絶対やめたらぁ!と強く誓ったものです。毎日楽しく感謝しながら働けて、雇い主にも認めてもらえ、家族にも迷惑のかからない職場が絶対私にもあるはずだと、紆余曲折したのち働きながら見つけたのが今の職場です。あの映画を観ていなかったら、こんなにたくさん映画が観られる環境にもいず、ストレス溜めまくりながら以前の職場にまだいたかもわかりません。ですからチャウ・シンチーは私には言わば恩人。恩人の映画は絶対観なくちゃと、末っ子を連れての鑑賞でした。

舞台は1930年代の上海。のし上がって行くには悪になることだと、暴力団「釜頭会」入りを目指すチンピラのシンは、頼りない相棒とチンケな悪行を繰り返していました。ある日貧民窟のようなアパート・豚小屋砦で恐喝をしようとして、逆に叩きのめされてしまいます。そこを通りかかった釜頭会の一党も加わりましたが、返り討ちに。このアパートの住民は、かつてカンフーの達人として名を成した人たちが、人知れず住んでいたのでした。面子をつぶされた釜頭会ボスのサムは、何としてもこのアパートをつぶそうと躍起になります。そんな折シンは、自分でも知らない眠っていた力が目を覚まそうとしていました。

私が子供の頃、シンチーが尊敬してやまないブルース・リーの「燃えよドラゴン」が公開されるや、雨後の筍のようにカンフー映画が公開されて、私は中国の人は老若男女全てカンフーが出来るのだと思い込んだものです。その記憶が甦るような、えっ!この人が、うっそー、あの人も!と出るわ出るわの意外なカンフーの達人たち。CGやワイヤーも使っていますが、昨今流行の感じではなく、流麗さより力強さを全面に出しています。

シンチー映画に付き物のくだらないギャグは、今回も満載。来るぞ来るぞと思わせてやっぱりの垢抜けなさが、大ヒット映画の後でも観られると、何だか嬉しくなってしまいます。ただお下劣ギャグは、今回のは一瞬ですがゲロ吐きより強烈。私はこの手は苦手なのですが、恩人ですからシンチーだけは可ということで。

ラスボス的扱いの敵に、70年代カンフー映画のスターだったブルース・リャン(全然わからんかった)初め、出てくるカンフーの達人たちは、かつてカンフー映画が全盛だった頃の俳優達で、本国でのタイトル「功夫」でもわかるように、シンチーの並々ならぬカンフー映画へのオマージュがいっぱいの作品です。セリフよりカンフーの技や試合に挑む姿で、登場人物の心情を語らせていました。ラストの対決場面で、上半身裸のブルース・リーそっくりのいでたちには、思わずオッと、顔がほころんでしまいました。

面白さや熱く血がたぎるのは、「少林サッカー」の方だと思います。いつも美少女を不細工にしてヒロインにするシンチーですが、今回その役を担うアイス売りの少女は、可憐なままで役も小さいです。しかしこの少女が2度出ている場面は、何故シンが悪の道に入ったか、そして元の正しい心を取り戻したかの重要な場面です。

この少女がいなくても話は成立しますが、彼女は観客のためではなく、シンチーが昔を忘れないため、自分のために作った人物ではないか?そんな気がします。「少林サッカー」までは、知る人ぞ知る存在で、マニアックな人気はあっても一般的に知られる人ではありませんでした。聞けばこの作品に出てくる豚小屋砦のようなアパートでシンチーは育ったそうで、大好きだったカンフーも、貧しくてきちんと教わることが出来ず、独学で学んだそうです。そういえば大スターになり、お金持ちになったはずの今も質素な身なりで、同年代のアンディ・ラウやトニー・レオンに比べ、格段に華やかさには欠けるというより、自分から縁遠く身を置いているようなシンチー。ラストの子供の姿に戻ってキャンディー屋に入るシンと少女は、自分の映画人生を賭けた入魂のこの作品で、成功しても自分を見失うまいと誓っているように思えました。この作品では、男前度もグッとアップしていたシンチー。これからもついて行きます!


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