ケイケイの映画日記
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2004年07月17日(土) 「チルソクの夏」

この作品は1977から1978年の1年間、当時本当に下関と韓国・釜山と間にの行われていた、高校生の日韓親善陸上競技会で知り合った、下関の女子高生と釜山の男子高校生との遠距離恋愛を軸に、当時を時代背景にした、清清しくもノスタルジックな思い出にどっぶり浸れる秀作です。

韓国へ招かれた同じ女子高に通う仲良し4人組は、競技そっちのけで、日本からいっしょに来た男子や、釜山の男子の物色にキャーキャー騒いでいます。競技会も終わり、明日は帰国と言う晩に、戒厳令の厳しい検問をかいくぐって、4人組の中で一番おとなしい郁子に一目ぼれした釜山の高校生・安が宿舎に会いにきました。

この二人の逢瀬がなんとも微笑ましいです。安は木に登り郁子はベランダと、レナード・ホワイティングとオリビア・ハッセー、じゃなかった、「ロミオとジュリエット」そのままの構図なのです。すごくロマンチックで初々しく二人を捉えていました。

その時住所を交換し、次の七夕(韓国語でチルソク)に再会することを約束し、二人は文通を始めます。しかし今より日韓の間柄は厳しいもので、日本人は差別心、韓国人は恨みの気持ちを抱いていて、さながら二人は本物のロミオとジュリエットになってしまいます。

全編4人の少女たちの青春真っ只中の描き方が素晴らしいのです。元気いっぱいで本当に可愛らしい!成績を気にしながら他の事にも興味がいっぱい、男の子との交際、放課後にお好み焼きを頬張りながらの他愛無い会話、打ち込む部活を安との交際が上手くいかず、後ろ向きになり練習に身が入らない郁子を囲み、一生懸命説得する他の少女たち。

泣かせに入るプロットでもないのに、私の目からは知らぬ間に涙が。当時彼女たちと同世代であった私の姿もそこにいたのです。平々凡々、楽しかったけど取り立てて褒められるようなこともなく、毎日なんとなく生活をしていたと思っていた過去の自分も、彼女たちのように光り輝いていたのです。それをスクリーンで観て、年をとって乾燥気味の私の心を潤すための涙なのだと思いました。青春とは、振り返って初めてその輝きがわかるのだと実感しました。

郁子の父親に扮するのは歌手の山本譲二。カラオケの出現で行き場を失いつつある流しの役ですが、時代を感じさせる好演です。男性にとって懸命に頑張っている仕事を失うと言うのは、女性のように家事や子育てと別の役割があるわけでもなく、自分の人格も否定されるように感じるのではないでしょうか?安のためのマフラーを編む郁子を激しく殴る父、郁子はこう口答えします。「お父さんの仕事も、お母さんの勤めるパチンコ屋も、みんな朝鮮の人の世話になっとるやろ?何で私が付き合ったらダメなん!」この言葉は、父の胸に突き刺さったはず。人から見下げられている相手に世話になって生きていると言う事に、とても葛藤があったはずなのです。陸上で奨学金をもらい進学して欲しいと願う母とともに、父にも郁子にはこの底辺の生活から抜け出して欲しい、そう願う気持ちがあったと思います。このお父さんも良く描けていました。

そして約束の次の七夕の日、会うことが出来た二人は、次は4年後の再会を約束し、初めてキスします。ここで私の感情は頂点に。大人の思考では4年後などあり得ない、このまま二人は青春の思い出を胸に結ばれることはないのだと、嗚咽を必死でこらえていました。その後見守っていた他の3人と郁子は、抱き合いながら同じ感情を共有します。いいなぁー若いって。

郁子に扮する水谷妃里は大人っぽい顔立ちですが、撮影当時15歳。控えめでおとなしいけど、芯の強い郁子をよく表現していました。他の3人は上野樹里、桂亜沙美、三村恭代。みんな良いですが、中でもリーダー格の真理を演ずる上野樹里がとても良いです。ハツラツピカピカ、この年齢にしか出せない光を、身体全体から放っています。「がんばっていきまっしょい」の田中麗奈クラスの素晴らしさでした。

韓国映画ブームでハングル語を学ぶ方が増えた現代は、この作品の時代背景から見ると隔世の感がありますが、いつの時代も差別や障害を取り除いていくのは、政治でなく市井の若い人々の純粋な心ではないかと感じました。
個人的には全編ツボを押されまくりの作品でした。監督は佐々部清。今年は「半落ち」もヒットしています。「半落ち」は脚本やキャストなど文句もいっぱいあったのですが、描きたい心はしっかり受け取れ、やはり好きな作品でした。この監督は、私には合うぞ。


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