ケイケイの映画日記
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2004年08月30日(月) 「カーサ・エスペランサ 赤ちゃんの家」

トム・クルーズとニコール・キッドマンの離婚の際に、彼らが養子の親権をめぐり泥仕合をしたと言う話に、少々違和感を抱いた方も多かったのではないかと思います。日本と言うか東洋人的感覚では、血のつながりはとても大事で、なさぬ仲や養子と言うと、親子と言えど一歩も二歩も引いて考えてしまうのが、一般的かと思います。このお話は南米のとある国に、養子をもらい来ている女性達の群像劇を描く、ジョン・セイルズ監督の久々に劇場公開作です。

女性達は年齢も生活レベルも全て異なりますが、それぞれ人には言えないものを背負っており、赤ちゃんを育て母になることで、違う自分に生まれ変わりたい、きっと今ある苦しみからも解放されるのだと信じているようです。

彼女たちの背景なのですが、私は子供も3人産み育て、流産の経験もあるし、結婚生活も22年になろうとしているので、少しだけ見え隠れする事情に、1を見れば5も6も感じますが、人によってはだいぶ説明不足と捉える方もおられるかと思いますが、私には彼女達の必死さが素直に胸に沁み切なくなります。

しかしこの彼女達の思いは甘いのだ、ともセイルズは語ります。このとある国は、チリがモデルらしいです。劇中、「わが国の一番の輸出品は赤ん坊。」と言うセリフが出てきますが、養子をもらうために金銭が動き、形は養子ですが人身売買とも言えます。

街には失業者が溢れ、年端もいかない少女が堕胎より出産して子を「売る」ことを選び、何とか労働にありついている若い娘たちは、軒並み養子を出した経験があり、養子として選ばれなかった子はストリートチルドレンとして生きて行かねばなりません。明日の糧のため今日を働く、その日暮らしの人々。そんな切羽詰った暮らしをする人々から見れば、どんな事情を抱えようと、子供を待つ間、何日も異国のホテル暮らしが出来る余裕のある彼女達は、ただの金持ちのアメリカ女なのです。

ではセイルズは、彼女達を糾弾しているのでしょうか?
私はそうは思いませんでした。時折挿入される赤ちゃんたちの愛らしい姿は、思わずスクリーンに手を伸ばし、抱きしめたくなるほどです。寝ているときは、赤ちゃんは体中が呼吸しているようにお腹が大きく動きます。子供達が生まれたての時、ああこの子は生きているのだと、飽きることなく眠る我が子を私は見つめていたものです。たくさんの事に絶望し、裏切られた思いを抱える彼女達に、女性の最後の砦とも言える母性を溢れさせることで、子供を持つことで強くなって欲しい、セイルズはそんな願いを込めて、彼女達のあえて無自覚な傲慢さも描写したのだと感じました。

子供はその親を求めて、この世に出てくると聞いた事があります。しかし、その親から縁を切られた子はどうするればいいのか?子供が幸せになれば、人身売買でも良いのか?ぐるぐる頭をかけめぐる思いに、私は答えが出せません。でもただ一つ、母になりたいと切望する彼女達に、甘いと言われようが、赤ちゃんを抱かせてあげたい、その思いだけは深く残った作品でした。


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