ケイケイの映画日記
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2024年07月21日(日) 「大いなる不在」




ヒューマンサスペンスとのキャッチコピーに惹かれての鑑賞です。主人公の卓(たかし・森山未來)と父(藤竜也)の間柄は、私と重なる部分が多く、とても納得の行く内容でした。随所に心に響く描写があり、号泣ではなく、幾度か涙が頬を伝った作品です。監督は近浦啓。

俳優の卓。30年前、自分と母を捨てた元大学教授の父・陽二が、問題を起こしたと警察から連絡が入ります。妻の夕希(真木よう子)を伴い、介護施設に出向く卓。父は認知症でした。父と再婚したはずの直美(原日出子)は家には居らず、どこにいるのかも判りません。差し当たって卓がキーパーソンとなり、父の世話をすることに。疎遠だった30年間に何があったのか、卓は誰もおらぬ父の自宅を訪ねます。

冒頭に少し、アクションタッチの息詰まる様子が描かれ、少しびっくり。後から思えば、混濁し混乱した自分に追い詰められた陽二の、頭の中の様子だったかも知れません。陽二の頭の中のように、物語は遠い昔の事から、最近の様子まで、織り交ぜて描かれます。そこには、視点が違えば、事実も違って見える事が描かれます。

直美とは離婚後に縁があり再婚したと聞いていた卓。実は卓の母親と結婚前からの恋仲で、所謂ダブル不倫で結ばれた仲と、家を探索して初めて知ります。五年前の25年ぶりに父を訪ねた卓を、精一杯持て成す直美には、贖罪の気持ちがあったのだと思います。

直美は自分の息子(三浦誠己)に陽二はとても良くしてくれた事、でも卓に会っていない事を理由に、息子の結婚式は辞退した事、卓が大河ドラマに出演して大変喜び、毎週楽しみにしている事など、卓に語ります。「普通の父親」として、理屈をこねて息子を説教する陽二に代り、心を込めて卓に話す直美は、善き人だと思いました。

父と息子の様子が絶妙です。他人行儀で敬語で話す息子に対して、長い年月に疎遠だった事も無かったような父親。多分養育費など、金銭的には息子に苦労をかけていなかったのでしょう。そういう自負が、70代の父には、根拠としてあるのでしょう。子供はお金だけで育つわけではないのが、解らないのではなく、知らないのです。

過去と現在が行きつ戻りつする画面は、父子、夫婦のその時々の感情を表します。認知症を患ってからの夫婦の様子も秀逸です。物理学者として、知性的な反面、自分に恋する激情をぶつけてくる、かつての夫の手紙を大切に持ち続ける直美。その時の感情を綴った日記も、彼女にとって、手紙と同じく宝物です。直美の息子は、家政婦のように母をこき使い、自分から母親を遠ざけたと言いますが、嘘をついてまで金を無心する息子の様子に、直美から自分の息子を遠ざけたように感じました。二つの家庭を壊した分、彼女には陽二の妻としての覚悟があったのでしょう。

認知症を患ってからの藤竜也の演技と演出が素晴らしい。初期の頃は、忘れ物ぐらいですが、何気ない場面で激昂する場面など、とても怖いのです。今まで穏やかであったろう人が壊れていく様子に、成す術なく、世話をするのが精一杯の直美を観るのが辛い。

不倫の果て結ばれ、まだ子供を望める年齢だったはずですが、そうしなかったのは、せめてもの別れた人への配慮でしょう。夫婦を結ぶのは愛情という、形の見えないものです。それが認知症のせいといえでも、夫が否定した時、妻の感情の糸が切れるのは、とても理解出来ました。直美に取っては、この30年間、幸せでいなければと、常に緊張した、穏やかな暮らしとは程遠いものだったのかも知れません。これが不倫の果ての末路かと、哀切と共に納得もしました。直美の妹(神野三鈴)が、卓に渡した直美の日記は、直美の30年間のと決別です。

対する卓と陽二はどうか?幾度目かの面会の時、卓の記憶にない幼児の頃の息子の昔話を、喜々とする父。私も両親の離婚後、疎遠にしていた父と再び交流が始まった時に、同じようなシチュエーションがあり、思い出しました。愛の向う岸は憎しみではなく、無関心。憎しみはなくとも、父に対して蟠りはある卓が、父の言う事を何故素直に聞くのか?血の通った他人として認知しているから、反抗すらしないのです。

観ている人は自分を捨てた親なのに何故?、または、やっぱり親だから素直に聞くのかと思うでしょうね。違います。形式は父子でも、父親としての認識が薄いから、揉めたくないだけ。この様子も自分と重なり、監督も脚本も、とてもデリケートに演出しているなと、感心しました。

幾度目かの面会の時、幼い卓を殴った事を赦してくれと、涙ながらに語る父。卓は覚えていません。どう答えるのかと、固唾を呑んで見守りました。「覚えていないけど、赦すよ」と答えました。最愛のはずの直美の事は支離滅裂なのに、幼い卓への謝罪は覚えていた父。この時からです、卓の父への敬語が無くなったのは。彼の中で陽二の事を、理性と感情が一致して、父として認識したのでしょう。

私の両親が離婚したのは、私が結婚直後の21歳の時です。私が短大に入る直前の18歳までは同居していましたが、父はほとんど家におらず、三年間の別居の時も、幼い頃からの壮絶な夫婦喧嘩を観なくて済み、安堵したほどです。

母が亡くなり、世間並とは行かずとも、病院に付き添ったり買い物を手伝ったり、それなりの父と娘として接していた時、「お父ちゃんは、男は金を稼いで、家族に贅沢だけさせていれば、何をしても許されると思っていた。でも今はそれは間違いやったと思っている。ケイケイ、お父ちゃんが悪かった」と、私に頭を下げ、謝ったのです。父は認知症はなく、最晩年に、所謂耄碌した状態だっただけの人。85歳くらいでした。卓が託つわだかまりと同様な感情が、私から消え去った時でした。

ベルトがダメになったと言う父に、自分が締めていたベルトを外し、父に締めてあげる卓。「大いなる不在」が完全に埋まった瞬間だと感じ、涙が溢れました。

藤竜也、森山未來が共に絶品の演技です。藤竜也は、インテリの人が認知症になるのは、こういう状態なのかと、深々見入ってしまうと共に、息子と妻に向ける感情の落差も、とても心に響きました。森山未來は、淡々と演じているのに、卓の心の変遷が、画面に映らない、幼い頃から今の感情まで、私に届きました。二人とも、脚本に対する理解力が深いのだと思います。

原日出子も出色です。彼女が直美を演じたからこそ、描かれない直美の内面まで、私に想起させたと思います。主役二人よりも、一番キャスティングが合っていたのは、私は原日出子だったと思います。

この作品では、30年暮らした最愛であったはずの妻より、子供の時捨てた息子を覚えていましたが、これが認知症の全てではないと思います。この逆もあるだろうし、あろうことか、家族は忘れても、他人は覚えていたりもする。世話をする身内は、相手の記憶に自分がいるのかどうか、大いに囚われると思います。それが当たり前です。その時の自分の感情はどうなのだろう?その時、相手との関係性の本質が、浮かび上がるのかも知れません。

地味な作品ですが、私的な今年の邦画のベスト1になる予感がする作品です。








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