いつもの日記

2026年09月21日(月) 情報の非対称とスネ夫

情報の非対称を利用して印象操作し狡猾に出し抜き
この世界を上手く渡っていってそうな人達が居る。

ある一つのシーンではその技で成功を得たのかもしれないが、それは本質的にではなく汎用性がないので、次も同様に成功するには、非対称の操作をし続けるしかなく忙しくなり暇がなくなるのである。いわゆる貧乏暇無しである。

そもそもそんな印象操作をし続ける理由は、正面突破でねじ伏せる力がないからである。または力がないことを周りにバレたくないからである。

普通に考えて非常にダサい生き方であり、本人自身もダサいことは気づいているのだが、やめることができない一つの理由としては、これができることが「コミュニケーション力が高い」ことに内包されていると思っているからでもある。または勘違いしているからである。

ずっと昔から本日でも採用に一番求められるスキルがコミュニケーション力であることは、この様なスネ夫的人種を蔓延らせた理由の一つにあると僕は思う。

実は「コミュニケーション力」よりも、「誠実で正直で謙虚で真面目である」ことの方が重要なのだが、それらの大事な資質達は「コミュニケーション力が一番大事」という勘違いされた常識によって優先順位が下げられている。

これは普通に考えると至極当然のことなのだが、スタンスや資質というベースの上にスキルは乗っかっている。正直な話、実はスキルなんてどうにでもなる。それよりもその下位にあるベースが大事であるし、この部分がなかなか切り替えてアップデートし難い部分でもある。

即ちスタンスが最も重要であり本質なのである。そしてスタンスを鍛えることこそが最も汎用性が高いスキルでもある。言い換えればスキルの王様と行っても良い。

だからこのスタンスさえを鍛えていればどんな場面でも困らないし迷わない。そしてただ正直に生きてるだけだから効率が良いし速い。
故に、スタンスを鍛え続ける人達は誰よりも速くなる。だから全てが手離れし、スタンスが鍛えられていない遅い人達を待つことが増えていき、待つのが仕事になるのである。
「仕事の速さとスタンスの強さは比例する」
は、まだ世に出ていない公式である。

これも当然だが、世界のトップアスリートはこのスタンスが恐ろしく強い。イチローもロナウドも誠実で正直で謙虚で真面目である。彼らの世界では狡猾なコミュニケーションなど何の役に立たない。むしろ邪魔だ。
彼らの世界とは異なるかもしれないが、彼らと同じレベルを共有したいのであれば、またはそこから何かの学びを受けるならば、僕らは誠実で正直で謙虚で真面目で生きるしかないのである。彼らは狡猾でスネ夫的生き方や考えを全く支持せず秒で切り捨てるだろう。
要は「ダサいことするな」ってこと。

実はこの世界の行く末も、情報の非対称で生きてきた人達を生き難くしている。全てがデジタル化され可視化され即時化されていくからである。スネ夫的生き方はどんどん生きれる領域を減らしていくトレンドは誰の目から見ても明らかである。
ある人にはAと言い、別の人はBと言う、二枚舌はすぐに裏取りされて信用を失う行動になる。それを指摘されると言い訳する。そんなことしてるとそりゃ時間なくなりますよ。

真面目に生きてるとね。
ピンチがチャンスだと思えたりする。
そういうものだと割り切れる。
割り切った上で何ができるかを考えられる。

そして自然なピンチではなく、スネ夫によって工作されたピンチは、それは本質ではない焼き刃だから何倍にも返せるチャンスボーナスということすらある。
スネ夫は本当に二手先三手先が読めていない。
だからスネ夫なのであるが…

「狡猾なスネ夫達は今日も印象操作をぐるぐる回すことに必死なんだろうなぁ…そして時間がない時間がないって言ってるんだろうなぁ…」
とスネ夫達の未来を案じながら、今日も猫でも撫でるしかない。



2026年08月22日(土) 映画「開戦前夜」レビュー

「アメリカとの戦争は必ず負ける」と総力戦研究所では結論づけたが、それでも戦争に突入してしまう悲劇的な運命の物語。
僕らが歴史に対して後から意見するのは結果論だから言えるだけであって、当時の人間が全くバカだなんて全く思えない。

現代に置き換えても同じで、失敗すると見えているプロジェクトに突っ込んでいく例はあとを絶たない。これは一般論だ。
つまり人間や組織の本質は変わっていない。「教訓を糧にしろ!」と軽々しく言う人はいるが、糧にできる人はむしろ稀だ。褒めた方が良い。

なので、結局どれだけ教訓を糧にし、充分な準備をしても悲劇は起きてしまう。
だから、この映画の教訓を現代で指針として置き換えるならば、個人一人の力ではどうしようもない悲劇の運命に巻き込まれた時に、「個人にできることは何だろう?」ということになるが、それは映画でも示されていたが、悲劇の運命が見えていたとしても「最期まで自分の意思を主張する」ということだろう。

自分は違うと思っているのに、何も言わずにやり過ごすのは自分に嘘をつくのと同じである。
現代において人が健全に生きていく上で重要なことは、自分に嘘をつかないことだ。これが自分が自分のことを好きになる唯一の方法でもある。
逆に言えば、自分に嘘をつく人間は、他人にも簡単に嘘をつき、自分のことを嫌いになっていくのである。



2026年08月02日(日) リスト

この世は不平等
与えられたカードでどこまでできるか
悔しかったら努力をする腹がたったら身体を動かす
同じ場所でぐるぐる彷徨わず出口を考える
他責にせず自責で捉える
びびらず言いたいことを言う
前向きな直感で動く
自分を不安がらせる声を聞かない
浅く考えろ世の中舐めろ保身に走るな勝っても攻めろ

目的は何かどういう状態がゴールか
期限はいつか
代替案のない否定をしない
喋らないなら会議に参加しない
一度限りの資料を作らない
時給の高い人間の時間を奪わない
想定される最悪のケースとその対策
そもそも論
相手に具体的に何をして欲しいのか
どうしたいのか自分はどうなりたいのか

暫定対応と根本対応
事実と原因と対策と意思
詳細化よりも要約力
誰が嬉しいのかステークホルダーは誰か
遠回りしない直線的アクション
自分を被害者にして同情を集めない
ダサいことをしない
小さな成功体験を積み重ねる
環境にこだわる
自分との約束を守る

モチベーション管理はスキルの内
我慢できるのもスキル
どうしても耐えられないなら逃げる
生き抜くために言語化力を高める
先人に敬意を払う
ターニングポイントを見極めて集中する
いい人だけでは生きていけない
傷を舐め合わない
悪い流れには近づかない
点と点を繋げるイメージ

人の悪口を言って自分を正当化しない
全てに感謝する
他人を褒める
嫉妬しない人と比べない
好きなことに夢中になる
こつこつを積み重ねる継続力
三手先を考えて先回りする
人との繋がりが一番の資本
不幸も逆境も試練も最後は自分を強くする

相手の立場になって考える自分がされたくないことを人にしない
先延ばしせず今日を生きる
やりたいことをやる
会いたい人に会う泣きたいなら泣く怒りたいなら怒る
悩みが晴れないなら寝る
ケセラセラ
人は死ぬ



2026年07月16日(木) 働く期間にも賞味期限はある

AIの出力をまだまだ半信半疑で横目で眺めている人が居る一方において、AI自身が自己増殖して人間を越えていくというその先を見ている孫正義は流石だなと。

孫正義氏「人類が頂点の時代終わる」
--AIの自己増殖「止めようと思っても止められない」

まだ自分には関係がないと横目で流していく人達が気づかないうちに、自分の周囲にあるサービスのほとんどがAIの出力へとグラデーションの様に切替わっていくのが実態なのだと思う。
実はもう関係しているのですよ。
というか全部関係している。
逆に無関係なことなどない。

しかし、この大きな転換期においてあと15年位しか働けないということから考えると、もう意味のない仕事や、やりたくない仕事に時間を浪費している場合ではない。

65歳からその先も働けるのかもしれないが、それは「賞味期限ではなくて消費期限だ!」という様な些末な議論に近い。結局は思い切って働けることにも賞味期限はある。

食品業界では賞味期限の3分1ルールという商慣習がある。納品期限、販売期限、賞味期限 である。これを食品ではなく自分自身に置き換え、自分がどのフェーズに居るかをあてはめてみるのは、正視し難いかもしれないが新しい視点かもしれない。続く…



2026年07月07日(火) お金の無い世界

ずっと前から分かってるんだけども、人間の幸せって何をするかではなくて、誰とやるか、誰と居るかなんだよね。
だから、お金を幾ら稼いでも幸せにはなれない。
お金自体に幸せはないからね。

スペイン&モロッコの大学卒業旅行、大学の部活、高校の文化祭、丹後半島の一周…
これらを僕らはもう一生越えられないのである。
たぶん。

そこには利害も、打算も、保身もない。
上も下も何もない。

そういう人間社会が捏造した糞下らない価値観を介入させずに、僕はただ純粋に自分の素直な感受性でこの世を楽しみたいだけなのである。だから、もしそれができないのであれば、そんな時間はできるだけ自分の時間からは排除したいと思っている。

もしも仕事でも同じ状態に到達するためには、
利害も、打算も、保身もない。上も下も何もない。
というメンタリティを持ちただ純粋に目的や目標を遂行できる仲間達がいるのならば、昔と同じ景色を観れるのかもしれないが、それはやはりなかなか難しいだろう。
だから僕達は、仕事とプライベートを分けて、マインドマネジメントするしかなくなり哀しくなるのである。

それが現実だしそれが大人というものだ。
これは人間の永遠のテーマであるし廃れない。

でも本当に社会が進んでお金がなくなったら、そこは利害も、打算も、保身も、上も下も何もない、ただの人それぞれの感受性だけの社会があるのだろうか…

できるだけ長生きしてお金の無い世界の入口をみたい気がする。
その日は来るのだろうか…続く…



2026年06月12日(金) ここにきてブログの振り返り

2001年2月〜2005年4月 エンピツ
2005年4月〜 Yahooジオシティーズ(閉鎖)
2005年10月〜2010年6月 mixiハルキチ(休止)
2011年11月〜 Facebook(現役)
2013年2月〜2016年1月 はてなブログ出鱈目(休止)
2018年9月〜 エンピツ(再開)
2026年5月〜 エンピツ(本腰で復活)

こうやってみると基本的にはほぼ完全な休止期間を作ることなく、何らかのアウトプットをし続けてきたのだろうとは思う。

恐らくだがそれは自分にとってのストレス発散であり、自分の理解や認識を確認するマイルーティンになっているということでもあると思う。

そしてmixi、はてぶ、エンピツを比較してみると、エンピツがバナーとか広告とか少ないから一番読み易い。日毎に遷移も必要ないから一気に読めるし、画像もないからやはりテキストブログには最も適している。
最もマネタイズしない潔さが良い。
正直必要でもないポップや広告を出されても無駄なのである。

無駄な広告の✕ボタンで閉じる時間を積み上げたら人生で数年分になるんじゃないか?

という訳で、なので、やはりエンピツで書こう。
そして、mixiとかはてブで書いていたもので、読めるものはピックアップして、エンピツに移行しようかなと思う。

しかし俺は夜な夜な何をしてるんだと思うが、過去のエントリーやそれへのリプライや、メッセージのやりとり等を見てると昔のアルバムを引っ張りだした時の様にマジで止まらなくなる。
止め処なく流れてくるSNSのショート動画を永遠に観るよりは健全だと思うので良しとする。



2026年06月06日(土) 25年前との比較

もはや生きるために働いていない

じゃあ何のために働くのか?

幸せになるために生きるのか?

そもそも産まれながらにして人は幸せではないのか?
違うだろうな
世界は不平等だからだ

じゃあ成長するために生きてるのか?
それも違うだろう

認められるために生きてるのか?
そんなちっちゃいこと…

自分を信じてるからこそ生きてるのか?
世の中に存在する不明を解いてない状態で死にたくないとも思う
ナスカの地上絵はどうやって作られたのか?

解けない問題に固執することの無意味さも分かっている
紙一重だ


25年前の日記を読み返すとこんなことばっかり書いてある
だから自分は変わっていない
安心する一方で進歩がない
でも一貫性はある

今の生活や自分に満足はしているという事実がある
このキャラの一貫性が今の自分を作ったのであれば
わざわざ変えなくても良いという根拠にはなる

でも依然として悶々としている
突き抜けられないことに悶々としていることは変わっていない

でもこの数年水の流れは良い気はしている
水の流れの先が見えている気がする
何となく

だから事前に対処ができる
事前に対処ができれば安定する
できなければ不安定になる

安定感は増している
混沌とした時代と言われながらも
安定感が増していることは良いことだ

もしかすると大きな流れに辿りつくのかもしれない
その時に制御できない不安定に陥るかもしれない
不安定さ避けるのではなくそれを整えていくしかない

大雨が降ったら土砂崩れで全て崩壊する様なデジャヴは
もう繰り返さなくて良いだろう
もう令和だぞ
2026年だぞ

いい加減お金で判断する世界を終わりにせねばならない
お金で判断するから間違った選択となる
どんな未来になりたいかで決断すべきだ


だらだらと書いてきましたが、今日はこの辺でお開きですかね。
最後にお知らせです。

掲示板が復活しました。
一番下のHOMEPAGEから飛べます。
MAILも受け付けております。
語りたいこと、日記にして欲しいこと、
質問、要望、何でも良いので、教えて下さい。
目標として1週間に1度は更新しようかな。

以上 kind_of_sundayでした。



2026年05月27日(水) 復活 いつもの日記

最近のランニング中はラジオを聴いている。
全般的にではなくj-waveのGURU GURUがメインで、
時偶、那須川天心のかんきもラジオや、
佐久間さんのオールナイトニッポンを聴く。

リアルタイムではなくても聴ける様になったという、
テクノロジーの環境変化は大きいのだが、
ラジオにはラジオの良さがある。
今後も含め未来永劫無くならないメディアだと感じる。

そして、この旧来からのこのブログも実は同じでは?と思えてきた。

ネットが画像や動画でリアルタイムに埋め尽くされる時代になり、
この日記もmixiやYahooジオサイトに移行したり、
ほとんどの内容はFacebookでも書けるしタグ付けとかも含めて
何でもできるからこの日記への時間が減っていたんけど、
それは自分が価値を見出せてなかっただけなのだと思えたのでした。
要は、この日記は未来永劫続くラジオなんです。壊れかけのラジオ。

つうことで、復活します。
まあ別に無くなってもなかったけどね。
昔の日記を今更読むとノリが酷くて恥ずかしさもあるが、
それを通り越して愛おしくもある気がした。

次回はもうちょっと何故書こうと思ったのかの、
内面動機の部分をお伝えしますね。



2025年06月16日(月) 無名の人生

新宿で「無名の人生」という映画を観る。

斬新で難しいアニメ映画であったが、名前というレッテル化されてるものに最終的には価値はなく、重要なのは経験や体験であり、どう生きたかというプロセスなんだぜ、というテーマな気はした。
自分もずっとそう思っているので異論はない。結果に拘るという前提の基でのプロセスが重要である。結果に拘らないプロセスは、娯楽であり息抜きが目的となるため、基本的にそこから示唆は得られない。
結論のでない過程か結果かの二元論の議論はもう終わりとしたい。
持続可能性があり、示唆も得るには、どちらも必要だ。どちらかだけでは足りない。片方では続かない。仕組みとして成立し続けるためにはどちらも必要なだけだ。
これは、格闘技において必要なのは、スピードか、パワーか、という二元論議論にも似ている。完全にどちらかだけで大丈夫という話はない。本当に勝ちたいならどちらも必要というだけだ。

また、今日は父の日とのことでジェラート・ピケのヨッシーカーディガン寝巻きを家族から頂く。
背中にもヨッシーが入ってるのが可愛い。

そして、夜は娘の二十歳誕生日会とのことで外食。コースだったので量が多く食べ過ぎでお腹が痛い。お腹が痛くなる程食べ過ぎてしまう現代人がSDG'Sとか言ってるのは壮大なコントだ。全く辻褄が合わない。

自分の家は平和で世界は平和だと思っていても、何故か外国では戦争をしていて一向に終わらない。
フィリピンのゴミ山に産み落とされた子供には何の罪もないが、健全な人生を送れるとは言い難い。
辻褄が合わず、不条理が常にあり、それらも含めて世界はできている。カオスである。カオスが前提の世界である。罪もない奴らが冤罪で裁かれ、楽して得してる奴らが持ち上げられ、頑張っている奴らに一向に光を当たらない、という不条理も含めてカオスな世界である。メディアは嘘ばっかりで、古い政党は保身なだけで国民のことを1ミリも考えていない。正論や正しいことがあってもそうならない。どんなことにも抵抗する人達は必ず現れる。
このカオスで、どう生きるか、どう生きたいか。
ただ、どんな生き方をしても、ほとんどの人間は教科書には載らず、結局は無名の人生だ。

家までの帰り道で隣に並んで歩く娘に言う。
「君の好きな様にしたらいい」
そして、エンドロール。
(注釈 どこまでが映画でどこまでが現実かの境は曖昧だがそれは重要なことではない)



2025年04月30日(水) 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は

ジャルジャル福徳の小説の映画化
主演の二人よりも助演の伊藤蒼の演技が超えてくる
正直そこが一番のピークかもな
なので、後半はちょっとアレかな…
もちろん転結にはなるけども…
ただ、総じて素晴らしい映画でした!
大学生時代の常に落ち着かない気持ちを思い出す
関大が舞台だったりで、
関西で学生時代を過ごした人には懐かしい光景かも
ジャルジャルの二人は関大なのね
納得


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