とにかく走れ!

2003年06月17日(火) ロマン・ポランスキー『戦場のピアニスト』

2003年、映画館でこれだけは見ておかなければ…と思っていた映画である。
見に行った人から、「暗くなった」「落ち込んだ」等の感想を聞いていたけれども、純粋に、よい映画だ、と思ったし、見て良かった、と思う。

先日のイラク戦争もその前の湾岸戦争も、モスクの上に投下されるミサイルの画像ばかりが印象的で、まるで、戦争の現実感がなかった。
アメリカ本国では、一部の米兵の悲劇ばかりが取り沙汰され、本当の被害者が、攻撃されたイラクの一般市民である事実を故意に消し去ろうとする、アメリカ政府とマスコミの意図すら、すけて見えた。
戦争が予想以上にはやく解決されたことは、喜ばしいことであるが、米英の被害が最小限のものに留まったこともあり、アメリカの、一部の戦争に反対していた国民ですら、結果的に、もしかするとこの戦争は正しかったのか…と思わせてしまったことが、悔しい。
正しい戦争なんて、どこにもないのに。

それに比べて、この映画を見た人ならば、誰ひとりとして「戦争」そして「差別」を肯定したりはしないだろう。
それくらい、この映画で描かれた「戦争」と「差別」は恐怖と嫌悪感に満ちていて、それこそが、真実なのだと思う。
「戦争」という特殊な環境のなかでは、国家や人種のまえに、個人は完全に消し去られてしまう。
その人そのものを見るのではなく、ユダヤの腕章をしているだけで暴力の対象とされ、ナチスの制服を着ているだけで、憎しみの対象とされる。

しかし、そんな特殊な状況下にあっても、個人を見つめることの出来る、曇りのない目を持った人間が存在する。
ピアニストを匿う、ポーランド人の女優とその夫。ラジオの技師。親友の妹とその夫。病になったときに手術を行ってくれた医師。
そして、命を救ってくれたドイツ人将校。
この映画には彼らの未来は描かれていないが、ピアニストを匿ったことで、罪を得た者も少なくはないだろう。

この映画の稀有なところは、一方的にナチスによるユダヤ人政策の残酷さだけを描いたのではなく、人としての心を失っていなかった、ポーランド人やドイツ人の苦悩をも表現したことにあるのだと思う。

それにしても、ピアニストがドイツ人将校のまえでピアノを弾くシーンは素晴らしい。
今まで、音を立てないように息を潜めて潜伏しつづけていたのだ。
その激情が音となって迸り出る。
ピアニスト役のエイドリアン・ブロディーが吹き替えなしで臨んだというのだから、恐れ入る。
また、エンディングのオーケストラとの競演も素晴らしい。
光の珠を連ねたような旋律、というのはこういうものをいうのか。

エンドロールを飾ったこの演奏のあと、満場の拍手とともに映画は終わりを告げる。
私自身も、この映画と監督、キャスト、クルー。
そしてモデルとなったピアニスト・シュピルマンに、拍手を贈りたい気持ちでいっぱいだった。


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