と、電車の車内アナウンスで言っていた気がした。言ってないかもしれない。 しかし、トークって、笑いをとらなきゃいけないのか?などと思った。 規格外の幸せが欲しい、と最近思う。 誰かに何かをやってもらうんじゃない。 常識の範囲内じゃない。 想像できるようなことじゃない。 一般的な幸せとは違うもの。 もしかしたら誰にもわかってもらえないかもしれないもの。 そんなもの。
アイドルグループの中の、誰が誰のことをどう思っているか、というのはそんなにみんな聞きたいことなのだろうか? インタビューのネタをもっと変えていった方がいいのではないだろうか。 ところで私は女の子が結構好きだ。 好みのタイプは、しっかりしてそうで浮世離れしてる感じの子。可愛い感じの子を見るとキュンとする。 最近加護亜衣に注目している。 あと、会社に新しい人が来て、大分年上なのだけど、可愛い感じの人で、面白いので注目している。 お昼ごはんを一緒に食べようとして誘ったのに、黙っていたり、途中で散歩に行ったりしている。 ところで血液型や兄弟構成などで性格について話すようなことがよくあるが、つらい。 私はB型なのだけど、ほんとにBっぽいと言われる。 妹がいるというとよく、そうは見えない、と言われる。 お兄ちゃんがいそう、とよく言われる。自分自身お兄ちゃんがいそうな性格だと思う。 甘ったれてるんだと思う。 血液型や兄弟構成がほんとに性格に関係あるのかはわからないが、話していると、その人が自分をどう見てるのかがなんとなくわかって少しつらい気がしませんか?まあ別にいいけど。
人は名乗るときに、独特の調子を持っている。めずらしい名字の人は、聞き直されることが多いので、一回でわかるようなゆっくりとした調子がある。そして、「どういう字ですか?」の問いにも何千回と答えているので、ネタを持っている人も多い。それがうらやましい。 私は名字も名前も、よくあるもので、字も簡単なので、そういうことがない。でも自分の名前がとても好きだ、特に下の名前はとても私らしい気がする。 よくある名前と言えども、これからも名乗る機会はたくさんあると思うので、独特の調子を作りたい気もする。
ラブレターを書くのがうまいんじゃないか、というのを私は自負している。 それで、ラブレター屋さん、というのを起こしたらどうだろうというのを考えたことがある。代筆してあげるんである。 でも相手のことをよく知っている人の文にかなう訳もない。 きゅん、とさせればいいってもんでもない。 だいたいに置いて、簡単な約束があるんである。 それは、相手のことを書くこと、だ。 自分のことや自分の気持ちよりも、相手に重きを置くことだ。 そうすればたぶん読んでくれると思うので、みなさん書いてみて下さい。 でも話が上手い人は、ラブレターなんて書く必要ないのかな。
電話屋さん、と心の中で呼んでいる人がいる。 会社で仕事をしているとたまに、一ヶ月に一度くらいだろうか、制服を着た、感じの良いおばさんが部屋に入ってくる。電話屋さんである。 電話屋さんは、ひとりひとりの電話を布できゅきゅっと拭いて行く。 そして点検のようなことをしている。よくわからないまま「ありがとうございます。暑いですね」「最近は蒸し蒸ししてるし」などと季節の話題でお喋りする。そして去って行く。 謎だな、と思いつつ、その後、しばら清涼感が続く。 今日は夜、上野で仲良くなったおじさん(友達)と、森鴎外の住んでいた家の跡に行って来た。 おじさんの謎は深まる。
大学の先輩の結婚式が品川教会であった。 もともと可愛い人だから、きっと可愛い花嫁さんだろうと思ってはいたが、想像以上に可愛かった。 それから牧師さんがいい人で説教がとても面白い。 私は結婚式って初めてだったから、私が緊張してもしょうがないのに、なぜか必要以上に緊張していた。 披露宴にも出て、みんなでマンドリンを弾いた。 新婦さんはとても細かく気を遣ってくれる人で、カードなんかも全部可愛くて、それからいつもにこにこしていてすごいなあ、と思った。 新郎の方もとてもいい人そうで、すごくいい結婚式だ。 なんというか「いままでお世話になった方々に感謝します」ということを二人がとても思っていることがよくわかるような。 それから二人が楽しそうにしていて、それから落ち着いてしっかりしているので、見ている方も、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。 きっと幸せに暮らしていくに違いありません。
会社の人たちと神田でお酒を飲んだら、気が付いたら新宿にいて、時刻は1時半だった。 びっくりした。経緯がわからない。山手線で移動したと思うのだけど、私は帰るとき山手線は使わないので、何で乗ったのかもわからない。 そこまで酔っ払うような会ではなかったので、まったくびっくりだ。 どうしようもないのでタクシーで帰ったら9900円になった。まったくばかばかしいことだ。 タクシーの後部座席でぐったりとしながら、人生のことや、孤独のこと、仕事のことや、お金のこと、いろいろ考えていると、気持ちががらがらと変わるような気がした。 こういうばかなことや、苦しいことをやっても、人生の残された時間は刻々と減っていく。いまやこういうばかなことをしたときは、ひとりで「ああ、ばかばかしい」と思うだけのことだ。 私を気にしてくれる人が欲しい。 その他、私は努力が足りない。人生は短いのに。 本当は、何もかもふっきって、まっすぐな道を歩かないと、時間が減っちゃうんだ、と思う。 そして、ああしよう、こうしよう、というようなことをいろいろと考えた。 うまく言えない。 でもたとえば、夜の中には、この夜だけで何もかもが変わったという夜がある。 そんな夜っていうのは、こんな風に、何でもないような、本筋とは関係のない夜で、それで何もかも気分が変わって、人生が変わったりするのかもしれない。 結局人間の人生というものを、一番左右するのは本人の気持ちだ。 一晩でがらがら変わるというのはよくあることだろう。 そう思ったが、次の日起きると、特に変わってなかった。 あまりにも気持ち悪くて夢見てるような気持ちになってたのかも。 やっぱり運命の夜ではなかったようだ。 これからも普通に生きよう。
私はしょっちゅうタイプミスをしてしまう。 でもこういう文章の作り方って変だな、とも思う。 ローマ字で入力して、ひらがなから、漢字に変換、という書き方だけれども、もっと全然違う概念のパソコンがあってもいいと思う。 普段文章書くときって、音で考えてないですよね。 本を読むときだって、音で考えて読むとすごく時間がかかってしまう。じゃあどう読んでるのか、というと、それもよくわからないのだけど。 何でもそうだけれど、校正しようとすると、ぱっと見ただけじゃ気がつけないですよね。特に自分の書いた文章だと。 何ていうか、脳の中ではもっと違う風に文章を書いたり、読んだりしているような。 英語と違って、日本語は視覚の要素がずっと強くて、見た感じの印象が強烈だ。 確かに言葉っていうのは昔は音から生まれたものなのかもしれないけれど、今は目で考えることもよくあるように思うのだ。 タイプミスというのは指が間違っているのではなくて、イメージが間違っている。 目で見たときに、イメージが間違いの部分を補ってしまう。 音で入力して、変換して、目で見る、ということに違和感がある。 いや、目でもない、耳でもない、もっと違うことで言葉を感じているような気もする。
文章というのは書いている時点での楽しさでもとは取れているから、世間に出たり、次の世代まで名前が残ったり、お金をもらったり、する必要がない、というようなことを金子光晴が言っていたと思うのだけど、それって何だってそうだ。 旅行に出かけるのは、後々役立てるためじゃなくて、ただ行きたいから行くってだけだ。 何かをするとき、それを利用しようなんて思わない。 本を読むのも、読みたいから読むだけ。 楽器もそうだし。 人と会うのも、もちろん、そうだ。 新しい情報なんて教えてくれなくていいし、共通の友人の近況なんて言わなくていい。面白いことも言わなくていいし、楽しませてくれなくていい。 何かをするとき何かを得ようなんて思わない。 ギブアンドテイクなんかじゃ全然ないと思う。 もっと単純なことのように思う。
骨がぎしぎし言うほどの孤独を感じたい。 ひとりになってじっと自分と向き合いたい。 何でもひとりでできるようになりたい。 牛丼もおすしもファミレスも、ひとりで食べられたり、 他の人と違うことをすることを何とも思わなかったり、 ひとりで決めて、ひとりで考えて、 ひとりで旅に出て、 孤独だなって思いたい。
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