ケイケイの映画日記
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2004年11月24日(水) 「盲獣」(日本映画専門チャンネル)

再見です。でも以前観たのは高校生の時、当時大阪の朝日放送で朝9時半頃からやっていた、「奥様お茶の間劇場」です。この時間帯は今考えればお宝がざくざくで、古い邦画の名作・珍作をたくさん放送していていました。昔はお昼でもよく昔の作品を放送していて、夏休みのバイトが休みだったり、クラブをズル休みした時などよく観ていました。自分では清く正しく青春を送ったつもりでいるのですが、こんな作品を喜んで観ていたことを考えれば、何だかそれも怪しいです。

新進モデル・アキは、好評の自分がモデルの写真展で、アキがモデルの裸体の彫刻を、粘着質に撫で回す男を目撃し、気分が悪くなります。ある日マッサージを呼んだアキは、マッサージ師に拉致・監禁されます。それは写真展の男だったのです。盲目の彼は母親と結託して、女を拉致してきては、気に入った部位をモデルに、彫刻を作っていました。

アキを演ずる緑魔子は、私が子供の頃はよくテレビでも見かけ、サイケで小悪魔、そして少々はすっぱな印象がありました。しかし今回久しぶりに観ると、初々しく子猫のような愛らしさがあるのです。(でもやっぱりはすっぱ)。増村作品では、いつもは絶妙に胸やお尻など、女性の性的な部分を隠して、足や背中やウエストの曲線を強調し、より以上に大人の女性のエロティシズムを表現していますが、今回初めて主演女優の胸の露出を目にしました。でもエッチな感じより、緑魔子の薄い胸は、少女のような可憐さを強調していたように感じました。この少女っぽさがのちのちの展開に、いかにもスキ者といった女性より、女性の性の不可思議さがより強調されていたと思います。

男を演ずるのは船越英二。もう怪演です。不気味だし変態だし気持ち悪いし、すごく上手いです。なのに妙に好青年で、「めくらの僕を、母は普通の人間に立派に育ててくれたんです。」などど言いますが、あんたこんな事して、ちっとも普通と違うやん、お母さん子育て失敗してます。

母親は千石規子。あんまり年が変わらないはずなのにと調べてみると、当時45歳と46歳。でも絶対親子に見えてしまうこの不思議。私は千石という名を聞くと、どうも昔事件を起こした千石イエスを思い出してしまい、ストイックなバッタもんのイメージが頭をよぎり、規子氏のいつも変わらぬ薄気味悪さ(褒めているつもり)にプチ白石加代子を感じ、この名前はマッチしているなぁと思います。

男が創作活動に使い、アキが監禁されている倉庫には、女性の足、手、鼻、おっぱいなど、巨大なオブジェで占領されているのですが、シュールと言うか何と言うか。正直今観ると笑えてしまいます。盲目のはずの男が、倉庫で逃げるアキを全力疾走で追いかけ捕まえるシーンなど、巨大オブジェをかき分けかき分け、さながら大人のポンキッキのような様子です。公開当時はどんな反応だったのでしょうか?

誤まって母を殺してしまった男は、彼に愛を感じ始めるアキと愛欲の深みに落ちていきます。盲目の彼と暮すうち、光の必要のなくなったアキの目は段々と光を失い、代わりに彼と同じく異常に触感が働くようになります。そして普通のセックスでは物足らなくなり、SMの深みへ。寝食を忘れて肌を重ねるうち、段々二人とも体が衰弱し、ついに死を覚悟する時、最高の快楽をと、両手両足の切断をアキは男に懇願し、叶えてもらいます。

すんごく強引な二人の愛の道行きなのですが、有無を言わさぬ力強さで語られるので、全然不思議さや嫌悪感がありません。特にアキと結ばれてからの男は自信に満ち溢れ、自分の障害を卑下していた以前と大違いです。同じ監禁ものの名作では、ウィリアム・ワイラーの「コレクター」があります。この作品では、女性とセックスしようとしない(出来ない)テレンス・スタンプは、監禁したサマンサ・エッガーを尊重しているように見えて、結局大切なコレクションの一つ以上には感じない異常さから、人と心から交流したことのない人間の孤独や哀しさが透けて見えましたが、「盲獣」の船越英二は執着の愛であっても母に愛され、好きになった女性と結ばれ、運命共同体で死んでいけて、幸せだったろうなぁと思いました。

めくら、きちがいなどバンバン出てくるので、地上波では今の時代ではまず放映は無理な作品です。私も生活している中で「、チョーセン」など耳にしたら不快に思いますので、言葉には気をつけた方がいいと思いますが、昔の作品の訴えていることを正確に伝えるには、あまり言葉狩りをしない方がいいかなぁとも思える作品です。


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