教育テレビで梅原猛氏が、「4つの道徳」という題目で講演していましたのでご紹介します。これらはすべて仏教の教義だそうです。
1)精進(しょうじん)…こつこつと努力すること。ゲーテの言葉を引用しておられました。「天才とは努力する才能を持つ者のことである。」
2)禅定(ぜんじょう)…集中すること。常に集中することの重要性をイチローのエピソードを挙げて説明されていました。イチローは試合の前後は必ず一人で過ごし気持ちを集中するそうです。
3)正語(しょうご)…うそをつかないこと。素敵な言葉で解説されていました。「愚直でもいいから嘘をつかないことが大事です。」今は、嘘を上手につく人が賢いと言われる時代だという指摘に、納得。
4)忍辱(にんにく)…辱めに耐えること。人生はすべてがばら色ではないので、うまく行かないときもあります。そのときに耐え忍ぶことが大事なのです。
これらの4つが行えれば、華やかな人生は無理としても、間違った人生を送ることは回避できるのではないか?というのが梅原氏の講演の内容でした。当たり前のようで、実は当たり前ではない話として、私の心には響きました。
| 2002年06月25日(火) |
努力と結果とその意味 |
日本人は「努力」という言葉が好きですね。努力すれば結果は必ず出ると私も信じています。そして、その努力は結果によって報われるとも思います。ただし、陥りやすい罠がここには潜んでいます。それは、どのような結果を求めて努力するか?という点です。本当に求めている結果を見失うと、努力は結果によって報われないことがあるのです。たとえば、私は言語聴覚士を目指す学生です。私の最終目標は「優秀な言語聴覚士となって社会に貢献すること。」です。決して「優秀な成績で学校を卒業すること。」は、途中でそういうことがあればうれしいに越したことはありませんが、私が最終的に望む結果とは多少違います。仮に、私が「優秀な成績で学校を卒業すること。」だけに注力したとすると、私は知識偏向の得点至上主義的な勉強をしてしまうでしょう。国家試験は見事に通っても、果たしてそれだけで優秀な言語聴覚士になれるでしょうか?臨床経験で成長はしますが、この物事をじっくり考えられる学生時代に、いつでもできる暗記事に時間を割くのは非常にもったいないと後で後悔するかもしれません。物事の本質を捉えて、的確な判断の基に行動すること。大人ならできるはずです。
最近、「人間の体は良く出来てるな〜」と思うことが多いのですが、今日も、授業で日本語の五十音などがどのように発声されるかということを学び、「うまいことできてるなあ、人間の口。」と思いました。良く出来ている反面、良く出来過ぎているがために、些細な障害があるだけで今と同じようにしゃべることが非常に難しくなるのかなと感じてました。実は、「よくできてる。」とは言うけれど、逆に言えば、「よくできた範囲でしか人間は正常な活動が行えない。」ということになるのではないでしょうか?非常に危ういラインの上を人間は歩いているんですね。スティングの歌に「Fragile」という歌がありますが、まさに人間は危うい存在なのです。また、そういう人間を存在たらしめる自然の力には畏敬の念を抱くしかありません。
「思考スタイル」(新曜社)という本を読んでいます。仕事の出来不出来を、能力のありなしで判断する傾向があるが、それは違う。能力をどのようなスタイルで表現するかが一番の問題なのだという説を唱える本です。
職場にしろ学校にしろ、ひいては、そこで働く上司、教師には独自のスタイルがあるそうです。このようないわゆる環境としてのスタイルと、働くまたは学ぶ私達個々のスタイルがぴったりと合えば、私達の能力は発揮しやすいのではないか?ということなのです。
また、読み進めていく途中で面白い話がありましたらご紹介いたします。
日本にしかない習慣です。
飲んですべてをぶっちゃける。
それだけ、日本の社会は我慢してなんぼの社会なのです。
学生でさえ。
なんだこれは?
俺は外国で通算6年も過ごしたんだぞ。
その人間が再度日本の恥ともなりえる「恥の文化」に染まっているなんて…
飲んで気持ちは良いけれど、自分の行いを振り返ると、
かなり落胆ナイトなのです。
| 2002年06月21日(金) |
今日は二つの事を思いました。 |
1)「あなたにとって彼女(彼氏)とはどんな存在?」と聞かれたら、「生きる理由。」と答えられる彼女が欲しいと思っています。
2)誰かに何かを期待するような人間ではなく、自分が何かを生み出す人間になりたいと思っています。誰かに何かを期待する人が多い世の中で、何かを生み出す人間になろうとすると、知らぬ間に期待される人になっているときがあります。何かを生み出そうとする人間と、協力して自分一人では生み出せない力を生み出したいとは思いますが、人の期待に答えるために行動するのは私の生き方に反します。
誰かに何かを期待する人は、「考えない人」「表現しない人」「創造しない人」と同義だと思います。ありふれた価値観を受け売りする人は信用もできません。ありふれた価値観を「その人だけの言葉」で表現された時、私はその人に興味を抱きます。「その人だけの言葉」は、その人だけが得た経験と、そこで感じたその人だけの感じ方と、そして、その人だけの表現で構成されているからです。
毎朝、少し早めに家を出て学校の近くの公園でスズメを眺めるのが習慣になっています。スズメはとても臆病なのか、滅多なことでは人に寄って来ないと思いますが、その公園のスズメはちょっと違って、座っている私の足元を怖がる様子もなくピョンピョンと跳ね回ります。かわいいでしょ?スズメを見ていると本当に飽きません。自由に飛び回り、可愛らしい声でチュンチュンとさえずり、首をちょこっと傾げながらピョンピョン飛び歩く。スズメって仲間意識が強いようです。いつも周りには同じ集団がいるような気がします。スズメって長生きするんですよね。聞いた話では、人間並みの寿命の持ち主だとか。家族と一緒にいることを大事にしているのかな?そんな愛らしいスズメを、さわやかな朝の空気、そして、気持ちの良い木洩れ日の中で、じっと眺める瞬間はとても心が落ち着くのです。
日本の試合も韓国の試合も観たけど、韓国とイタリアの試合のほうが燃えました。サッカー好きの友人に言わせると、そんな私は「非国民」やって。俺的には「非国民」というか「被国民」なんやけどな。「国民」させられてるって感じがします。なんとなく。というか否応無く。
物事は本気にならなければ本物にはならないですね。たとえば仕事。本気で取組まなければ納得行く仕事はできません。たとえば勉強。本気にならなければ勉強した内容は役に立たないです。たとえば恋。本気で愛さないのなら、横に居るのは誰でもいいです。じゃあじゃあ、本気ってどういうことなの?って問うてみました。
それは生活の時間の大半を使うことなんですね。物理的にも、精神的にもってことなんですね。朝起きても、電車に乗っていても、ボケっとしていても、風呂に入っていても、常に頭の隅にはそのことがある状態。そして、それに対して何らかの行動を起こしていること。また、その状態に持っていこうと努力すること。これが本気なんですね。だから、一つ以上の事に本気になるなんてことはとても難しい。
では、僕は今何に本気なのかって考えてみると、実に中途半端でまだまだ本気で何かに取組んではいないような気がします。また、その努力も怠っているような気がします。さて、皆さんはいかがでしょうか?本気になることがいいことと決まったわけではないけれど、本気の人生なら死ぬときに後悔しないでしょうね。
芸というほどではありませんが、今、昔とてもお世話になった先輩のお店のホームページを製作中です。これでビジネスになんて色気は全然ありませんが、世の中のしかもお世話になった人にこんな形で感謝の気持ちを形にしてお返しができるのがとてもうれしいのです。
それと今は収入源がありませんから、多少の足しになることもありますし、とても楽しくお手伝いさせもらっています。今から4年前、カナダに留学中に勉強の片手間に始めたホームページ作製の技術が、社会人時代には生かされ、そして、今一人でそれなりのものが作れるようになってきたという、この流れには不思議な感じです。
今、世間で騒がれているITにも、そして、世界共通語となった英語を操れること。これは私の財産です。そして自分のプロフェッションとして、これから言語聴覚士という、人々の生活の質向上のための技術と知識を身につけようとしています。自分のやりたいことをやりつつ、社会貢献を目指すという目標はだんだんと現実に近づきつつあります。
これまでの環境に感謝。そして、切り開くことができた自分に自信。なんてすばらしい財産を手に入れることができたのだろうと、ただただ、ほくそえむのです。嫌なやつ?
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