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2003年02月25日(火) 浮世離れ



今日お昼、朝日放送のニュースワイドショウを見ていたら、戦争反対の国別順で、一位がスイスで真ん中に日本、反対の最も少ないのが米国で、その次がイスラエルだと表を見せていた。米国は当事者で、戦争反対が少ないのは当然で、イスラエルもイラクとの事を考えると反対などと言えない状況にある。
 次にこの世で最も危険な人物の一位がサダムフセインで、何と次が米国大統領のブッシュだというのだ。この二人だけを挙げて、金正日の金の字も出ていない。なんという番組だろうと思っていたら、この番組の本番中に、「日本海に向けて北朝鮮がミサイル発射」のニュースが飛び込んできた。
一同一瞬凍り付いた。が、なおかつ金正日がこの危険な人物リストの中に入っていないと言うことを彼等は言いもしないし、訂正しようともしなかった。

 戦争反対を言うのなら、日本にどんなことがおこっても、戦わないつもりなのだろうか?









2003年02月24日(月) 戦争と言葉



「戦争は万物の父となり、諸法の王となる」(ヘラクレイトス)


「夜に正義の支配無いならば家を建てる物は自らを防衛せざるを得ない」
                 (ショーペンハウエル)


「双方が正当である場合の唯一の裁判たる戦争を避ける国民は性情が弛廃する」(プルードン)



  米国と日本に。

家は漏らぬ程、食事は飢えぬ程にて、足る事なり。
                 千利休


ただ僕と一緒にいる場合のみ、君は自由でいられるのだ。
        アルチュール・ランボオ(詩人)


月雪花は一度に眺められず。(日本の諺)


香餌の下には必ず死魚あり。  兵法書 『三略』


愛するという事は、我らが互いに見つめ合う事でなく、共に同じ方向を見つめる事だ。
                サン・テクジュペリ (作家、飛行士)





ヘラクレイトス(BC6世紀〜BC5世紀 ギリシャの哲学者)
宇宙の根源は「火」であり、一切は火から発して火に還るという万物流転説を唱えた。


ショーペンハウエル(1788〜1860) ドイツの哲学者。
人間の自然の性質は非理性的であるとも言った。

プルードン(1809-1865)、
 社会思想家で、アナーキズムの父と称される。










2003年02月18日(火) 戦争はいけないか?



 今、イラクに日本の市民団体と、新右翼の一水会、それと平和を売り物にして稼いでいる、沖縄の歌手の喜納昌吉が、「戦争反対」のデモに行っている。市民団体とは多くの場合、左翼の団体である。右翼と左翼が同じ穴の狢(むじな)であることは、2002年01月19日(土) 「報道の不思議」に書いた。だからここでは言わない。

 沖縄の歌手の喜納昌吉は、9.11テロの感想としてこんな事を言っている。

 「今回の同時多発テロで犠牲となり亡くなった人たち、天国にいる人たちの魂がですね、本当に今回のような報復という形を望んでいるかということです。つまり「報復」という行為は、今生きている人たちが「報復」を選んだのであって、犠牲となった人たちの魂ではないんです。テロが悪いことは、誰も知っています。世界中の人たちがです。でもそのテロが生まれてくる背景というものを生きている我々は考えなければいけない。」

 テロで犠牲になった人が、すべて天国に行けるとは初耳で、この場合、天国にというからには、宗教はキリスト教の事だろうが、死んだ人はすぐに天国にはいけないのである。だから、カタコンベや土葬で、人は生前の姿形を残し、神の「最期の審判(地獄行き天国行き)」を待つのだ。生きているときには、ちょっとでも神の心証を良くするためにも、慈善や奉仕運動に精を出す。

 日本は歴史的に見ても城壁がない社会で、よく行く南仏アビニョンにも、中国南京他にも都市を囲む城壁がある。地続きがゆえに、あらゆる敵が入り込む。それを自分達の自由と、今で言う「人権を」守るために結束して戦った。一端屈服すれば、すぐに他民族の奴隷となった。奴隷(エジプトの王朝などで言う奴隷とは異なる)とは一切の自由人権が奪い取られるという事である。
「自由や人権」は、武器を持ち戦いで勝ち取った物であり、他民族との話し合いで得た物ではないと言うことを、城壁のない日本人は忘れてはいけない。

また、「報復は死んだ人が本当に望んでいるのか」と言っているが、現世は生きている人のためにある。死んだ人の弔いのための葬式も、お墓も、仏壇も、生きている人のためのもので、死んだ人への思慕や対話の場として用意されているものだ。

 また、「地球上の人の命はすべて、大切で、平等だ。困った時はお互い様です」
などとも言っている。
平等でありたいと願い、それに向かって生きていくのならまだしも、「平等」という概念を疑いもせずに掲げて、「武器を楽器にすべて変えよう」などと言う。
平等は辞書によると「全ての物が一様で等しいこと」とある。これは共産主義の考えである。この試みがすべて失敗していることは歴史が証明している。
 
 多分、喜納昌吉が使っている楽器も、大量生産物の安物の楽器ではなく、誰もに垂涎(すいぜん)の的となっている名器を使っているだろう。平等の世界からは、名器や名車は生まれてこない。非情な競争の中から、才能の有無の中から、闘い勝ち残ったものが名器となり名車となる。
 ただし、雌雄を決する機会の「平等」はある。

 日本に住み、自国を自国で守れず、アメリカの核の傘下にいて、守られながら、北朝鮮には何にも言わず、直接関係ないイラクに行ってなんで反戦歌を歌うのだ。

 安易に、侵犯された都市テロの報復から続く、イラクへの戦争行為を、平和や博愛からだけで、独裁者の存在を無視してなぜ批判するのか。少なくとも今のアメリカはルールに沿ってやっている。もしアメリカに一言文句が言いたいのなら、安保をやめ核ミサイルを装備して、国家の主権を獲得してからいうべきだろう。



 










2003年02月11日(火) 紀元節(建国記念日)



 日の丸を玄関に掲げる。世界情勢や、日本人の拉致問題などの事から半旗を掲げて、もう何度目の祝日だろうか。
今日は紀元節である。今日二月十一日は、神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で、即位した旧暦の新年(「日本書紀」の中に書かれている。)を換算したもので、明治六年に、新暦二月十一日を紀元節ときめて以来、百余年の歴史がある。
 明治の日本の近代国家の創設者も、日本の紀元という思いをこめて二月十一日という日を選んだ。
「そんなもの、何の意味もない、嘘っぱちだ」とおっしゃる方々、それなら、実在したかどうか解らない、キリスト生誕祭のクリスマスや、それから来る西暦、お正月が一月一日と決めていることも、何の根據もありませんね。

 クリスマスなら良くて、紀元節なら嘘っぱちと眉を顰(ひそ)めて非難する人はどうかしている。そう言う人達は必ずこういう。
「記紀(古事記・日本書紀)に書かれている物なんて信用できない。」
 そう言う人達が、支那の「後漢書」や、「魏志倭人傳」なら信用して、未だに引用する事が多い。だが、「魏志倭人傳」と言えども、日本のことが記述されている所は非常に少なく、三四頁くらいしかない。

「古事記」や「日本書紀」と比べたら問題にならぬ。日本人が書いたものは信用できなくて、支那人なら信用できるというのもおかしい。歴史学者が「史実」と言っているのは、単にそれについて書いた、歴史の信憑性の濃いものを史実と言っているにすぎない。
 例えば「神皇正統記」は、北畠親房が南朝が正統であるという一つの気持を述べたもので、「日本書紀」は、大和朝廷が、国の基が固まった喜びや、この國が末永く安泰にと言う願いや祈りを、当時の歴史編纂官に命じて書かせたもので、一種の創作であることは間違いない。
 しかし、のんべんだらりとした節のない日々を、たとい、大和朝廷と皇室の為であったとしても、その時にそう決めた日が二月十一日で何の問題があるのだろう。
 もし、否定するなら、世の全部の祝祭日を意味の無い日として否定してしまわなければならないだろう。

「祝祭日といふのは、一民族が同一共同體の意識を快復するといふ意味があった。自然をもとにし、それに日本民族特有の習慣を合せ、普段の個人的な、あるいは利己的な生活から解放されて一つになる。さういふ意味で、祝祭日がきめられた。
 また、偶然に左右され、首尾一貫せず、一つの完結體を形成し得ない日常生活、貸し借りや身分、年齢、性別といふ社會的規範に縛られ、互ひに利害の樹立する日常生活、そこで磨り減らされ、疲勞した、個人がばらばらになってゐる辛さから避難し、その根抵にある共同體を確認する事によって再び日常生活に戻って行くあの活力を身につける事、そこに祝祭日を求める人間本來の慾求がある」

 昭和四十年頃に出た「日本の歴史(中央公論社)」という本の、その第一巻の月報中、丸山眞男(丸山眞男は進歩派の象徴と見なされていた人)と井上光貞の対談があり、面白いことを言っている。

 「ぼくが日本神話を大切だというのは、そのなかに日本国家の生成をさぐる上の素材が見いだされるだけでなく、古代人の世界像と価値判断のしかたが現われている点です。考古學的事実史の上からいうと、ぼくはしろうとだけれど、思想史からいうと、決定的に重要なんですね。記紀の話は事実としては作り話であっていいわけです。しかしなぜ作り話が一定の効果をもったかが問題なんですね。膝に蚊がとまって刺したなんていう自然的事實より、ウソでも作り話でも人間の心のなかに意識された事實のほうがずっと歴史的意味がありますよ。」

 「日本神話は古代の天皇制を合理化するためのイデオロギー的體系であるという目的意識的な面だけを見るのでなく、神話の素材には實際に日本の各地方地方でおこなわれていた祭儀とか、民間傳承とか、そういうものがすくなくとも出雲神話などにはあるわけですね。」

また対談相手の井上光貞も、

「歴史というものは現代の立場から過去を見通すものではあるけれども、それぞれの時代にはそれぞれの価値があって、そしてその価値を中心にしていろいろなものが動いている。そういう時代固有の価値を認識するということが、いまの歴史から見失われてしまっているのじゃないか。
 そうすると人間が歴史の上に残してくれた、いろいろな多様な現象が現在の歴史の上にどう働いているかを考えるばあい、あまりに直接的になってしまって、過去の人がそれぞれの価値體系のなかで、悪戦苦闘してきたのだという面が抜けてしまうのですね。それがないと歴史というものはひじょうにつまらないものになってしまうのではないか。それがいまの歴史教育の大きな欠点じゃないか。」と今の価値観でものを見る歴史観を否定している。

伝統を歴史を、意識して大切にしたいと紀元節の今日想った。

参考引用文献:福田恒存 全集第五巻









2003年02月07日(金) 「女性千円の日」



 先日、気晴らしに映画に行こうと思い、映画の情報を仕入れていたら、京都の朝日会館が店じまいしていた。朝日会館(朝日シネマ)は、いい映画を上映する時もあるが、ここにも左翼的な思想志向を持った人が入り込んでいるのか、時折、その方面の映画を上映したりしていた。
 
 以前、「宗家の三姉妹」という蒋介石婦人、宋美麗の三姉妹を描いた映画を見ていて、途中で気分が悪くなって出てきたことがある。多分にプロパガンダ(政治的宣伝)を含んだ映画で、ありもしない南京大虐殺を巧みに映像でそれらしく入れたり、7.3.1部隊を暗示する、毒ガスマスクをつけた支那兵?などがカット挿入されていた。
 それを無自覚に、へらへら笑いながら幸せそうに見ている、見物客の方に気分が悪くなったのだ、まさか映画館で講釈するわけにはいかない、一人黙って出るしかないのだ。ハリウッド製「パールーハーバー」などは、結末部分だけを日本向けに変えて上映し、翻訳も俳優の言っている事とは、少し内容の違う表現にした。こうでもしないと、歴史上の事であるし、気概のある人は抗議したことだろう。
 それが、直接閉館とは関係が無いにしても、朝と昼と夜に上映している物が違ったり、あまりにせまい館内は、咳一つしても響いて、他の客に遠慮しなければならないような環境だと、どうしても足は遠のく。

 他の映画館を見ると、スパイ映画が上映されているようなのでそれを見ることにし、映画館に行ってみると、やたら女の人が多い。入り口に貼られている「女性千円の日」、なるほどそれでかと合点した。が、男は通常の千八百円だった。夫婦で行くなら家計の助けにもなるだろうが、一般の男は実にいやな気がしたろう。
あれだけ男女平等を謳っている社会の筈なのに、こんな事になると、フェミニズムの人達から、「不平等だからやめてください」と、どこかにコメントしているのを見たことがない。(別に「映画の日」というのがあって男女同じ割引の日がある)
 映画はたわいもない内容であった。席は八割方埋まり、ほとんどが「女性」であった。何でスパイ映画なんだと考えて、すぐそれは、映画を見に来ているのではなく、俳優を見に来ているのだと了解した。

 こんな映画に2千円近くは非常に損した感じがした。が、男には「男の日」がないし、飲みに行くのに、「ごはんさそってぇ〜」と女に媚びる事も出来ない。逆はそこここで見かける。いまだに女物、ブランド物が売れている。なのに何で「女性千円」なのだ。









2003年01月29日(水) 武器としてのワイン



 先日の夜、フランスのコルス(イタリア語ではコルシカ)島の、蔵醸造、ロゼワインを飲む前に、冷え切った庭にしばし放り出して置き供した。
 ロゼは、ピンク色が微妙に採れた場所で違って、このロゼはニッキ色をしていた。なかなか辛口で、晩飯にも良くあった。
 そうして、最後の一杯をグラスに注いだら、ガラスの破片どうしが擦れるような、ガシャという音がグラスの中でした。見ると、なんと小さじ一杯くらいのガラス状の結晶がグラスの底に沈んでいた。
 すぐこれは、酒石だとは思ったが、あまりにも多いので少し驚いた。急激に冷やしたりすると、酒石(正式には酒石酸水素カリウム)がでる事があるが、庭で冷やしたのが原因だとは思えなかった。

 ドイツ、フランケン地方のボックス・ボイテル(Bocksbeutel,山羊の○玉)型瓶(よくつけるなぁ!こんな名称)で知られる白ワインの中に、これとは少し違うが、白い顆粒状のもの(粘液酸カルシウム)が、多く結晶化したのを過去見た事があったが、こんなコーヒー用砂糖状の大きな結晶が、小さじ一杯も結晶化したのを見たのは初めての経験だった。

 酒石は、ロッシェル塩とも言い、フランスの港町、ラ・ロシェで調整したところからそう呼ばれる。この酒石は、昭和17〜18年当時、戦争で、贅沢品だった葡萄や、葡萄酒を作っていた日本の葡萄酒業界は潰れかかっていた、それを救った。

 酒石(ロッシェル塩)には圧電現象があり、これが潜水艦や魚雷の発する音波をキャッチする、水中聴音機の素材として、昭和17年以降、急速に需要が高まった。地上より水中のほうが、早く伝わる音波の性質を利用し、探知する兵器が、各地の軍需工場で量産され始めた。その技術・情報は、日本海軍がドイツから持ち帰った。そして、海軍軍需工場から、今もある「サドヤ」に、大量の酒石を集めるように申し入れがある。
 また、酒石酸には、海水から真水を作る脱塩剤の主原料にもなるため、南方の島で戦う陸軍からも、大量の注文があった。
 日本全国のぶどう酒醸造業者が、酒石の結晶体の採集をはじめ、サドヤに集めて精製した。酒石の結晶はワイン樽の中にこびりついているので、樽を分解して採取する。これは終戦間近まで続き、酒石採取は二十数トンに達したと言われている。銃や大砲が、積極的武器だとすると、レーダーや探知機は消極的武器、楯に当たる武器だと言える。そういう意味で、「武器としてのワイン」と題をつけた。

コルスのワインから取り出した酒石の結晶は、薄赤紫の、例えて言うなら、アメジストに赤みを加えたような、結晶だった。

*コルス島…地中海西部にあり、すぐ下にあるジェノバ島はイタリア領。皇帝ナポレオンの生地、平地は少なく標高の高い山々が連なる。最高峰のチント山(2710メートル)をはじめ、2000メートル級の山がそびえ「美の島」と呼ばれている。南西にある、アジャクシオには、フェッシュ美術館があって、ヴェネツィア派やフィレンツェ派によるイタリア絵画の重要なコレクションが、保存公開されている。

参考文献:ぶどう酒物語 山梨日日新聞社編









2003年01月25日(土) 日本はどこにも行かない。



「日本の歴史」全二十六巻の最終巻25巻目「日本はどこへ行くのか」(講談社)が出た。この巻に、親しくしている友人が執筆していたので、買ってざっと目を通した。執筆者は、C・グラッグ、姜尚中・Tモーリス=スズキ、比屋根照夫、、T・フジタニ、H・ハルトゥーニアン。最初の巻00に「日本人とは何か」と題して網野善彦が書いているから、この全巻を通して網野史観が通底しているのだろう。この全巻を読むのは骨である。専門家か余程の歴史好き以外は読まない。

 そこで、どういった傾向(歴史観)のものなのか簡単に解る方を教える。
その前にちょっと25巻巻頭に載せられている写真を見てみよう。
アイヌが民族解放を訴える演説会のポスターが載っている、移民と民族それぞれの歴史として、沖縄の人達の写真が載っている。朝鮮統治時代の朝鮮皇太子と梨本宮方子の写真が載せられている。このコメント「統治を正当化するために結婚した」とある。悪意のコメントである。ところが、当時朝鮮より格下に見られていた、台湾について一枚の写真もない。
 元統治国の総督府をこわしてしまう朝鮮と、残して記念とする台湾と両方載せてこそ、読む側に説得力を与える事が出来る。これでは自分達の都合の良い側面だけを強調しようとしていると見られても仕方がないだろう。
さて、内容はもう読まずとも予測がつくので、執筆者を見ていく。まず、

C・グラッグ(キャロル・グラッグ)…著書に「日本の女をつくり直す1600年〜1945年」(西村桜訳)。「女性史学」というジェンダー関連の研究誌に寄稿したりしている。

姜尚中…この人はご存じだろう、異様に抑揚のない、落ち着いたしゃべりで偏った事をいう、主に朝日系の言論人。執筆と発言場所、週刊金曜日、噂の眞相、朝日新聞他、

Tモーリス=スズキ…(テッサ・モーリス・スズキ)この人はあの家永教科書裁判の家永三郎をノーベル賞に推した人々の一人である。推した言い分は次の如し。

 「家永さんの多年にわたる自由と民主主義、平和のための学問的な戦いが世界の良心的な知識人、平和活動家、人権活動家に良く知られ、高く評価され…」。
「ノーベル平和賞が始まったのは今から100年前、1901年である。この6年後、人道の観点から戦争中の軍隊の行為を規制する「陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ条約)」が成立した。15年戦争中に日本軍は、これらの国際法に違反する非人道な行為―無差別爆撃、南京虐殺、731部隊、「従軍慰安婦」等― を繰り返した。
家永さんはその行為の違法性を事実に基づいて明らかにするとともに、教科書に正しく記述され、子どもたちが過去の過ちに学びながら国際法と人権・人道に基づく平和な未来に生きてゆけるようにしたいと願った」
からであるとしている。何をかいわんやである。どこの国に、自国のまだはっきりしていない事共を糾弾してその事でノーベル賞もらえると思う馬鹿がいるか!
 この程度の知識と言い分で、ノーベル賞に推すとはあきれてものが言えない。結果は、コフィ・アナン国連事務総長にノーベル平和賞が与えられた。

比屋根照夫…(琉球大学教授)ヤンバル・ピース・ウェーブ実行委員会主催の「日本にとっての沖縄、沖縄にとっての日本」と題する緊急シンポジウムに参加
「日本連邦共和国などの沖縄の負担と差別の克服をめざす国家システム構想や沖縄のアジア・オセアニア性の強調など、反基地運動が閉塞状況に陥るたびに浮姿形を変えた沖縄独立論に連なる声が上せざるを得ない困難な事情」などを講演、共和国支持とは簡単に言えば、皇室を無くす事を是とする立場だと言うこと。

T・フジタニ(タカシ・フジタニ)
この人は「反ひのきみネット」の呼びかけ人となっている。反ひのきみネットとは日の丸・君が代に対抗(ママ)するネットワーク。
「日の丸・君が代に対抗するネットワーク」呼びかけ人
岩崎 稔(東京)
鵜飼 哲(東京)
岡 真理(大阪)
酒井 直樹(イサカ、ニュー・ヨーク州)
田崎 英明(大阪)
中野 敏男(東京)
タカシ・フジタニ(サン・ディエゴ、カリフォルニア州)
米山 リサ(サン・ディエゴ、カリフォルニア州)
吉田 俊実(東京)

他、二人略。
 もうこれで、どういう人達が執筆しているかおわかりだろう。
「日本はどこへ行くのか」、どこにも行かない。網野史観の批判は簡単である、「人間というものがわかっていない」、人は変わらない。これからも形を変えた「他者排斥・抑圧・侵略・戦争」は繰り返される。なぜか?、過去の歴史を見よ。歴史家の歴史知らずとはこのことである。過去が悪くて今が良いと思うのは現代人の錯覚である。

家永三郎1937年(昭12)、東大文学部卒。49年、東京教育大教授。77年に退官後、84年まで中央大教授を務めた。マッカーサーにフレンドリージャパニーズとして白羽の矢を立てられ、占領初期に連合国軍総司令部(GHQ)の指導で進められた国定教科書「くにのあゆみ」の編集委員になる。65年6月、大幅な修正を求められ合格した自著の高校用教科書「新日本史」をめぐり、最初の教科書訴訟(損害賠償請求)を提起。
訴訟は検定処分取り消しを求めた第2次、85年以降の検定を対象とした第3次訴訟と続最高裁が、97年8月「731部隊」の記述などに対する検定意見に裁量権の逸脱があったと認定、国に総額40万円の支払いを命じ、一連の教科書訴訟が終結。
国に学問や教育を左右されない事を主張していたが、当人は社会主義者であった。自家撞着の人。


_/_/_/ 親しき友人が何章目かを書いている。人はコンペン糖である。歴史観が違うといって、その人全てを否定するものではない。だれも全人格的に誤謬(ごびゅう)無きものなどいないのだ。_/_/_/









2003年01月22日(水) 「らしさ」の真実



「男女共同参画社会基本法」が、安易に女が外で働くことへの良き口実となりつつある。家庭で育児をし、切り盛りしている専業主婦には冷たい風が吹いて、配偶者控除がなくなる。まるで家で育児をする主婦も、子を訳の分からない人間に預けてでも働けと言っている、社会主義国のような扱いである。
 もう二十年前くらいになるか、「シャドーワーク」(イヴァン・イリイチ)という本が話題になって読んだことがある。シャドーワークとは家庭で働く主婦の労働の事で、主婦の仕事の賃金はだれが払うか…と言うような視点から、専業主婦を否定していく。
この本は日本以外の国では、説得力があったのだろうが、ほとんどの男が給料を主婦に渡している日本では、何だか説得力がなく、読んだ後もそう印象に残らなかった。日本の主婦の場合は、もらった給料からへそくろうが何しようが、その主婦の腕一つである。

 が、主婦が育児を他人に任せても、金儲けに社会にでて、ここ最近どうなったか?少ない保育所で、事件が起こると、自分の責任は棚にあげて、保育所を目をつり上げて非難する。
 「ジェンダーフリー(男女性差からの解放)」
なんだそうな。男女の性差は後天的なもので、社会や環境が男らしさや女らしさをつくったのだから、それをなくそうという運動の一環で、大阪、高槻市の公的な出版物に、男がスカートを履き、白塗りにお化粧しマスカラをつけた、二十数人が大まじめで、男から解放される訓練を?している写真が載っていた。一言に言って大笑いした写真であった。税金を使ってこんな事をしている。
こんな性倒錯者の恰好する事がなんで男女を越えたことになるのか?

 現代の医学では、性倒錯は何らかの身体内の事故であると言うことが解っている。男らしさ女らしさは後天的、社会環境的な物ではなく、脳内で性分化を決定するアンドロゲンの分泌によるものだそうだ。男児は、妊娠中の胎児期と生後二日から六ヶ月位の間の二回にわたって、脳内でアンドロゲンのシャワーを浴びる。女児にはこれがまったくない。従って、俗に言うおかまさんやおなべさんは、この脳内シャワーの時に、何らかの事故によって、シャワーが浴びられなかったり、その逆だったりして、性が倒錯したと考えられる。性差は後天的な物ではなく、生まれ落ちるときから決定されているということだ。

 話が少しそれたが、目出度く社会進出して、家庭を留守にし、今どういうことが起こっているかを、そちら方面の先進国スウェーデンで見ると、子供の犯罪が急増し、今では大人の犯罪がアメリカの4倍、日本の20倍、強盗にいたっては日本の100倍という、驚くような荒廃した国になっているらしい。
 犯罪を犯した子供の家庭環境を調べてみると、母親の優しい愛情が不足していたというケースが圧倒的に多いそうだ。

 中国(北京市海淀区で2000組の夫婦を対象に行った調査)でも、仕事を持つ妻の6割以上が専業主婦を望んでいることが分った(「人民網日本語版」2003年1月12日)この事実を日本のフェミニズムはどう解釈するのだろうか?相変わらず、自分が出来ないからと「くたばれ専業主婦」と言い続けるのだろうか。
 子供の非行の調査で、自衛官の子女達に、非行に走る者が皆無に近く、夫が外で働いているのを支え、家庭にいて、しっかり子供を見て育てている家に、非行に走る子は少ないという事実を、世のフェミニズム信奉者は発表したがらない。

「鉄の女性」サツチャーは、流行するウーマン・リブ(女性解放)やフェミニズムに抗して、妻であること/母であること/主婦であること、に誇りをもつべきだと、全女性に訴えつづけた。
「”ただの"母親、あるいは"ただの"主婦であるのは、他にやることが無いからなのだという考え方を私は決してしない。首相になる前にも、なってからも、そのような言外の想定を耳にしたときにほ、強い怒りを感じたものだ。当然のことながら、母であり主婦であることほ、非常に立派な仕事である」と。

            参考文献:中川八洋著書
               「脳の性差」新井康充著 共立出版
               「サッチャー私の半生」上巻、日本経済新聞社















2003年01月18日(土) どうする?日本



 ニューヨークタイムズ(16日付け)でアレン元米国家安全保障補佐官は、韓国が北朝鮮と米国の間で中立の方向に動くなら、暫時在韓米軍撤退を検討すると言っている。そして中国が北朝鮮への影響力を米国に対してカードに使うときは、米国は「日本に核武装というカード」を使える、といっているのだ。

そんな事、米国に言われる前にさっさと核武装してしまえばいい。この言い分でだと、日本はまるで属国(ほんとはかなりそれに近い)である。

 昔、ソ連が赤の広場をミサイル・戦車で畏怖堂々行進し、見せたあのミサイルは、実は大半張りぼてだったことを当時の軍関係者が述べている。だから行進の際、軽いので、揺れることを防ぐのに最新の注意をしたそうだ。その後も冷たい戦争を米国と戦った。日本の武士も江戸太平期に入ると新武士道も出てきて、刀は持つが刀ではない竹光を指していた。
 人は銀行に貯金している。銀行の金庫に、お金がいつも用意されていると思っている。この「あると思っている」事が安心になる。が、実は無い。
嘘だと思うのなら、日を決めて、みんな一斉に銀行に行って、全額下ろしたいと言ってご覧な。ないから。あるんだけど実はない。ここが大切なのだ。

何を言おうとしているかわかるだろうか?

 実際にそれを持ったとして、例えば日本の原宿に、板前が自分の命の出刃包丁を持って、200人が集まった。凶器準備集合罪になると思うか?ならないだろう。そして誰もそれで、町ゆく人を傷つけるような行動にはでないだろう。包丁に対する価値基準が違うからである。しかし、事あればそれを使って立ち向かう事が出来る。板前は包丁、猟師は鉄砲を持つが、誰も恐怖を覚えない。

 各国が武器を持とうとするとき、各国の民度が問題になってくる。日本は充分民度は高い。核を持つことで、日本が突然何にもしない他国を、攻撃するとは思えない。また暴発抑止として、反日的日本人が日本のあちこちにいる。
この人達が常に監視していて騒ぐ。持っているだけでよい。
たまに、キチガイに刃物の状態の国は存在して、それはたいていの場合は独裁国家である。

 日本人は「拳銃」を人を殺す道具と見るが、多く治安の良くないほとんどの国は、自分の命を守るための道具とみなす。日本人が世界とまったく異なった反応を示すのは、最近はそうでもないが、治安の良さと、世界的な発明である、よこちょの交番制度(ニューヨーク警察はびっくりして、この制度の視察に日本に来たことがある。)が行き届いているからである。事あればすぐに来てくれる。
地球規模にはこの交番がない。だれも助けてくれない。









2003年01月17日(金) 危ないぞ、日本!



 なんだろうこの緊迫感無しの日本は…。北朝鮮の問題がまるで米朝間のようなニュース報道。最も危険なのは日本なのだ。今本当に危ないと思っている。アメリカも実のところ、イラク問題よりも、核が届く、朝鮮に驚異を感じている筈だ。
イラク攻撃で壊滅させられたらフセインは腹いせに、アメリカの本当の目的である、地下石油に向けて放射性物質を撃ち込み汚染させ、石油に手出しをさせないように出来る。その時、アメリカの軍事作戦は無駄になる。だからじりじり攻撃をのばしている、その裏で、北朝鮮への戦略はすすんでいるようだ。
RFA(ラジオ・フリー・アジア政府系海外放送)が二十四時間北に向けて、報道を流し始めた。北朝鮮では一般の人達は海外の放送を聞くことが出来ない。平壌では、周りに妨害電波が張り巡らされていて受信できない。日本からの仕送り?の中に例えラジオが入っていても、自己申告でしかるべき所にラジオを持っていく。そうすると、国内放送の所以外は聞けないようにハンダ付けされて返される。

ビデオデッキなども金持ちは日本から送ってもらえるが、外国の物は一切見られない。内緒で見ている人達の不正を、どういう風に検挙するかといえば、国家保衛部(秘密警察のようなもの)が疑わしい家に夜更け忍びより、突然電気を切る。もし、ビデオを見ていたら、ビデオは器内にはいったままの状態になる。そこで踏み込み、再び電気をつける。そうして検挙された家族は、翌朝家族ぐるみ突然消える事になる。

だけれど、何時の世にも抜け道巧妙な方法で聞く人達は存在し、その人に向けて、内部から北朝鮮を崩そうと、RFAは動き始めた。三十八度線も米韓新たな動きがある。核施設をやがてアメリカがたたくとき、すべてアメリカ任せの日本にも、必ずミサイルは飛んでくる。その時の覚悟を各自決めておかないと、あとで政府になんだかんだと文句を言っても、すべて自分達の責任に帰す。今本当に日本は危ない。










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