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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

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拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

優しさ
2004年04月22日(木)

もっと優しい人間になりたい。
人の気持ちがわかるような。

大丈夫。



上野
2004年04月21日(水)

上野でこぶうどんを、その後生ビールを飲みながら稚アユと新ごぼうの唐揚げと鰹節の乗った冷奴を食べる。

深呼吸をしなくちゃ。




2004年04月20日(火)

朝、駅から会社に向かう途中で常務と会う。
緊張した。
目の話をした。
「目薬持ってろ」
と言われた。

私は疲れてきたりなんかするとき、右目だけ真っ赤になるみたいだ。
痛くも痒くもないんだけど、非常に恥ずかしい。

それにしても、世の中ごはんというものがあって良かった。
一日に三回も楽しいことがある。
お昼に三色弁当を食べれば気分も良くなる単純さだ。
ごはんがなかったら―  がもっとたまってたかもしれない。

この前、「女の子はストレスって言葉をよく言うよね」ということを聞いて、本当だー、と思った。
これは一時的なもの、外的なもの、という甘えのある考えが言わせる言葉なのかもしれない。世の中で起きることは全て自分の責任で、自分のせいで起こっていることなのに、自分の埒外で起こっていることとして受け止めているような。
そういえば、「ストレス」って言葉を使っても、気分が良くなるわけでもなし。
これからはストレスだのということは言わないようにしよう、と思った。
よいことを聞いた。

と言いつつ、今日の日記、なんだか疲れているみたいになってる。
そんなことはなく、元気だ。



時間割
2004年04月19日(月)

「時間割」ってすごい言葉ですね。




何でも
2004年04月18日(日)

おしょうゆをかけると何でもおいしいことを発見。

耳の中にはいつも嵐の砂。



赤羽
2004年04月17日(土)

赤羽に行った。生春巻きなどを食べました。



イラク
2004年04月16日(金)

イラクの事件がどうも腑に落ちない。

でも眠いのでもう寝ます。



莫大小
2004年04月15日(木)

近頃好きな漢字がある。それは莫大小(メリヤス)。

最近落ち込むのは運動不足のせいかも知れないと思い、走ってきた。
ジョギングをして汗をかくと少しすっきりした。
スポーツをする人は、自分の心の健康のことをよく考えるのではないか、と思う。

みんな、年金のことを忘れることができて良かった、と思う。



イメージ
2004年04月12日(月)

イメージというのは不思議なもので、言葉でもなく、音でもなく、画像でもなく、ストーリーでもない。もやもや。

時代を流れてゆくもやもやもある。

昨日、美術館に行って絵を見て思ったのだけれども、例えば『ハムレット』のオフィーリアが川に流されて死ぬシーンを描いた絵というのがあるのだが、このモチーフを描いた画家というのは他にもたくさんいたはず。つまり皆が共通のイメージを持っている。でもこのシーンは劇の中ではそれほど重要な感じはしないし、オフィーリアというヒロインも、それほど魅力的なものではない。
ただ「水に沈む女」というイメージが圧倒的に魅力的だ。

上手く言えないけれど、この「もやもや」というものは、時代や国を覆うよなあ、と思った。

ギリシャ神話の女神のイメージ、キリスト教の天使のイメージ、はたまた妖精、サンタクロース、一角獣、麒麟、などなど。
みんながもやもやを持っている。

絵にしたり、小説にしたりもできるけれど、その前に「もやもや」がある。



ホタル
2004年04月11日(日)

マレーシア旅行に行ったとき、ホタルを見たい、と考えた。
ある地方でホタルを見られるのである。
ただ、これは「歩き方」にもちょっとしか載っていないし、他の情報ツールでは皆無で、地図もわからない。
女一人でさびれた地方に行くことや、夜中になること、ホテルがないっぽいこと、などいろいろ考えると難しいように思った。
「ホタルを見に行こう」と思い始めた日から何日間か、夜中に不安で上手く眠れなくなったくらいだ。

行こうと考えていた日に、その地方に行くバスが出るバス停に向かった。
タイムテーブルはないのでいつ来るかはわからない。
座って待っているうちに何だか気持ちが変になって来た。
バスが来なければいい、と思い始めたのだ。

どうやら私は、もうホタルなんて見たいとは思っていないような気がする。

でも出きるだけ待ちたい、とも思っているようだ。

大げさに言うと「自分は行けるところまでは行って、やるだけのことはやったのだと思いたかった」という感じだ。

ホタルを見に行きたいと思っているかどうかはどうでもよく、止めたのは向こうだと思いたい、ということだろうか。

自分は頑張ったが状況で駄目になった、と考えると楽だ。
自分はこう思うが、相手はこう思わないのだ、と人はシンプルに受け止めたがる。
自分の中だって複雑なのに。止めるというのは勇気のいる面倒なことだから、自分では決めないものだ。今までのさまざまなことを考えてみても、止めるときは「自分が思うから」ではなく「状況が……」「誰々が……」という理由にしてしまっている。

何事も人は事が自然におさまってゆくのを見守るだけで過ごそうとする。

小心者は言い訳を探し、自分を積極性のない人間や、悪者にはしない。
自分が決めたことを「相手が決めたのだ」と考えるのは簡単なことである。

迷っているときも、既に決めているのに、自然の成り行きに任せて、他の力を利用しようとする。

人は、自分の心と向き合うのに疲れてきたとき、「あんたはどう思うの?」と言い勝ちだ。

「私はやるだけのことはやったわ。あなたが終わらせたのよ」と考えたいのだろう。


結局ホタルは見に行かなかった。




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