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2002年06月12日(水) 茨城県よ、ペット引き取りをやめろ。

今朝は自然に目が覚めた。

嫌々ながら英語Wの宿題を済ませて、バヤデールの2幕とかショパンのワルツ集とか聞いていた。次ショパン弾くとしたら2番だ!

読売テレビで、捨てられたペットたちを世話している、ある女性について取りあげられていた。少しでも多くの動物を救いたいと、保健所に収容されたペットのうち、何匹かを引き取って、世話をしているのである。ペットたちを飼うのにかかる費用はすべて自腹だと言ってた。ものすごく大変なことだけど、本当にすばらしいことだと思う。こんなにも優しい人が、確かに居るということが嬉しかった。

ただ、保健所で預かってるペットたち、何も知らずにこんな所に連れてこられ、何の罪も無いのに殺されていく。彼らの目を、TVを通してでさえも、まともに見る事が出来なかった。涙が止まらなかった。泣いた。同時に悔しかった。人間のすることの身勝手さ、残酷さに対して。無力な自分に対して。

茨城県は定期的に、「不要になったペット」(こんな日本語があっていいのか)を回収しているという。トラックで地元を回るわけだ。まだ小さな動物が入っているであろう箱を引き渡す住民の姿が画面に映る。若い女に、老人に・・・、後ろ姿をみて、本当に心から憎いと思った。その場で彼ら人間を撃ち殺したいとさえ本気で思った。

この番組は見たことないので、スタジオにいた人たち、地井武男以外は名前知らなかったけどある女性の話では、茨城県のこの政索は、最終的に回収してもらえるから、と、安易にペットを飼い、そして簡単に捨てるという意識を住民に持たせてしまう。この方法は間違っている、と。本当にその通りだ。そもそも人間の身勝手さが原因でありながら、命を、しかも大量の、簡単に消してしまおうとする、一番許されるべきでないことを、平然と行っている、しかもこれを積極手段とするのは今後の改善(野良猫が害であるという問題が存在している上で)につながるとは思えないし、市民の倫理感覚の欠如はますます著しくなると思われる。もっと、考えてほしい。生命に対する意識を、変えてほしい。

どうして、あんなに小さくても私たちと同じ命、一生懸命に生きているのに、せっかく生まれてきたのに、こんなに簡単に殺されなければならない?不要な人間のほうがよっぽど多いのと違います??


川村 |MAIL