知らんけど

2003年09月29日(月) 高知の夜

実習先の高知に到着しました。これから一ヶ月半ここでがんばります。

生まれて初めて訪れた高知は、言葉は通じても勝手がわからず右往左往。路面電車やバスを乗り継ぎ、ようやく宿泊先に到着。なかなか刺激的な一日でした。

それにしても、ここにもたくさんの人々が住んでいて、それぞれが生活してるんだなあと思うとなんだかうれしくなってきます。初めての土地は楽しいですね。

ネット接続のためにエアーエッジを契約したのですが、なんと電波が届かない!私の確認不足もありますが、契約の時は大丈夫ですと言っていた店員、最悪のサービスです。

しばらく携帯から更新しますが、何とかネット環境を整えたいですね。



2003年09月27日(土) いよいよ実習

実習直前ということもあり、なかなかサイトに向かう余裕もなくなってきました。あれもしなければこれもしなければと思い始めると、何か余裕を持って考えるということがなかなか難しいものです。明日、荷物を発送し、月曜日に出発します。高知県で六週間の実習です。実習中も余裕がある限り更新していきたいと思っています。高知県での実習が終わってすぐに沖縄で四週間の実習がありますので、十二月中旬まで落ち着きませんが、できるだけ頑張ります。

実習は、楽しんでこようと思っています。どのような先生について実習を行うのかわかりませんが、自分らしさをなくしてまで頑張ろうとは思いませんし、自分のペースで楽しんできたいと思っています。もちろん、患者さんに楽しんでもらえることが第一の条件ですね。患者さんが喜べば、私も嬉しいし楽しい。患者さんと私が楽しければ、先生が何と言おうと構いません。先生の言う事が正しいと思えば素直に受け入れるし、違うと思えば受け入れません。まあ、知識に関しては知ってるか知らないか?の二つに一つですから、知るように心がける必要はありますけどね。

8月から土日祝日を除いて、毎日平均4時間ぐらい勉強してきましたから、後は実習で机上では学べないことを学んできます。



2003年09月25日(木) 発見 相田みつを

相田みつをさんにはまっています。

前から知っていました。これまでさほど興味はなかったのですが、古本屋で立ち読みしていた時にあることばに心動かされて、まとめて購入し読み始めました。そのことばがこれです。

あとじゃ
できねえんだよ
なあ
いまのことは
いましかできぬ

いまが
大事

−相田みつを

私は稚拙ではあるけれど、これまで「ことば」にこだわってきました。そして、ことばで人を元気にできるようになりたいなとも思ってきました。実際は、自分の苦しみや不安をぶちまけるだけのことが多く、人を元気にできることなんてレベルに達することはありませんでした。

相田みつをさんのことばは決して、「こうしたほうがいい。」「こうすべきだ。」のような圧力感がありません。恐らく、彼自身もみんなと同じように悩んだり不安になったりという自分の苦しみを持った経験があるからでしょう。

彼のことばを読みながら感じること、

人の気持ちを元気にするのは、励ましではなくて理解なのだ。

ということです。



2003年09月24日(水) 調子が出ないとき

調子が出ないときもありますよ。

そういう時は、どうやって調子を出すかを考えるんじゃなくて、

調子が出ないままに過ごせばいいんです。

そういうリズムなんでしょう。

自然のリズムに合わせて気楽にいきましょう。



2003年09月23日(火) 気持ちはすさむ

たばこの話です。

もう、たばこを吸う人の権利だとか、吸わない人の権利だとか、そんな話しはやめにしませんか?

例えば、電車に乗った時にあなたの隣の人が「プッ」とオナラをしたとします。しかも、それがめちゃくちゃ臭かったとします。あなたはどう感じますか?匂いフェチならともかく、「何だよこいつ、クセーなあ。」と気分を悪くするでしょう。

たばこを吸わない人間にとって、たばこの煙や、たばこを吸った直後の人の匂い、そして、歩きタバコしている人が持っているたばこの先端への警戒心は、単に気分が悪いんです。

権利とかの話しをすれば、どんな人にもどんなことをする権利だってありますよ。人を殺す権利だってある。ただ、法律で犯罪となるから、権利を使うと捕まって罰せられますけどね。でも、純粋な権利というものは、何をする権利をも含むことになります。だから、結局、権利をそのまま使おうとすれば、その行為は自己中心以外のなにものでもないわけです。他人の権利を考えていたら、自分の権利なんて使えません。だから、権利と権利は相容れないものになって、いつもぶつかる。

物事は権利という枠組みの中では解決できないんですよ。それで解決をしようとすると、必ず敗れる側がでてくるんです。そして、権利を守るが故に、誰かの権利が無視されてしまう。たばこを吸う権利、ありますよ。でもね、もうそんな権利とかいうレベルではなくて、単に周りの人の気分を害しますよというレベルにもってこれないんですかね。

今の人達、私も含めて、権利という概念に毒されていますよ。若者が自分勝手で自己中心的になってるなんてテレビで言っていますが、彼等は権利を使っているだけなんですよ。それをあおってきたのは誰なんでしょうね。資本主義ですかね。資本主義がどうかなんて良く分かりませんが、とにかく、「俺はこれをされたら気分が悪い。だから、人にはしないでおこう。」って考えが無くなってきていると思うんですよ。

価値観が多様化したのは良い事だけど、このままだと気持ちはすさむだけですよ。頼むから、「たばこを吸う人の権利。」なんて言葉を出さないで。



2003年09月22日(月) 生かされている

月は地球を中心にして周っています。地球は太陽を中心にして周っています。太陽は何だか知りませんが、何かを中心に回っています。銀河系は何だか知りませんが、何かを中心に周っています。そうやって宇宙の秩序が出来あがってるらしいです。

人間は、自転する地球の上にいます。地球に重力があるから地上にいられます。地球に重力があるのは、たぶん地球が宇宙の秩序の中で重力をもつような作用を受けているからでしょう。ということは、人間がこの地上で生活できているのは宇宙の秩序のおかげです。いや、生活というレベルを超えて、生命体がこの地球上に存在できるのも宇宙の秩序のおかげでしょう。

人間は細胞からできています。ひとつひとつの細胞が存在できるのも、重力をはじめとした何らかの秩序をベースにした科学的、物理的作用のおかげです。細胞の中にある遺伝子だってそうです。

遺伝子には人間一人一人がユニークでいられるための情報が書きこまれているそうです。私が私という人間であるのは、遺伝子のおかげと言っても過言ではないでしょう。しかも、生命体にはすべて似たような遺伝子が存在するのです。

たぶん、宇宙自体も何らかの秩序の上に成り立つものではないか?ということは容易に仮定できます。その秩序は、宇宙から銀河系に、銀河系から太陽系に、太陽系から地球に、そして、地球から私達に連鎖的に何らかの影響を与えています。そして、私からあなたへ、あなたからあなたの大事な人へ、あなたの大事な人からその人の大事な人に...

私が昔の友人にばったりと会った話しを前にしました。調子が良い時にこうして会いたいと思っていた人に会うとか、思ってもしなかったことが起こるとか、そうした偶然が世の中にはたくさんあります。私達を牛耳っている共通の秩序によって、私達をそうした偶然に引き寄せるように働いているのではないか?と考えるのは、SFの世界にとどまらない現実味を持っていないでしょうか?

何の宗教的な影響も、精神世界の影響もありません。一般的な思考回路で考えてみても、こうした何か私達の想像を超えた秩序があるということを考えずにはいられません。私達はそうしたものに生かされているのではないか?「俺は生きている。」なんて自主性を声高に叫んでみても、それは何の意味も持たないことに気がつくのです。



2003年09月21日(日) ある友人とのメール

友人:「issyさ、前の会社辞めるの怖くなかった?せっかく安定した収入があるのにって思わなかった?やりたい事があるのからっていうのはわかるんだけど、凄く勇気がいるよな?」

私:「要らなかったよ。そんな安定なんて発想がもともとないから。俺にとっては冒険してる時が一番楽しいからね。辞めた時は不安なんて微塵もなかったよ。逆にあれもできるこれもできるって希望でいっぱいだったけど。」

友人:「勇気あるな。でも生活していくお金のことは心配じゃなかった?貯めてたんだろうけど、もし底をついたらって思わなかった?」

私:「だから勇気じゃないって。そりゃお金のことだけじゃなくていろんなことを考えたけど、人生一度切りだぜ、やりたいこやるチャンスが目の前にあるのにやらないのは損だと思うからね。金ないならはたらけばいいじゃん。学費払えないなら貯めるまで休学すればいいじゃんと思ってたよ。まあ奨学金のおかげでそうはならなかったけど。でも1歩踏み出さなきゃ奨学金だってなかったわけだからなあ。念を押すけど勇気なんてたいそうなもんじゃない。」

友人:「issyは、自分が選んだことの結果に対して、悪く出ようが、良く出ようが責任を取る各語があったんやろな。すぐに、学校に受かったからいいけど、受からなかった受かるまでチャレンジしてた?」

私:「それは分からんな。逆に考えれば受かった事は巡り合わせのチャンスだから、それをそのタイミングで掴んだだけ。それ以外のことはよう想像できんな。自分にとっての現実しか判断材料にないから。」

友人:「それは言えてるかも知れないな。その職業につく運命だったから、受かったのかも知れないって思うのはある。」

私:「その職業につく運命かどうかはまだわからないよ。やってみて、もっとやりたいことがあればやりたいことするし、天職になるかもしれないし、わからないさ。ただ受かったのはたんなる運の問題ではないと思うよ。お前は運とかツキにこだわることが多いけど、なにもないところに運やツキは生まれない。」

友人:「それは、そうやと思うよ。何も努力や積み重ねのないところには運は生まれないと思う。」

私:「でしょ?努力までいかなくてもさ、好きなことをやっていればほっといてもツイて来るんだよ。だから勇気じゃない。自分のやりたいことにいかに素直に取り組めるかだけだと思うよ。」

友人:「やっぱり好きな事をやってる人って輝いているよね。」



2003年09月20日(土) 他人の成功話は聞き飽きた

成功した人に自分の成功話をネタにして、「前向きにがんばる必要がある。」「不眠不休でやり遂げた。」「継続は力なのだ。」などと語られても、私にとっては面白くもなんともないんです。そういう人は、自分の好きなことに夢中になってるから、不眠不休で頑張れるんです。

世の中の成功したいのにできなくて困っている人たちの多くは、潜在意識では嫌々な気持ちなのに、それを抑圧して仕事や研究をしてるから成功するはずがないんですよ。まだ、我慢してるって自覚のある人はましかもしれない。抑圧している人たちは、自覚もないんです。

困った人たちの問題の本質は、「何をやったらいいかがわからない。」ということなんじゃないかと思います。もっと言えば「何がしたいかがわからない。」とも言えるんじゃないでしょうか。よく最近はフリーターと呼ばれる人が増えて、モラトリアムの時期が長くなっている。なんて話しを聞きますが、私は、世間一般に自立していると思われている人達、代表的にはサラリーマンみたいな人の中にもモラトリアム真っ盛りな人がたくさんいると思いますよ。実際に、私がそうでしたから。

何が問題かというと、「何かわからないけど、なんだか大きな体制に、自分は物事をやらされている。」という感覚がない人が多いということです。「なぜ、学校に行くのか?」「なぜ、勤勉は美徳なのか?」「なぜ、結婚した方がいいって言われるのか?」「なぜ、残業してまで働くのか?」「なぜ、車が来ていないのに赤信号で立ち止まるのか?」

確かに、多くの人間があつまる社会にルールがなければ、秩序は保てません。しかし、問題は社会秩序とは別の次元で起こっているのではないかと思うんです。ビートたけしが、「赤信号みんなでわたれば怖くない。」というギャグを残しました。日本人の気質を表現した社会学的にも面白いギャグだとある社会学の先生がおっしゃっていました。このギャグが意味するのは、社会集団の中における個人の責任感の希薄さです。「俺は、どうのこうのよく分かんねえけど、みんながしてるからいいんじゃないの?」こんな気持ちにさせるのが今の社会秩序なわけです。社会の秩序を守るためのルールは、個の責任を希薄にしているんです。

本当に、自分自身と向き合うためには、この社会的な秩序に常に懐疑を持ち続けないといけないのです。それを声高に主義主張として公言する必要はないけれど、少なくとも自分の中に、外から迫ってくる自分とは別の価値観と一線を引く自分らしさを強く持つことが大事なのです。もちろん、責任が伴います。「みんながしているから。」というのは、もはや自由を放棄した人達の言い訳でしかありません。

やりたいことをみつける、やりたいことをやるという自由は、個々の人間が自分の責任のもとで得られるものですよ。その自由のもとで、自然に前向きに頑張れるのだし、不眠不休になれるのだし、継続していくエネルギーが沸いてくるのです。社会なんてものに巻かれてしまわないで、自分をさらけだしていくこと、それが生きているってことだと思います。そうした人達がうまく助け合っていければ、それは外から押し付けられる社会秩序ではなくて、本当の意味での価値ある社会秩序になっていくんじゃないかな。多少、夢物語的な結論になってしまいましたが...



2003年09月19日(金) またもやリニューアルです。

もう、またかよ〜。って声が聞えてきそうですが、またまたリニューアルをしています。たぶんですね、わたしにとってホームページを運営する一番の楽しみは、リニューアルすることなのではないかと思います。飽き性なんでしょう。お付き合いください。

しかし、こんな飽き性のわたしでも何とか日記は続いているし、タイトルだってもう4年近く変えていませんし、よほど気に入っているのでしょうね。というか、これより良いタイトルが思いつかないというのが実際のところです。本当は変えたいんです。もう、タイトルをつけた頃の思いとは違う内容になりつつありますから。

とりあえず、手をつけてしまいましたので、納得いくまでリニューアルしつづけます。実習に行くまでには片付けたいと思っています。



2003年09月18日(木) 気づき

自分という人間が不満で、どうにか自分を変えたいと思ってきました。そのために、自己啓発の本を山ほど読みました。「自己啓発関係の出版社が成り立っているのはわたしのおかげです。」と胸を張って言えるくらい読んできました。しかし、まったく啓発されることなく、本は平積み状態。そして、最近気がつきました。自己啓発の本は、より一層自分をダメダメ人間にしてしまうのです。

『ポジティブシンキング』とか、『目標を明確にして頑張る』のような自己を統制できるかのような心を刺激する言葉に溢れる自己啓発の書籍ですが、よくよく考えてみれば変な話ですよ。それができなくて苦しんでいるから本を読んでるのに、できないことをやれと書いてあるだけなんですから。わたしが本当に欲しいのは、そうしたことが出来ない人が、違う方法でなんとかできるようになる手段なのにね。

ところが最近になってようやくわたしにも良くわかるし、納得できるよ、うんうん。という本が出てきました。そうした本を手にして、今までの自己啓発本はすべて売却してしまいました。それらの本の内容に共通しているキーワードは、「好きな事」なんです。好きな事をすれば誰だって夢中になれる。周りで見ている人達は、夢中になっている人をみたら「おっ、頑張ってるな。」と思うでしょう。わたしが不満に感じていたのは自分自身ではなくて、実はわたしを取り巻く環境なんだというわけです。

だったら、周りの環境を変える方法を考えればいいじゃないかということになるんです。自分という人間は、生まれてきた時のままでいいんですよ。わたしは、これまでの生活の中で、「あるべき姿」に洗脳されてきたんでしょうね。こんな事ができない自分はダメだ。とか考える裏には、学校の教育や世間一般の常識とか言われる得たいの知れないものをベースにしていたんでしょう。無意識のうちにそれらに縛られていたんです。そうした「縛り」から自分を解放して、本当の意味での自分の世界を確立することが大事なんですよね。

世の中で成功している人達は、みんな自分のやっていることを楽しんでいますよ。逆に言えば、楽しんでできることをしていけばみんな成功する可能性が大なわけです。何が成功かは人それぞれですけどね。

わたしが言っていることは当たり前過ぎて話しにならないという方も多いでしょう。でもね、こんな当たり前のことに何十年も気がつかずに苦しんでいる人間もいるということなんです。じゃあ、たくさんの人がこの当たり前の話しを実行しているか?というと、意外とそうでもないんじゃないかと思ったりします。それどころか、こうしたことを考える事さえないままに、なんとなく日々を悶々と過ごしている人もいるのではないかと思うのです。

もう少し自分自身の「好きな事」を考えてみようと思っています。そして、おこがましいかもしれないけれど、将来は、そうした苦しみを持っている人達を、「縛り」から開放していけるような活動ができればなあなんて思うのです。


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