私は4月から20冊本を読むことにしたのですが、簡単に言うと、11冊しか読みませんでした。 携帯料金のように、次月に繰越が出来るようにして、5月に29冊読むことが出来ます。 4月1日から30日の内訳はこれです。 『欲望という名の電車』 テネシー・ウィリアムズ 『やけたトタン屋根の上の猫』 テネシー・ウィリアムズ 『ハムレット』 ウィリアム・シェイクスピア 『ガラスの動物園』 テネシー・ウィリアムズ 『かもめ』 アントン・チェーホフ 『二人がここにいる不思議』 レイ・ブラッドベリ 『ソーネチカ』 リュドミラ・ウリツカヤ 『寺内貫太郎一家』 向田邦子 『バルザックと小さな中国のお針子』 ダイ・シージエ 『失恋』 鷺沢萠 『オセロー』 ウィリアム・シェイクスピア 本を読むのは楽しいので、5月はもっと読むでしょう。 大塚愛の「さくらんぼ」がしょっちゅう頭の中に流れるので、なんなの!って感じです。他の曲で消そうと思いますが、たいていさくらんぼの方が勝ちます。
岸恵子が叙勲を受けたそうで、いいなあ、と思う。 私は岸恵子のような女の人になりたいなあ、と思います。
飛行機に乗ろうと思えば今からだって乗れる。乗らないのは明日も日本で生きてゆこうと思ってるからだ。 ごはんを食べるとき、私はいつまでもお腹がすいたままでごはんを味わっていたいのに、欲望はお腹がいっぱいになる方向へと向かう。不思議だ。 やっぱり一人暮らしをしばらくしたらできるように考えよう。危ない。自分が強いってこと、忘れるとこだった。 寂しい、と思うなら、それを解消する方法を考えないと。何かに参加したり、友達作ったり、した方がいいみたいな気がする。 人に対してあったかくなりたい。私は冷たいと思う。 あーあ、まだまだやることあるなあ。 あと50年、飽きなさそうだ。
花粉症かとも思ったが、風邪をひいたみたい。 耳が遠くなるようなときが、現実から離れるようで気持ちいい。 こんな日は夢を見れるだろうか。 風邪のときは夢を見ることが多いもの。 普段はあまり見られないから、楽しみだ。
髪を切った。 そしてBunkamuraで映画を見た。
映画「真珠の首飾りの少女」を、テアトル銀座で見る。 昨日美術館でも見た画家、フェルメールと、そのモデルになった少女の話だ。 もう少しヒロインのキャラに魅力をつけて、音楽も素敵にして、構成練ったらもっとよかったんじゃないかな。 あと思ったのが、画家とモデルってなんかあるって思い勝ちだけど(実際なんかあることも多いみたいだけど)、でも、絵によるんじゃないかな、ということ。 「女」ってものを描きたいとき、その女の人自身のことよりは、抽象化したものを描くから。 あー、上手くいえないけど、例えば、小説の場合だと、キャラクターにモデルってほとんどいないと思う。 私もちょこちょこ自分の小説書くとき、誰かが喋ったことや、自分と誰かの関係で起こったことなどを参考にして書こうとしたりはするけれど、「このキャラクターのモデルは誰々」ってことはまずない。強いて言えば、モデルは自分、この男の子も女の子も自分に似てる、ということが多い。 たぶん、自分が考えてること、が一番になるんじゃないか、と思う。 小説書かない人でも、キャラクターって考えないですか? 「こういう人って複雑」「こんな人って魅力的だろう」とか。 そういうの。 まあ、絵と小説は違うかもしれないけど。
もっと優しい人間になりたい。 人の気持ちがわかるような。 大丈夫。
上野でこぶうどんを、その後生ビールを飲みながら稚アユと新ごぼうの唐揚げと鰹節の乗った冷奴を食べる。 深呼吸をしなくちゃ。
朝、駅から会社に向かう途中で常務と会う。 緊張した。 目の話をした。 「目薬持ってろ」 と言われた。 私は疲れてきたりなんかするとき、右目だけ真っ赤になるみたいだ。 痛くも痒くもないんだけど、非常に恥ずかしい。 それにしても、世の中ごはんというものがあって良かった。 一日に三回も楽しいことがある。 お昼に三色弁当を食べれば気分も良くなる単純さだ。 ごはんがなかったら― がもっとたまってたかもしれない。 この前、「女の子はストレスって言葉をよく言うよね」ということを聞いて、本当だー、と思った。 これは一時的なもの、外的なもの、という甘えのある考えが言わせる言葉なのかもしれない。世の中で起きることは全て自分の責任で、自分のせいで起こっていることなのに、自分の埒外で起こっていることとして受け止めているような。 そういえば、「ストレス」って言葉を使っても、気分が良くなるわけでもなし。 これからはストレスだのということは言わないようにしよう、と思った。 よいことを聞いた。 と言いつつ、今日の日記、なんだか疲れているみたいになってる。 そんなことはなく、元気だ。
「時間割」ってすごい言葉ですね。
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