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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

眼鏡のつるは耳にかかっていないのです
2004年01月13日(火)

ヨミネちゃんと紅茶を飲む。
ヨミネちゃんの書いた小説を少し読ませてもらったら、すごく面白かった。

家に帰ってきたら、くうと眠ってしまった。
どうやら風邪を弾いたらしい。
くらくらして、のどが痛い。

でもすぐに気力が湧いてきて、夜中にカレーを食べた。
やがりバカなのか。




2004年01月08日(木)





そうですか
2004年01月03日(土)

暑い国へ行きたい。
とことこ歩きたい。
夜に詩集を読みたい。

日焼け。
骨接。

水玉模様のひとつひとつに世界が入っている。

「真実のマレーネディートリヒ」という映画を見る。
泣いた。そんなに泣くものでもなかったとも思うが。

最近読んでいるのは「長距離走者の孤独」。ライ麦みたいな感じだ。

りんごの芯の窪みのところに何か入ってる。

奇数のボタン穴。

ファスナーというファスナーを滑らないようにしてやる。

おみくじに全部「大」と書き込み。

バーコードを読めるんですか?

今年こそ、聖書の謎を解読。




キノコ
2004年01月02日(金)

最近、頭が重いときがあるなあ、と思っていたら、気が付いた。
おだんごにするのにあめ玉みたいなゴムで結んでいたから、これが重いのだ。

それで髪を切ってしまった。
新宿の美容院が開いていた。

そしたらキノコみたいになった。
なんでかなあ、と思うに、丸顔だからだ。
でもこれはこれでかわいいかな。

美容師さんが最後にあめ玉みたいなゴムを返してくれた。
あめ玉みたいなゴムはきらきらしていた。



おばあさん
2004年01月01日(木)

腕をくにゃりと曲げて、
妙な姿勢で横になっているとき、
このままミイラになったら面白いな、
化石になったら後世の人が笑うか、
と思う。

ミイラになるとしたら、
このおっぱいもなくなるのか、
と、指でつついてみたら、
プシュウと空気が抜けていく気がした。

いや、これは本当のことなのだ。
私は確実におばあさんになってしわしわになる。
その前にも、30代になったら体の形が変わるだろう。
いまの形はつかの間の夢か。

ああ、だめだ。このことを考えるのは。
宇宙の芯に吸い込まれそうだ。
このことを考えるのは怖すぎる。
考えてはいけない。
空気の抜けた後の体が、彼方にふっとんで行く。
ブラックホールに飲み込まれそうだ。

何でこんなに怖いのだろう。
実は体型に自信があってそれがなくなるのが怖いのか、
あるいは、
女でなくなることが怖いのか。

いや、
おっぱいだけでなく、
脳みそだってなくなるのだ。
いつかは中年女性のような考え方をするようになるのか。
そして消えてしまうのか。

私は幻影。
クリオネのように半透明の体に感じる。

おっぱいは、幻影。
二本くっ付いている足は、
どこへも歩いて行かないから、幻影。
手は、パソコンしかいじってないから、幻影。
髪は、もうすぐばっさり切ってしまうから、幻影。
目は、コンタクトを通してしか見られないから、幻影。
舌は、舌ばかでおいしいものがわからなく、雰囲気で「おいしい」とか言ってるから、幻影。
睫毛は、マスカラを塗るから、幻影。
おへそは、使っていないから、
最初から使っていないから、生まれていないから、幻影。

例えば、ここに赤ちゃんの写真が一枚ある。
この赤ちゃんが私であるという証明はできるのであろうか。

私は赤ちゃんではなかった。

最初から幻影だった。

若い気でいるけれど、今も私はおばあさん。

私は半透明。
くらげ。

あの、大量発生して漁師を困らせている、
魚の網に引っかかっている、汚い半透明の。

あれが私だ。

女でもない。男でもない。思考もない。

この瞬間も私はおばあさん。



無口でわがままで、とげがあったり甲羅があったり
2003年12月29日(月)

私の夢の中には、「無口でわがままで、とげがあったり甲羅があったり」というものがものすごい頻度で現れる。
それが私っぽいものであることもあるし、他者であることもあるのだけども、「無口でわがまま」とそれに対してかならず思うのだ。つまり、うまくコミュニケーションがとれない、というのが最大の難関なのだ。

例えばこんな夢だ。

私は地味な女の子だ。
そして、10階建てのデパートで買い物をしている。
レジで私の前に並んでいる男の子は、背が高くて、体が大きい。坊主頭で、アロハシャツを着て、靴はセーラームーンの絵が描いてある子供靴のようなものを履いていて、ちょっと風変わりだ。
その男の子は買う段になって、自分の財布がないことに気が付いた。ハンガーのようなものを買いたいらしいのだけど、店員の前で、ポケットを探ったりしてあせっている。
男の子はパニックになっているようだったので、私が「じゃあ、私が払って置きますよ」と言ってお金を払った。
男の子は私に対してはうまくしゃべれないらしく、「〜〜〜」というようなことを言う。私にはあー、とかうー、とか言っているようにしか聞こえない。
でもたぶん、ありがとう、とか、ちゃんと返す、とか言ってるんだろう、と思って、住所も聞かないのに信じて、そのまま別れてしまった。
しかし、私は、エスカレーターで3階まで降りたときに、さっきの男の子の財布が落ちているのを見つけてしまう。なぜわかるのかはわからないけれど、私にははっきりと持ち主がわかるので、すぐにハンガーの売り場に戻ったのだけど、いない。さらにエレベーターを上り下りして捜すと、いた。
「財布みつけたの」
と渡そうとすると、「〜〜〜」と押し返す。
「どうして?」
と聞くと、走って逃げ出してしまった。
私は途方に暮れて、仕方なく財布をちょっと開けてみると、中は10万円ぐらいの札束だ。これは渡さなきゃ、と思い追いかける。
私たちは10階あるエレベーターを上り下りして追いかけっこする。
男の子は足が速い。
見失ってしまった。
10階の非常口階段を上ると、ひみつの11階があることがわかった。
11階は、なぜか普通の人の家だった。と言っても高級住宅風だ。
そして私の友達らしい設定の女の子がいた。その女の子は美人でブランドのバッグを持っていた。私はその子の聞き役のような設定らしく、急に二人で何かを話し始めた。要は、その女の子は今日、彼を自分の家に呼んだのだけど、現れない、なんなんだろう、と私に愚痴っているようだった。私は「わかるよ」とか「それは男の子が悪いよ」などと相槌を打っていた。
すると、さっきの坊主の子が現れた。
女の子は「なんなの?時間にも遅れるうえに、坊主は止めてくれって言ったじゃない。お母さんに紹介するのにアロハシャツってなに?その靴、なに考えてるの?」
などと怒る。この坊主の子が彼氏らしい。坊主の子は言われてることを気にも留めずに他の事を考えている風なので、私は可笑しくなってくる。
お母さんが現れた。
お母さんは中村玉緒だった。

他にもあるのだけど、今日はこれだけ書いて力尽きてしまったのでまたにします。今度、とげ、や甲羅、の話をします。

あと、今日見た夢はこんなだった。

私は年下の仲の良い女の子(らしい)を自転車の後ろに乗っけて運転している。
女の子がふざけて危ないので、つい、「おまえなんか死んじゃえ」と私は言ってしまう。
女の子は手を離して落ちようとする、私は必死に手を捕まえて「ごめん」「ごめん」と言うのだけれど、女の子は黙って落ちようとする。
恐ろしかった。

私の怖い夢は、決して私は被害者でなく、加害者だ。
何かに追っかけられる夢は見たことがない。おばけや怪物も出ない。
私が何かをやってしまう。



すばらしい日々
2003年12月24日(水)

すばらしい日々だの、ヒゲボーだの、働く男だのが頭に浮かぶので、ユニコーンのCDを借りてみた。

仕事が少し大変なのかもしれない。
15日から29日までは全出勤で休みがないので、多少やつれたか。
でも、戦争や甲子園に比べると、ぐっと楽で、精神的にも安定はしている。

「眠ることしかできない」って、どうってことのない詩のようでいて、かなりえぐってる。「世界一の悩める人さ」ってそんな大げさな、でもわかる。
「男には辛くて長い二つの道が」って、女だってそうだよ。

女子校の人は文化祭で、自分たちで考え自分たちで材木を運んでいる。
しかし、共学だと、男の子に重いもの持ってもらい、しきってもらい、女の子はスポイルされてしまう気がする。
よく男の方が力が強いというが、本当だろうか?
もし強いとしたらどれくらい?
客観的な数字もないのに、よく頼れたな、と思う。

女の子は楽なようでいて、わりとかわいい女の子でも、いつまでも味方でいてくれるような親は決していないし、いつまでも側にいてくれる男の子は絶対いない。

材木を運べ。

今の時代、ダンナが相当稼ぐ人でもなけりゃ、専業主婦になる人っていない。

離婚するにも財力がなければできない。

経済を置いておいても、精神的な面のサポートをしてくれる人というのは、はっきりいうが、いない。(絶対に現れないという意味だ)
自分で考え出し、自分で選び、自分で賛同し、自分で応援し、自分で励まし、自分で反省する。

AERAで若者の格差の特集をしていた。「負け組」だの「勝ち組」だのという言葉が大嫌いだった私だけれども、「この言葉は嫌いだ」というだけで済ますことができていた学生時代を懐かしく思った。

不景気といっても、まだまだ裕福な日本だが、生きていくというだけでも難しい。

そういえば、第二次世界大戦の死亡者と、今の自殺の死亡者は同じくらいだという。

サバイバルというのは、考えている以上に難しいのかもしれない。

一生このお給料じゃ子どもも産めない。(シングルマザーになる気満々なのだが)




もちろん悲観している訳でなく、やる気になっている。

誰かと出会い、誰かを大切にしたい。
食っていける程度、稼ぎたい。

なんだかんだいいてすばらしい日々ではある。




2003年12月23日(火)

時間が大切じゃない人なんていない、としみじみ思う。

電車のなかで、私はノートを広げる。これはあんまり他の人がしているのを見たことがないので、誉められたことじゃないのかもしれないけれど、車中で日記やら小説やらを書く。立ったままでも書ける。他の人にちょっとくらい見られても平気だ。よく「公の場の個室化」なんて言って、化粧する、などのことを批判されるけど、私もそういうことなのかもしれない。

まわりの人もいろいろなことをしている。勉強している人は意外と多い。環境問題、商品管理、語学、カラーコーディネート、美術品、薬学、顧客管理、その他さまざまな本やプリントを広げて人々は勉強している。もちろん、携帯をいじったり、ヤンマガを読んでいる人なんかも多いけれど、電車の時間を貴重に思っている人は実はかなりいるはずだ。
勉強している人、というのは学生ではない、明らかに働いている人たちだ。

おそらく、人というのはメシ食うだけじゃ生きられないのだろう。
勉強したい、というのが生きる上で必須なのだろう。
もしかしたら、南の島でなんかはそんなことはないかもしれない。
でも、日本でサバイバルしていると、勉強したい、という欲求を退けるのは難しいのだと思う。

私は、多くの人と同じように、勉強は嫌いだ。でも勉強したい。
それは、どこに行きつく当てはなくても、精神安定のために、「勉強している感覚」というのが必要だからだ。
日本にいて、文化と触れ合わず過ごすと、置いてけぼりの感覚を味わわずに落ち着いているということがかなり難しくなる。

30歳になっても、40歳になっても、それは変わらないだろう。

余裕があるから勉強しているわけではなく、かなり精神的にぎりぎりになったために勉強している、という人が多いのではないだろうか?


ところで、私は最近、松浦理英子の小説がすきだ。
それから、ガブリエル・バンサンの絵本。


空を見ていると、どこをみているのかわからなくなるときがある。
ビルを見る、木を見る、それならわかる。
でも、空はどこまでも続いている。焦点の合っているのは大気圏なのだろうか。
或は、宇宙までも見ていることになるのだろうか。



睫毛
2003年12月22日(月)

太すぎるうどんは細すぎるうどんと同じだ。

多すぎる肉は少なすぎる肉と同じ。

ところで、もうこれ以上モスで「クリスモス」という言葉を聞きたくない。




2003年12月21日(日)

Q温泉旅館の部屋に入ったときに最初においてある、2、3枚の甘いおせんべいが食べたい。
私はそれが大好きで、帰り際、親にねだって箱入りのを買ってもらったりするのだが、どうも味が違う。
部屋においてあるのがおいしいんだよな。

Qラップ調の寒いコーヒーのCMがあるが、あの寒さは決してラップのものではなく、米倉涼子のものだ。
その証拠に、サトエリと矢田のみのバージョンを想像してみて欲しい。幾分、寒さがやわらぐはずだ。

Q虎ノ門。
いといせいこうのクール過ぎる司会。
進行重視で切り捨てていくのは、面白いことは面白いが、やりすぎると、芸人殺しだ。

Q頭文字にQあることが気になっているかも知れませんが、まったくクエスチョンになりませんでした。







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