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2002年09月17日(火) 何と言うこと!!



 北朝鮮での拉致者は一年以上前に、たん譚はこうなると思っていたしどこかに書いた記憶がある。
あちらの立場にたてば、知らないと言ってきた以上、最後は全員死亡にして殺してしまえば一番楽だ。殺したか事故で死んだかは問題ではない。
死んでいることによって、これからの交渉は楽になる、そうすることで、もうこれ以上追求されることはないからだ。横田めぐみさんや、李恩恵が日本に帰ってきて、あったこと全て喋られると世界的に人権問題などで大事になる。これは端からいないことにし、殺してしまえと普通独裁者なら考える。そうして全員ではないが大体そのようになってしまった…。

 北朝鮮が無くなれば、ほうって置いても家族は帰ってくると、醒めたこという学者評論家がいるが、それならば、いずれ太陽は膨らみ爆発するのだから、何をしてもしょうがいないと言うことに似て、あほ評論家の言い分で、そんな奴は本でも書いてればいい。
 
 本当に残念だ。
北朝鮮関連の本はあらゆるものを読んできた。よく分かっているつもりだ。やっぱり…というのが正直な感想で、本当に残念だ。こんな国との国交正常化をして何をするのだ、その前に遺体を返せ。!!

 こういう国家になぜすり寄って、しなくても言い、全く根拠のない「謝罪」をしなければならないか? 小泉首相、それから声高にTBSの昼の番組で「一体日本は北朝鮮になにをしてきたか!!」と言っていた、同い年の井筒監督、はもう一度、日本統治時代からの勉強をする事を望む。あやまる事実も、謝罪などする必要もないことは、キムワンソプという朝鮮人自身が第三者的立場で述べている。
 井筒は環境から一方的に在日の言うことを信用して来たろうが、ヨーク考えてみてくれ、それほど虐げられたはずの朝鮮人が日本のパチンコ業界を牛耳り、繁栄している事実はどう説明するのか?これはキムワンソプがいっていることだ。
それと植民地植民地というな!植民している筈の日本に何十万単位で日本にすみたがって、もうこれ以上受け入れられないと、朝鮮に帰国してもらっていたりする事実を、当時の朝日新聞も伝えている。どこかイギリスでもフランスでも当時植民地の人々が、なだれを打って植民している国に住みに行くなんて言うことがあったと思うか?皆無である。今いる在日はほとんどが自分で望んできて、自分で望んで住んでいる。そう言う中で、どこの国でも差別は存在する。それを強制連行や、併合のせいにしてはいけない。これもキムワンソプが書いている。真にその通りである。
 
 植民地ではなく、何箇条かからなる条文の下で取り交わされた、りっぱな吸収合併なのだ。そんな歴史的なことを知らず、いたすらに植民地と言う言葉を使うな!

 

本当にこの国(北朝鮮)は悪の枢軸と言っていいだろう。今回は激情のまますぐ書いた。


【警察庁認定の8件11人】

 生存者 地村保志、浜本富貴恵、蓮池薫、奥土祐木子

 死亡者 横田めぐみ、田口八重子(北朝鮮での呼び名は李恩恵)、市川修一、増元るみ子、原敕晁、有本恵子

 安否不明者 久米裕

 【その他】

 死亡者 石岡亨=札幌市出身、松木薫=熊本市出身











2002年09月15日(日) 言い訳



 本日当頁更新日ですが、出来てません。ごめんなさい。十月一日から徳島そごう百貨店での展覧会に向けてまだ二点未完成で現在制作中です。
と言うことで、更新延期します。展覧会が終わり次第更新にかかりますのでよろしくお願いします。

リンクも戸塚ヨットスクールを奉仕で支援している方の頁、まさに現代の快男児、元極真会館師範代の頁、BTORON OSだけでホームページを作っている方の頁、政治家平沢勝栄の頁など一言付きで紹介する予定。
 ただ、たん譚は簡単にどこからでも書き込めるので、思いついた時書き込みますので、見てください。

 今年は夏休み無しだったので、晩秋の頃に、マルセル・パニョルの映画「泉のマノン(原題、「フロレット家のジャン」)」や、自伝的映画「マルセルの夏(原題、「父の栄光」)」、「マルセルのお城」の舞台になった、マルセイユの北にあるエトワール山付近でジットしてこようかなと思っています。


 最近、ネット上で尊敬すべき方達が相次いで、誹謗中傷されて、片や掲示板閉鎖(掲示板はどこのもほとんど見ないし参加しない、顔の見えない知らない人と会話するのは苦手)、片や楽しみにしていた、メールマガジン配信停止になって残念に思っている。先日見た狂言の、「月見座頭」の曲と重なって見えてしまう。人は相手に絶対的にわからないとなると何をするかわからない。
だが、絶対しない人もいる、人間としての己がプライド高き人はしないだろう。









2002年09月14日(土) 馬鹿も休み休み言え!



 日本で二番目の標高を持つ北岳(3192m)のある山梨県芦安村を含む六町村が合併して新市名を「南アルプス市」に決定したそうだ。
例えばルツェルン湖が、スイス琵琶湖とスイスで呼ばれているとして、各町村が合併のおり、南琵琶湖市と名称を付ける発想が、議会で出てくるだろうか?
あくまでそれは俗称で、一種のコンプレックスをともなったものだ。
「なにそれのハワイ、…のラスベガス」昔々、ウエルターウェストンが日本の信州に来て、その言う日本のアルプスだと言ったとか言わなかったとか。ただそれだけである。そんなに外国の地名がつけたいか!
 酒を始め嗜好品ならまだいいだろう。
これを書いていて思いだしたことがある。昔サントリーは、甘い模造ワインを「赤玉ポートワイン」として売り出した。日本のポート(ポルト:ポルトガルで産するワイン)というわけだ。軽い気持ちで付けたのだろうが、当のポルトガルから訴えられ恥をかいて、そっと銘称を「赤玉スイートワイン」と変えた。
 
 アルプスは固有の地域名である。それにアルプ(牧草の事)は、日本の南アルプスにも中央・北アルプスにも存在しない。日本の山が似ているとしたら、牧草地の上の急峻な岩峰群が似ていると言えば似ている。

 もういい加減にカタカナ横文字はやめにしよう。意味がまず分からない。じゃ横文字で書くか?もうそうなると日本ではない。スイスの国内地図に、地名を日本の漢字や平仮名で表記してあったら、どうかしていると思わない方がおかしい。

来年から正式になるらしい「南アルプス市」。スイスから訴えられない事を願うばかり。ああ恥ずかしい。

ちなみにルツェルン湖. は、正式名をVierwaldstattersee 「4つの森の国の湖( フィーアヴァルトシュッテルゼー)という。なんていい名なのだろう、こういうのを見習え!









2002年09月12日(木) たん譚観劇!



 長い間?前売り、売り切れで狂言を観劇することが出来ないでいた。ようやく切符が取れ、今日実に久しぶりに行くことが出来た。某大学の先生で茂山忠三郎の弟子?でもある、米国人の知人Jなどは、いつ行っても見に来ている。
別に、もぎりをして手伝っているわけでもないのに、いい席に座っている。かたやチケットも手に入らない日本人がいる。
 本日の曲の一つは一休さんの話しでも有名なもので、主(あるじ)に、これから留守をするので、これの見張りをしておけ、大変な毒物(附子)で、空気感染さえもありうると脅かされたそれが、実は水飴で当時貴重品、しかし太郎冠者と次郎冠者はウソだと見抜き、さんざ賞味した後、主の軸、焼き物をこわし、責任をとって、それを食べて自害しようとしたと、主にいいわけする話。
 狂言の題は「附子(ぶす)」という。附子はトリカブトの根を精製して作る毒物で、前説では、当時局部麻酔として使っており、顔などに塗ると、その部分がよじれて見にくい様相を呈するところから、現代の不美人を言うようになったといっていたが、樋口清之さんが書いているところによれば、その毒物を飲んで、あえぎ苦しむ顔の形相が真に醜い、そこからきているとも、読んだことがある。

 古典とは同じものを繰り返し見ても飽きないものをいう、筋はすでにわかっている、みんな知っている、それをともに見て、また笑う。これが文化である。わずか二百年ちょっとしか歴史のないアメリカでも、映画ですでにそれがはじまっている。タイタニック他などはそれである。
話を狂言に戻す。

 今回はっとしたことがあった。茂山千作の「鵜飼」という小舞が終わり、次の出し物「月見座頭(つきみざとう)」を見て感じたことである。この曲は、今は絶えた鷺流(さぎりゅう。他に和泉流・大蔵流がある)
で演じられていたようだ。題名からして今の人権派の人々から糾弾されそうな題名(なぜというに、めくらにも位があり、上から検校-けんぎょう-別当-べっとう-勾当-こうとう-座頭-ざとう-)である。琴の宮城検校、勝新演ずるところの座頭市の名にも見えるように。
 今回これを見ていて、もし鷺流がこのような曲目ばかり演じていたとしたら、絶えてしまったのもしようがないかなと思ったのだった。決して専門家でもない淡譚の感ずるままのことだけれど、この曲には笑いがほとんどと言ってない。

 話は、目あきが月や自然を吟じたり唄ったりする、座頭はそんなことはついに出来ない、せめて鴨川のほとりに出て、虫の音でも鑑賞しようと河原で聞き入る、そこに目あきが来て、目くらが風流をすると感じいって、最初は互いに句などを披露するも、当時著名な俳人(この狂言、月見座頭は江戸時代の後期の作と言われている)のまぜこぜだったりする、ここが唯一笑える場所だが、後は、その河原の席で酒を酌み交わし和やかに歓談の後別れるも、目あきが座頭に意地悪することを思いつく。わざとぶつかって難癖つける、ところが座頭はわざとだと言うことを「目あきが、めくらにぶつかろうことがあるわけない」と喝破する。
そしてかわらでくっさめを一度して、しずしずと帰っていく。
 これは、目あきが、まったく相手にわからないという前提でする、悪魔のささやき的な行為だ。言い換えてみれば透明人間になって何でも出来るという事とおなじである。その時人はどういった行為にでるのか?そういう事を見ている側に突きつけてくる。が、しかしこれはもう狂言ではないと思うのだ。狂言では、人の刃傷沙汰はなく、人の死ぬ場面はない。皆無である。狂言は本来、弱い者が、強いものを笑うものである。
 
 この曲に関して、多くの観客の拍手のとまどいがあったように思えた。例えば吉本新喜劇の中で、葬式の設定で悲しみのまま、終わってしまうような光景を思えばいいだろう。
見ている観客はとまどう、何か落ちはないのか?というわけである。それがくしゃみを一つしてめくらは目あきにしてやられて去っていくのである。
 猿楽から能狂言が分かれ、洗練された笑いが狂言として残った。この曲はどちらかというと世阿弥を感じるのだ。能楽に見られる暗さ(悪いという意味ではなしに哲学的)を。
そう言う意味でこんな作風ばかりを鷺流が演じてきたとしたら、鷺流が絶えたのも無理がないと今回素人目に思ったのだった。









2002年09月02日(月) 厚顔無恥と交換無知



 長野県知事に再度田中康夫が選ばれた。民主主義の国である。だからそれでいいのだろう。あのヒットラーもちゃんとした選挙で当選し、後にナチスを作っていく。
 何度当選しても、議会で話し合う能力の無い人は、知事としては不的確だろう。話し合いで何でも解決できるとは思わないが、とことんやって、それでだめなら、正しくなくても多数決で決定する。
それが民主主義の長所でもあり、欠点でもある。
振り返ってみれば、田中康夫は議会に「だめ」の烙印を押されたのであった。
何がだめなのか?とことん話し合う事が出来ないという事に関して「だめ」がでて失職となったはずである。
 この基本的な所が無いと、後は、周りにイエスマンばかりを置いて、独裁的にやっていくしかないだろう。知事失格の烙印を県議会で押されたら普通はやめて、また作家に戻って好きなように、書けば良いと思っていたが、どうもご本人にはこたえていならしい。厚顔無恥(こうがんむち【意】厚かましくて恥知らずなようす。ついでに田中康夫支持の県民は交換無知)とはこういう事を言う。

 抱負で「今後、より一層透明性を高めていく」と言っているから、やがてガラス張りの知事室の中には、洗いざらいを見せる、パンツ一丁にネクタイ姿の知事がいるかもしれない。









2002年08月29日(木) 三流



 田原総一郎という司会者がいる。今は司会者で名を馳せているが、15.6年前には、当時オムニ(日本版)という科学雑誌に、企業内研究者の提灯記事を書いていた。何度か読みかけたが、提灯記事の性格を持つ上に、その文体がとても「下品」で読むに絶えなく、以後、再びテレビでは見るが、氏の書く文章は読んでいない。

 三流である。何が三流かというと、司会業なのに、自分の意見でもって、ゲスト達の言論を遮って何とも思わない事で、ニュースステーションの久米宏も同列である。イタチの最後ッぺで、ぽろりと稚拙な持論をいい、先までのニュースソースを茶にして、コマーシャルに行く。そうすると、見ている人にとって、その最後ッぺが、強烈な印象として残る。

司会者やアナウンサーは仕事中に、私見をいうな!

意見言うなら、自分がそう言う席にゲストとして、言論人として出た時に言え。
 今回も、サンデープロジェクトで、高市早苗議員へ難癖を付けて、靖国参拝する不特定多数の人々に対して、「靖国神社に行ったら、下品な人間の、憎たらしい顔をしたのが集まっている」とまで言った。

氏は一見、バランスをとった司会をしているようで実はそうではない。最初に結論ありで、自分の考えを全面に押し出して、裁判官のように言論人の意見を切って捨てる。
今回も
「満州事変以降の戦争は、日本にとって自存自衛の戦争だったと思うか?」と、事はそう簡単にどっちかなどといえない問題に、自分の持っている私見を中心に話を進めてしまうのである。あげくに見解の違う相手を罵倒してしまうのだ。

 満州事変(1931(昭和6))年について、最近少し偏向して日本に対する悪意の記事が多い、ニューヨークタイムスも当時、以下の記事を書いている。

「日本は満州事変に関して効果的な広報をまったく欠いている。日本の側にも数多くの点で正当な主張はある。国際的な条約で認められた満州での権益を中国側に侵害されたことを主張する権利がある。・・・だが日本は国際世論への配慮を怠り、激しい批判に対する自国の立場の説明や、正当化をしないままに終わっている。
国際連盟理事会での日中代表による公開討論会においても語学力、表現力の決定的な差によって、すっかり親中反日の空気に覆われてしまった。「連盟はそれに影響されて、中国にあまりにも有利な見解を軽率すぎるほど早急に採用してしまった」」
 この時の首相、犬養毅の序文がついた河上清の「日本は発言する・日中危機の中で」と題する本が米マクミラン社から緊急出版された。タイムリーな発言は、全米で評判になった。

満州事変周辺には、以上のような当時の状況があった。

 著者の序文では河上清は自分自身を「みずからの生まれた故国を深く愛しながらも海外に長く住んで欧米のものの見方を十分に理解している愛国心あふれる日本国民」と言っている。

単に、白か黒かではないのである。

ジャーナリスト。 24歳の時、当時の大新聞・萬(よろず)朝報に評論記事を 送った所、いきなり第一面の「論壇」に掲載され、その縁で内村鑑三、幸徳秋水、内藤湖南など、萬朝報のそうそうたる執筆 陣に混じって、健筆をふるうようになる。
       参考文献: 国際派日本人養成講座












2002年08月24日(土) 知らなかった!!



 三年前の初夏、スイスアルプスまっただ中の、グリンデルワルドにある、シュバイツアーホフというホテルにいた。夕飯をとるテラスからはアイガー北壁が目の前に見える。北壁の中腹辺に、ほぼ垂直の岩壁にへばりつくように小屋がある。
山小屋は見えないが、山小屋のともしびが広い斜面にぽつんと見えた。テラスには備え付けの望遠鏡があって、北壁の登攀者を確認できるようになっている。
夕飯の間はチターの生演奏。第三の男の演奏になった途端、拍手が起こった。四方は白銀の山嶺。至福の一時。やがて日は落ち、青い月が白きたおやかな峰々を照し、夜は更けていく。
 翌日はユングフラウヨッホ(約3500m)に登った。といっても、登山電車を乗り継いで行けてしまうのだ。
 頂上付近には、巨大な氷室があって、氷の彫刻などがブルーアイスのトンネルの中、あちこちに置かれている。日本の相撲取りの全身像もあった。そこで本題に入る。
この山の中を巡っている巨大な氷室(迷路のようになっている)は天然自然の環境で成り立っていると、本日の夕方のニュース番組を見るまで思っていた。近年、地球の温暖化かどうか、雪が溶けている事も知っていたつもりだった。
 ニュースでは、このユングフラウヨッホの氷室の事を伝えていた。何と!あの氷室は巨大なクーラーで冷やして人が管理しているのだそうで、グリンデルワルドの雪も、どこかから持ってきている??と伝えていた。標高三千五百メートル近くの所にあるというのに。
知らなかった!
確かに、八十五年頃に訪れたときは、もっと氷河も下の方まであった。
本当に知らぬ間に深刻な事になってきているようだ。
あの巨大な氷室全体が人工的な冷蔵庫なのだ。









2002年08月23日(金) 半空蝉(うつせみ)



 ここ何日か前から、涼しい日が続き、明け方など、寒さで目が覚めたことがあった。今朝も気持ちの良い目覚めで、花に水をやるため庭に出た。その時、庭の竹垣に立てかけてあったスコップの木の柄、上三分の一の所に、蝉の抜け殻が喰らいついているのが目に留まった。蝉の抜け殻は都会ならまだしも、この辺りでは珍しくもない。夏の季節の終わり頃、哲学の道を散歩すると、短い一生を終えた蝉や抜け殻など、道端にゴロゴロ落ちている、哲学の道大虐殺?の現場が見られる。
 だけど、今回のスコップの木の柄に喰らいついている、空蝉(うつせみ)は様子が違った。近づいてよく観察すると、なんと殻から蝉が頭を出し、まさに脱皮しかかる状態で息絶えていたのだ。
 七年に及んで地下生活をして、地中からようやっと這い出し、どこか小高い場所に這っていって、おもむろに殻を破りはい出ようとした時、明け方の急激な温度変化で、命運尽きたに違いなかった。しばらくじっと見ているうちに、志賀直哉の「城の崎(きのさき)にて」を思い起こしてしまった。

              *******

・・・ ある朝のこと、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立ち働いている蜂はいかにも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見るたびに一つ所に全く動かずに俯向きに転がっているのを見ると、それがまたいかにも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日ほどそのままになっていた。それは見ていて、いかにも静かな感じを与えた。淋しかった。
 他の蜂が皆巣へ入ってしまった日暮れ、冷たい瓦の上に一つ残った死骸をみることは淋しかった。しかし、それはいかにも静かだった。夜の間にひどい雨が降った。朝は晴れ、木の葉も地面も屋根も綺麗に洗われていた。蜂の死骸はもうそこになかった。今の巣の蜂どもは元気に働いているが、死んだ蜂は雨樋を伝って地面へ流し出された事であろう。足は縮めたまま、触角は顔へこびりついたまま、たぶん泥にまみれてどこかで凝然としていることだろう。外界にそれを動かす次の変化が起るまでは死骸は凝然とそこにしているだろう。

 それとも蟻に曳かれて行くか。それにしろ、それはいかにも静かであった。忙しく忙しく働いてばかりいた蜂が全く動くことがなくなったのだから静かである。自分はその静かさに親しみを感じた。

            *******

 志賀直哉の言いたいことはよく分かる、生の果ての死、動の終わりとしての静を蜂の死に重ね、そしてそれはもう、外的誘因がない限り、永遠に動かない。それを志賀はひたすら「静か(静謐)である、そして静(死)に親しみを感じる」と言っている。

 ところが、今日庭で見た、半空蝉はその感慨にはたどり着かない。生の躍動最中(さなか)、それも、変身を遂げる直前で死んでしまったのだ。「ひたすら静か」とは到底感じられない。
ずっと見ていると、今にもぬれた羽をひろげ、少しの後、大空に飛び出していきそうな気配が残っている。ひたすら、「動」の気配が漂っているのだ。黒いキャビアほどの蝉の目が潤んでいるように見えた。

 生から死へ天寿を全うした蜂と対照的に、生のただ中、十分力を蓄えて、変身を遂げようとするさなかの、不意の死。変な言い方かもしれないが、エネルギーがみなぎった死、のように思えた。









2002年08月21日(水) 校正の大切さ



 出版物などを出すときや、新聞紙面の原稿を書くとき、影にいてチェックする人達が校正の人達である。この人達のおかげで既成の事実、字の間違いなどがチェックされる。そうして、「作品」となって発表される。
ところがインターネットの個人ページの文章などはそれがない。だから、かなり著名な人でもタイプミスや記憶違いによる誤記があることがある。

 淡譚自身も後で読んでとても恥ずかしいミスをしていたり、思い違いによる、ミスが結構ある。救いは、お金を取っていないことで、その分差し引いて読んで下さい。名前特に人の名はしょっちゅう記憶間違いします。下記の淡譚もそうでした。今朝新聞を読んでいて、いつのまにか頭の中で、敬子が敏子にすり替わっていた。ほとんど、自分で気がつく以外に誰も注意してくれない。

 今までは、その文章自体を訂正していましたが、あほさ加減を残そうと思い、間違いの文章はそのままにすることにし、訂正文章を後にその箇所に書くことにした。自身の文章を載せる前に何度読み返しても間違いは発見しにくい。
昔、古本市の珍本コーナーで、表紙に「スパデッテイーの秘密」と堂々とタイトル印刷された本を、買ったことがある。だれも気がつかないで、印刷出版して初めて読者に笑われて、回収されたと思われるもので、これからも分かるように、校正という仕事は無くてはならないものなのだ。
 10年くらい前、Dr.中松の一連の著書を読んでいたとき、非常に誤記やタイプミスが多かった事を覚えている。きっと校正者を使っていないんだろうと思った事があった。

 ここの文章は出版物には無い良さで、ちょっと書き換えたりすることがあります。そういう楽しみ?もあるかもしれない。










2002年08月20日(火) 長野県の市民



 長野県の知事候補の紅一点、飯田市の弁護士、長谷川敬子(敏子から訂正8/21)と言う人の背景が何だかあやしい。正式出馬表明は駒ヶ根市の女性市民グループ「女性の目で見る県政ネットワーク」が代理発表している。
 
 田中康夫前知事の、幼稚な胸バッジや、初めは冗談でやっていると思った、知事室を透明には、文字どおりガラス張りにした。これが情報公開というしゃれだとしても、座布団はやらない。しゃれで言うと駄じゃれである。「そのまんまやないか!」
女の人との閨房日記のような自慢話(男から見たら)を雑誌発表して、何とも思わない神経で、知事に立候補したのは良いけれど、最初に結論ありきで、議会ともかみ合わない。それで失格の烙印を押され、失職した。ところが破廉恥にもまた知事選に出ている。そしてそれでもまだ支持すると言う市民グループがいる。
 さてここで言う「市民」とはなんぞや?彼の市民と此の市民はどう違う?日本語の市民は普通、市井の人々を指すようだが、市民には本来、「シビル」と「シビック」との二種に分けられ、「シビル」は国家を権力=悪とみなし戦う市民、「シビック」は国家に対し、義務と権利をわきまえる市民を指す、という意味がある。さて上の長谷川さん、田中前知事の応援団はどちらだろう。

 多分どちらの市民グループも「シビル」だろう。長谷川さんのバックにはフェミニズムの臭いのする人達がいる。当選すると妙に女を強調するような言動や行動に出るようになるかもしれない。そうして今回その危惧がある。なんでわざわざ「県政を女性の目で見る必要」があるのだろうか?普段フェミニズムは、「男や女を超えて人間として」と言っている。そうすると別にわざわざ、女性の目で見て県政をしなくてもいいと言うことになる。
しかし、現実には「女性の目で見る県政ネットワーク」が代理出馬発表している。

 田中真紀子が外務大臣を降りたとき、なぜ次も女でなければならなかったのだろう。女の人であればフェミニズム方面にもいい顔が向けられるし、集票率がいいとでも思ったのだろうか。
本当に尊敬すべき女達はいる。だけど、政治家の中にはほとんどと言っていない。大抵は野で活躍している人達の中にいる。

 脱ダム奪だむ後光の擦り切れ・・・?と、となえ続ける田中元知事の応援団も多分にアウトロー的な「シビル」だろう。「私達の知事が書いた***日記よ」と子供に平気で話せるのだろうから。

 最も近い秘書も本人に要請を受けてなったが、程なく離れた。最初全面的に支持していた地元有力者も離れていく。この人たちが本当の「シビック」かもしれない。愛想が尽きたらしいのだ。
 長野県民は見た目で選んでるとやがてしっぺ返しが来て、お叱呼チビルことになる。










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