おしょうゆをかけると何でもおいしいことを発見。 耳の中にはいつも嵐の砂。
赤羽に行った。生春巻きなどを食べました。
イラクの事件がどうも腑に落ちない。 でも眠いのでもう寝ます。
近頃好きな漢字がある。それは莫大小(メリヤス)。 最近落ち込むのは運動不足のせいかも知れないと思い、走ってきた。 ジョギングをして汗をかくと少しすっきりした。 スポーツをする人は、自分の心の健康のことをよく考えるのではないか、と思う。 みんな、年金のことを忘れることができて良かった、と思う。
イメージというのは不思議なもので、言葉でもなく、音でもなく、画像でもなく、ストーリーでもない。もやもや。 時代を流れてゆくもやもやもある。 昨日、美術館に行って絵を見て思ったのだけれども、例えば『ハムレット』のオフィーリアが川に流されて死ぬシーンを描いた絵というのがあるのだが、このモチーフを描いた画家というのは他にもたくさんいたはず。つまり皆が共通のイメージを持っている。でもこのシーンは劇の中ではそれほど重要な感じはしないし、オフィーリアというヒロインも、それほど魅力的なものではない。 ただ「水に沈む女」というイメージが圧倒的に魅力的だ。 上手く言えないけれど、この「もやもや」というものは、時代や国を覆うよなあ、と思った。 ギリシャ神話の女神のイメージ、キリスト教の天使のイメージ、はたまた妖精、サンタクロース、一角獣、麒麟、などなど。 みんながもやもやを持っている。 絵にしたり、小説にしたりもできるけれど、その前に「もやもや」がある。
マレーシア旅行に行ったとき、ホタルを見たい、と考えた。 ある地方でホタルを見られるのである。 ただ、これは「歩き方」にもちょっとしか載っていないし、他の情報ツールでは皆無で、地図もわからない。 女一人でさびれた地方に行くことや、夜中になること、ホテルがないっぽいこと、などいろいろ考えると難しいように思った。 「ホタルを見に行こう」と思い始めた日から何日間か、夜中に不安で上手く眠れなくなったくらいだ。 行こうと考えていた日に、その地方に行くバスが出るバス停に向かった。 タイムテーブルはないのでいつ来るかはわからない。 座って待っているうちに何だか気持ちが変になって来た。 バスが来なければいい、と思い始めたのだ。 どうやら私は、もうホタルなんて見たいとは思っていないような気がする。 でも出きるだけ待ちたい、とも思っているようだ。 大げさに言うと「自分は行けるところまでは行って、やるだけのことはやったのだと思いたかった」という感じだ。 ホタルを見に行きたいと思っているかどうかはどうでもよく、止めたのは向こうだと思いたい、ということだろうか。 自分は頑張ったが状況で駄目になった、と考えると楽だ。 自分はこう思うが、相手はこう思わないのだ、と人はシンプルに受け止めたがる。 自分の中だって複雑なのに。止めるというのは勇気のいる面倒なことだから、自分では決めないものだ。今までのさまざまなことを考えてみても、止めるときは「自分が思うから」ではなく「状況が……」「誰々が……」という理由にしてしまっている。 何事も人は事が自然におさまってゆくのを見守るだけで過ごそうとする。 小心者は言い訳を探し、自分を積極性のない人間や、悪者にはしない。 自分が決めたことを「相手が決めたのだ」と考えるのは簡単なことである。 迷っているときも、既に決めているのに、自然の成り行きに任せて、他の力を利用しようとする。 人は、自分の心と向き合うのに疲れてきたとき、「あんたはどう思うの?」と言い勝ちだ。 「私はやるだけのことはやったわ。あなたが終わらせたのよ」と考えたいのだろう。 結局ホタルは見に行かなかった。
今時は、学歴なんてものを聞いて気にする人も少ない。 何々大卒って聞いてもふうんってぐらいだ。 私が出た大学は所謂有名大学というのではないかも知れないけれど、私はあの大学を良い大学だと思っている。頭の良い人だって結構いたと思うけどな。 昔、同じ大学の友達で「こんな大学出ても…」と私たちの大学のことを言う人がいたけれど、 私は色々な人と出会えて、マンドリンにも触れることができたあの大学を大好きだった。 大学なんてそんなもんだ。 「有名大学を出ました」ああ、受験勉強頑張ったんだね、というだけの話だ。 「受験勉強頑張ったんだから、その後の人生にも影響があって然るべきだ」という話も聞くが、頑張っても人生に影響がないことなんていくらでもある。 私が今まで出会った人の中では、大学出の人より、高校出の人の方が頭が良い確立が高い。 頭の良さと学歴は何の関係もない。 私は一応大学を出ているが、英語は話せない、漢字は書けない、簡単な足し算でも間違える、人間関係を築くのが下手、と散々である。 経歴、というものでも「なにをやったか…」なら聞く気がするけれども、「こういうところに所属して…」なんていう話は、聞いてもその人が何なのかちっともわからない。 「あんたの所属している団体だとか組織だとかは、あんたの評価と何の関係もないよ」と思う。 そして「昔取った杵柄は捨てた方がいいよ」と思う。 人生というのは、「自分が望むライフスタイルで生きられるかどうか」というだけの話で、勝ち負けなどあるわけがない。 有名な大学を出れば多少は有利になることは、まああるかも知れないが、まったくうらやましいとは思わない。 私は今死んで、もう一回生き直すとしても同じことをする。 第一志望の大学なんてどうだっていい。行ったところが良い大学だった。 前の会社だって、人と出会えたから行って良かったと思ってるし、今の会社は自分の時間が取れるから良いと思う。 ただ、それだけのことでしょ、と思う。 私は言いたい、「安心するな」と。 そして「プライドは捨てろ」と。 人に見せるために人生作ってる訳じゃないんだから。 やりたいことやれればいいのよ。 学歴や経歴で評価されるなんてただの神話だ。 だって、自分は人のことを学歴で評価なんてしていないでしょう? でも人は自分を学歴や経歴で評価すると自分のことは思い勝ちだ。
人間がもっと進化したら、指サックをしたまま生まれてくるだろう。 最近、こどもの頃に虫眼鏡で黒い折り紙を焼いていたときのイメージがふと蘇る。 チリチリと焦げて行くあの感じをよく思い出す。 それから初恋を思い出す。 思えば小4のときが私の人生の山場だったのでは? でももちろん、今もすっごく楽しい。 いや、小4のときより今の方が楽しい。 大人なので何でもできるからね。自分次第で。
会社帰りに上野の桜を見た。もう葉桜だったが、葉っぱもかわいそうなので、よく見た。それから浅草に行った。大変楽しい。桜橋。
妹はテニスサークルに入りたいらしい。 しかしマンドリンにも誘われたと言っていた。
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