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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

新橋に
2004年05月10日(月)

前の会社の友達とお酒を飲んでとても楽しかった。
また飲んでくれるかな?



屋上緑化
2004年05月09日(日)

マンドリンを弾くために、品川シーサイドの東品川文化センターに出かける。

重い楽器を持ち運ぶことは、年老いたときや病気になったときの移動に少し似ているのではないだろうか。
そう思うとあまりモンクも言えない。
これが当たり前の人もいるのだろうな。

工作室とかなんとかいう部屋で、焼き物を焼く道具やら変な机だのがある。
開けたり触ったりする。

窓からは隣のビルの屋上一面に、黄色い花がびっしり植えられているのが見える。あれは何だ、という話になる。
モスコちゃんが言うには、黄色は「帰って来い」という意味があるから、あれはサインじゃないかということ。空に向かって。ずっと誰かを待っているんじゃないかと。
しかしNさんが言うには、ビルは何階以上だと、屋上緑化をしなければならない、とかいう法律だか条例だかがあるのだそうだ。だから何にせよ、屋上緑化だろう、と。

そうかあ、と思う。
右手には海が見える。小さな船のようなのも。それから新幹線も走る。
じっと眺める。



手段と目的と、テディベアのルドヴィック
2004年05月08日(土)

手段はたびたび目的となる。

例えば救われるための宗教が、目的となってしまう。

大事なことをわかりやすく話すことをしようとしていたら、いつの間にか、わかりやすく話すこと自体が目的になり、大事なことはどうでもよくなる。

かわいい服を着て魅力を引き出そうとしていたのに、気がつくとかわいい服を着ていないから魅力がないように思えてしまう。

年金の問題を考えようとしていたのに、年金の問題をうまく扱うことが目的になる。

生きるために飛行機に乗っていたのに、飛行機のために死んでもいいような気がしてくる。



渋谷のユーロスペースにレイトショーを見に行く。「テディベアのルドヴィック」という素朴な、ぬいぐるみのアニメーション映画なのだけれど、またもや一人で泣いてしまった。なんだか、あまりにもほのぼのとしてて、きゅんとしちゃうから。人と人との出会いって、こうだよ、とか、子供のころ、こう思ってた、とか、そうゆうのがぎゅっと詰まってる。
上映の前に、はなと中野裕通の対談があって、それも良かった。はな、しぐさも何もかも可愛い。字幕の訳もしたらしい。前向きで楽しそうで、素敵な人だな、と思う。

あと、パソコン買った。中古というか、展示されていたもので、99000円だった。質問したらまた訳が分からなくなり、むかむかしてきた。私はこうしてホームページなんて作っていても、インターネットがどうやってできるかも知らないし、パソコンのことは、用語なども驚くほど知らない。
家のパソコンは2台あって(私のは今までなかった)、母が管理している。彼女は昔から配線などがすきで、何でも嬉々としてやっている。母に質問すると、長々と説明されて余計にわからないので、聞かない。
それでそのうちの1台が壊れたので、母がメールアドレスを変えていた。私も変えてもらった。これに関しても私はよくわからなかった。
パソコンを買ったことは家族にも誰にも教えていない。使えるかわからない。



スライド
2004年05月07日(金)

理屈でものを考えられる人が、人に対しては理屈を使わないところを見ると、すごいと思う。

理屈というのは自分の頭の中を整理するためだけに使うもので、人に対しては使うものじゃない。
たとえ理論的にやっつけることができて相手を黙らせたとしても、自分にどんないいことがあるだろう。

ちょっとしたことでも、
自分がどうしたいのか、本当は何を伝えたいのか、考えてゆくと、
使うのは理屈じゃないことがわかってくる。

もっともなことも、正論も、大して力はないものだ。

そういうことを知っている人がいる。
鷹揚に構えて、人の逃げ道を切らない。
理論的に合わないことでも受け止められる。
おかしいことでも責めようという気持ちも起こらない。
でもちゃんと自分の考えは自分の中に持っていて、いつも楽しんでいるような人。
そういう人を見ると、すごいと思う。

私はやはり少し思ってしまう。
こうだからこうだ、とか、この前こう言ってたから……など。
もっと寛容な人になれたら、どんなにカッコいいかしれない、と思う。


わかめをしょっちゅう食べているが、髪はちっとも伸びない。
生まれて初めて前髪を伸ばそうと思う。

今日は、上野でローマ彫刻展を見た。金曜は8時までというのだ。
しかもスライドを1時間見た。
大学の講義みたいで面白かった。






所有欲
2004年05月06日(木)

私には所有欲はない。
果かないものにお金をかけたい。

たとえば私は本は図書館で借りることが多い。
好きな本でも、持っていないものはたくさん。
どうせどこかにあるのならいではないか。
忘れっぽい私は、きっと本の内容も思い出せなくなるだろう。
それでも構わない。
いつか知識を使いたくて本を読んでいる訳じゃない。
本を利用して何かしようなんて思わない。

旅にしてもそうだ。
旅にお金をかけるのは実際には役に立たないことだ。
私は別に旅行して自分の成長に繋げようだの、小説のネタにしようだの、まったく思わない。
思い出も特にいらない。

なくなってしまって構わない。

かわいい洋服も、かわいい雑貨も別にいらない。
見るのは好きだけれど。
誰かが着ていたり、誰かが持っていればいいと思う。

映画や美術館にはお金をかけたい。
今しかないものがあるような気がするから。

お金は大好き。
でも誰かが持っていればいい。
金は天下の回り物だから、特に自分のものでなくともよいのだ。

何かを持っていてもちっとも幸せにならない。
幸せって何かわからないけれど。

わからないけれど、幸せは大きな青い海だとする。
しかし自分が海を所有していても、幸せとは思わないだろう。
だけれど波の起きる瞬間を誰かと眺めるとする。
その後、そんな瞬間のことも何もかも忘れてしまったとしても、それは幸せに近いような気がする。そういうことかもしれない。



秋葉原
2004年05月05日(水)

パソコンを買おうと思って秋葉原に出かけたが、結局買わないで帰ってきた。私はパソコンのことがさっぱりわからないので、パソコンのことを考えるとイライラしてくる。
でも欲しい。きっと安くて変なのを買うだろう。

母の誕生日だったので、カーディガンをあげたら喜んでいた。
紺の縞々だったのだけど、もっと派手な色にすればよかったかも。
年をとっていくと、きれいな色の服を着たくなるような気がする。

こうして生活していると、人生でも、文章でも、大事なのはさわやかさとあたたかさだなって思う。
私にも、さわやかさやあたたかさはある。
言葉遊びはもう止めるって切に思う。
なんかこう、きゅんとする感じや、ふわっとする感じを大切にして行きたい。
広がる感じや温まる感じや繋がる感じやひんやりする感じが日々にはあると思うので、そうゆうのを大事にしたい。



わかりやすさ
2004年05月04日(火)

最近、新しい考え方を聞かないな、と思う。
新しい考え方、というものよりも、みんなが知っていることをわかりやすくした、というものが出てくることが多い。
例えば「30代独身子なしは女の負け犬」とか。

きっと今は「新しい」「今までにない」「他と違う」というようなことは魅力にならないのだろう。
「わかりやすい」「元気になる」ということが大事なような。
あとは「若い」とか「かわいい」とか、そういうのがすごい勢いで肯定されてるような。

ベストセラーになる本も、読む人の要求に応えたり、読む人と似たような人が出てくる小説であったり、読む人をけなして安心させたり(みんなマゾなんだと思う)、昔なつかしい形の小説だったり。

とにかくわかりやすいこと、今の自分の状況をわかりやすくしてくれること、そんなことをみんなが求めてるような。

私としては、がらっと考えが変わるような、次元が変わるような、そんなものに出会いたいな、という気持ちもあるのだけど。



寄生虫
2004年05月03日(月)

今日もまた目黒に出かけた。寄生虫博物館に行ったのだが、お客さんがとても多い。人というのは、ぞっとするものを見たい、という奇妙な欲求があるようだ。子どももおばさんも楽しそうだった。
しかし、気持ち悪い、と言うのは病気に対して失礼なことだとも思う。気をつけたい。
そうそう、吉野家で私は初めて豚丼を食べた。やっぱり牛丼ほどのガツンとくる感じはない。でもこれはこれでおいしいと思う。
それから自然教育園というところを散歩した。ツルツルした木やガサガサした木を見た。菖蒲が少し咲いてた。
その後、人の大学に勝手にしのびこんでうろうろしてやった。たくさんの守衛に見つかったが、怒られなかった。
あとビリヤードをした。ビリヤードというのは、ずっとしていると、会話がやんわりとしてきて、ボールとキューが記号のように見えてきてちかちかしてくる。どうせ勝たないと思うと、ふざけてしまってよくない。でも、かちん、と当たると楽器のようで楽しい。わかったふりをすると、本当にわかってきた気がする。人の気持ちと違って、決まったとおりに球は動くんだな、と思ったけれど、人の気持ちも本当は決まっているんだよね。計算で出せるって読んだ。ただ、空の雲がどういう形になるか、というのと同じくらい複雑な長い計算になるので、誰も計算しようなんて思わないそうだ。理屈で説明できる事柄だからと言って、理屈で考えることはない。いろいろなことがどういうことになって行くとしたって、例えば人と出会って楽しかったことや、言ってくれたことは、どっちにしてもこの先も宝物になるのだから、先のことをくよくよ考えるのはばかばかしいことなのかもしれない。
朝は小雨だったが、その後は少し晴れた。夜は寒かった。



五反田と目黒
2004年05月02日(日)

五反田でマンドリンを弾いた。ものすごく久しぶりだったので、とても楽しかった。やっぱり、うまく弾けないので一生懸命になった。一緒に弾く人たちとも久しぶりだったので緊張した。でも緊張してるようには見えないと言われた。まあそうだろうな、と思った。
それから目黒に移って、モスでごはんを食べてから、大学時代に一緒にサークルでマンドリンを弾いていた同学年の子たちとお酒を飲む。これもまた私は久しぶりに会うので、緊張して乗り気じゃないくらいだったのに、いざみんなと会うと、すぐ思い出して、本当に楽しかった。
変わってないなーとも思うけれど、やはりみんな少しずつしっかりしてきていたり、考え方が変わってきたり、しているのだと思う。私も、きっとそうだろう。
サークルをしているときは私はとても若い考え方をしていて、しかもサークルがすごく好きで夢中で空回りしてて、みんなに迷惑をかけるくらいがさがさしていたんじゃないだろうか。今だったら上手くやれるのに、と思うことがたくさんある。
でももう何もかも過ぎていくことなんだな。
だけど、また合宿したい、と思った。ああいうの、もうやれないなんて。
またみんなで話し合ったり、合奏したり、朝ごはんや夕ごはんが食べられたら楽しいのになって思う。

そうそう、その居酒屋さんで働いている同級生がカクテルを9人分、それぞれの好みに合わせて作ってくれてとても楽しかった。私は緑色で辛いの、といったらそれを作ってくれた。



原因と結果
2004年05月01日(土)

原因や経過というのは、結果が思わしくないときに気になるものだ。
逆に言うと、結果がよければ原因について考えたりなんてしない。
原因が気になるときは、結果が自分にとって気に食わないんじゃないかということを疑ってみるといい。
また、原因を聞かれるのが嫌だったら、とりあえず結果を出しておくとよい。

日本では何かが起きるとよく、まず最初に「原因を調べて再発防止を……」なんていうけれど、一番大事なのは、起こってしまったことをどう処理できるかなんじゃないか、と思うこともよくある。
原因をきちんと調べたり話せたりする人より、起きたことを認めてちゃんと処理したり迷惑かけてしまった人に対してきちんと向かい合えたりする人の方がかっこいい気もする。

原因がわかったらそんなに安心するの?と思ったり。




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