知らんけど

2007年01月10日(水)

6時にタイマーでラジオが鳴り、携帯のアラームが6時半に鳴る。今朝は布団から7時前に出れた。シャワーを浴びて、準備して出勤。職場に7時45分頃到着。一番乗り。最近、買った本の第一章を読む。「夢を見つけること。」とある。手帳にメモ。

「現在の仕事の延長線上での『夢』とは?」
「言語聴覚士、リハビリテーション、維持期リハビリ」

今日も訓練と訓練の間にかなり余裕あり。口腔ケアのシステム化について考えたり、諸々のアイディアをメモに書きなぐる。「自分の中に残るもの。」を仕事の中心に添えたい。対外的な交渉などに時間を取られすぎてきた。今後もそうした仕事からは距離を起きたい。文句は言わせてもらうが。

仕事終了後、食事を病院の食堂でとり、帰宅。先日購入したハードレンズコンタクトが届いたので店に取りに行く。丁寧な対応の女性スタッフ。お世辞にも顔は美人ではなかったが、対応中の雰囲気や笑顔などが可愛らしい。気分良く、フレッズカフェで手帳を開き、今朝の続き「夢を見つけること。」についてメモを取りながら考える。

「新しいSTのスタイルの創造。」
「既存の理論から脱却し、新しい理論・技術の創造。」
「トライ&エラー」
「トライを記録、エラーを分析。」
「目指すはより良い治療。」
「医療、福祉などの垣根を越えたもの。」

帰宅後、洗濯機をまわす。TBSストリームのPODCASTINGを聴きつつ、ブログを更新。24時過ぎには就寝予定。



2007年01月09日(火)

いつもより15分ほど早く布団から出ることに成功。6時に目覚ましが鳴って、実際に起きるのは7時過ぎ。本当は6時に起きたいんだが、なかなかできず。職場までいつもよりも早めのスピードで徒歩出勤。8時前に職場に到着。連休前に隣の部屋にバルサンをたいたため、一部の荷物を自分の職場の部屋から始業前に動かそうと早めに行く。

担当患者数が増えず、余裕あり。今日は外来の患者さんもお休みで時間が余る。昼間にミーティングするが、主任の言っていることが良く分からない。「???」と思いながら、自分が感じていることだけは言っておいた。でも、あまり納得していなかった様子。しかし、僕が主任の言ってることが良く分からないので、たぶん彼も僕の話がピンと来なかったんじゃなかろうか。なんだかすれ違っていて同じ土台に立ってない感触があるが、彼はどう感じているんだろうか。いつも唐突で抽象的なアイディアが多いので良く分からん。イメージが伝わらないって困る。

帰宅後、ブログの記事を一つ更新。ポッドキャストでTBSラジオのストリームを聴く。You Tubeでチュートリアルの漫才を観る。20時前にドトールに入り読書。「生きて死ぬ私」という茂木健一郎さんのエッセイ。この人の考え方がすごく共感できる。21時からジムでランニング。時速8.5キロで30分走る。左すねと股関節が痛くなる。昔からのクセ。帰宅後、肉まん一個と炭酸水を飲みながらブログの記事を一本書く。24時には就寝予定。



2007年01月06日(土)

新しいアイディアに出会った時や、自分とは異なる意見とであった時の思考の手段として、僕はいつもこのパターンを使う。"I don't know but.."

訳すと、「分からないけど、でも..」である。何が分からないかというと、それが正しいのか正しくないのかが分からないというのもあるし、大体、正しいとか正しくないなんて判断を行うことが適切なのかどうか分からない。ということなのである。こう思考することによって、まず、提示された提言や異論に対して、否定的な思い込みを持たなくて済む。それから、自分の意見をも客観的に捉えることができるようになる。

そして、but..の部分で新たな展開へと広げることができ、また、純粋に事実だけを捉えた議論に持っていくことができる。例えば、「お前はバカだ。」という意見があるとしよう。(まあ、通常なら感情が先走り、思考どころではないが、分かりやすい例として挙げた。)これを"I don't know but.."思考にのせると「俺がバカかどうかは分からない。大体、バカであるかどうかなんてことを問うこと自体も良く分からない。しかし、そうした意見があることは事実である。意見があるという事実と、実際に俺がバカかどうかは実は関係がない。」

例が悪かった。自分で書いていても全く説得力無しだ。(笑)

良い例が思いつかないが、物事を短絡的に判断するクセがあるのなら、このI don't know but..というのは客観性を持たせる思考のきっかけとしてかなり有効である。



2007年01月04日(木)

今日は記念すべき日だ。転職をしないことを決断した日である。

単なる決断ではない。悩みに悩みぬいた末の決断である。ブログにも書いたが、いや、本当に辛かった。この辛さを誰とも共有できない辛さ、それが更に辛かった。しかし、この辛さを経験したことでひと周りもふた周りも成長できたと思う。他者が見てどうこうではない。自分の中で何かがパチンッと弾けた。そんな感覚である。



2006年12月30日(土)

毎日の徒歩通勤で先日紹介したSteve Jobsのスピーチを聴いている。行きに2回。帰りに2回。計4回は聴いている。

頭に焼きつけてやろう。そんな気持ちで毎日欠かさず聴いているのだが、なかなか頭に焼きつかない。何を言っているかは良く分かるし、とても共感できる内容だが、いざ日常生活や仕事に入るとすっかりそのコンセプトが抜け落ちる。まだまだ、意識が足りないのか。

今やっていることは単なる一つの出来事である。それが今後どのような線になっていくかは分からない。線を予想して生きることは不可能だ。だから、今目の前にある点を生きるしかない。線を成すことを信じて。

失敗と思ったことが後の成功につながる話はいくらでもある。僕は逆に成功と思ったことが失敗につながることもたくさんあると思う。結局、失敗や成功という次元で物事を考えることでは人生は捉えられない。結果がどうであろうと、自分が素晴らしいと思えることをやり続けるしかに。素晴らしいと思うものは、好きになれる。好きになればさらに素晴らしさは増すだろう。

15分後に隕石が家に落ちてくるかもしれない。こうして日記を書きながら、心臓麻痺で一人寂しく死んでいくかもしれない。それが起きないと誰が断言できるのか。死を面前にすると、人の目など気にならないし、変なプライドなど関係なくなってしまう。そんな短い時間で実感がわかないなら、3ヶ月の命ですと言われたら、あなたはどうするか。芸人のカンニングの中島さんという方が白血病に伴う肺炎で亡くなったらしい。僕はその人のことを良くは知らないが、同じ歳であった。今、僕が彼のように死を目前にしたら何をするのか。

Steve Jobsのスピーチの内容を僕なりにまとめてみた。世の中に溢れる無駄な情報に踊らされ、人の目に萎縮して生きるが、本当にバカらしくなる。俺の世界は俺にしか分からない。だから、俺の人生は俺が生きる。そういうことなんだよな。



2006年12月28日(木)

いろんな意味でバランスが取れてきたかもしれない。

仕事上では自分なりの考えの下に動いた結果、それ相応の形ができつつある。その結果、今の職場のリーダーにはとばっちりを与えてしまった。しかし、それは僕のせいではない。僕はやるべことをし、リーダーには時間的な猶予とデッドラインは与えられていた。そこを僕がぬかるはずがない。別に僕が偉いわけでもすごいわけでもないが、今のリーダーが僕の立場をどのようにハンドリングするかを見させてもらって、そして落胆した。やっぱり自分が動かなきゃ、自分の立場は守れない。

プライベートでは、ここ数年の間、僕の心をつかんで離さない女性に対して、その思いを伝えた。その思いを言葉にするのに、約5年かかった。

「好き」なんて大雑把な言葉では今の思いを表現できない。「付き合う」なんてスイッチをon、offするみたいな短絡的な関係性よりももっと違う何かを感じている。会って話をすると、何とも表現しがたい至福感を得る。また、そうした機会が得られると単純にうれしい。だからといって、どうしてよいかは分からないから、ともかくそれを伝えることにして、勇気を持って伝える。

大体、そんな内容だったと思う。

ただセックスの対象としてなら、どんな女性で構わないし、なんならお金を払って風俗にでも行けばいいと思っている。必要なのは「穴」なんだから。ただ寂しさを紛らわす存在としてなら、異性を問わず友達が居ればいいだろうと思っている。必要なのは存在する誰かなのだから。愛する犬の存在と、愛する恋人の存在との差は何なのか?それを納得する形で説明してくれる人がまだ居ない。

僕は自分にとって、その女性がどのような存在なのかを、言葉にはできない。彼女を所有したいという気持ちというか、帰属したいという気持ちが全くない。彼女が僕のことを好きだとか嫌いだとか、別にどちらでもいい。彼女が誰と付き合おうが勝手である。僕にとって大事なのは彼女の存在と、その存在の中にある彼女にしかない人間性である。それに触れることがたまにできれば、僕は満足なのだ。ただ、その存在がどのような存在なのかと質を尋ねられても、全くもって表現はできない。理性を超えた何かなんだろう。

まあ、どうでもいいことだが。



2006年12月26日(火)

忘年会。新人のフットワークの重さにただただ落胆。いや、これは僕だけの考えかも知れないので、正しいとか正しくないとかの問題ではない。しかし、なんだろう。気遣いの一つもできない新人にかなり落胆した。

まず、幹事。まともな乾杯の音頭も促せない。そして締めもなあなあ。なんだ、この忘年会は!!!!!!こどもの集団か??????ホント悲しくなる。ビールは手酌。誰も今年の終わりの挨拶にも来ない。なんだ??なんだ??忘年会ってのはこんな気軽な飲み会なのか??

まあ、愚痴はこれまでにして、こうした単なる忘年会一つからも、今の組織の状態が手に取るように分かる。若いものは若いもので集まり、それで充分。歳よりは年寄りで集まり、それで充分。分断。

僕自身もその間を埋める役割を務めるべきだったのかもしれない。しかし、それ以前にそんな雰囲気さえない中で、僕が一人吠えたって寒いだけだ。僕だって、僕自身の立ち位置をふまえてしまう程の雰囲気。

職場の誰とも、同じ価値観が共有できない。ホント寂しい職場である。



2006年12月18日(月)

なんだろうなぁ。まだふっきれない。何からふっきれないのかも定かではないんだが、今自分がするべきことがさっぱりわからない。

するべきこと、したいことがある時は、たいてい何かしらのイメージがパッと浮かぶのだが、いまだにそれがない。耐える時期なのかな。

人との対話が足りないのか。最近、めっきり職場でコミュニケーション機会が減っている。こちらから対話をしかけることも減っているし、対話をしかけられることも激減した。
対話のなかから案外大事なことが見つかるのかもしれない。



2006年12月17日(日)

ここにきて少しずつ気持ちが上向きになりつつある。そうした徐々に良くなる、いい意味での胸騒ぎがしている。ただ、まだまだそのポジティブさに満たされている感覚はない。もどかしい感じ。

今の状態を違う視点から見ることが出来始めているのかもしれない。ゲシュタルト崩壊というものがある。例えばひらがなの「あ」をじーっと見ていると、それが字に思えなくなる瞬間がある。漢字なんかでも、「借」という字をじーっと見ていると、なんか違うものに見えてくる。

現状に対しても、これまで何か当たり前だと思われていた枠組み(自分の意識)でしか考えられなかったものが、突然、違うものに見えてきたような感じがする。自分の状況をメタ認知するってのは言葉で言うのは簡単だが、実際に意識してできるものではないと感じた。ゲシュタルト崩壊を通して得たメタ認知というのは、さっきの文字と同じで、ただ単に現状をじっと見ていただけに過ぎない。そのじーっと見ている時間がというのがとても大事なんじゃないかと思った。

「転職したい。」「今の職場がイヤだ。」そうした気持ちから、何とかしようと転職活動をするわけだけど、そうした活動をする中でもう一人の冷静な自分が居て、「ただイヤだから転職するんじゃダメだぞ。」とか「ここで働きたいと心から思えるところが見つかるまでは絶対に簡単に転職しちゃだめだ。」とかクギを刺しているのだ。

その状況というのは、まさに動くに動けない状況なわけだ。転職活動という表面的な動きはあったとしても、退職から転職へというダイナミックな動きは起こせない。その状況でじっとしていることが意味がある。だからある意味時間が解決してくれるという言い回しは正しい。とにかく今のこのいい意味での胸騒ぎが徐々に盛り上がってきたときに、自分がどんな選択をするかが楽しみだ。



2006年12月15日(金)

ネガティブには飽きた。ポジティブになる。ポジティブに飽きたら、またネガティブになる。それでいいと思う。周りのせいにしていても何も起こらない。


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