会社帰りに上野の桜を見た。もう葉桜だったが、葉っぱもかわいそうなので、よく見た。それから浅草に行った。大変楽しい。桜橋。
妹はテニスサークルに入りたいらしい。 しかしマンドリンにも誘われたと言っていた。
本を一ヶ月に二十冊読まなくてはならないとすると、二日で一冊では間に合わない。 一日一冊読んで、十日休まねばならないだろう。 今現在、四月に入ってから二冊しか読んでない。テネシー・ウイリアムズの『欲望という名の電車』と『やけたトタン屋根の上の猫』だ。面白かった。 しかしこの調子では月末には絵本で数を調整しなくてはならないだろう。 そしてそれなのに図書館で菜根譚を借りてきてしまった。こんなの一日じゃ無理だ。 漫画やバナナを数に入れていいのかもわからない。 聖書なんかに手を出してしまった場合はどうしたらいいのだろう。 それから、ひとりぐらしをしたいと思っていたが、お金が貯まらないだろう。 お弁当を作ろうかと思ったが、、私に早起きができるわけがない。 大きなコロッケパンでしのぐしかないだろう。 しかも旅行に行きたくなって来た。 駿馬を見分ける方法を教えて欲しいものだ。 ところで私は梅干は固いのより、ジューシーな方が好きだ。 それから、しらす干しごはんって、混ぜすぎないのがおいしいと思う。 そういうことを考えると、おいしさというのは混ぜすぎないことであると思う。
以前にも書いたかと思うが、南Q太という漫画家が大好きで、今一番すごいと思っているのが「エロティクス」で連載されてる『トラや』という漫画だ。 何がすごいと思うのかというと、エロティクスという雑誌は、まあエロい漫画雑誌みたいなんだけど、この『トラや』だけほのぼのした話だっていうこと。 南Q太は、他ではかなりエロい話や、きつい話を描いているのに、『トラや』はふんわりした話ってことだ。 つまり、この漫画を好きって言うと、「ああ、こういう可愛いやつが好きなんだね」というような捉えられ方をされてしまうのだが、私がいいと思うのは、こう、「みんな本当はドロドロだってわかってるけど、敢えてこんなほのぼのした話を描いているのだ」「リアリティと気持ち良さが絶妙なのだ」「わかっててこう描いてるんだ」ということが言いたいのだ。
母の作ってくれた蕎麦の具がきしめんだった。そういうこともあるのだろうか。 父がDVDを知らないことが発覚。 父「DVDってビデオのことだろ。何でDVDって言うんだろうな」 母「そりゃ違うからよ」 父「DVDってビデオとは違うのか!!」
赤坂の本屋で長井秀和に会った。 ああっと思った。いる、と思った。あまりにどきどきするので、早く本屋を出て行って欲しいくらいだった。 ねぐせだらけだった。 そおっと、後ろ側にまわって、立ち読みをした。 ちらり、と見ると、彼の持っている手提げの中には資料のような紙がどっさり入っている。あと、たくさん書き込みされたノート。ネタ帳だろうか? 彼が立ち読みしている雑誌は「Ray」(女性ファッション誌)だった。 ああ、生きていればこんな良いこともあるんだ、と思った。 次は、今、一日に5回くらい思い出している上田晋也に会いたい。
新宿から神田まで歩いた。
不安というのはみんなあるのだろうな。 明るく見せている人ほど、本当は不安なのかもしれない。 将来どうなるんだろう、知らないうちに30歳になっちゃたりもするのかな、 と考えると、すうっと足の親指から血がひくような。 こういうことかも。今、ダイヤを持っているが、あと5年後にはこのダイヤはない。そのときに、『あのときはダイヤがあったのに』って思ったりするのかな、って、そんな気持ちか。 でもよくよく考えると、たぶん今ダイヤはない。 30歳になったらなったで、ルビーがあったりもするだろう。 どうして今、ダイヤがあるような気がするのかと言うと、30歳になったときにそう思うのじゃないか、と想像しているだけで、ようするに、あせりが見せる幻影なのだ。 今あるのはダイヤじゃなくて、サファイヤだとする。 考えて来なかった。でもきっと私は絶対にサファイヤには気が付かないで今を過ごしてしまうだろう。 それにしても、今までの人生、同年代の人に比べると、ちっとも真面目なことを ふざけたいってことはよく考えていて、今でもちっともふざけ足りない。 どうしようもない。 ふざけたい。きっと30歳になっても、40歳になってもふざけ足りてない。これだけは確かだ。 それで、不安だ、不安だ、と言っても、でもまあどうにかなるだろう、とも思っていて、何だかんだ言ってもなぜか妙に自分に自信があって、神様も棚に上げて笑ってしまう。 どうしようもない。 こんな駄文を書いている間に、他のことをやった方がよい。 ばかだ。
土曜日にマンドリンのコンサートに行って来ました。品川教会でありました。 みんな楽しそうに弾くので、それが一番、こちら側にも楽しいのだと思う。 青ラムさんも一緒に行ってくれたのだけど、青ラムさんが何でも楽しめるいい人だということもあると思うけど、マンドリンを知らない人でも楽しめたり、一緒に行きませんか?と誘えるような、こういうアマチュアのコンサートってあんまりないんじゃないかな、と思った。 演奏ももちろん素敵でした。 選曲も気さくな感じで、弾いてる人も聴く人も楽しいような、いい選曲だなあと思いました。 しかし指揮者が太鼓を叩いたり、変なカスタネットのようなものを叩いたりし始めたのにはすごくびっくりした。あまりの相変わらずぶりに、とても嬉しくなりました。 帰りにナスを食べました。
今日も面接をした。 それから御徒町から上野まで歩いたら、大道芸の人が風船を膨らませていたので、じっと見た。握手した。 まだ咲いていない桜の枝が伸びていた。何回目の春なのかが曖昧だった。 25回目くらいだろうか。 いろいろと思い出したが、その春が去年なのか何年前かなのかが、どうもはっきりしない。そんな歳なのだろうか。 「10年後の自分がどうなっていると思うか?」という質問に、わからない、と正直に答えた。25で、10年後のことをぼんやりとでも見る人っているのだろうか?私は未だに、10年、というと、永遠、と同義に聞こえる。 「仕事とは?」プライドを持ってお給料をもらうこと、と答えたが、へえーと思った。この前就職活動をしたときは自分はもっと甘いことを考えていたような気がする。たぶん、前の仕事をやって、失敗をしたりして、そんなことを考えたのだろう、と思った。 たいしたことは出来ないが、給料をもらわないと生きていけない。 お金が世界からなくなったら、交流だの、意義だのもなくなってしまうのだろう。
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