最近ナルトを食べていないなあ、と思う。 子供の頃はよく食べたものだ。 ホームレスの人の自立のために、雑誌を売る、という試みがあるのを前にニュースで見た。 大阪の方の話で、まず何冊かの雑誌を無料で受け取りホームレスの人が街頭で売る、その売り上げで次に売る雑誌を買う、それを売ると歩合で収入になる、というものだったと思う。 頑張って欲しい。 ジョンソンエンドジョンソンが6歳までの子持ちの女性社員に年間30万の援助金を出す、用途は自由、と新聞に載っていた。 すげー、と思う。 この前、デブラヴィンガーをさがして、という映画を見た。 ロザンナという女優さんが他の色々な女優さん(40歳を過ぎて、年齢や家庭との両立に悩んでるような)に話を聞く、というルポタージュのようなものだ。 ロザンナというのはグランブルーに出てた小鹿みたいにかわいい女の子だった。もう40歳なのかあ、と思った。でもそんなに変わってなかった。 家庭との両立と言っても私にはピンとこないし、子供、というのも、私の母は私を32歳、妹は39歳で産んでるので、私自身もまだまだ、という感じがする。私の体のこともわからないし、出会いでもあるので、まあ今は何にも考えていない、という感じだ。 で、この映画を見た後、何でだかしらないが、TBSのカメラが来ていて、アナウンサーが一般の女性3人にインタビューするトークショーなるものが始まり、30分も費やされて退屈した。 ぼんやり聞いていて思ったのが、きっと40歳くらいの人って、「男社会で生きていかねば」「子育てって大変」「女は大変」とか思っちゃってるんだろうけど、20代の人はたいてい「女って楽」「べつに力入れて生きていこうと思わないし」「女の方が出産も体験できるし、人生選択肢多いし、まわりからも大切にされるし、楽しい」と思ってる人が多い感じがする、ということ。 私も「男の人の方がたいへんだろうなあ」と思う。 男の人が一日女の子になってみたら、待遇の違いにびっくりするんじゃないか、という気もする。色々な場面で。だって男の人は女の子に優しいし、女の子も女の子には優しいから。 それに女の子だと、たとえばふらふらしていても許されることが多いけど、男の人には世間の目は厳しい気がする。 その分、勉強できていることも多いだろうから、女も勉強しなくちゃ、と思う。 まあ、力抜いて、やりたいことは通して、楽しく生きて行きたい。
仕事が終わって雨上がりの外に出たとたん、冷たい空気に包まれる。ばかみたいだけれど、生きていてよかった、と思う。 傘はすきじゃない。 長袖も。 私という存在がなんなのかはわからないけれど、火星を見つける目、乾燥した外気を感じ取れる肌、それを統合する脳があって、しあわせだ、としみじみばかみたいなことを考えた。 家では父が寝ている。 38度9分とのこと。 私は自分が病気したことないから心配でたまらなくなる。 何度もどうでもいいことを言うために覗いたら、うるさそうにしていた。 特に、ブッシュの前はクリントンだよね?とか、クリントンの前はレーガン?、カーターは?と聞いていたときがうるさそうだった。 最近、私も年とったが、父母も年とった。 依然の彼らではない。 体形も、喋ることも。 私の父母の像はきっと一生私が小学3年生くらいの、彼らが40代前半のときの顔。 今はその顔と違う。 この前母が旅行に行くといい、そのために来て行く服を悩んでいろいろな服を着てみせてくれたが、その体形に私はびっくりした。 彼女は昔の写真を見ると、パーツパーツは私と似ているのになぜか美人。 そしてほっそりしていて、お洒落さん。 私は母の古着をよく着ていた時期もあった。(それらは本当に可愛かったが、私には小さすぎてきれないものも多かった) しかし、今は違う。 妹も変わる。 「急にエンジンが作りたくなったときのために理数系を勉強しておけばよかった」 とのこと。 「エンジンって知ってる?」 というので知らないので説明してもらったが、 「ばんばん爆発してポンプが上下する」 などと言っていっていてよくわからなかった。 だんだん妹の方が頭が良くなって行く。
眉毛の手入れはもうしない。 フリーダ・カーロみたいに繋がればいいなと思っている。 最近、髪の毛のこともなんとも思わない。 目のことも。 年をとって情緒が安定しなく、お酒を飲んでも眠れず、よく理由はわからないのだが、めそめそ泣いたりしているので、翌日目が厚ぼったくなっていることがあるのだけど、まったく気にならずに会社に行ける。 若い頃だったら「こんなんじゃ学校行けない」なんてところだが、今は、 「どう思われたって構わねえよ。お前らだってこんな日ってあるだろ」 ってなものである。 よく見れば誰だって目ははれている。 フリーダ・カーロのこと。(メキシコの画家で、眉毛が繋がってる) 映画がとても面白かったのだけど、絵画展はみなかった。 東京でも、その後大阪(ちょうど旅行に行ってた)でもやっていたのだけど、もう終わってしまった。 もう一生みる機会はないだろう。 文学フリマというイベントを青山ブックセンターで去年やっていたのを見て、「またあったら私も出展しよう」と思っていたのに、ぼんやりしている間に締め切られてしまった。 こんなことばっかりだ。 ぼんやりしている間に月日は過ぎ、私はもうおばあさんだ、つらい。 胸がくるしい。 人ともうまく付き合えず、失礼なことばかりしてきた。 あやまったりありがとうと言ったりしたいが、 誰もそんなことして欲しいとは思っていない。 ひとりよがり。 ああ、ひとりよがりということは、今まで色々な人に50回くらい言われた。 おばあさんになったということも、人にとってはどうでもいいことだ。 もう言わない。 人の話がしたい。
私は一生ふざけつくすだろう。 ふざけてもふざけてもまだ足りない。 まじめな場面で他のことを考え、他の人が一生懸命なときに私はいたずらするだろう。 金持ちになることはないだろう。 出世もしない。 よく考えると私にそんな欲はない。 ただ、わくわくすること、きゅーんとすることを求めたい。 人間の秘密を知りたい。世界の中の永遠の場所を見つけたい。 まわりと歩調を合わせたり、認められること、あるいは見返すことを考えていると、死ぬときに後悔するように思う。 私は役人も売春婦も一緒だと思うから、とくに上に行きたいとは思わない。 きっとほそぼそと世界のはしっこでひとりぼっちでものを書いているだろう。 ひとりぼっちということ。 自虐的にたまに思うことだけれど、よく考えるとかなり実際的なことだ。 本当にひとりぼっちでやっていかなければならないのだ。 この前作った人生の計画表に沿って、誰にわかられることもなく、ひとりでやっていく。 誰にも読めない流れるような字を書いて、郵便屋さんにも届けられない手紙を出そう。
「報復」という言葉がどうして大義になるのかまったくわからない。 ところで、自分が大変だということを人にわかってもらいたがっている人って、かわいい。 私は金子光晴の『マレー蘭印旅行』に触発されて、マレー半島に旅行に行こうと考えている。 それから、今読んでいるのは『悪の華』というボードレールの詩集。 訳が古いからか、言葉が古くてとっつきにくいのだけれど、このどろどろした冷たさは好きだ。
戦争に反対だ。
会社のパソコンのシステムが新しくなるので、その試しとやらで出勤しなければならなかった。でも2時で開放されたので渋谷に行った。 Bunkamuraでルトゥーテという人のバラの絵をみた。 ボタニカルアートなんだけど、このロマンティシズムが私は鼻に付く。 マリー・アントワネットの頃の人で、宮廷画家だった人だ。 でも何で花って人を惹きつけるのかな。不思議。 よく見るとエロな気もする。 それから中平康という監督の「月曜日のユカ」って映画を見た。 加賀まり子がぐっと可愛かった頃の映画だ。 ストーリーがくだらなくわけわかんない。これがおしゃれといわれればそうなんだろうけども。 加賀まり子と中尾彬のあまりの可愛さとあまりのかっこよさに笑っちゃう。 ところで、私は「自信を持っていいんだよ」だの「失敗してもいいんだよ」だのという言葉が大きらい。何できらいなのかわかんないけど、虫唾が走る。 最近そういう本も多い。正方形のハードカバーでちっちゃいような本。 恋がなんたらかんたら、とか。 「大きなお世話」って思っちゃうのかな。 ああいう科白ってみんなわかってることなのにいちいち本で読むのもよくわかんないし。 自分に都合のいいことばっか書いてあるような本を読んで、自信をつけるとか、そういうところに甘えを感じちゃうのかも。 あれ。なんだか私辛口になってきました。
お風呂というのはいいものである。 たいへんさっぱりする。 みなさんもむしゃくしゃしたときはお風呂に入ったらよいと思われる。 またもう一つみなさんに勧めたいものがある。 それは私の水健康法である。 それは水をがむしゃらに飲むというものである。 そのおかげで、新陳代謝の活性化により体の調子がよくなり、脳の伝達もスムーズになるから気分がよくなり、ダイエット効果もある。 この効果は半分くらいは想像である。 私と食事経験のある人はご存知と思うが私は食事中も水を何杯も飲む。 またかばんの中には常にペットボトルが入っている。 ばかにする人もあると思うが、是非試してみて欲しい。
上野の森美術館で「ピカソ・クラシック」を見てきた。これはとくに何も感じなかった。 私が鈍いだけなのか。 ただ、これはピカソの古典派時代の絵なので、他のピカソの絵だったら何か思うかもしれないな、と思う。 とりあえず、絵への執念や努力、自分のことが好きそうなのは感じられた。 それから渋谷のBunkamuraで「フリーダ」という映画を見た。 これは素晴らしかった。 半分くらいの時間、見ながらひとりで泣いていた。 メキシコの女性画家の話なのだけど、女優さんも音楽も絵画との組み合わせも素晴らしい。 そして泣いてしまう。 18歳でバスの事故に遭い、全身の大怪我。 共産主義。 それから画家との結婚。 そしてこのだんなさんがどうしても浮気してしまう人で、 絵のモデルとはもちろん、とうとうフリーダの妹とも寝てしまう。 これは見ていても気持ち悪くなる、目の前が真っ暗になる出来事だ。 フリーダは髪を自分で切って男装したりする。 まあ、その後もいろいろある。 全身の痛み、妹と夫の浮気など、自分は経験したことのないことなのだけど、なんとなくそれがわかる。 自分のような平凡に生きてきた身でもわかるのだから、おそらく世界中の大人がこういうことは分かることなのだと思う。 孤独であること、痛み、それから優しさ、愛しさ、そんなことが。 それから恋というのはおそらく、生きていて何十回と味わうほどのことだろうと思うけれど、愛情を感じるのは一生でひとりくらいなのかもなあ、とぼんやり思った。 ともかくもこの映画はおすすめです。
生まれ変わるなら19世紀末がいい。 世紀末を嘗め尽くしたい。 オーブリー・ビアズリーという画家、おそらく 「黒の線が強烈な悪魔的な絵」 といえば、見たことがあるような、そんな画家だと思う。 画家というよりもイラストレーターといった感じもするけど。黒の圧迫感、繊細な線にひきこまれちゃう。 この人、えーと、いくつだっけ、20代なかばで夭折してしまった人なのだけれども、私は夢中。 子供のころ、こういう絵が怖かったなあ、と思い出す、でも今が、ぐいっとひきつけられる。 19世紀末では、クリムト、そしてエゴン・シーレという画家がいるけれど、どちらもぐいっとひきこむものがある。 クリムトはロマンティックな感じ。エロティックなのもある。 エゴン・シーレは独特の歪んだ線が強烈な絵だ。ご存知ないという人でも、見ればわかると思う、それが上手く説明できないけれど。 エゴン・シーレは、本人の写真を、むかし部屋に飾っていた。なんか美少年だ。 たぶん好きな人は多いんじゃないかな、と思う。 人の魅力って、歪み、だけじゃないかなあ、と思う。 だって、いろんな考え、いろんなセンスがあったりしても、正統派みたいなのはそんなにひかれないでしょう?学級委員みたいのはそれほどでもないでしょう? 歪んでるとこにぐいっとひきこまれてるんだろうなあ、と思う。 それで、ビアズリーにしても、あの歪んだ感じの、大人になった私はひかれるんでしょうなあ、と思う。 図書館の本なんかで見たりしてるだけなのだけど、いつか本物が見れたらなあ、と思う。
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