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今は昔、物事がわかるまで、戦争は無条件に悪、日本悪、他、無意識の内に否定的な見方をしていた時期があった。多くは今でもそうだろう。 だから、相変わらず首相はこの日に及んで、「近隣諸国に迷惑かけました、もう戦争は起こしません」などと談話して自己満足している。あまりな歴史認識の無知である。 先の戦争のきっかけ、アメリカからの最後通牒、俗にいう、「ハル・ノート」はハルが書いたものではなく、ハリーホワイト(財務省次官補)という、米政府内部に深く入り込んだ、共産主義者でソ連のスパイだった人物によって書かれた事がわかっている。もちろん、日米を戦わせ、相殺させて共産主義を広めるために。当のハルはいやがっていたらしい。後に「こんなめちゃくちゃなもの(ハル・ノート)を突きつけられたら、小国のモナコ公国でも宣戦布告するだろう」といっている。 戦争を始めた、張本人で悪党のように思われている、日本側の首相で大将でもあった、東条英機は最後の最後まで戦争回避のために動いていた事もわかって来た(東条英機供述調書。GHQはこれを発禁処分第一号にして,日本人の目に触れないようにした。最近本になって出た)。 時のアメリカの最高司令官、マッカーサーは昭和26年五月三日、米軍上院軍事外交合同委員会で、はっきりと、「日本が戦争を始めたのは、侵略ではなく、自国の安全保障のための防衛戦争であった 」と証言している。 小泉首相は、これらの事を知ってもなを、世界中に悪かったと言い続けるのか。 今年、日露戦争100周年、大東亜戦争60周年。先人達のご苦労を偲び、15日靖国参拝した。靖国神社では、西村真悟さんの呼びかけた人達に混じって、正式に昇殿し参拝した。 普段はネクタイを締める事少なく、ほとんど真夏のネクタイ・ジャケット姿は、拷問に近かったが、やむにやまれぬ開戦で、死んでいった人達を思うと、不思議と数時間炎天下のもと(昇殿は社内)でも耐えられた。昇殿参拝が終わり、階段を下りたところで、お神酒が配られた。東京の真ん中とは思えない、蝉時雨の中でいただいたお神酒は、深く胃の腑と心にしみた。 午後からの記念行事で、終戦後日本に帰らずインドネシア独立のために戦った(映画「ムルディカ(独立)17805 」を見るといい。ちなみに、独立記念碑に彫られているこの17805の意味は、日本に感謝して、日本の皇紀「2605(=西暦1945年)8月17日」から、日・月・年で書かれている。)、日本兵(インドネシアでは英雄として祭られている)とともに義勇軍幼年兵として一緒に国のために戦ったアイマド・ダマさんも参拝に来られていて、飛び入りで壇上に立たれた。これを我が国の首相はどう思うのか、聞いてみたい。 8/16 午後 たん譚に載せてから、少し書き換えました。
登山ではない。文字通り富山駅からバスで一挙に室堂まで行き、北アルプス立山室堂から下山した。年一回の親類の集いが、今年は弥陀原高原だったので、せっかくだから,現地集合ということにしてもらって、歩いた。 室堂は、大にぎわいで人でごった返していた。 天狗小屋の情報によると、日本人の登山客は少なく、台湾人の団体観光客が非常に多いとの事で、実際に台湾語が飛び交っていた。大陸の支那人の金持ちは「登山」なんか金輪際しないだろう。何の得もない事を金だしてするわけがない。その点、台湾人は感覚が日本人とよく似て、俳句も嗜む。 ごった返す室堂を後にして、かってガウランド (「日本アルプス」呼称の命名者)、アーネスト・サトウ (英国領事館書記官 後、公使、は幕末富山湾から見た立山連峰の勇姿に感動して、外人で初めて書き留め紹介した。)や、ウォルター・ウエストン (英国山岳協会会員、牧師。 上高地に碑がある)が苦労して歩いた旧道をとった。 ガイド本には、役行者(えんのぎょうじゃ)が祈祷した修験道の道は整備され推奨されているが、選んだ旧道は、X… 現在不通とかいてあった。 が、地図をよく読むと、森林地帯だし、急峻な岩峰群があるわけでもなし、廃道になっていれば、学生時代によくやったように、強引に林道に向かって降りればいい。 そう思って決行した。 何年も山から遠ざかっていたので、登りなしの最初からの下山は膝にこたえた。だけれど、それにも増して、深山を歩く楽しさは言葉に表しようがない。木のざわめき、鳥のさえずり、岩間をぬって流れる沢の音、深い靄、適度の緊張感。旧道には人っこひとりいない。静謐そのものだ。 熊に出くわした時にあわてないように、心の準備をして歩いた。4・5時間の短い山歩きだったが、終盤近く、旧道を来る小学生10人位が一組になった3組とすれ違った。前後を指導員が挟み登っていった。 すれ違いざま、それぞれがこちらに挨拶してくれる。 「こんにちは」 「ありがとうございます」 山では登り優先なので、こちらは、端によけて通り過ぎるのを待つ、その時に言ってくれる。いい子達だった。 ほどなく,弥陀が原に出、ホテルに入った。 翌日は、美女平のブナ林滯を歩き、巨木の下で,ひんやりした微風を感じながら、おむすびを食べ、立山を後にした。
2005年08月06日(土)
象さんゆうり…か?(2)日本人と支那人
70 年前の支那、2005年04月09日(土)六畳襖の下張り の頃の日常茶飯事。 日本人…以下、日 支那人…以下、支 * 芝居見物でみる。 可哀そうな場面、例えば、息子が死ぬ、嵐に家を吹き飛ばされるなど、涙を誘う場面。日 …深く我が身の事のように思い、哀れみ同情し、泣く。他文明国も似たような反応。支 …驚くなかれ、ここで大爆笑が起こる。(古い宣教師や商人の日誌にも同様の話がたくさんある)ところが、金で損した話になると非常にがっくりし、ヘナヘナになる。* チップでみる。 下男又はクーリー(苦力)がよく働いたので、相場より多めのチップを与えたら。日 …素直に嬉しがり、主に感謝する。他文明国も似たような反応支 …こいつは,相場を知らないと考えて、その数倍を要求、恫喝する。* 教科書日 …国を愛する内容であることはあっても、排外的なものではない。(今は逆に拝外的)支 …極端な排外的内容。孫文の「三民主儀」に外国資産に関する件がある。そこでは、「外国人を追放すれば資産はすべて中国人のものとなり、その恩恵は国民全体に行き渡る」としている。そして、山分けしたら一人当たりどれくらいの額になるか、具体的数字まではじいている。* カンニングしてみつかったら。日 …叱責を受け、それなりの処罰がある。支 …ある高校で二人の生徒がカンニングをしたので、アメリカ人の女教師が厳しく叱責した。逆恨みをした二人の生徒が、生徒会や校長とグルになってこの女教師に迫ったため、生徒総会の席上でなんと、謝罪させられたのである。* 恩を受けたら。日 …感謝の心を持つ。支 …恩と感謝は特に関係ないと考える。滯中米国人女性が、奴隷扱いされていた子供を養子にして世に送り出したが、後年、その子は、排外運動の先頭に立ち,その育ての親を殺してしまった。(最近も九州で、親代わりになって、中国人留学生の面倒を見た日本人が、その中国人留学生に強奪され、殺されている) 女医療宣教師の半生をかけた体験 「三十四年も片田舎で中国人のために医療宣教師として勤めました。義和団事件の頃だって病院を離れなかつたわ。私には向いてなかったんです」かれこれ三十年以上も病人を看病し、衛生指導に当たった。が…、希望が持てなくなって六二歳になって帰国。 「ここでは何をしても無意味で、感謝もされないのです。本当に残念です」* 池で溺れる人を見たら日 …反射的になんとかしようとする。支 …数メートル離れた所で人が溺れても、ただ見ているだけである。よくあること。 アメリカ人領事が目撃。揚子江上流でのこと、豚と中国人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も川に投げ出された。岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いた。 (最近も北京の湖で女子学生が溺れたが,誰も助けなかった。逆に、貸しボート屋は、「験(げん)が悪い。「溺れた女子学生の乗っていたボートは、貸せなくなる」と遺族を訴えた。)* 旅日 …別に問題もなく、行える。支 …一人旅は危険なので、必ず知り合いか身内と一緒に行く。もし途中で倒れたりすると、誰も助けてくれないばかりか、身ぐるみはがれて殺される事もある。* 子供が死んだら日 … 子を思う親心は世界共通と思っている。手厚く葬る。支 … 親は平然としたもので、ぼろ切れか何かで包んで問に合わせの木箱に入れ、「どっかに埋めといで」で終わり。葬式も何も出さない。これなどはまだ良い方で、田舎では城壁の外やそこいらにほうり捨て、犬の餌になる。(最近見た、南京大虐殺のやらせ写真の一つに、ぼろきれのように、死んだ子供を片手でぶら下げているのがあったが、まさにそれである。 最近は胎児を食べている写真がネット上に流れている。)* 身内に自殺者が出たら日 …交通事故か、病気でという事にして、葬儀も質素に行う。支 …相手の面子を汚すために自殺する事があり、例えば、嫁が腹いせに自殺したとする。そうなると、実家の連中から法外な葬儀代を迫られる。葬儀は実家が取り仕切り、料理から招待客まで何でも決めてしまう。横暴な亭主を世間の笑い者にしただけでは収まらず、ここぞとばかり高価なものを大量に注文し、事実上破産に追い込むのである。こういうことは今でもかなりの地域で見られるそうである。* 各社会の特色日 …「和」をもって尊しとなす支 …「幸災楽禍シンツァイロオホゥ」他人の災禍を楽しむという意味。「みんな死ね、オレだけ生きる」という心情が社会に強く存在する。 上を参照した本が書かれた時に生まれた人は、今年70歳になる、その頃の国民性・国柄は、果たして変わったのだろうか。今日起こっている事を見ていると何も変わってはいないと思える。まだまだあるが、上はほんの一例にすぎない。 参考文献 * 「歴史から消された日本人の美徳」 黄文雄 * 「暗黒大陸中国の真実」ラルフ・タウンゼント * 「中国宣教師の歴史」 K・Sニフトーレット
はやばやと扶桑社の新しい歴史教科書の採択が栃木県大田原市で決まった。 まずはめでたい。 4年前の教科書で、見開き2ページにわたって文豪、夏目漱石森鴎外を詳しく取り上げたのは、扶桑社の新しい歴史教科書だけであった。他にもコラムの形でいろいろな人物、神話などが紹介されている。 今年の教科書はまだ販売されていないので、どうなっているのかわからないが、良いものは文章がわかりにくいと言っただけで、消し去っていいものではない。 扶桑社の新しい歴史教科書反対派が、「子供たちを戦場に送り出そうとする教科書?」採択反対を叫んでいる。どこにそういう記述があるのか、何ページに書かれているのか言ってみろ。 「戦場に送り出す云々」について言うと この人々は、「権利」を主張するけれどどうやら「義務」については知らぬ存ぜぬらしい。昔日本に一旦緩急あれば、国民の義務として戦場に赴いた。善悪好き嫌いの問題ではない。国家存亡の問題である。(国家がなくても、個人が生きればいいと考えるのなら、その思いの丈をユダヤ人に言ってご覧。自分の国があるという事の大事を、口角泡(あわ)を飛ばしていってくれるだろう。) そういう時は、あげて国(自他の家族)を守る、当然の事である。永世中立国のスイスさえ、最悪のシナリオを考えて、アルプスの山々のどてっ腹深く、各方面に向けて、ミサイルを随所に眠らせている。各個人の家には、「民間防衛」という冊子が配られ、その時に備えている。 今のところ、戦争の心配のないスイスでさえそうなのに、めんどうな国が二つも隣に存在する我が国で、いまだに「戦争」を絶対悪と見なして、それを教科書採択反対の具にしてしまう。「侵略」したから「悪」で、されたから「善」にはならない。世界警察が存在しない以上、自分で自分を守るしか手はない。負ければ滅びるのみである。侵略をはね返す強靭な国力を持った、民度の高い人々がいて初めて平和を勝ち取る事が出来る。 それはさておき、 扶桑社の新しい歴史教科書の他との大きな違いは、「権力者・国家・金持ち」なら悪で、「弱者・びんぼたれ・障害者」なら「善」 とする、マルキシズムのような史観から解き放たれている事である。 大金持ちにも善人はいるし、弱者の中にも悪党はいる。 国家を単純に悪、民衆を善と置くと、必然として、松前藩とアイヌの闘争、百姓の一揆と言うような視点ばかりが強調され書かれる事になる。現行他の7社の史観は概ねそうである 悪しきマルキシズムに染まったおっちゃんおばちゃんは、もうすぐ死に絶える。その後どうするかは、後に続く人たちの責務である。
6月19日に東京の,日比谷公会堂(日比谷公園内)で行われた「人権擁護法案反対の集会に二千人を超える人たちが集まり、その「非」を訴え,内外に問題提起したのにも関わらず,マスコミでとりあげたのは,新聞社では産經新聞社だけであった。 最近個人情報でも保護法が決まってから,何を勘違いしたのか,個人情報保護法に基づいて、あなたがメールで注文した商品内容も、あなたに(本人に)お知らせしませんとメールがきた。ではどうやって注文内容を本人に再確認するのか。馬鹿も休み休み言え。 このうえ「人権擁護法案」が通ったらどういうことになるのか。三権力とは独立させて存在させ,一旦、人権侵害の疑い有れば,警察とは関係なく各個人の家に踏み込む事が出来る強制捜査の権限を持つ組織となる。 あなたが、たん譚が,ご近所に住む人の悪口を半ば冗談でいったとする。言われた本人は冗談だと思わず,人権?を傷つけられたと訴える,そうするとその組織から問答無用て強制捜査され,家に踏み込まれ捜査を受ける事になる。 もっと怖い事に,人権団体はすでに日本全国に散らばって存在し,おまけに朝鮮総連と密な関係に有る。この法案が通ったら,「拉致議連」など朝鮮人への人権侵害という事で即日訴えられ、捜査がはいるだろう。テレビ新聞その他あらゆるところで狩りが行われ,暗黒の世界になることは間違いない。 明日は我が身である。 こんな恐ろしい法律が通ろうとしているのに,チヤンネル桜以外のテレビでは、自衛隊が今日何をしているかを流さないのと同様に、流さない。新聞も一社をのぞきまったくといっていいほど書かない。かっての「拉致事件」の時と同じである。これに限らず新聞・テレビは,文化欄で言えば、自社に関係しないものは流さない。 例えば現在,産經新聞だけをとっている人には,横浜美術館で開かれている「ルーブル美術館展」は存在しない。主催が日本テレビ放送網、読売新聞東京本社だからだ。美術愛好家のためとか,美術文化普及のためにとかで載せる訳ではない。 同様に,読売新聞だけとっている読者には,現在,兵庫県立美術館で行われている「ギュスターヴ・モロー展」は存在しない。なぜか。主催が兵庫県立美術館、産経新聞社だからだ。 <訂正> 上記 部分は、そうでない事を自己確認しました。よって撤回します。ルーブル美術館展は小さいながらも、産經新聞のガイドに載っております。05/07/24 人権擁護法案についててっとりばやく→人権擁護法はやわかり
1997年に醸造し樽詰めして,一年寝かせて瓶詰めしコルクを打って寝かせておいた、カベルネ・ソービィニョン60%,メルロー40%の赤ワインをあけてみた。醸造後,三年経った頃あけた時は心底がっかりした。 全然うまくなかった。リンゴ酸の香りが強く,やっぱり置けばいいというものではない,寝かせておく価値の有るワインではなかったのだと,どうにもならず,一口飲んで あけた残りは捨ててしまった。 ところが,これが七年経って蘇った。美味い! ボルドーのVdP(Vin de pays ヴァン・ド・ペイ)クラスぐらいの味わいは有る。よく一般的には駄ワインは置いても駄目だと言われる。が,実際に七年置いてみた(温度は15 ℃位にて)ら,ちゃんと飲めるワインになっていた。なんでも頭だけで理解して済ませずに,実際にやってみることが大事だとあらためて思った。 感慨に耽っていたら,パリのミシュラン三つ星(よく混同されて五つ星と書かれているのを見るが,レストラン味の格付けの最高位は三つアステリスクで***と表記される。五つと勘違いされているのは,豪華さ の五つフォークナイフマークを間違えたのだろう)有名レストラン「ルカ・カルトン」のオーナー兼シェフ, アラン・サンドランスが、同店をより低価格で気楽なブラッスリー(カフェレストラン)に 改造するというニュースを聞いた。 毎年のミシュランの格付けに、ほとほと疲れてしまったらしい。 これで,一・二年前も自殺者を出しているくらいだから,その心労は相当なものなのだろう。 80年代中頃,「ルカ・カルトン」で夕飯を食べた。新婚旅行を兼ねて3〜4ヶ月ヨーロッパを巡っていたときの事。金はなかった。金はなくても一流店で食べる手だては有る。日本でやると,「一杯のかけそば」になってしまうが,フランスではごく普通に注文できる。値段は半分で済む。ようするに,一人前を二人で食べるのだ。今はそうでもないが,日本人の感覚からすると,あっと驚く量が出てくる。例えば皿にとり丸まる一羽とか。 この時も,* リ・ド・ヴォが一人前が一個(一頭分)だった。 二分の一フルコースでちょうど良かった。 ギャルソン(ウエイター)が,両後ろ,あっちこっちに,うじゃうじゃ二十数人はいて,それぞれが,どこかのモデル雑誌から抜け出てきたような男たちばかりだった。場慣れしていないと気後れして,味わうどころではない。 もう以前ほど,一流と言われる店には興味がなくなり,地方料理店や,大人数がわぁわぁ言いながら集って晩餐しているところ,たとへば,世界で初めてのレストランと言われているプロコープなどで,大勢の中(50人~100人くらい)に埋もれて食べるのが心地よく感じられるようになった。* 胸腺肉。 仔牛や仔羊だけにある、非常に柔らかく淡白な部位。ris de veau無料ホームページ
2005年05月13日(金)
象さんゆうり…か?(1)
「唐の国は、ことに人の心の悪しき国にして、よこしまにのみする」 -賀茂真淵(江戸時代の国学者)- 「中国人は嘘をつくことを恥と思わぬ厚顔無恥」 -新渡戸稲造- カントやモンテスキューも,中国人は嘘つき だと言っている。もっともモンテスキューは同「法の精神」の中で,日本の事を少しいい加減を言っているので、その分差し引くとしても,昔から中国人の評判はよろしくない。 ついでに言うと,朝鮮人はもっと悲惨である。 李朝末期(明治27年ー明治30年)の朝鮮を歩いた英国婦人のイザベラ・バードという人が「朝鮮紀行」の中で,「世界で二番目(一番は北京)に不潔で,朝鮮人というのはくずのような民族で,その状態は望みなし」とまで書いている。 反面日本人に関してはまったく評価は逆である。 こんなにまでぼろくそに書かれたら,朝鮮人でなくても 立つ瀬がない。この人の本が,韓国で未だ発禁本であるのもうなづける。バードは当時としては,教養ある人で他に著書もある。 秦の始皇帝や三国志の話がいくら面白くて立派な話のようでも,日本の各時代の成り立ちとは全く異なものである。日本人で,日本の各時代の天下を取った者たちが,夜盗や盗賊団の親玉だと言われたら,納得する人がいるだろうか。まずいないだろう。 ところが,支那の歴史ではそうなのである。 なぜそうなのかと言えば,こうなのだ。 いつの時代にも不満分子はいる。そいつが一念発起,革命を起こそうと決意して立ちあがり,徒党を組んで王朝に戦争を仕掛ける。そうすると腹が減る。 日本と違って,昔支那では兵隊の家族は,鍋釜所帯道具持って軍と共に動いた。だから支那の軍隊は,三十万とか五十万人以上の規模の組織になる。これが食料調達のため,行軍途中の村々になだれ込み,略奪し,食い尽くす。(南京入城後の日本軍のように,支那人から買ったり,後で払うからと,借用書を書いたりなんかしないのだ。) これをやられると,あの村この町は次の日から飢餓に苦しむ事になる。そこで,仕方なしに村ぐるみ町ぐるみ軍についていく事になる。そうすることで少なくとも餓えはしのげる。 こうして,軍は膨れ上がる。実戦隊はその内、十分の一くらいで,あとの家族などは谷間に隠しておいて戦うのである。だから,支那ではどんな偉い人でも,天下を取った人,取ろうとする奴はみな盗賊と言う所以である。毛沢東であろうがなかろうが,皆同じである。* 「起義」 という言葉がある。毛沢東が,中華人民共和国建国後,使い始めた言葉で,党員教育のための教科書として作つた「中国革命と中国共産党」で「秦の陳勝・呉広・項羽・劉邦からはじまり、漢の新市・平林・赤眉(せきび)銅馬および黄巾(こうきん)、随(x陪の。5/06.01訂正)の李密・竇建徳(とうけんとく)、唐の王仙芝(おうせんし),黄巣(こうそう)、宋の宋江・方騰、元の朱元璋、明の李自成を経て清の太平天国にいたる大小数百回の起義は …」という風に使った。 意味は「農民の正義の武装蜂起,又は農民の武力闘争」である。 ところが,陳勝・呉広以下太平天国にいたるまで、それ以前,中国では「盗賊」と呼ばれていた。 毛沢東が勝手に改竄したのだ。 「造反有理」は,不満分子がいっぱい集まって巨大になってやる反乱の元はと言えば 上位のものが悪いのだから,上の者をやっつけてもいいのだ,経営者を殺して食ってしまってもまぁ仕方ない。象さんは有利なのだ,というわけだ??現中国共産党政権が言っている「愛国無罪」あれと同じようなものだ。 ちなみに中国の「正史」はどうやって決めるか。 結局,前王朝から継承されたものが選ばれるか,君臨した長さ! で決める。 信頼できる正しい事実が書いてある歴史書では全然ない。明王朝を倒した李自成が建国した「大順帝国(1641〜44)」は期間が短いという理由から「正史」には載っていない。 参考文献: 歴史から消された日本人の美徳 黄文雄 * 中国の大盗賊完全版 高島俊男 朝鮮紀行 イザベラ・バード
コンピュータが十日くらい前から,2台立て続けに動かなくなった。ノートブックの方は貴重な映像が入っていた。知る限りの知識を動員して復旧を試みたが駄目だった。かろうじて起動CDでデータは吸い出せたが,ついにハードディスクは認識されずじまいに終わった。今まで解決できなかった事はなかっただけに,相当こたえた。幸い,まだ保証期間中で無償でハードディスク交換できることになった。 デスクトップのほうは,Macに親指シフトの小さいキ−ボ−ドを繋ぎトロンで書くという三つのOSを股にかけるという妙な事をやっていたため凍りついた。 仮名入力JIS標準は,四段にわたってキ−ボ−ドを叩かなければならない。 濁点も別に打たなければならない。「だ」は「た」+「"」と二回キーを叩かなければならない。これだったらローマ字「DA」と同じで「だ」を五千回打つとしたらキーパンチは共に一万回しないといけない。 所が親指シフト (ニコラシフト) だと「だ」は一回(正確には二つのキ−を同時に打つ)でいい。これだと「だ」は半分の五千回キーを叩けばすむ。 この差は大きい。 これがようやっと復旧した。 話変わって,先日大阪の中之島公会堂に「新しい歴史教科書をつくる会」主催のシンポジュームに行ってきた。一階は満員で二階席の端に座った。 出演者の面々がちょっと寂しい気がした。 韓国赴任二十年になるという,産經新聞の黒田勝弘記者が二人分の時間を喋ったために時間は大幅にずれた。当の扶桑社の教科書にしても,これ程なかったことが明らかになってきている「南京虐殺」をまだ載せている。しかし朝鮮での閔妃暗殺は載せていないと黒田氏は言った。審査官が自虐史観ならどうしようもない。載せないと通らない。 今年の合格本すべてから,俗にいう「従軍慰安婦」が消えた。だが小学校高等学校の自虐的史観は旧態依然である。等々 日本人の中国への反撃始まる→日本人の反撃
先日。頼んであった 襖紙(和紙本鳥の子)が手に入ったので、張り替える事にした。10年くらい前に張り替えたきりで、その時は下張りはそのままで上から張った。今回は下張りも新に全部はがして張ろうととりかかった。 幾重にもなった下ばりを剥がしていくと、新聞紙で下張りしたのが出てきた。日焼けした新聞は大正十五年二月十八日のものと二十九日のもので大阪毎日新聞だった。 大正十五年(1926)と言えば昭和一年である。約八十年前である。思わず剥がす手を止めて、読みはじめた。 これが中々面白い。当時どんな風に記事が書かれ、どんな広告があったか以下面白いと思ったものを書いてみた。小学生低学年くらいが読める漢字以外は総ルビがふってある。以下はルビ略。 まず目にとび込んできたのが、廃娼反対 という記事。 全国の貸し座敷聯合艚会が反対している。鎌倉時代くらいから公娼制度はあって、終戦翌年の昭和21年(1946年)に廃止になっているから、この時の反対は通ったのだろう。 世間の事件の類いは「顔きりまた現る」 ~危うく逃げた細君 (嫁さん、妻の事)悪玉金融の判決 十六日いい渡さる 実直に勤めた青年 女に身を誤る 「二葉」に惚れ込んで 主人の金で身請手癖の悪い女中 一度許されたにもかかわらず三栄の蟇口(がまぐち)から五圓紙幣抜いて逃ぐ 荒畑寒村釈放される 現職警官が偽電話で大金騙取 ぼろに包んだ胎兒の死體 木津川運河附近で ★ 顔切りも、悪玉金融も女に身を誤る事も警官が悪い事するのも胎児を捨てるのも、80年前も今も何の変わりもない。人は進歩などしないのである。 荒畑寒村は、日本共産党 の創立に参加。ソビエト(四つの国という意味 現ロシア)へ行き、コミンテルンに創立を報告した。 今は亡き日本社会党 の結成に参加した。 たしか東大生だったと思うが、英訳せよの問題でこの「荒畑寒村」をdesolate field cold villageと訳したアホたれがいたと学生時代に聞いた事がある。 悪玉とか、手癖の悪いとか騙しとりとか、今の三文週刊誌風が面白い。 観劇・催しは紫明會同人作洋畫展覧會 十合呉服店 踊り子サリー・電光男児 舞踏 祭の夜 松竹座★ 十合呉服店 とは今のそごうデパートの前身 紫明會同人 とはどういう会だったのだろう。 新醫學博士 支那人周頌聲氏 大荷物背負った十數名の悪支那人 盗んだ品を持ち出し中その中一人だけ捕はる 物騒がせな贈り物 煙硝と硝石缶詰め 犯人は鮮人か 技手の鮮人殴打 ★ 当時シナ人は当たり前の呼称だった事が分かる。鮮人は朝鮮人の事 その他「佛国カーナックを凌ぐべき巨石遺跡発見さる」 天孫降臨の遺跡地たる日向にて 世界を驚嘆させる大発見 鳥居龍蔵博士前後三回調査 ランラン嬢遂に世界の覇権握る 婦人庭球世界選手権 米のウイルス嬢惜敗 東亜をつなぐ切符 東京ーロンドンが 六百三十圓 萎え行く小鳥王国 天狗は多いが名人少ない「つばめ」を飼えば頭痛がすると愛禽界の迷信 」 永久に咲く殉国の花 第六號潜水艇を 母校の庭へ 小波おじさん等 デンマーク皇帝から勲章 ★ 佛国カーナックはブルターニュ地方にあり、イギリスにあるストーン・ヘンジやドルメンのような巨石群をさす。 小波おじさんが皇帝から何の勲章をもらったかは、読み取れなかった。 広告 健胃固膓丸 家庭に常備、旅行に必携 服用し易き 小粒健胃固膓丸。 りん病 腎臓病 中風ちうき、 京都高辻初瀬川タンス 、 香水線香 花之花 性欲衰弱・神経衰弱 ネオ・ネオ・ヨチノーゲン 注射壹圓五十銭 皮膚治療薬テーム水 インキンタムシ、しもやけ、ひぜん 世界的権威ある蛔蟲駆除豫防 マクニン 日本一のチェインストア 有田ドラッグ キヽメ第一ハナトオール 鹿熊薬巌 守妙モリミョウ 雪を溶かす旭の様にかぜねつを治し婦人冷え込みを防ぎ… 斯界の権威 ダイアナ式 空気銃 青年紳士用十三圓 少年用六圓五十銭 大毎代理部蜂印香麗葡萄酒ー おいしくてじようになるハチブドー酒ぜひどうぞ、まい食前一杯ずつー★ 大阪毎日新聞に京都のタンス店が宣伝している。相当大きいタンス店だったのだろう。薬屋のチェーン店は「ヒグチ」「セガミ」や「マツモト・キヨシ」が元祖かと思っていたがなんの、80年前に有田ドラッグがすでにやっていた。 ダイアナ式空気銃とはどんなものだろう、少年用と紳士用の違いは寸法の違いなのだろうか。たん譚も叔父(エアライフルで国体の出場経験有りの本格派)の持っていた独逸製のポンプ(空気)銃でよくあそばせてもらった。普通、ポンプ銃は銃身下にあるレバーでもって空気を圧縮して、弾を飛ばす。そのため手で10回くらいレバーを上げ下げ(自転車の空気入れの要領で)しなければならないが、独逸製はたった一回で出来た。 鉛の弾も独逸製のは高級感があった。 ハチブドー酒はいまでもある。当時は食前酒として飲めといっている。 この年は、大きな発明が二つ、クロームメッキと航空燃料ホワイトスピリットが開発された。貿易は生糸、米国に向けて日本茶の普及活動 オーストラリアの白人濠洲主義を高唱するダブリュー・マックレオドが日本人排斥は人種差別ではなく、その勤勉さで働かれて、外貨を稼ぎ日本にもって行かれたらわが国は破たんするという恐怖からだと言っている。人口の激増 年々七十五万も殖えて行く人口と書かれている。 現在、北朝鮮の工作船が出入りする清津港 は、日本時代、北鮮朝鮮炭の輸出港として総督府本年度より大正二十年をもって終了する清津港築港計画五十万円に更に四百四十万円を追加して、大築港計画を行なった、と書かれている。 この日ついに張り替え他何にも出来ず終わってしまった。* 最初「六畳襖の裏張り」とつけたが、これは映画の題名で、永井荷風のは「(四畳半)襖の下張り」です。それに裏張りだと中ではなく、文字通り裏側になってしまう。よって修正。(4/16)
不可思議な言動と、出所不明な怪しい人物に世間の多くは注目している。民放に新しい風を吹き込み、新聞を変え、将来はインターネットだけになるといってのけ、* 「教科書なんか変えたってどうということもない」と公言して憚らない。この人物の背後には最近ソフトバンクがいるという説が出ている。yahoobbは孫の会社である。以前から朝鮮関係の写真・話題など勝手に検閲し消されていたのもうなづける。 ソフトバンクの孫正義の弟は北朝鮮にいる。 相変わらず「資金はいくらでもある」と言って憚らない。どこからでているのだろう。 派手な言動、行動をする人はとかく衆目をひく。だがよく観察すると具体的に言っている事は何にも革命的に新しいものはない。フジテレビのディズニーランド化は、今のフジテレビの番組表を見ればもう「完了」している。 これ以上の愚民化番組は必要ないだろう。新聞は「純経済紙」にするという。そんなものはとっくに存在する。どこに新風を吹き込んでいるのか。 会社の名前自体、ドラえもんの「どこでもドア」をもじってつけたものではないのか。新しい事をしたと言えば、世間が眠っている時に、こそこそとコンピュータを使って株を買い占めた事くらいだろう。 水島総 と言う人がいる。この人こそ戦後もっとも新しい事をしたと、たん譚は確信している。去年の夏に知る人は知っているが、まったく新しい形のどこの民放にもないテレビ局をひっそりと開局した。 水島総は、かってテレビ局でドラマや脚本を手掛けた。たん譚が知ったのは、昭和三十年に映画化された、名優加藤大介の南方戦線の体験記を映画化した「南の島に雪が降る」のリメイク版の監督製作したのを見てからだ。 「チャンネル桜」は衛星放送と言う事もあって、今でも世間には知らない人が多いだろう。が、この放送局の出現で、いままで故意に避けてきた朝鮮問題や中国問題の核心をつく報道がなされるようになった。 都合の良い部分だけをカットして流すような事はしない。拉致された横田めぐみさん他に対する、普通の日本人が抱く思いを各番組の幕間に流している。 コマーシャルのスポンサーにも「日本を愛する」という国家意識を持つ事を、最低条件として募集している。この画期的な放送局こそ民放に出てきて欲しい。いままだ100万世帯位の視聴者しかいないようだ。 NHKには払っていないが、この放送局「チャンネル桜767ch」には、月額の視聴料約900円はちゃんと払っている。かって山本夏彦は、人は金を払うとなると番組を選ぶようになり、不必要なものは見なくなるとテレビ番組の有料化を言った。 隠れたヒーロー、以前は考えられなかったような事をメディアですでにやってのけたのは、「ほりえもん」などではなく、水島総 である。* 韓国の中国の教科書は反日に満ちている。でどうだろう、今日の両国民の対日感は。悪意と憎悪に満ちている事は誰が見てもわかる。教育によって人は善くも悪しくも変わるのだ。