小学校からの友達と渋谷でごはんを食べた。 女の子と喋ると、癒される。
会話文以外のカギカッコっていうのが、あまり好きじゃない。 「私は通常の意味では、この言葉を使ってません」というような、なんとなく傲慢な感じに見えてしまう。 言葉を、通常の意味で使うことなんてない。 言葉の意味なんていうのは、その場所、その時、その人だけのものだ。 共通認識を求めるのは不可能。 それでも、人は生きていく中で、「こういう時に、こういう使い方をすると、きっと相手にこんな風なイメージを喚起させるだろう」という予想の言語感覚を身に着けているので、それを使う。 どうしても、この言葉じゃ、違う、あるいは「いわゆる……」という意味で使いたい、と思うときは、他の言葉との妙な組み合わせをさせて違和感を持たせるだとか、そういう風にした方がスマートに感じる。
母が遅くなるとのことだったので、夕食を作る。 ポークソテー、ナスとひき肉の煮物、えのきのみそしるにした。 小川洋子の『博士の愛した数式』を読む。
寺尾聰はかっこいい。 湯本香樹実を読む。こういう風に、丁寧に生きられたらなあ、と思う。 私は生き方が雑だ。 最近はアジアンカンフージェネレーションをよく聴く。 26日の朝日の夕刊で、私が書いた小説を書評してくださったのが載っていた(苦手な顔写真入りで)。ま、いろいろ思う人がいるだろうな。
池尻大橋でマンドリンの練習をする。
東横線に乗って、友達の出る、マンドリンの演奏会に行く。 パフォーマンスがいろいろあって面白かった。 途中で地震があった。
食べる前に「豆腐おいしいね」と言いそうになる。
意識をされていない手は人の目を惹く。 例えば右利きの人が字を書いているときの左手。 右手に力を入れるときに、左手にも、少し力が入ってしまっている感じや、 右手で何かしているときに、自由になっている左手の、意思とは無関係そうな動きなど、とても魅力があって、ついじっと見てしまう。
授賞式なるものに出かける。 角田さんが可愛かった。が、緊張して何も話せず。 式の最中や終わった後に、私が書いた小説のタイトルを人々が言っていたが、「こんな変なことを言わせてしまって申し訳ない」と思った。 自分はまだ、このタイトルを口に出したことがない。こんなこと言えない。 幸せはなり続ける状態のことじゃなくて、「なる」もので、そのあとも上がったり下がったり紆余曲折して良い、というような話を聞く。 私はアクアガールのスカートと銀の靴をはいて楽しかった。 いろいろ素敵な人がいて、遠くから見れてよかった(近くには行けない)。 もうひとりの受賞者の男の子は爽やかだった。 それから、優しい方々も多くいて、和んだ。
大学のときの同級生たちが賞のことでお酒を飲むというので、渋谷に行く。
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