まぼろし。 ところでお金が手元に無いことを嘆くこともない。 金は天下のまわりものなので、 自分のものでなくともよし。 そこにあるお金はいつかは私のもの。 ここにあるお金はみんなのもの。 私はあぶく銭が入ったらみんなで寿司を食う。 それから足の膝の骨の裏にフジツボがびっしり。
最近興味があるのは浮浪者のことだ。 どうしてそうなるのだろう、きっと、自暴自棄になるからだと思う。 本当になにもかもどうでもよくなる時というのがあるのだと思う。 そういう人間の弱さは計り知れない。 弱さをじっと眺めたい、と思う。 そういう、弱さには昔から興味があった。 弱さを捨てて強くなるのでなく、 弱さをじっとみつめる強さが欲しい。 ところで話は変わるが、人生の岐路で選ぶ基準、というのがあると思う。 私は「どちらが面白いか」で決めようと思ってる。 まあ、テリー伊藤が言ってたのだけど。 で、こういう基準って、まあ、人それぞれだと思うのだけど、 例えば、すごく過保護な親がいて、あれをするな、これをやれ、この人と結婚しろ、等々言うとする。 で、私はその人がいいと思うなら、親の言う通りにしてもいいと思うのよ。 ただし、後で絶対親のせいにしないという自信があるのなら。 後で「あれをやらなかったのは親のせいだった」と言わない自信があるのなら。 後で親が「やっぱり私達過保護過ぎたわ。これからは私達は私達で生きるから、あなたはあなたで生きなさい」とすっぱり態度が変わっても、 すぐにひとりで生き始めて、親を恨まない自信があるのなら。 例えば、授業の時間割を彼氏と決めたとする。いいと思う。 で、その後、別れちゃって、彼が他の女の子と授業に出ている横で、ひとりで授業を受ける自信があるのなら。 私の感覚で言うと他の人の考えが入って、物事を決めると、リスクが大きい。 純粋な自分の考えで決めたことの失敗は凌げるのだけど、 他人の考えがちょこっとでも入ると、 「あの人がああ言ったのに……」 と思わずにはいられない。 物事を決める時は、悩んでる段階では人には喋らず、 ひとりっきりになって考えて決めるようにしようと考えている。 「自分の面白いことは何かな」って。 他の人が色々言ってくれても、期待はしないの。 手の平反されても文句を言わないように。 それから、「テトリス理論」っていうのがあって、 テトリスやってる時に、 ブロックが落ちて来て、自分は「ここの間に落とす」って思ってるのに、横の人が「これ、こっちだよ」と違うことを言うと、 自分の考えで行こうって思ってるのに、やっぱり耳に入っちゃって、曖昧なとこにブロックが落ちちゃうの。 難しいね。 取りあえず、自分は他の人が何かをしている時、それが自分の得意分野のことでも、サジェストはしても、教えたり、「こうするものだよ」などは絶対言わないようにしようと思う。 そしてどんなに仲の良い人でも、余計なことは言わない。 みんな頑張れ。
私は自分の強い腕で、強い足で。 世の中で重要なのは、自分でどうにか出来ることだけだ。 自分にどうにも出来ないことは重要じゃない。 組織は何もしてくれない。 他の人は絶対何もしてくれない。 やさしくされても、それは、偶然お互いのニーズが合った時の魔法であって、 ずっと続くと思ったら大間違いだ。 私は何もかも自分のことは自分で決めて、出来るようにしよう。 絶対、人は信じないし、期待しない。 自分の腕と足に自信を持って、責任とやさしさと広いココロと眼があるように。
顔をゆがめれば、世界もゆがむ程の青空。 カタカナから変体文字を経て、ゆっくりとひらがなへ。 漢字もかけます。 未来文字はまだかけません。 最近、見たいな、と思うのは能です。 能、見たことがないので。 それから、気になるのは「不浄観」。 「不浄観」というのが、いったい、何なのか、よくは知らないのだけど、 谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』に出てくる話で、 平中が、洛外の死体置き場によく出かけて、不浄観を極める、とか。 私自身は、よわっちい人間なので、汚いものには目を背けてた。きれいなものをたくさん見たら、自分の心象世界もきれいになると思っていた。 しかし最近、汚れたものでもじっと眺めることが出来るようになってきた。 考えたくないことを考えることも出来ると思う。 それから人間の弱さ。 人間の弱さをじっと眺めたい。 汚いものはきれいなものと同じくらい、心を動かすと思う。 今までの自分の、そういうのを避けるような、ちょっとお嬢さんぽい所が本当に嫌いだ。 もっと汚れたい。
ホント、カタカナデシカシャベレナイカラネー
サイキンネットカンキョウガワルイ デモガンバルゾ
先日、変な髪型になったことが母にばれて、 「それ自分で切ったの?」 と聞かれた。 その後、 「それは自分でそうしてくれって頼んだの」 等、と何度も聞かれたので大変いらいらした。 「これ、また切りに行った方がいいかな」 と聞くと、 「また行っても同じ人ならおなじようにされるんじゃない? もう切ったんだから、しばらくそれで過ごしたら」 と言われた。 それもそうだと思ったので、これに慣れるようにすることにした。 変な髪は切ればいいという考えはよくない。 がんは切れば治るというものでもない。 いじめっこを追い出せばクラスがよくなるわけじゃない。 社会はそんなに単純には出来てない。 いじめっこがいなくなれば、また新しいいじめっこが生まれるだろう。 新たな問題が生まれるだろう。 悪はなくすのではなく、馴染ませるのだ! がんは切らずに治すのだ! 髪は切らずに括るのだ! もっとピンで止めてやることにする。 髪型気にするキャラでも顔もないしな。 でも切り口っていらいらするよ! 例えば、カマボコの途中でためらいのある切り口って嫌でしょ?
思いの他、時間が空いてしまいました。 その間に、えー、 誕生日が15日でした。 それから、パスポート取りました。 あと、関内で海見ました。 海! それから鎌倉に行った。 銭洗弁天で銀行のカード洗ったら、お金引き出せなくなりました。 マンドリン弾きました。 おなかがすきました。 厚着をはじめました。 背が180になりました。 関節は相変わらずです。 鳴りません。
何かというと、譜面台を買うのを忘れていた、ということである。 9/7、8に仙台のジャズフェスティバルなるものに参加して、マンドリンの演奏をしてきた。 そして私はそれに際して、譜面台を買って用意する、と約束していたのに、何故かそのことをすっかり忘れていて、出発の前日の夜中に思い出したのだ。 「譜面台買ってない!」 次の日の朝、母に相談すると、 「絵を描くやつならあるけど」 とのこと。 私はそれに賛同して、油絵用のイーゼルを持ってでかけた。 実際に弾く時も、それで弾いた。木で出来ていて、大きいイーゼルは目立っていたと思う。譜捲りもしにくかったと思う。申し訳無かった。しかし、心の中では可笑しくて仕方なかった。 そして、牛タンを食べた。 そして、次の日、松島に行って、海を見た。 船に乗って、かもめにえびせんをあげた。 怖かった。 噛まれた。 私はここ一週間ぐらいの中で最高のテンションだったと思う。 楽しかったのだ。 昨日はベーグルを食べた。 それから、本当はドラえもんという人に会った。 夏が終わったが、夏に着ようと思っていた、白いワンピースを一回も着なかった。 予想はしていたが。 そして、今日、村上春樹の新作、『海辺のカフカ』が発売された。
明日から仙台に行ってマンドリンを弾く予定だ。 しかし今になってあることをすっかり忘れていたことに気がついた。 このことを明日、人に伝えるのかと思うとユウウツだ。 そのあることとは何かと言うと
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