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2004年12月12日(日) ついに猪出没す



 この秋、雷鳥(サンダーバード)を食べた。イギリスでとれたものだったが、鴨の胸肉にもっとレバーの重さを加えたものと思ったらいい。美味であった。

昨日 町内の回覧板によると、町内にもイノシシが出没しはじめたので注意してくれ、の記事。ぼたん鍋は丹波で食って以来だから、これから夜、外に出るときは、なたを持って行く事にしよう。

 近くに鹿ケ谷(ししがたに)と言う所がある。ここは、その昔、よく鹿が出た所から付いた名前らしい。今は猪らしい。
ついに異常な気象で、こんな所まで猪が来るまでになった。
多分、度重なる台風で、椎やドングリの実が早々と落ちて、食べ物がなくなって、おまけに暖冬のせいで実が結実しなかったのではないか。それで下界に降りてきたのだろう。
熊も鹿も、山では至近距離で出くわした事がある。
熊の手も、鹿も猪もとても美味い。たん譚に出くわしたら運の尽きと思いなさい。庭から見える、黒谷は、今紅葉している。









2004年12月09日(木) すくう会から



もうこれ以上なめられてはならない。


■声をあげてください−皆様にお願い

今こそ経済制裁を!(メール・葉書送り先)


メールは首相官邸のホームページ 


のトップページ右下の「ご意見募集」をご利用下さい。

葉書は、100-8968 千代田区永田町2-3-1
内閣総理大臣 小泉純一郎 殿

もし賛同されましたら抗議をお願いします。









2004年11月28日(日) お茶の講演会



 いつもは、つくる会(新しい歴史教科書をつくる)の催しなどがある商工会議所の同じ会場で、「台湾茶と日本茶」と銘打って講演・討論会があった。四時間と少しに及んだが、得るものが多くあった。
 出演者は、元台湾省茶業改良場研究員の徐英祥さん、茶研究家の谷本陽蔵さん、食育・料理研究家の坂本廣子さん、司会は関西学院経済学部の助教授、寺本益英さんであった。
 
 話を聞いていても、台湾の人は、本当に日本人と馬が合う。朝鮮と台湾が昔、約50年間日本だった頃(植民地Colonyではなく併合annex)、朝鮮人の待遇の方が、台湾人のそれより上であった。にもかかわらず、敗戦以後、朝鮮人は威丈高になり、少なくとも国やマスコミは反日的になり、日本語を喋る事は忌諱された。
 ところが、台湾人はちがった。大陸本土から渡ってきた中国人の態度風体を見て、日本時代とあまりに違う事に驚いた。李登輝(京都大学卒 注:正確には中退、戦時下の42年に台北高校から京大に進学、翌43年に学徒出陣、日本陸軍少尉として終戦を迎えた)の出現もあって、朝鮮と違いとても親日的である事は、台湾の教科書と韓国のそれとを比べでもよくわかる。また台湾には台湾俳壇があるくらい、日本の俳句が盛んである。
 
 今台湾から中国に飛び火して盛んになっている、「茶藝」も、日本の煎茶道やお茶がもとになっている。
そこで「茶藝」、まことしやかに茶藝で言われている、農薬が付いているので一煎目を捨てるなどはとんでもない事で、現在台湾では行われていない。「一煎目を捨ててどうするか!」、が専門家の言。
ずっと鉄観(冠)音は、烏龍茶だと信じて疑わなかった浅学だったが、今回の講演で、台湾茶は大きく包種茶、*烏龍茶に分けられて、鉄観(冠)音はどうやら包種茶に入るようであった。

 いろいろ学問的な事も面白く聞いたが、特に印象に残った話は、高級烏龍茶のあのココナッツミルクのような、蜂蜜のような、えも言われぬ香りは、*浮塵子(うんか)がもたらすという。

その浮塵子が茶葉の養分を吸い出す時に、蜜の香りなどを葉に移すのだと言う。良い葉は、煎れた後、葉を広げて、ガラス窓に貼付けて光りにかざすと、点々と黒茶色の刺した痕があるという。これは後日確かめた。確かにあった。

台湾の製茶は開かれていて、日本人にも製法を隠さない。ところが、中国では日本人には製茶法は絶対見せないと言う。

 後援会中、徐さんの肩を谷本さんがポンとたたき、
 「こいつは、50年前は日本人だったんだ、そういう関係をふまえて、考えていかないといけない」
 と言った。見ていて微笑ましく、そう言えば、台湾の高山、阿里山に向かう列車の中に貼ってある日台の鉄道記念プレートには日台兄弟ではなく、日台姉妹と書かれてある。兄弟だと、兄が弟より優位な感じがするが、姉妹だと仲の良い、対等な感じかする所からそうしたのだろう。そこまで考えてくれている(都市間では姉妹都市と言うが…)。

 これほどの片思いの台湾より、中国を将来の経済面からだけで重要視し、この前小泉首相は米国で、「台湾独立」を指示しないと言ってしまった。それとは反対に、台湾の重要さをよく知る、石原慎太郎東京都知事が訪れたさい、私は「東方美人」という烏龍茶が最高だと思います、いつも買って帰りますと、その親密さを示した。
 
 一般に日本はアメリカ属国になっているというが、なに、アメリカは靖国神社参拝に反対したり、日本の歴史にちょっかい出したりはしない。いまやどちらかと言えば、中国の属国になっている。主権意識がない政治家が多い日本は、かっての朝鮮がそうしてきたような、事大主義(相手に依存し、強い方につく)に落ちいっている。

*烏龍茶  俗に半発酵茶などと言われるがまちがい。発酵ではなく、カテキンの酸化の度合いによる。

 *浮塵子(うんか) カメムシ目ウンカ科の昆虫の総称 稲の大害虫、小糠虫(こぬかむし)
 
 
 
 
 









2004年11月17日(水) もう一つの戦争展 -日本人としての矜持-



ちょっと紹介するのが遅くなりました。
今週の土日、京都駅前 ぱ・る・るプラザKYOTOで「もう一つの戦争展」があります。
戦争と聞くと、かたくなに否定してしまう人、拒否する人。今日、世界のどこかで戦争は絶える事なく行われており、戦後の60年、日本は米国の核の傘の下。安穏と過ごしてきた結果、拝金主義者、文化享楽者は増え続け、国の危機や、主権などということはそっちのけで来てしまった。
いつの間にか、最高学府、政府、マスコミ、放送局などに日本を内から崩壊させる日本人が入り込んでいる。

 他の国で、国旗国歌でこれほどもめる国がどこにあろうか。
私達の祖先が、命をかけて戦い、負けはした(近代戦で負けたのは、物量にもの言わす米国にただ一度だけである。)けれど日本は残った。
今一度、戦争を違う視点(マッカーサーは日本の戦争は侵略戦争ではなく、防衛戦争であったと認めた)で見直し、いまそこにある現実として、自分自身が、戦争になった時に、どういう態度をとるか考えるよすがとしたらどうだろう。

有無をいわさず、戦争はおこる時にはおこる。



映画上映もあります。
入場無料
「明治天皇と日露大戦争」-1957- 新東宝 監督 渡辺邦夫

「日本海大海戦」-1969-  東宝 監督 丸山誠治 主演 三船敏郎


            主催:もう一つの戦争展実行委員会
            連絡先 高柳祐一 電話 090-3056-2626









2004年11月12日(金) 「配慮」は「入りよ」



「政権は銃から生まれる」 毛沢東

「大国の台頭は必ず拡張の戦争を伴う。台湾は我々の拡張の第一歩に過ぎない。その次は、日本、東南アジア、アジア全体、そして世界全体なのだ」
-人民日報日中論壇-

 総兵力600万(陸上兵160万人、陸海空軍284万人、人民武装警察百数十万人)、戦闘航空機 3460機 戦艦 770艇
 
T-72型対人地雷を世界に輸出(世界中に埋められているT-72 は1億個以上といわれている)
 また、瀋陽軍区に390発の核弾頭、吉林省の基地及び安徽省石台基地「東風」「巨浪」名の核ミサイル50基(米調査で日本の主要都市、東京・横浜・仙台・名古屋・京都・大阪・神戸・福岡・沖縄に向けられている事がわかっている)
 を持つ国に、

総兵力24万人、戦闘航空機 480機 戦艦140、(同時に200近くの対敵識別能力を持つイージス艦も、反撃用の武器が取り除かれ、航空戦闘機も、大陸までとべないように、燃料タンクが取り替えられている。)しか持たない国が、上の国の潜水艦が我が領海内を侵犯したら、「配慮」?してやるそうで、国名を言わないそうだ。
「配慮」という言葉は、力のあるものがないものに使う言葉だろう、使い方を教えてやろう。

「首領様のありがたい御配慮で、一か月米4合が人民に配られた」                   -治ようせん金主主義貧民狂和酷-


上の国と国内左翼ジャーナリズムは一緒になって、ことあるごとに、何かあると、「軍国主義の復活」だとか、「右傾化」だといって騒いできた。気が付いて見れば、上の通りである。もはや自力で自国を守る事は出来ない。


参考文献:日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略
深田匠著  高木書房











2004年11月06日(土) 首をちょんぎるという事



 フランスの田舎から帰ってきてすぐに、インターネット上で、イラクの商社に勤める朝鮮人の首切り画像を見た。日本人の画像も流されたようだが、こちらは見ない事にした。同胞であるし、具体的に家族が目の前(国内)にいる。
 いくら脳天気な行動を取ったとは言へ、殺されてしまったんだから、せめてもの弔いとして、無念な現場は見ない事にした。
 
ところで、首をちょんぎるという行為は、昔から世界共通にあって、秦の始皇帝が、十数万人の首を権威を誇示するためにちょんぎったのをはじめ、古代ローマでは、市民に対する処刑も斬首刑だった。
フランスではギロチンで、日本でも、昔は武士は切腹の後、介錯人がいて首を落とした。

 この首切りと、かの首切りにどうちがいがあるか。あるのである。
歴史上に刑として現れた首切りは、迅速に事を済ませて苦痛なくしようという態度である。フランスのギロチンなどはそういう思いから考えられた。古代ローマの市民処刑も、キリスト教徒などは、はりつけや、動物刑(蛇を入れた房に放り込んでかみ殺させた)で無惨に殺されたが、市民はそうではなかった。
フランスでも貴族はほとんど首を切られている。首切りは「高貴」な刑だったのである。

しかし、今回見た、朝鮮人の斬首はちがった。
まるで、屠(ほふ)った、食肉動物の首を切るように、横に倒して、ゆっくりとざっくざっくと切り落とし。髪の毛を掴み首を高々と差し上げた。日本の武士も戦って打ち勝った相手の大将の首をこういう風に切り取ったと思うが、これは両者合意の上の事である。

 泣き叫び命乞いする朝鮮人を、卑怯にも覆面をして顔を隠し、斜め後ろから横に倒して、ゆっくりと首を切った。
 こやつらが、いくら聖戦だといって、たとへ後に政権をとっても、誰がついていくのか。結局テロリストはテロリストでしかない。










2004年09月26日(日) こらボー然



 金曜日に、だんご三兄弟ぢゃなかった、千住三兄弟の一人、千住真理子のヴァイオリンと、能の金剛永謹の共演(コラボレーション)があった。同日に観世会館で狂言のある日でもあったので、少しどちらにするかで迷ったが、狂言はいつでも見られるからと言う事で、こっちにした。
 
 最初に言う。「木戸銭返せ!」

 隣に座ったお婆さんが小声で言った。「お兄さん(おっちゃんなのに)、コラモでぇチョンて何え?」
 「わはは…!  共演と言えばいいのに持って回った言い方するのが日本人の中にいるんですよ。」
 お婆さんは、何だと言う顔をして前を向いた。
 
カタカナ横文字、新聞で、サッカーの実況で、野球中継で、あらゆるところで聞かれる。最近は映画もカタカナ横文字のままのが多い。何を気取ってというと、必ず「いや言葉はダイナミックに変化するものだからこれでいい、日本文化の活性化に繋がる」と言う人がいる。
 ほとんど意味がない。だだ混乱し、一つの言葉に対して認識が曖昧になるだけである。
例えば映画制作に興味を持ち、コンビュータでその専用ソフトを使おうとしたとき、最初の障害は、内容の難解さではなく、この手のカタカナ語なのである。

曰く、ディレイ、セグメント、インスペクタ、サチュレーション、ヒュー 等 もうこれだけで辞書で調べるにも、ABCが分からない。お手上げ。
もう、*中馬庚(ちゅうまかのえ ) がbaseballを「野球」と造語訳した気概はないのだろうか。特殊な分野の専門家に売るソフトならそれでもいいだろうが、販売対象は一般の人である。
一度 数社に「今までの売り上げの10倍売る方法」をこの事に絡めて手紙を書いた事がある。
反応なし。

さて、「共演」はどうだったか。この奇をてらった企画をした連中は、両方の客を集めてどうしたいのだろう。
「上演が始まると席の移動はご遠慮願います」
そうだろう。
「携帯はお切り下さい」
ごもっとも。
ところがである。開演なって前半が終わろうとする頃にも、ばかばか遅刻者をいれる。係員が能に対して無理解で、すすんで拍手してこちらに促す。
 能楽は西洋演劇と違って幕がない、顕著なこれから始まると言う境がない。だから拍手はしない。これくらいの事を始まる前に説明すべきである。
 
 たん譚は、何かがあった場合、2.3の動作で外に出られる位置にいつも席を取る。左肩(もしくは右肩)は必ず通路に接する。挟まれる位置には金輪際座らない。映画館でも端の席がない場合、入館していても帰る。
 今回は非常口すぐ横に置かれた、ちょっと高級なパイブ椅子に座った。この位置は目付柱(演者が面を着けた際、狭い視界の中で位置決めのためにある柱、観客にはとても邪魔だが取っ払うわけにはいかない)がちょっと邪魔になるが、通路に置かれていたので足が伸ばせた。
 
 少し遅れてやってきた人達は、パイプ椅子席に座った。偶然にも、たん譚の周りは、礼儀を守ってだーれも拍手しなかった。係員が怪訝そうにこちらを見ていた。
 
千住真理子の出だしのヴァイオリンの音色はびっくりするくらい奇麗な音だった。ヴァイオリン演奏の中でも技術的に難しいと言われる、パガニーニの24のカプリース(24capricio) を披露したが、聞いていて日本人て真面目なんだなぁと改めて思ってしまった。
まことによく弾くんだけれど、「おもろない!」のだ。

なぜこんな偉そうな事を書くかと言うと、この曲、ワデゥム・レーピンとロビー・ラカトッシュの超絶の掛け合い演奏で何度も聞いているからで、最初聞いたときは逆毛立った。 ベルギーの有名レストランを拠点として演奏を続けている、酔っ払いで女たらしのおっさんが弾くパガニーニの方が心打つ。
解説者が言っていたような、「ストラディバリウスとの出会い」なんてあまり関係ない。

第三部は千住真理子のヴァイオリンと、能の金剛永謹の共演は、世に「油と水」の例えあり。合いませぬ。
狂言に行けばよかった。「木戸銭せ!」


*明治の文豪・ 正岡子規 の筆名の1つ「野球(のぼーる)」が野球の語源であるという説もあるが誤り。baseballの意味で「野球」という単語を子規自身が使ったことはなく、「ベースボール」「弄球」「投球」と言っていた。弟子の河東碧梧桐 と言う人が回想禄の中で、ベースボールを訳して『野球』と書いたのは子規が最初だが、それは本名の升(のぼる)にかけた、野球(ノボール)の意味であった。」と書いたため、「子規がbaseballを野球と訳した」ということになったらしい。









2004年09月19日(日) 絵の更新は…。




ただいま東京銀座の画廊企画の四人展を開催中、終了とともに来月はじめから少しフランスに行くため、絵の更新はおくれます。向こうから更新しようにも、電話もテレビもない所なので不可能です。今年中には更新します。









2004年09月17日(金) わっはっはの尾形光琳



 最近、尾形光琳「紅白梅図屏風 (国宝)」に当然使っていると見られていた、金箔が使われていないと騒いでいる。先日、その一部始終の映像を見た。
 東大の権威ある評論家だか研究家が、科学のメスによって金の含有が無いに等しいと結論が出て、あわてふためいて、あらためて、伊豆の MOA美術館を訪ねて、目を白黒させ困惑しきって、挙げ句、「これは新技法でそれを研究するためのものだ」と新 (珍)解釈を開陳していた。
  これを見て、しばらく笑いが止まらなかった。 嗤ったわけは、それならば、その後の作品「燕子花図屏風」には、なぜちゃんと金箔がはられているのか、説明してみよ。どうだ、出来ねえだろう。
 研究や実験は、点ではなく線である。それだけポンと出て終わるたちのものではない。評論家、無自覚な日本画家、なぜそういうことになったか、多分永久に分からんだろうから、たん譚の解釈に耳を傾けよ。
  多分今の時点で誰も言っていない、一私見である。光琳の箔押しの痕が、京友禅に使われる渋紙を使った、型押しらしい事はわかっている。 光琳の生家は染物屋だった。
 
光琳のやった事は簡単にいうと、西洋の絵画でいうとトロンプルイユ (だまし絵)なのである。箔押ししたように光琳は型紙を使って描いたのである。





ここで、なぜだろうという疑問が出てくるのは当然で、そこから先は、口先だけの東大だか、へっぽこ研究所の先生には永久に分からない、にもかかわらず、たん譚センセーには、たちどころに光琳先生の冷や汗もののご苦労が手に取るようにわかったのであった。

 モーツァルトの未完の曲「魔笛」は、スポンサーに金をもらって書いていた。天才に多い後先考えずに金を使ってしまい、やむにやまれず仕事する。光琳もそうだったと確信する。「紅白梅図屏風」の注文を受けて当然金箔などの材料費としての準備金をもらったに相違ない。

 ところが使っちゃったんだなあ、そこでどうしたか、後は言わずもがなである。必死になって 「見せかけた」のである。
 
 なぜこのような事を言うかというと、かって無名とは言へ、同様な経験をしたからである。時代が変わっても人の考える事は変わらない。
 
 今は昔、ある縁で、大きな家を借りた事あり、持ち主は家族を伴ってイタリアに赴任していた。
家の一階最奥の部屋をトレーニングと鍛錬の部屋にあてて、バーベル、ベンチなどを置いていた。そのバーベルの鉄のおもり (プレート)を、それぞれ重ね合わせて畳の上に直に置いていた。
 梅雨の時期を挟んで三ヶ月ほど欧州に旅行に出かけて家を空けた。
帰国して、トレーニング再開しようとプレートを持ち上げたらなんと、プレートから出た錆がくっきり畳みについていた。十何カ所も。

 しばらくして、引っ越す事となった時、困ってしまった。畳は比較的新しく、丸替えするには、当時経済的に無理だった。
そこでどうしたか。思案の末、アクリル水彩にカゼインを混ぜたもので、錆びがついた部分に畳色をあわせ、一目一目そっくりに描いていった。プロにはともかく、素人目ではじっと凝視しない限り、絶対見破られないくらい色を合わせて描き込んだ。
 やがて引っ越しとなり、裏庭の松の木の虫食いを言われたが、畳はなんのクレームもつかなかった。
 …という経験から、きっとそうにちがいないと直感したわけである。
 これが真実! か?









2004年09月09日(木) 落雷



 2週間くらい前の午後遅く、雷が遠くで鳴っている中、雪見障子を開け放ち庭に向かって座り毎度の瞑想の時間。両脇に2匹の猫を従へて。瞑想は半眼で行うので景色はぼんやり目に映る。
初めてしばし、庭の楠の木の向こう側に隣家の柿の木があって、そのすぐ上で青白い光の玉が見えたと思った瞬間、「ドーン」という音とともに停電した。
このとき、二匹の猫は一メートル位丸まったまま飛び上がった。
夜九時頃電気は復旧した。
サーバーとして使っているコンピュータはつけっぱなしにしていたので心配したか゜無事何事もなく起動した。

ところが、台所の換気扇が全く動かない。どうもこれが被害にあったようだ。翌々日に換気扇を新調して事は済んだと思ったが甘かった。サーバーに使っている親コンピュータが、何の前触れもなく突然ストンと切れてしまった。
やはり、雷の影響を受けてしまったようで、現在神戸の病院に入っている。
雷の大体の距離は、光と音の関係から距離が計算できる。いつも無意識に計算してて、あまり近いとコンピュータを消すようにしていた。が、今回はそんな時間などなかった。

山で遭わなくて本当によかった。山で雷に異常接近すると、もっているピッケルがジジジッと唸り、髪の毛が逆立つ。










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