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2003年04月11日(金) 我(が)の集まり



 昨日、M書房のA氏来る。画集出版の話。出したいが、三文繪描きの画集なんて、だーれも買わない。買ってくれるのはその弟子、愛好家友人身内達だけである。弟子も無く、愛好家も少ない繪描きの画集なぞ誰が買うのか。
出版社は赤字となることは間違いない。黒字になるためには、一工夫が必要だろう。画家による自他画家の分析・評論ほど読みたくないものはない。よってこれらは全面的に入れない。
作品ばっかりでも、これまた一頁十数秒で通り過ぎられる。さてどうするか?

 作家の一作品から出発して、作家の住む京都なら京都の文化におよび、総合的なハイパーテキスト(例えばインターネットのHTML のような文章・画面作りで、一つの鍵となる文章から、まったく異なる所へ飛んでいく)のようなものにし、例えば画家が使う個人的な筆から食い物の嗜好、贔屓へと話題がおよんで、終わる。政治は重要だけれども入れない。繪を中心として話題を載せていく。
 出来たらDVD(作品の制作過程の映像)の一枚もつけて発売する。そうでもしないと、情報に溢れた今日、目もくれないだろう。
 昔、画家なんて高尚なものでもなんでもなくて、生きるために描いた。芸術性何ゾを追求して描いていたわけではない。そういうものは余暇から来るものなのである。
 繪描き、音楽家、詩人などは、贔屓あっての物種で、てっとり早く言えば、りっぱな芸人だった。
評論家は繪解きをしたがるが、過去西洋画のほとんどの繪画は、一人の男(キリストさんです)とその母の肖像、王様と貴族の要望で、今で言う写真館の役割として繪はあった。たん譚は、繪は近代印象派の出現で終わったと思っている。アーティストのアートの語源はアルチザン(職人)から来ている。
近、現代の繪画はその言葉と何の繋がりもない。、米国の絵画を見れば、民主主義の下で生まれた繪画がいかに薄っぺらく、つまらないかというのが見て取れる。みんなイラストレーションに見える。日本ではさしあたって、みんな漫画風(アニメ風)に見えてしまう。そう言う風にしか描けなくなってしまっている。
 
話題がそれた。
 おそらく画集だけでは売れないだろう。それは文学・その他にも言える。又一つ、ここに駄(画集)本誕生すという事になりかねない。自己満足する事は出来るかも知れない。考えを詰めていくと暗澹たる気持ちになった。
弁当つけるか!










2003年04月03日(木) もう一人のベルナール



 フランスの三つ星料理店の料理人、ベルナール・ロワゾーが亡くなったのは、2月の終わり頃の事だった。まだ記憶に新しい。
一昨日、フランスから速達が届いた。いつも行く、ボークリューズ県のジットの主(あるじ)の奥さんからだった。
原色の小鳥のわりと大きめの切手を貼った封書だった。何だろうと、封を切ると便せんではなく、印刷された一枚のカード。「私達は苦悩の後、ベルナールの死をお知らせしなければなりません。3月10日に永眠しました。喪主アンドレ・マヤン」
何度読んでも、実感が伴わない。一昨年に、母親を連れて南仏のジットを訪ねたときに、新しく出来たプールの横で昼下がり、自家製のパスティスを振る舞ってくれた。夏の南仏の午後は働けない。ひたすら厚い石壁の中に、窓の扉を半開きにしてやり過ごすか、思い切って庭にでて、パスティスを飲んでペタンクをするか、プールで腹を見せて浮いているしかない。
大きな木の下のテーブルで、うちの母を優しく迎えてくれた。その時に、半ズボンから出ているベルナールの足が異様に細く、首周りも何だか細く感じたが、あまり気にすることなく、午後の楽しい一時を過ごした。

 今考えれば、あの時すでに病魔に襲われていたのかも知れない。パスティスもビールにも手をつけなかったような気がする。ベルナールは三兄弟の三番目で、長男は手かざしの心霊治療師、次男はアフリカ方面の軍隊のヘリコプターの操縦士、この次男は何年か前に癌で亡くなっている。

 ’85年に初めて訪れ、日本の田舎のバランスを失ってしまった風景と違い、素朴がそのまま残っている南仏を知って以来のつき合いであった。それから折りに触れ、滞在中は、夕飯に招いたり招かれたり、実にお世話になった。

 たん譚とはおない年であることは随分後で知った。向こうの男も女も、年の割にずいぶんと大人である。日本人は幼く見えすぎる。ベルナールの一人娘が、高校に入る頃、はっきりと大人の顔、大人の雰囲気になるのを見た。日本人の同年代が化粧してもそうはならない。フランス人は、顕著なそういう現象があるらしいことを他からも聞いた。
 現在娘さんは地場の学校の先生になり、二年くらい前に結婚している。
ベルナールと奥さんは、日本に来たいと言っていた。来たら、日本の畳や酒蔵や料理で迎へようと思っていたが、唐突な、あまりにも早い死に、世の無常をあらためて感じてしまった。
 とりあえずお悔やみの速達を送り、この六月に墓参りに行くことにした。
あの広い葡萄畑の剪定や収穫はどうするのだろう。大きな林の向こうにある、名産のメロン畑の面倒は…。
ジットの運営や、イル・シュール・ラ・ソルギュの交通課の仕事はどうなっているんだろう。
素朴で剛毅でひょうきんな南仏人だった。


マヤンの庭での思い出の一時










2003年03月27日(木) 値違ひ奇にして今宵寝違ふ



 昨日、うららかな午後、青蓮院・知恩院・円山公園高台寺・清水坂と散歩した。この界隈は観光客でにぎわっていて、あらためて京都は観光都市なんだなぁと思わせる。
薄暗くなる頃、尺八と月見の鑑賞演奏会以降行っていない、祇園を散策してみようと思い立ち、八坂神社まで戻り、祇園に向かった。四条通りから南に入った通りは観光客で賑わっているが、一歩裏の割烹料理店や置屋がある通りは、人っ子一人いない。落ち着いていると言えばそう言えない事もないけれど、客商売をしているところはそうも言ってられないだろう。町屋に支那料理屋が入っている。おやと足を止めてよく見ると、烏丸御池にある、新風館の中にも店を出している、東京資本の支那料理チェーン店だった。
もう大分前から祇園はかわり始めているのだろう。総中流の遊び場となりつつある。落ち着いた家並みの中にサウナがあってすぐ横にパチンコ店があり、真っ黄色の制服を着た店員が、行ったり来たりしている。
町屋の中に唐突にある。幸いなことに近くまで行かないとその存在は目立たない。
「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」山本夏彦翁はこう言い残して世を去ったが、文化も滅ぼす。
真面目に働いた金で、祇園なんて通えるはず無いのである。近く祇園は滅びて、一般人が跋扈する、普通の飲食店街になるだろう。

 溜め息を一つして、予約無しの飛び込みで、町屋を利用したフランス人の経営する仏料理店に入った。この時期、仏料理店は予約せずとも席はあると踏んでのことで、果たして席はあった。
料理はフランス人らしからぬ関西風の薄味で、塩加減がまったくフランス人らしくなく、思わず質問した。
ブルターニュ出身で南仏で修行したらしい。
道理で、ホタルイカのような烏賊、蛸が素材に乗る訳かと合点した。

 もっとも愕然としたことは、ワインであった。先年の十一月に、パリの三つ星レストランで、予定外の出費を強いられたあのサンジュリアン村の、全く同年同シャトーのワインが、なんと三分の一の値段で提供されていたのだ!

 日本酒に例えてみれば、腰の塩梅(仮名)が京都の料理屋で、十万円で売られていて、パリの、日本人が経営する日本料理店で、同じ腰の塩梅(仮名)が三万円だったら、客としたらどう考えればいいのだろう。逆(いか?)さまぢぁないか!
この辺のからくりが皆目分からない。
そういえば新町仏光寺にある、日本料理店「奇乃撫(仮名)」では、シャトー ラトゥール、シャトー ラフィット・ロートシルト、シャトー ムートン・ロートシルト、 シャトーマルゴー、 シャトー オーブリオンというそうそうたる名醸ワインが全部一律二万円で提供されている。

 「ワインは料理の値段を超えない」と言うのがあって、それに合わせてのことだろうか。釈然しないまま、いつの間にか満席となっていた料理店を出た。

 









2003年03月25日(火) 次に来るもの



 次は北朝鮮だ。米国が国連決議を待たずして攻撃したことは幸いだった。
なぜというのに、ロシア中国に北朝鮮は日参している。特にロシアは北朝鮮の生みの親で、今回も飛行機嫌いの金正日のために、用意した特別列車の中で会談したりしていて、親北朝鮮である。
このロシア・中国は国連の常任理事国で、拒否権がある。米国の北の攻撃に、この両国は、国連決議でフランスがしたように反対するに決まっている。
今回の米国の行為は日本に限って、国益となる。国連が反対しても、北を攻撃する構えがあるという事だ。心強い。このことで北の金正日は全身震えがきているだろう。イラクに見るように、国連決議が役に立たなく、いくら中国・ロシアに根回ししたところで無力化する事がわかったのだから。

ようやく偵察衛星が打ち上げられるようだが、CIAのような、日本にはかってのスパイ養成といえば聞こえが悪いが、陸軍中野学校のような諜報員養成の学校がない。つくるべきだろう。









2003年03月19日(水) 展覧会の繪



 京都国立近代美術館に、「ウィーン美術史美術館名品展」を見に行ったけれど、あんまり良い繪の選択とは思へなかった。売りの作家をまず並べて(レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、バロック絵画の巨匠)あとはどういう意図で選んだのか、よー解りませぬ。
 ウィーン美術史美術館には、フェルメールの繪を見るため、過去二度・三度出かけている。
今回の展覧会には出品されてなかった。
あれが外国に出るとウィーン美術史美術館としては、売りが無くなるだろうから、そう簡単に貸し出しはしないだろう。だから何かちぐはぐな作品展という感じがする。ようするに「おもろない!」企画なのだ。
やっぱり面倒でも金がかかっても直接見に行った方が良い。
こんな不況で普通日にもかかわらず、盛況であった。日本人の知的好奇心はすごいものだ。

 この展覧会の繪で今回は面白い発見をした。不思議の国のアリスの中に登場する、*ドウドウ鳥が、15世紀頃の名も無き宮廷繪描きが、動物を庭に寄せ集めて描いた繪の中にいた事だ。
宮廷に連れてこられて、飼われていたのかどうかは知らないが、普通にいたのだ。
 ドウドウ鳥は、インド洋マウリシャス地方に生息していたが、1681年に絶滅した。外敵のいない島に生息していた為に、身を守る、逃走するという本能を持たなかった。人が入って目の前で仲間が殺されていても 全く逃げようとしなかったという。

ドウドウと言う名前の語源は、ラテン語で、「生存の値しない滑稽なまでのバカ」という意味である。

英語熟語に(as) dead as a dodo(完全に死んでいる。)というのがある。dodoというのは絶滅してしまった鳥、ドウドウ鳥のこと。









2003年03月16日(日) 国連てなんだ?



 国連決議を待とう、国連の査察を継続…、国連で戦争回避?…。

 これを見ていると、国連はまるで戦争をしないように働いている組織のような、平和団体のような錯覚がある。そうだろうか? 国連とは、第二次大戦中、日独伊(を枢軸国と言った)と戦った「連合国(The United Nations )」をいう。これからも解るように。「国連」は「連合国」という軍事同盟から生まれたものだ。世界連邦や恒久平和を目指しているというのは幻想である。

 1945年4月に国連憲章(連合国憲章)を作るために、連合国(米ソ英中)は各国に参加招請状を出した。参加条件は「1945年3月1日までに枢軸国(日独伊)に宣戦布告をした国」という条件が付けられていた。この時、枢軸国(政治的活動の中心国)の日独は戦っていた。だから、あわてて枢軸国に宣戦布告したりした国もあった。中立を国是としているスイスが対象外なのは当然だろう。

 だから国連は、枢軸国に宣戦布告した「国際連合国」というのが本来なのだが、それが解るのを嫌ってか、日本では「国連」とした。そうするとあら不思議!
平和のために世界が集まっているような錯覚に陥る。
多く日本人は思っているだろう。

 そこでさらに追い打ちの一撃。
 国連が平等でないことは、成り立ちから枢軸国に対してできた連合だからあきらかで、中心五大国(中ロ米英仏)は、拒否権を持つが、それに反して、当時の枢軸国(日伊独)に対しては国連憲章の「敵国条項」と呼ばれる第107条で縛っている。

 第107条…この憲章のいかなる規定も、第2次世界戦争 中に、この憲章の署名国の敵であった国(日本やドイツ)に 関する行動で、その行動について責任を有する政府がこの戦 争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排 除するものではない。

これからすると、日本への、北朝鮮のミサイル威嚇も許されることになる。

 また国連は平和裡に手を打つ組織ではない。ちゃんと、第42条に「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍、陸軍の行動をとること ができる。」と、武力行使を認めて、絶対戦争反対の平和組織ではない事がわかる。それに発足当初、独自軍隊を持つことも検討されていたが、米ソ冷戦中の事で、共同軍事行動など不可能であったことから見送られた。

 国連憲章は、各国の個別的自衛権(国家グループでの同盟関係…NATOや日米安保)と、集団的自衛権を認めている。 国連は、主権国家を認め、その間の調停を目的とした機関なのであって、何か世界連邦的なものの為の期間ではないのだ。

 我が国日本は、国連の、主要五カ国中二カ国、中・旧ソ(現ロシア)の多大な援助国である。自立できていない国が主要国に二国有り、経済大国で自立した国が国連の敵国である。

 この「敵国条項」を破棄しようとすれば、憲章を変えねばならない。そうすると各国が修正要求を次々出してきて、憲章自体が崩壊してしまう。だからいまだに、この107条を日本国政府が撤回せよという、要求をしているにも関わらず、国連は出来ないでいる。国連は矛盾の上に成り立っている組織で、それは当の米国が一番良く知っている。

イラク問題の後、米国は国連の主要国からフランスをはずし、日本とインドを入れようとする話も今でている。そうすると泣いて頼んで入れてもらったフランスはどうするのだろうか? 

どちらにしても今の国連は矛盾に満ちている。
 
 そんな国連を、世論は金科玉条として決議を待っている。


 









2003年03月14日(金) 換骨奪胎?



 先日、横浜東京そして友人のいる茨城に行って来た。
友人宅の夕食後の、元プロテニス選手の娘さんと、奥様のチェロとピアノ(といっても、グランドピアノ!)のアンサンブルは何とも言へず微笑ましく、仲のいい家族のある幸せを感じてしまった。娘さんが演奏する、バッハの無伴奏チェロ組曲も、こちらがリクエストした、サンサーンスもとても素敵であった。

 次の日夕刻、東京から帰り、その足で観世会館に狂言を見に行った。ちょっとしんどかったが、茂山千作の相も変わらずの「出てくるだけで可笑しい」のおかげで疲れもとんだ。瞠目すべきは、近頃の若い客の入りと、その笑いに対する、あらかじめ解っている落ちを受け止め、喝采する所作が堂にいっている事だった。

 日本文化の継承はなんだか大丈夫な気がしてきた。いつの間にか、若者が戻ってきていた。言の葉の意味は多分全部はわかっていない。昔の言葉だし、たん譚自身も聞き取れなかったり、意味不明で後から調べる言葉も多々ある。

そこで今回もらったパンフレット、現代版狂言の「クローン人間、ナマシマ(野球の監督長嶋をもじったと思われる、同町内に住む、哲学者の梅原猛作、横尾忠則 美術・装束」の解説文中の四字熟語が気になった。
「かんこつだったい」
このコンピュータでも、打ち込み変換すると、
「換骨奪胎」と堂々と出てくる。
これは間違いである。奪胎は脱胎が正しい。辞書も間違って書かれているものがある。その意味となるとほとんどが間違っている。どの辞典も「大漢和辞典」を元にしているからだ。

 この解説文はちゃんと「換骨脱胎」となっているが、使い方が間違っている。
要約すると、…室町から江戸時代にかけて沢山の物語(御伽草子)が作られ、その中に屁を扱った異色の御伽草子があり、それを「換骨脱胎」して…とある。意味は異色の御伽草子を「焼き直し」てこれを仕立て上げたといいたいらしいが、誤用である
本当は違う。
それに本来は、換骨脱胎ではなく脱胎換骨だった。
 凡人が仙人になる修行の結果、外見は変わらないけれども、中身がすぽっと仙人になってしまう状態、すなわち、凡胎から仙胎に、俗骨から仙骨になってこれを、「脱胎換骨」という。言い換えれば、昔映画に「ルシアンの青春」というナチス関連の映画があった。
ルシアンは、正義の味方のレジスタンスに入ろうとしたが、冷たくあしらわれてしまう、ところがゲシュタボ(反ナチ運動を取り締まるために組織された秘密警察)には親切にされて、ルシアンはナチとなってしまう。このルシアンがまさに逆の意味で脱胎換骨したといえる。

 杜甫の詩の錢謙益の評

 「古人脱胎換骨之妙 最宣深味」

 参考文献:キライな言葉勢揃い。高島俊男(文芸春秋社)
 









2003年03月06日(木) 無くなる事の恐怖



 先日、画材の買い置きが無くなったのでもう何十年来つき合っている画材屋に出かけて、オイル調合に必要な一つ、コーパルオイルを探した。どこにもない!
コーパルは古典技法上重要な油である。
 現代においてなぜ古典かと言えば、教育とかこういった技法というものは、人の叡智の積み重ねの結果で、その試行錯誤の結果とも言える。油彩画がどういう風に、どのくらいの期間残るかとか、ヒビ割れは絵の具の何と何が関係しているのかとかが、読みとれる。
 現代のアクリルやビニール系のまだ歴史のない、画材を使って描く勇気はない。 一応、繪は愛好家が買って、飾る。
三文画家と言えども、作品に対してどれくらいの堅牢性と耐久性があるかを知っておくことは当然で、それには、新しい未知の画材は使えない。

そういうものは、アーティストと言われる人や、芸術家にまかせておく。教育も同じで、米国で実験的に子供に新教育をやる人達が居て、家庭の父兄が、その事で子供が犠牲になる事を心配して、進歩的教師に問うた、これがアカウンタビリティ(説明責任)という言葉の元となった。
話がそれた。
 古典の油調合は、主に太陽に晒したリンシード、スタンド・コーパル・ベネチアンテレピン・他を、松から採った、揮発性油(テレピン)で薄め溶き描画する。
 趣味で描く分には、市販されている、何が入っているかよく解らないペンティングオイルと、なんで下塗りされているかわからない、キャンバスと称するものでもいいだろうが、たん譚は一応、三文画家である。「弘法筆を選ばず」というが、その弘法さんが筆を選んだら、もっと素晴らしいものが出来る期待は大である。
ましてや三文画家なら当然、ちゃんとしたものを選ば無ければならない。
 コーパルは、聞けば、環境問題と需要の減少で無くなったそうなのだ。フランスなどは環境問題の側面からもっと手に入らないだろうとのことらしい。店中探してもらい、閉店した画材屋から流れてきたという、埃をかぶった日本製のコーパルオイル(果てしなく疑惑のもの)を全部買い占めた、といってもこんなもの、一・二年分しかない。
かくてこの世から、技法が消えて行く。例えばヴァイオリンのストラディバリウスなどもそうである。
あれの表面に塗られているワニスは、一種のコーパルオイルで、松ヤニが化石化した、琥珀(こはく)を溶かし(どうやって溶かしたかわかっていない)、それを仕上げに塗ったといわれている。ベルギー、ゲントにある、聖バーフ大聖堂にかざられてある、ファンアイク兄弟の描いた「神秘の子羊」の表面にも塗られているという。

 確かに、油絵の具の、発明者とも言えるファンアイクの古い絵画が堅牢で、現在でも光り輝くような、画面を保ち、後世の印象派や、日本の黎明期の西洋画家達の作品が無惨な結果となっている事実を見てもわかろうというものだ。

伝統や情報などは一端とぎれてしまうともう、取り返しがつかない。例えば言葉でもそうで、以下はもう滅びて使われなくなった言葉だろう。

処士横議(しょしおうぎ)…官に仕えず、勝手に論議すること
落首(らくしゅ)    …風刺・批判をこめた匿名の戯歌
上喜撰(じょうきせん) …上等の茶
総後架(そうこうか)  …長屋などにある、共同便所
款語(かんご)…うちとけて話し合うこと
縉紳(しんしん)…官位の高い人、身分ある人
溥育(ふいく)…かしづき育てる事
など。

さて、コーパル、本当に困っている。



英語表記:Copal resin。主に地中海沿岸(アフリカ等)から採れる半化石樹脂。一部のものは現存の樹木からも採取される。コーパルの含まれた皮膜は非常に堅牢で湿気にも強い。半化石樹脂、化石樹脂はどれも硬質だが、コーパルは産地や樹木の古さによって硬軟の差がかなりある。

ファンアイク兄弟。
15世紀の初めフランドルの兄弟(兄フーベルト1366-1426、弟ヤン1380-1441)画家。写実的なゴチック絵画が特徴、フランドル派の祖









2003年03月04日(火) 続・武士と料理人



 昨日、インターネットでフランスF3のブルゴーニュ地方のニュースを見ていた。先日自殺した料理人、ベルナール・ロワゾーの葬式の模様が流されていた。
結局の所、先月末日発売のミシュランのガイド、発売されてみれば、コート・ド・オーの星は三つのままで二つにはなっていないことがわかった。

 今は共に名を貸すだけの、ゴー(アンリー・ゴー)・エ・ミヨー(クリスチャン・ミヨー)のレストラン批評本が、少し点数を下げただけだったようだ。
どうやら先読みしすぎて悲観し自殺したようなのだ。こめかみを打ち抜かず、食べ物を食べる口に銃口を入れての最期は、壮絶としか言いようがない。
 
 ビデオに映し出される小さな村は、葬儀に参列する人々で、一杯であった。道行く人々もインタビューに、口々に哀悼の意を述べていた。









2003年02月27日(木) 武士と料理人



 昨日、BSでフランスF2のニュースを見ていたら、フランス、ブルゴーニュのソーリューにあるホテル・レストラン「ラ・コート・ドール」のシェフ、ベルナールロワゾーが自室で猟銃自殺したと言って、レストランガイドや、点数制の是非などを報道していた。
フランス人の料理人は、過去にも名誉と威信をかけて自殺した人が出ている。このニュースを見ていて、すぐに、ヴァテルを思った。

 一・二年前に「宮廷料理人ヴァテール」という英仏合作映画の主人公のあのヴァテル(「ホイップクリーム=クレーム・ド シャンティイ」の発明者と俗に言われている)だ。映画の題名は「宮廷料理人」となっているが、実際は宮廷付でも料理人でもなくて、コンデ公の「食卓係」であった。当時ははっきりと「料理係」と「食卓係」に分かれていた。
コンデ公は ルイ14世の治世下にあって、反旗を翻し、フロンドの乱に加担した。内乱で国王を裏切ったコンデ公は、王の信頼を取り戻したいと願っていた。

 ある時、国王の臣下ローザン公爵から、大公の居城シャンティイ城に国王が3日間滞在する事になると通達がある。威信回復のチャンスが訪れたと考えた公は、莫大な借金(日本円で三兆円とも言われている)をして三日間の宴を開く。それの総合演出を受け持ったのがヴァテルだった。

 彼は最終日、魚の献立で、ブーローニュ港まで当てにしていた魚を探しにやっていたが、それがなかった。コンデ公のお家の断絶かどうかの瀬戸際で、ヴァテルの責任は非情に重かった。
結局魚は間に合わず、公夫人が「ヴァテルは待っている食料が間に合わなかったので自殺した」と言っているように、責任をとって自殺した。当時の価値観から見て、例えヴァテルが自殺しなくても、料理長か主に責任を問われて殺されていただろう。

 今の目で見ると、そんなあほなと思うかも知れないが、ルイ十四世に仕えた財務長官フーケの持つ、ヴォーヴィコント城に招待された王は、その城の美しさに嫉妬して、彼に横領の罪を着せ投獄していたりするのだ。
 
 しかしヴァテルは自殺した。そうして先日、ミシュランの星を、三つから二つに落とした(結局、ロワゾーの早とちりで星は落ちなかった。)ロワゾーも自殺した。日本の武士の所作とも見える。この責任の取り方が結局、世界の公式晩餐会の料理が、フランス料理となった事の一つの元になっているのかもしれない。
日本の料理人でそこまで出来る人がいるのか?

 余談だが因果応報か、ルイ十四世は主治医に、上下全歯を抜かれ、(全ての病気は歯から来るという持論から)そのため噛めず、食物を丸のみにし、ために消化不良となり、そのために肛門をやられ、手術をしたが、垂れ流しに近い状態になり、臭いを消すために、庭に千本のオレンジを植え、祭りにはオレンジジュースを噴水から吹き出させ、臣下はハンケチに動物性の香水をたっぷり振りかけ鼻を覆い、謁見していた。太陽王と言われたルイ十四世も実際の所はこんなものだった。

 参考文献:美食の文化史 ジャン・フランソワ・ルベル(筑摩書房)










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