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2003年04月18日(金) a music

イースター前の金曜日は休日。夕方に、大勢の人たちが集まってディナー。
家でも、朝からその準備で忙しい様子だった。というのは、私は腰痛で寝ていて何もしなかったのだ。パーティのような類はたいてい苦手である故、いっそこの日に遠くへ出かけようかなどと計画していたのも事実でである。それでも、「座っているだけでいいから」(←どういう意味だろう?)という
Tracyの緩い説得もあって、結局同席することになった。そして時間になり続々とゲストがやってくる。Emeliaに一緒にいるように言われ、Emiliaの部屋でスパゲティを少し頂いていた。そこにアンドレアと、Tracyの友人の子供も加わったりして、いつの間にか賑やかに。他に、顔見知りの人や、かの泉の宣教師たちとも言葉を交わしたが、別にどうということはなかった。私が少し部屋に戻っているときにアンドレアが来て、バイオリンを見つける。実はアンドレアもバイオリンを弾くのだと知り、意気投合。その後、全くもって自信がないにもかかわらず、聞きたいといわれるので仕方なく?弾く。オペラ座、吹雪、金婚式、(ヴィヴァルディの)冬、など、限られたレパートリーではあるが続けて弾いてみる。ある程度弾き終えて、振り返ってみるとアンドレアが泣いている。"Hey, you make me cry" , "That's soooooooo beautiful sound!" などと、今までに聞いたこともない、とても自分に向けられているとは思い難いお世辞を頂く。それでも単純に、嬉しいではないか。

今まで、人前で弾かなかったことには、とても自分以外の人間に聞かせるに値する演奏ではないなど、自信がなかったのと、また逆に、いつかヴィルクリヒ先生がイザークにも言っていたけれど、私の演奏は真の芸術を知る者にのみ聞かせるのもだと、自惚れではなく本気で思っていた傾向がある。

今日のように大勢の人たちが集まったところで、ただBGMのみの目的で、あるいはただ物珍しさから、バイオリンを弾くように言われたら当然断るつもりだった。何しろ、Tracyもそうですが、音楽に興味がない、音符が読めない人が多いからです。弾いたとしても理解されないというのに、なぜ労力を使って演奏する価値があるだろうと。

しかし、違った。実際あの後、アンドレアをはじめ部屋の外で聞いていた人たちの間で、表面上はかなり評判になった様子で、ぜひ聞きたいと頼まれる。どういうわけか、弾かなければ、と思った。興味をもってくれるはずがないと思っていたのに、私が弾いているあいだ、少なくとも目の前にいる
人たちは、じっと聞き入ってくれていた。そして、演奏を評価してくれた。ルーマニア出身の某バイオリニストを思い出したとか、そこまで弾けるようになるにはすごく年月を要しただろうとか、ビブラートがすごく美しいとか。聞き手の感受性の問題だ。無知だからとか、理解されないとか関係ない。音楽というのは。知識を通してでない、心を通して存在するものだというのを思い出した。そして作り手、聞き手に必要な寛容性。無知で、不寛容なのは私の方だった。

ただ聞いていた人が感動してくれた。それだけで、こちらが感動するくらいだ。


川村 |MAIL