♀つきなみ♀日記
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2001年02月22日(木) 吉田神道概説もどき

敬愛させて頂いております下条様、無断リンクご無礼致します。

えーと、下条氏の主論には異議はないです。ただ神道は「吉田が捏造」ってとこは如何なもんかって事で手短に。

吉田神道の体系の根幹をなし、今に続く著作としては、吉田兼倶の『唯一神道名法要集』が挙げられるのではないかと思います。これは重要な骨子として「根本枝葉花実説」を採っています。この説をざっぱに言えば「日本神道が正しい教えの根本で、その枝葉が中国儒教として伸び、花実としてインド仏教で実った」という説で、聖徳太子の秘伝としています。その果実が地に落ちて、再度成長を始め再び日本に還るとします。つまり、仏や菩薩は実は日本の神に基づいていたという説で、一説には日本の領土拡大の背景となったとも言われます。これを称して「逆本地垂迹説」と称される事もあります。そもそもスタートが室町幕府との利害の一致であった事は、ほぼ間違いないので、その流れから、政治的な意図の際に持ち出される「神道」なのではないでしょうか。利用するにしても批判するにしても。

吉田神道の表する「元本宗源神道(げんぽんそうげんしんとう)」あるいは「唯一神道」が日本における神道思想の本源であるとのご指摘には、首を捻らざるを得ない気がします。どちらかと言えば、「新興宗教型」とでも申しましょうか、土着の祭祀神道とも異なり、当然本地垂迹説によって浸透してきた神道とも、皇室儀礼を中心とする神祇神道とも異なる物であると思います。

吉田神社の祭神は4柱なのですが、そのうち「伊波比主命(いわいぬしのみこと)」は天照大神の命を受け、出雲の国を譲り受けることに成功したことにより、建国の臣と崇められたとし、又、天之子八根命(あめのこやねのみこと)は天照大神が天岩戸隠れの際祈祷に功有りとされ、又、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に従い補佐の大任にあたり大功有りとされ、我が国宰相の始祖とされている処から、藤原氏の氏神であるとされていいて、元々政治色の強い神社だったりします。(どちらも記紀記述ではなく社伝縁起によります)

余談ですが、吉田神社(吉田神道)の根本斎場は「大元宮」と呼ばれ、延喜式内の3132座の神神を鎮祭しており、その為、一度の参拝で全国の神神に参拝したのと同じであると吉田神道は説いているのですが、そりゃ便利でいいや、ってなもんでしょうか?

現在の神道は、江戸時代の儒家神道を経由して、復古神道を核にし、自然の営みを元に、夫婦の愛から生まれ、子孫へ綿々と受け継がれる人の営みをを見つめる、祖先崇拝を核とする神社神道が中心であると理解しています。

ってたまには真面目に書いてみたりして。

って事でまたね!



神道についての私見(2000.5/16-17*神の国発言にからめて) 


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