暴風が吹いていた日、 私は初めて、料理本の春のページを開いた。 たけのこごはんと、豆腐の田楽と、アスパラガスのおひたしと、姫皮とわかめの吸い物を作った。 不謹慎かもしれない、と一瞬考えたが、なぜそう考えたのかわからなかった。 ものすごい風で、 そういえば春だ、とやっと気がついたのだった。
これからは、観たものをここへメモしておくことに決めた。 〔2月に観た美術展〕 ・「没後150年 歌川国芳展」(森アーツセンターギャラリー) ・「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」(森美術館) ・「『行きつ戻りつ つくり つくられること』佐野 陽一・久村 卓・山極 満博」(ナディッフ・ギャラリー) 〔3月に観た美術展〕 ・「Eikoh Hosoe Photo Exhibition 細江英公写真展」(BLD GALLERY) ・「ロトチェンコ −彗星のごとく、ロシア・アヴァンギャルドの寵児−」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー) ・「『望郷―TOKIORE(I)MIX』 山口 晃展」(メゾンエルメス8階フォーラム) ・「植田正治 『砂丘モード』」(タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム) ・「南川史門『鏡、音楽、マルチメディア』とコーヒーパーティー」(ナディッフ・ギャラリー) ・「志村信裕『恵比寿幻燈祭 Dress』」(TRAUMARIS SPACE) ・「『アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue』展」(21_21 DESIGN SIGHT) ・「フェルメールからのラブレター展」(Bunkamuraザ・ミュージアム) ・「小沢健二『我ら、時』展覧会とポップ・アップ・ショップ」(パルコミュージアム) どれも面白かった。
オペラシティで小沢健二さんのコンサートを聴いてきた。 編集者さんと行った。 良かった。 私は高校生の頃、「オリーブ」で連載していた小沢くんの連載エッセイを、全部スクラップしていた。 それから、ひとりになった小沢くんが、フリッパーズのCDは燃えないゴミの日に捨てろ、と言っているインタビュー記事を読んで真に受け、CDにハサミを入れた。 心酔していたのだ。 だから、ライヴに行ったら懐かしい気持ちになるのかな、と思って向かった。 だが、懐かしくはならなかったのだ。 昔の曲をたくさん演奏してくれたので、かえって現在感が強まった。 過去を否定しない小沢くんを見て、あ、大人になっているんだ、と気づき、 そして自分も大人になった。 私も三十三になりました。 小沢くんじゃないですよね、小沢さんですよね。 今の小沢さんも好きだ。また聴きたいな。
吹き荒れています。 みなさま、だいじょうぶでしょうか? お気をつけください。
桜が咲いている。
新学期である。 心を入れ替えようと思う。
○文庫版『男と点と線』(新潮文庫)3月1日発売 ![]() 装丁 清川あさみさん 解説 中村文則さん 巻頭に世界地図のイラストを入れていただきました。 私は、手直しして、それから、文庫版あとがきを書きました。 あと、著者近影を描きました。 ブエノスアイレス、渋谷、パリ、クアラルンプール、ニューヨークが舞台の短編小説集です。 再読して思ったのは、やはり私は男女の友情が書きたいんだなあ、 ライフワークだなあ、ということでした。 特に「スカートのすそを踏んで歩く女」が、自分で言うのはおかしいですが、自分の真骨頂という気がしました。 あとは、表題作「男と点と線」も、自分としては、よく書けた気がします。「相手を好きだと思うことは、自分を低くすることなんだ」。 ただ、あれですよ。 あっさりした、平坦な小説です。 世界を舞台にしているからって、ドラマティックと思ったら大間違いです。 ○単行本『私の中の男の子』(講談社) 2月23日発売 ![]() 装幀 Coa Graphicsさん フィガロジャポンで一年間連載した小説の単行本化です。 ごはんを食べるとはどういうことか。 ダイエットの話です。 著者近影を描きました。 ○文庫版『29歳』(新潮文庫) 日経ウーマンで連載したアンソロジーの文庫化です。 柴崎友香さん、中上紀さん、野中柊さん、宇佐美游さん、栗田有起さん、柳美里さん、宮木あや子さん。 私の短編は「私の人生は56億7000万年」というものです。 書店員の女性が主人公です。 私はこれ書いたときちょうど29歳目前でした。 ○webちくま「泥酔懺悔」 「ひとりでお酒を飲む理由」 エッセイ書きました。 いいのが書けた気がするんですが、いかがでしょうか。 ○「昼田とハッコウ」とうとう完結 「群像」(講談社)3月号で、最終回を迎えました。 全25回です。 「群像」で書けて嬉しかったです。本当にどうもありがとうございました。 今日、雪が降りましたね。 踏みました。
パーソナルコンピュータが、壊れる。 文藝賞のときいただいた副賞の金で買ったもので、 ゆうに6年は使っている。7年かもしれない。 寿命だろうか。 容量がいっぱいになったのかと思い、 メモリ増設をしたが、 電源を押すと、また意味不明な英語が出てきた。 オープニングシステムが見つかりません。 中の文章もすべて箱の中だ。 (メモリ増設は大変だった。 裏をドライバーで開けて。 ただ、その作業の最中に、 デジャヴの感覚が起きた。 もしかしたら、私はこの6年の間に、 増設したことがあるのかもしれない。 そうだとしたら、本当に意味のない作業だった)。 毎年書いているが、 この微炭酸ニッキは2000年の12月に始めたので、 もう11年書いた。来月から12年目に入る。 この間、母校で授業をしていたとき、 「私も、大学生のときは、イルミネーションをひと粒ひと粒潰したいと考えていました。そして、恋愛をしないままおばあさんになります」 と言った。私は、この日記に、そのことを書いた記憶があった。 しかし、今見返したところ、その記述が見つからない。 私の記憶は曖昧模糊としている。 今日は、年末感を味わうために、 オペラシティで第九を聴いてきた。 金がなくなった。 来年からどうしよう。 会社員と兼業できるか、模索した方が良いのか。 これは、携帯から書いている文章である。 携帯だけはいつも、どこにあるかわかる。 部屋の中で異様な存在感を示す。 私の脳の一部。 触ると痛い。 メールは書けない。 誰とも繋がらない。 だけどいつか開く。 何年後かに開いて、私をどこかへ連れていく。
お墓が夕日に当たるのを見る。 日光は墓石を撫でる。 毎日、何度も何度も撫でていく。
毎日苦しい。 ちっとも良いものが書けない。 もう皆に見捨てられたと思う。 今までは、「自信がない」と言ってはいけないと思っていた。 いろいろな人の手を借りて、仕事をするのだ。 本の表紙に名前を載せる自分が、「作品に自信がない」と言ってしまったら、 一緒に仕事をしている人たちはどう思うだろう、読む人はどう思うだろう。 本を作るからには「いい作品です。自信があります」と言わなくてはと思っていた。 いわれのないバッシングにも耐えられなかったが、顔に出してはいけないと思っていた。 ずっと地味な人生を歩んできて、本の作り手という裏側の仕事についたのに、 まるで表舞台にいるかのように、あることないこと言われることが苦しくて、泣いてばかりいた。 何か努力をしなければ、と思う。 この苦しさから逃れるために、 動かなくては。 ノイズに耳を傾けず、 作品に集中しなくては。 私の書くものは、 多くの人に読まれるものではない。 でもかまわない。 ひとりでも読者がいれば、書く。 たくさん読んで、 たくさん書くこと。 だまされてもいいから、 周りの人を信用すること。 文章を書くのは楽しいと思い出すこと。
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