「愛の反対は憎しみではなく無関心です。」マザー・テレサのことばだそうです。バイト先の同僚が教えてくれました。
週末だけのアルバイトとして働く私にとって、アルバイト先での人間関係は簡潔なほうが良いと考えています。しかし、彼はフリーターとして毎日働いているせいか、職場での人間関係に強い問題意識を持っているようです。彼に「私は、あまり人間関係に関心が無かった。」と言ったところ、マザー・テレサのことばを教えてくれました。
うむ〜、です。
閉塞感が溢れる日本に蔓延しているもの、その答えの一つとして「無関心」というものが挙げられるのではないか?昨日観た映画「ボーリングフォコロンバイン」の中で繰り返し言われていたこと、「マスメディアや政治家に代表されるように、アメリカ国民を恐怖に陥れることで、われわれの心を支配している。」というのも日本に当てはまるし、非常に納得の行く答えの一つです。
流行に後れまいとしたり、消費活動の中に充足感を感じるような情報コントロールをされたり、恐怖感をあおられているにも関わらず、私達は他人のことには無関心だったりするのです。なんだか矛盾している概念なのですが、その矛盾こそが閉塞感だったりするのかなと思うのです。
なんだかよくわからないのですが...
すいません。最近、書く意欲が湧かずにほったらかしになっていました。たわいのないことでも、毎日書いていくようにします。そのうち調子が戻る事もありますしね。
昨日は、琵琶湖へバス釣りに行ってきました。ボートで沖まで出て、黙々と釣りを続けましたが、結局一匹も釣れませんでした。まあ、でも天気も良かったし、久しぶりの自然の中での遊びに大満足。また、外で遊びたいです。いい季節ですし。
今日は、昼から映画を見てきました。「ボーリングフォコロンバイン」を見てきました。また、何でも感想文の方に感想を書きますが、久しぶりに面白い映画を見ました。ドキュメンタリー映画ですから、なかなか他の娯楽映画との比較は難しいのですが、映像ならではの説得力に圧倒された感じの二時間でした。
明日からバイト3連ちゃんです。皆が休みの時に働く。このバイト生活も後わずかですので(6月いっぱいで辞めます。)、明日から頑張ってきます。
| 2003年04月30日(水) |
ゴールデンウィークのたにま |
近頃、学校のサイトのことばかりを考えていて、この日記のこと忘れて寝てしまうことが続きました。学校のサイト(http://oisst.tripod.co.jo/)は、随分とできあがってきまして8割ぐらいの完成度でしょうか。志の高いサイトですので、末永くそして質を徐々に上げていければいいなあと考えています。
ゴールデンウィークに入りましたが、基本的に土日祝日はバイトです。ただ、30〜2日は、平日にも関わらず学校が休みなので、久しぶりに丸々フリーな日になります。特に何をするかは決めていませんが、勉強も含めてやりたいことをやるつもりでいます。今日(30日)は、外は雨です。せっかくの休みなのに...
昨晩は阪神巨人戦をテレビ観戦しました。このところの阪神は粘り強く、観ていてドキドキする試合が多いですね。(阪神ファン以外の方には逆の意味でドキドキなのでしょうけれど。)勉強そっちのけで、最初から最後まで観てしまいました。今日も良い試合が行われる事を願ってはいますが、いつもこんなエキサイティングな試合されると、国家試験に落ちてしまいます。
昨日、勉強方法に関する本を買ってきて読んでいます。なかなか面白い視点で勉強法に関する考え方が書いてあり、とても興味深く読んでいます。その中でも、一番印象に残っていることがあります。
まず、勉強は楽しくなければならないという前提があります。楽しくするためには、やらされる感覚ややらなければという感覚を捨て去る必要があるのです。そのために、自分を解放してやることが大事だとその本は説くのです。生き方、考え方まで勉強法に盛り込まれていることにびっくりしたのですが、昔、私が非常に勉強が楽しくて仕方無かった時のことを思い出すと、実際、私は自己統一感のようなものがありました。自分がする事、考える事が自分の思い通りだったし、無理せずにそれらを全面に押し出せていました。
昨日の日記にも書いたように、最近、勉強に対して充実感を得られないのは、こうした生活における自己統一感が少ないのではないか?と考えています。そう考えてふと周りを見まわしたときに、私自身をありのままにさらけ出せる環境が実はないのではないか?という現実に気が付きました。妙に気を使って生きているような感覚になっているのです。人間関係においてそれは顕著に表れているようで、自分の家族とさえうまくやれていないのです。
自分自身を解放して、自己統一感を導き出すためには、他人の目を気にせずにやりたい事をとにかくやっていくしかないようです。
ようやく学校のサイト製作も一段落しました。後はたくさんの人に活用してもらいたいなあと願うばかりです。このサイトは個人的にやってるサイトなので、アクセス数に関してはあまり関心はありませんが、学校のサイトはやはり多くの人に見てもらいたいと願っています。
最近、なかなか勉強が思うように進まないので、ちょっとなんとかならないかなあと思って勉強方法を見なおしています。集中力が続かないのが大きな問題としてあります。何が問題なのだろうと思っていくつか原因と考えられるものを挙げてみました。1)目が疲れている。 2)運動をしていない。 3)勉強方法に自信がない。
目が疲れているのは、恐らくパソコンのし過ぎだと思います。長時間パソコンに向かう事が多いので、これを改善していく必要があるでしょう。勉強の基礎は読書です。読書は目からの情報入力ですし、目が疲れているとやはり効率は悪くなると思うのです。目をいたわらなければいけません。
運動をしていない。これは非常に大きな要因のような気がしています。普段はそれほどストレスが溜まることはしていませんが、やはり運動をすることで違った刺激があるだろうし、気分的・肉体的なリフレッシュが大事なことに気がつきました。以前と同じような運動ができないかちょっと考えてみます。
勉強方法に自信がない。私の勉強は基本的に本を読むということだけの勉強です。それを紙に書いたり暗記をしたりということはしません。とにかく様々な本をランダムに読んでいくというやり方です。最近、この方法に不安を感じるようになってきました。というのもなかなか知識として定着しないからです。何らかの改善が必要だと思い、現在、違う方法を考え中です。
コンタクトレンズを付け始めました。友人には、「色気づいたか!?」と言われています。31歳にして色気づくのもありかなと思ってはいますが、実はまったく違う理由で付け始めました。
タイ・オーストラリアに行った際に、タイなどは始めての国なのでとにかくしっかりと視野を確保したいというのがあり、授業中くらいにしかかけないメガネを在タイ中ずっとしていました。日本に帰ってきて、これまで通り普段はメガネをかけない生活を送っていたのですが、旅行中にメガネをかけた生活に慣れてしまって、見えない事が非常に不安になってしまったのです。
しかも、メガネは必要なのですが、これがうっとおしい。私は頭というか顔が意外と大きく、メガネのフレームが食い込むし、脂性なので時間の経過につれて、鼻緒の部分が滑ってメガネのずり落ちてくるのです。(こうやって書くと全然魅力的じゃありませんな...)コンタクトならうっとおしさもなく視野が確保できるのです。
もう一つ理由は、これから目指すSTになるにあたって、メガネはしない方針で行きたいのです。メガネをすると、よく「めちゃくちゃ頭がよさそうに見える。」とか、「すごく仕事ができる人に見える。」などと、現実からは程遠いことを良く言われます。虚栄心を満足させるぶんには、非常にすばらしいイメージなのですが、なんせこれから相手にする方々は障害をもった方々ですから、そんな構えられても困るのです。しかし、しっかりとした観察をするには視力が必要です。
今日でコンタクトにして二日目です。昔、使っていたこともあったので、まあ、こんな感じかという程度ですが、まだまだ慣れきってはいません。幅広い視野を手に入れて、精神的にも幅広くなれたらいいなあと思う今日この頃です。
自分のサイトそっちのけで、あるサイトの作成に没頭してしまっていました。 学校のサイトを作っていたのですが、こちらでやっている闘うSTの会もそちらと統合してしまおうかと考えています。
ホームページは様々な垣根を越えた交流媒体として本当にパワーを発揮しますね。まあ、パソコンがないとできないですけどね。最近は携帯でもホームページ見れるようになってきていますから、そのうち誰もが使える情報を得る手段になってくるのでしょう。ただ、インターネットの情報は真偽が曖昧なので、しっかりと自分で判断していかないといけません。
さて、今週はこの学校のサイトを完成させてしまいたいと思います。ちょっとこちらは手抜きになるかも。ちなみにhttp://oist.tripod.co.jp/が作っているサイトです。
春も訪れ、何だか恋人が欲しくてたまらないのです。最近、集団自殺が多いようですが、その遺書の中にあるのが「生きる理由がわからない。」というものです。くしくも、私が実習中に実習先の先生と一緒に考えていたことでした。生きる理由なんて答えのでない難問であることは承知なのですが、大変に興味のあるものです。こうした答えの出ない命題を考えすぎると、うつ状態に陥り、そしてうつ病になり、自殺願望が出て… という一つの悪循環に陥ることも良く理解できます。
私自身、仕事にも勉学にも趣味にも今のところ「生きる理由」というべきものは見付けられずに来ました。そんなもの見つかるのか?という根本的な問いはあるのでしょうが、私はあることを信じて生きています。生きる理由を探す事が、生きる理由というようなちょっとふざけた言い方もあながち間違いではないような気がします。
そうした中で、私はこれから出会うであろうパートナーとしての女性に「生きる理由」を見出す事ができるのではないか?という淡い期待を抱いているのです。生きる理由を探し始めると、権力や富などではどうしても満たされない部分が出てくるようです。行き着くところは「人」なのではないか?そう考えるわけです。人ととの関わりの中に生きる理由が見出せないかというのが、私の淡い期待を支えています。それは、子供のために全力をつくす母親が持つ「無条件の愛」を根拠としています。そうしたものがこの世に存在する以上、生きる理由として成り立つと考えるのです。
春が訪れ、生命の息吹を感じられる季節となると、やはり「生きる理由」を見つけたくなるのでしょう。
今日はついていない日でした。何をやってもうまく行かないし、普段おこらないような出来事が立て続けに起こるのです。細かいことなので、ここに書いても皆さん分からないようなことばかりなので、詳細は書きません。しかし、ずっと使っていたボールペンがなくなるとか、スイッチの切れるはずのないポケベルのスイッチが何かのはずみで切れていて、社員から連絡が取れなくて怒られたりと、まあ、なぜ、今日一日でこれだけのことが起きるの?ってくらい、多くのことが起こりました。
たぶん、私は今調子が良すぎるのです。いわゆる「調子に乗ってる。」ってやつです。気持ちはなんだかルンルンだし、体の調子もなかなか好調なのです。春だから生物として、気持ちが高ぶっているのかもしれません。ですから、陽気に人と話したりするのは良いのですが、細かいことをすっかり忘れてしまったりしています。m頭がボーっとしているのかもしれません。
運の悪さというのは、こうした人間の気持ちに左右されるのではないかと考えています。非常に非科学的な妄想なのですが、運と呼ばれるものは、生活のリズムやタイミングに多いに左右されたり、気持ちの浮き沈みのような精神的な動きと何らかの関係があるように思われるのです。だからなんだ?といわれても、そんな気がするとしか言いようがなく、別に新しい宗教を始める気もないのですが、そんなきがしませんか?
どのようなリズムとタイミング、そして、精神的な動きが良い運を運んできてくれるのか?私の人生を賭けた実験は続きます。大げさだけど。
模様替えもままならないまま、今日はアルバイトへ行きました。6月いっぱいでアルバイトを辞めます。今日、責任者の人にその旨を伝えました。本当は5月いっぱいで辞めたいのですが、人員不足の様子が見て取れるので、様子をみて6月にしました。ただ、話しの中でそれまでに人が育てば早まるかもしれません。
アルバイトを辞める理由はいくつかあります。実習と旅行のおかげで精神的にも肉体的にもかなりリフレッシュできたせいもあり、すべてにおいて調子が良いので、この勢いを違うことに使いたいという気持ちが一つ。自分の目指す言語聴覚士になるために今年は勝負の年にしたいというのが一つ。この二つが主な理由です。
働くことで社会への参加意識を持っていた私としては、とても悩みましたが、実は実習中になんとなく決めていました。なぜなら、これからも学校のない土曜日には実習先に行って、実習の時に出会った子供の訓練の進捗を実際に見たいと思ったからです。それには、アルバイトが邪魔になります。それと、やはり休息日も必要だということに旅行中に気がつきました。これまで止まるのが嫌で学校にアルバイトにと忙しくやってきましたが、肉体的に精神的に疲労がたまっていたのです。
バランスの取れた生活には、これだという決まったものはありません。平均台でバランスを取るときに、左右に動きながらバランスを取るように、今回は右に傾きかけた生活を、左に戻すための決断です。全体的にバランスを取るためにはまったく異なった方向性を求めることも大事なのかもしれません。
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