10日付の朝日新聞の夕刊と、10日に発売された『ホットドッグプレス』という雑誌に私っぽい人が載っている。 そういうのっていろいろな人が関わるんだな、と思った。
大学のともだちたちと渋谷で小説のこととか話してお酒を飲む。 なんだか初々しい話が多くて、楽しかった。 最近友達に会うと、年頃だからか、結婚がどうのとかいう話になり勝ちで、なんかプレッシャーかも(いやもちろん素敵なことなんだけど)、と思っていたけど、 今日は、片思いがどうの、恋じゃなくても楽しい、だのといった話とかで、盛り上がって、そうだよ、いくつになっても、それでいいんだよ、と思った。 まあ、恋じゃなくても、生活の中で、どきどきすることや、わくわくすることをひとつでも多く見つけていきたいよね、と話す。
小学校からの友達と渋谷でごはんを食べた。 女の子と喋ると、癒される。
会話文以外のカギカッコっていうのが、あまり好きじゃない。 「私は通常の意味では、この言葉を使ってません」というような、なんとなく傲慢な感じに見えてしまう。 言葉を、通常の意味で使うことなんてない。 言葉の意味なんていうのは、その場所、その時、その人だけのものだ。 共通認識を求めるのは不可能。 それでも、人は生きていく中で、「こういう時に、こういう使い方をすると、きっと相手にこんな風なイメージを喚起させるだろう」という予想の言語感覚を身に着けているので、それを使う。 どうしても、この言葉じゃ、違う、あるいは「いわゆる……」という意味で使いたい、と思うときは、他の言葉との妙な組み合わせをさせて違和感を持たせるだとか、そういう風にした方がスマートに感じる。
母が遅くなるとのことだったので、夕食を作る。 ポークソテー、ナスとひき肉の煮物、えのきのみそしるにした。 小川洋子の『博士の愛した数式』を読む。
寺尾聰はかっこいい。 湯本香樹実を読む。こういう風に、丁寧に生きられたらなあ、と思う。 私は生き方が雑だ。 最近はアジアンカンフージェネレーションをよく聴く。 26日の朝日の夕刊で、私が書いた小説を書評してくださったのが載っていた(苦手な顔写真入りで)。ま、いろいろ思う人がいるだろうな。
池尻大橋でマンドリンの練習をする。
東横線に乗って、友達の出る、マンドリンの演奏会に行く。 パフォーマンスがいろいろあって面白かった。 途中で地震があった。
食べる前に「豆腐おいしいね」と言いそうになる。
意識をされていない手は人の目を惹く。 例えば右利きの人が字を書いているときの左手。 右手に力を入れるときに、左手にも、少し力が入ってしまっている感じや、 右手で何かしているときに、自由になっている左手の、意思とは無関係そうな動きなど、とても魅力があって、ついじっと見てしまう。
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