日記が一週間滞ってしまって、実は今は本当は14日です。 14日は15日の前日で、15日は私のたんじょうびです。 私は普通の女なので、たんじょうびを非常に気にします。 今年のたんじょうびは私の恋愛史上最悪のたんじょうびです。 こんなことならたんじょうびなんかなかった方がよかったと思ってます。 たんじょうびはそんなもんじゃない、と言われても、でも、と思ってしまいます。 でも、ほんとうは幸せなんだろうな、ごはんもあるし。
私はもう低俗なことには一切関わらない。 腹が立ったり、ジェラシーがわいたりするような場面があったら、すぐにその場を立ち去る。 自分のことをちょっとでも好いてくれてる人に気を遣う。 そうじゃない人のことは気にとめない。 嫌なことはなかったことにする。消し去る。 品のあるもの、情のあるものだけに関わることにする。
小田急線で、大学のときの先輩の家に遊びに行く。 新婚さんの、かわいらしいお部屋だ。 大島弓子全集なんかあって、うらやましかった。 一品持ち寄りってことだったので、生春巻きを買っていた。あとカレーとかいろいろ出してくれた。お料理できる人はうらやましい。おいしい。 女の子たちとお喋りするのはとても楽しい。 樋口一葉恋すごろくをする。
渋谷のBunkamuraで映画を見て、美術館に行く。パルコに行ったら、Cocco の原画展というのがあってそれも見てきた。 美術館に行ったときに思ったのだけども、「自然な感覚」と「自分の感覚」というのは違うな、と。 例えば、ピカソの絵の色って、はっとするというか、それまでの絵の流れでいくと変とも言えるようなものだ。 色を選ぶときに、きっと、自然と浮かぶ色っていうのがあると思う。 それはきっと、今までの絵画の流れからのものであったり、一般的なイメージであったりすることが多い。 でも、「自分の感覚」の色を探すと、そんなんじゃ全然なかったりするんじゃないだろうか。 ピカソはそんな風にして色を探したのじゃないか、と思った。 言葉も同じだ。言葉を選ぶときに、すうっと出てくる言葉というのがある。ちゃんと「感覚」に合っていたり、なじんでいたりして、最初はその言葉で良いような気がしてしまうのだけども、それは「自然な感覚」のものであって、「自分の感覚」のものじゃない。 「自然な感覚」の言葉というのは、つまり今まで読んできた本の中で使われていた「こういうときはこういう表現するんだろう」というようなイメージのもの、人と話したりして掴んでいる「考えなくてもするりと出てくるなんとなくの言葉」であったりするもののことだ。 「自分の感覚」の言葉というのは、そういうのとはまったく違う、一見するとまったく合っていないような表現であったりもする、でも伝わる、そういう言葉がある、と思いませんか?
コンビニで200円のサラダ買ったり、150円のデザート買ったりする、女の子たちの気がしれない。 こんな、腹の足しにならないもの、200円も出したくないよ。 私は肉を買う。
「難しい」っていう言葉を、私はよく使ってしまうのだけれど、これを自分に対して禁句にしようと思う。 「難しい」というのは、たいてい、ただのボヤキだ。 どこにも行き着かない。 意味も曖昧で何も伝わらない。 例えば「それはできたら面白いけど、でも難しいよね」などという科白の中の「難しいよね」はいらないと思う。 「私にとって難しいのか」「他の誰にとっても難しいのか」など、基準が曖昧で、言ったところでどうということもないから。 もっとはっきり言った方が生産的。 「うまい人がやった場合はかっこよく決まるだろうけれども、私がやった場合は甘くなってしまうだろうから、それはしないでB案の方がいいと思う」 何か意見みたいなのを言ったあとに「でも、難しいかな」などと言うのも、止めようと思う。 「難しい」というのは、謙遜の意味も出るし、それほどのきっぱりした否定にもならないから、使い易くて、使い勝ちだけども、これからは使わないようにしよう。
BBSを借りようと思いつつ「飲み物ランキング」をまず作ってみました。 トップページから行けます。 どなたも気軽に何か書いてください。 何回書いても構わないです。ふざけてくださってもいいです。 「コーラ」は私が書きました。
マンドリンを弾きに、東横線の学芸大学駅に行く。 社会教育館というところの、なぜか「調理室」で弾いた。 小学校の「調理室」の造りだ。 今度コンサートで弾く曲決めもした。 ジェーン・バーキンのジュテームモアノンプリュを弾こう、と言いたいところだったけれども、ばかにされると思ったので、シルヴィー・バルタンのあなたのとりこを持って行った。 いろいろ喋って面白かった。 人というのは、押しの強い人も、押しの弱い人も、一様に「喋らない部分」を持っている。 しかしちゃんと訊ねると話してくれたりもする。 引き出しには、泡だて器や穴あきおたまが入っていた。
大宮で友人ときしめんを食べる。 途中でトイレに行きたくなるが、なかなか言えない。
ひとり暮らしはがっくり落ち込んだときの夜なんかがきついんじゃないか、と思っていたけれども、私は強いからきっと大丈夫だろう。 孤独のひとつやふたつ知って、女を上げてやる。 いいことがあっても、誰にも教えてやんない。
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