目次 |過去 |未来
愛媛県人は民度が高い。漱石のぼっちゃんの舞台であり、俳句の盛んな県で もある。この愛媛県で、扶桑社の中学の歴史教科書が採択された。京都で若い友人達や諸先輩方と採択に向けて協力し、本が出来たことを期に、今は離れたが、やはり嬉しい。これがきっかけとなって日本中に拡がって欲しいと思う。栃木県のように、一端採択されたものを、一部イデオロギーの偏った連中に脅迫(教育委員の家に、カミソリの刃を送ったり執拗にFAXを送ったり)されて、採択を取り消すなどと言う民主主義の基本を壊してしまうような事があってはならない。 本当に愛媛県の人々、「つくる会」の人達、日本会議の方達、もうみんなえらい!! が、高校の教科書はまだだめである。
2002年08月16日(金)
大文字山(だいもんじやま)
大文字の送り火はつつがなく終わった。この大文字さんを効果的に他府県の友人に知らしめる悪戯がある。家の裏にある、若王子神社を抜けて、同志社大学の創始者新島襄の墓に行こうと、さりげなく声をかける。友は山を少し登らなければならないと聞いて、躊躇するも断る理由もない。しぶしぶと後に従ってついてくる。小さな山の腹をトラバース(横に巻くこと)し、狭いけれど、はっきりついた小径を登っていく。 やがて、新島襄先生のお墓に着くが実はそこが目的ではない。そこからさらに一端琵琶湖側に出て、灌木の尾根筋を北へとひたすら歩く。友は不安に駆られて、一体どこへ行くのだと聞く。ここで、迷ってしまったと大嘘をつく。 構わずどんどん山道を北へとる。30分くらい歩くと琵琶湖側から、京都側へのみちとなり、つらつらと下ると、急に視野が開け、細長い土の剥き出た階段状の場所に出る。 「ちょっと休憩しようか。」 縦に長く下に続く小径の横に座り、友をうながす。友も、隣に座って眼下の山々に囲まれた盆地の町並みに 「いい眺めだなぁ。」 茶を入れ、友の顔をじっと見る。 「いい眺めだろ、ここ。」 「ほんとにいい眺めだなぁ!あの緑濃い所が御所か、そうすると…」 と悦に入っている。 「ここどの辺だと思う?」 友は、京都の知識を総動員して、 「あそこが御所だろ、だとすると、あの界隈が百万遍か…。」 なんて言っている。 ま、ほとんどが分からないで終わる。そこでおもむろに咳を一つして、今、お前が座っている所は、送り火で有名な大文字山の、大の縦棒のうったての部分に座っているのだと言うと、 「あっ…!!」 もうこちらの期待したとおりの驚きよう。 してやったり! そうして、とても嬉しそうな顔になる。見るだけの大文字だったのが、知らぬ間にそのまっただ中にいるのだから。 また、ある時は、友を大の字、右上に座らせお前の座っている所は犬の点の所だと、犬文字にしたり、太文字にしたりして悪戯する。これは府外客に必ず受ける。が、これから下る、銀閣寺側、朝鮮学校のあるところから登ると、案内板があるので、ばれてしまう。 そうして、ひとしきり楽しんだら、銀閣寺に向かって下っていくと、ご先祖様の(ウソです)、旧中尾城跡下に質のいい湧き水が出ているところを通る。 以前はここまで歩いて、真夜中の12時頃10リットルのポリタンクを担いで、茶のために水を汲みに来ていた。何でそんな真夜中かというと、朝・昼はこの水のファンが多く、しばらく待たなければならない。それに10リットルである。ちょろちょろの岩清水を10リットルは結構時間がかかる。後を待つ人に申し訳ない。と言うことで、真夜中となった。貸し切りですぐ入れられて、真っ暗な中、下山するので、足腰も鍛えられる。 抹茶の発色が水道水とはちがうのだ。 そういう真夜中、会って一番怖いのは化け物ではなくて、人間である。一度など、上から人が急に降りてきて、本当にびっくりした。男二人で、京大の学生諸君であった。彼等は夜景が見たくて、夜大文字に登ったんだと言って、水を一口飲んで、下って行った。現代にも剛毅な若者はいるのだなぁと感心した。
今日のこの日が敗戦の日で、終戦の日ではない事は、淡譚2002年04月28日(日)「今日は本当の終戦記念日-覚え-」で書いた。 * ポツダム宣言を受諾した昭和二十年八月十五日に敗戦を迎えた。なぜ、敗戦で終戦ではないのかというと、昭和二十七年の今日まで日本は戦争状態にあった。 *サンフランシスコ講話条約(第一条a) 「日本国と各連合国との間の戦争状態は(中略)この条約が日本国と当該連合 国との間に効力を生ずる日(昭和二十七年四月二十八日)に終了する」 以上の理由から終戦記念日は四月二十八日となり、今日は戦が負けと決まった日。 ここ二三日、町行く人々の感想をテレビでインタビューしている。何にも変わっていない。「戦争を二度と起こしてはならない。」とか、「戦争はいけない。」とか、「平和の願い」のような意見。意図的にカットされたのかどうか、意見が単色なのだ。人々は美食や買い物には興味があっても、この日の意味をほとんど学ぼうとしないし、興味を持とうともしないように見える。今日栄耀栄華を極めている中で、はっきりしている事がある。 戦って負けた事は、残念だった。それとそのことに対する善悪は別である。 もし、勝ち戦(いくさ)をしていれば、上のインタビューされた同じその人の口から「戦争はいけない」とか、「二度と戦争を起こしてはならない」という言葉は出てこないだろう。歴史を振り返ってみても、日清戦争の後、日露戦争の後の人々の言葉を当時の新聞で拾ってみれば、簡単に分かることである。 今日、かっての高度経済成長、全くの武器を持たない平和主義(というと必ず自衛隊があるじゃないかというが、戦闘機にしても、先制攻撃出来ないように、朝鮮半島まで飛べないように燃料タンクは細工されている。また、ミサイルを積めないようにして骨抜きになっている。)は、アメリカとの同盟の下での言い換えれば、アメリカの核の下での平和享受なのである。この平和の下で、戦争の善悪を言ってみてもはじまらない。 昔、日本人は、自国は自国で守ろうとした。台湾人が最近の日本人を見て、腑甲斐ないと嘆いている。かって、台湾も朝鮮も日本だった。台湾人は日本精神という言葉を一級の言葉として使っている。「武」なしの平和は今のところありえない。無抵抗主義と誤解されているガンジーでさえ認めている。 自国(自分)の事は自国で守るのは当たり前のことである。永世中立国スイスを、何か平和主義の象徴のようにいう人があるが、綺麗なスイスアルプスの土手っ腹には、四方に向いてミサイル格納基地があるのを知らないのは、多分日本人だけだろう。 スイスは優れた地域共同体を持ち、各個人の家に一家に一冊「民間防衛」という本を配っている。内容は、戦時国際法に基づく戦い方、他国軍隊がスイスを通過していく時には、どのように振る舞ったらよいかなどが、書かれている。これ等を踏まえて初めて「平和」の尊さを発言できる。 隣国が善人だと頭から信じて、我が国の人々が誠実に成してきたことを信じず、隣国の言った事の方を信じる日本人は多い。人は平気でうそをつく存在なのだ。 日本人にとって、A級戦犯もB級戦犯もないのだ。靖国神社の事もそうだ。誰に気兼ねしているのか。言っている当事国は死者にむち打つ国であることを知っておいた方がよい。墓を掘り起こしてその死体をばらばらにしてしまう国柄なのだ。兵馬俑が頭を残しているのは、地中に埋めてあるのが発見されていなかった事が幸いしている。彼の国の、地上にある歴史的な石像などは全部首がない。そういう国柄だからこそ、日本のために戦った英霊に文句を言う。死んだら仏や神になる我が国のことなど認めないのだ。 かって戦争で日本人に虐待されたと、日本にそれを訴えに来た英国人が靖国神社を訪れ、靖国に奉られているのは日本人だけではない事を知り、訴訟を止めたという事があった。 「武」を持ち「武」を知り、それに「知(智)」をともなって初めて、「平和」を語る事が出来ると考える。
夏の山旅の終わり近く、深山の峰をはるか下にある村に向かってひたすら下っていると、日暮しのかな・かな・かなという鳴き声が決まって聞こえて来る。それは祭りの後のなんとやらと同じような、一種独特の寂寥(せきりょう)感がある。日暮しにはつい最近までそういう風なイメージを持っていた。遠くで鳴いている、あぁ、夏も終わりだなぁと言うような。 ところが、先日夕暮れ迫る頃、庭のクスノキに日暮らしが一匹やって来た。そうして鳴き始めた。「かな・かな・かな・かな」まぁ、その鳴き声の喧(かまびす)しきことこの上ない。 わずか二・三メートル下で聞く日暮しには、寂寥感も何もない。ただ異様に通る鳴き声に驚くばかりだった。秋が来たなんて露程にも思えない。現役のミンミンゼミやつくつく法師より鳴き声は大きい感じさえした。趣一切無し! 蝉と言えば昔、芭蕉の「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」の中の蝉をめぐって、歌人の斎藤茂吉と、小宮豊隆と言う人が、論争をしたことがあった。茂吉はあぶらぜみ、小宮はニイニイぜみと譲らない。芭蕉はこの句を、陽暦七月十三日頃の山形県・立石寺で詠んだと言われている。茂吉の主張する、あぶらぜみは山形では7月中旬〜8月中旬、小宮のニイニイぜみは6月中旬〜8月中旬だということで、どうやら小宮の方に軍配があがったらしい。他にも蝉はいたようだが、日暮しは7月の初め頃、エゾハルゼミは五月〜七月で句にそぐわないという事だったようだ。 万葉集に 「 ひぐらし の鳴きぬるときは女郎花 咲きたる野辺を行きつつ見るべし」 「今よりは秋づきぬらしあしひきの 山松陰にひぐらし 鳴きぬ」 「萩の花咲きたる野辺にひぐらし の なくなるなへに秋の風吹く」 これに詠まれている日暮しはどうも今の、かなかなかなと鳴く日暮し一種ではなく、萩や女郎花などの季節に鳴くのは、和名「赤せみ」のようで、阿波徳島では、今も赤せみの古名「日くらし」と伝えている。当時、日が暮れてなを鳴くせみ全般を指して、ひぐらし(比久良之)と言っていたらしいと、どこかで読んだ。 そこで一句 日暮しは遠きに聞きて想うもの?? 参考書:『セミの自然史』(中尾舜一 中公新書) 『万葉集』『和名類聚』『万葉集名物考』
毎年やって来るこの日。この日の三日後、長崎にも種類の違う原爆が落とされる。一つはウラニウム片とウラニウム片をぶつけて爆発させるタイプ、他の一つはプルトニウムを球状に閉じ込めて、外から火薬で内に向けて原子を衝突させるタイプ。これをそれぞれ広島・長崎に落とした。米国の言い分は各軍需産業の工場はドイツのように分別されていなく、日本の一般の家でも部品は作られている、だから東京の絨毯爆撃と同じく民間人が多く住む都会に落としてもかまわないと言う理屈だった。 最初は京都に落とす予定であったが、さすがに京都の歴史的な背景は無視できず、陸軍長官のヘンリースティムソンは京都投下には反対した。広島に落とされる一ヶ月前にニューメキシコ州アランゴードで実験をし、そして今日広島に落とされた。 ところで、有史以来の戦時での最大の民間人虐殺はどれ位あったのだろうか?戦争による最大の虐殺は、米軍による原爆を含む日本本土空襲で、被害者数は約百万人である。 では平時において、もっともひどい虐殺とは何だったか。最大は共産中国による旧地主階級らの粛清。二千万人以上が殺されたといわれている。次はソ連・スターリンによる粛清。こちらも一千万から二千万人。 そしてナチス・ドイツによる ホロコースト。ユダヤ人を中心に六百万から八百万人。最後がポル・ ポト。百万から二百万人。ポルポトは短期に自国民の二、三割を殺した。この内三つは共産主義思想の下に行われた。ナチスドイツさえやらなかった自国民を大量虐殺するという事をやった。 ナチスのやった行為は、ユダヤ人迫害という民族差別で、それでも詳細に調べていくと、今や定説となって潜在意識下でみんな了解している「毒ガスによる虐殺」は否定(なかった)派の方の論が勝っている。今でもドイツではそれを言うのはタブーで、それを言っている学者はドイツに住めないで、スイス国境近くで住み、執筆している。 それはともかく、これだけ虐殺しておいて、いまだに共産主義者は何の責任も問われないのはおかしいのではないかという、問題提起の本が一九九七年にフランスで出版された『共産主義黒書』(Le livre noir ducommunisme,Editions Robert Laffont,Paris,1997)である。 序章 共産主義の犯罪 ステファン・クルトワ 第一部 自国民に敵対する国家 第二部 世界革命、内戦、テロル 第三部 共産主義の犠牲者としての他のヨーロッパ 第四部 アジアの共産主義体制 「再教育」と大量殺害の間 第五部 第三世界 終章 なぜ? ステファン・クルトワ からなっている。これほどまで人類史上その思想信条と正義という御旗でもって人間を虐殺し続けてきたのに、今も現在、日本には共産党と名乗る団体があり、日本の国旗は血塗られているらしく反対なのに、共産党の党名には無頓着なのか馬鹿なのか、党内で揉めたことを寡聞にして聞かない。 アメリカは自前の正義を勝利させるためにコードネームを「オリンピック」と名付け、悪者日本に原爆投下した。一方共産主義者も人民のためと正義のためにと、敵国ではなく、自国民を大量に虐殺した。 人間は厄介な生き物でこれはこれからも変わることはないだろう。 時代は変わっても人は変わらない。 参考文献:「共産主義黒書」(Le livre noir ducommunisme,Editions Robert Laffont,Paris,1997) 「ガス室」の真実 西岡昌紀 「アウシュビッツの争点」 木村愛二 「偽イスラエル政治神話」ロジェ・ガロディ 他
ちょっと前、気になるニュースがあった。日本の特殊部隊のランボー達が自殺しているのだ。アメリカの特殊部隊の、グリーンベレー(ランボーはここ)や、シール(チャーリーシーン主演の映画で有名)、デルタフォースとはちょっと違うけれど、屈強の男たちがあっさり自殺してしまっている。 今回立て続けに三人も自殺している。過去自衛隊だけで1997年からこっち、実に200人以上が自殺している。今回の事件も、陸自唯一の離島防衛専門の特殊部隊であったようだ。九州・沖縄は尖閣諸島や対馬など「国境の島」を数多く抱えるため、西部方面隊の直轄部隊として師団の枠を超え広範囲に出動する任務がある。 事件が起こって九州・沖縄を統括する陸自西部方面総監部(熊本市)の調査報告があり、その記事を見て、暗い気持ちになった。その内容は、「調査の結果、訓練が厳し過ぎたとかいじめなど組織運営上の問題はなかった。明確な原因は分からない」と。大の大人社会で、いじめという言葉を使うこと自体どうかしている。それに、命を投げ出すような特殊任務につく男たちに、きつすぎる訓練は当然だろう、命がかかっている。 ランボーのような古くはベトナム帰り、最近では俗に「アフガン症候群」と言われる症状を呈し、家族を撃ち殺して自殺するというような、平和な自国と修羅場の戦地との間で、精神的バランスが崩れ、おかしくなってそうなると言うならまだわかる。だが、我が特殊部隊隊員は、男女間の事とか、単身赴任の事とかで自殺したらしいのである。これは、巷のサラリーマンと同じ次元なのだ。 * 小野田さんが戦後何十年経って戦争が終わっていても任務遂行のために、とにかく生き抜いて帰還した事が過去にあった。普通は任務遂行のためにあらゆる手段を講じて生きぬくものだ。そう鍛えられるものだろう。 それが、あっさり自殺してしまう。おそらく、日本の近現代史にあまりに無知な所から、国の誇りとか、国を守る意味など考えもせず、安定した収入が得られると言ったサラリーマン意識で入隊して来るのだろう。その証拠に託児所を設けている所があるという。子を預けてまで自衛隊に勤務するとは、見上げた根性と思いたいが、我が子を預けて非常時に出動して、帰ってこられなかった場合誰が面倒見るのだ。男女雇用機会均等法を軍隊に適用するな! 全く市井の会社と同じように見ているとしか思えない。そういう意識で入っていれば当然、なんでこんなに辛いんだろうとか、耐えられないとか思ってしまうに違いないのだ。だから簡単に自殺する。 大東亜戦争末期、国のために死んで行った、若い特攻隊の人達を思い出してくれ。彼等は一つしかない命を国のために使った。遺書を読むと涙が出てくる。本当のところは死にたくなかったかも知れない。が、白人社会にはない特攻という自己犠牲で、今日日本が世界に一目置かれているのはそういうことも含んでいる。自分の事で、一つしかない命を自殺と言う方法で捨てる前に、今生きている私達のために、自ら進んで命を絶った人の事を思い浮かべてほしい。自分たちは選ばれた特殊部隊の一員だという誇りを持って欲しいものだ。 * (小野田寛郎元少尉。フィリピン・ルバング島の元日本兵・小野田さんは、度重なる捜索隊の呼びかけにも応じず、戦時の命令に従って戦後三十年間“作戦”を遂行し続けていた。)
地球外知的生命体,平たくいえば宇宙人を探す組織、SETI@homeというのがある。世界中の家庭にあるコンピュータの空き時間を有効利用して、宇宙から飛んでくる電波を解析して宇宙人をさがしあてようとするものだ。砂漠の一握の砂の砂粒を分析するような物で、ほとんど気が遠くなるような作業だ。 100回目の感謝状をSETI@homeからいただいてから、暫くして、なぜか本部につなぐことは出来るのだけれども、データをコンピュータにダウンロード中に止まってしまう日が続いた。何度も何度もつなぎっぱなしにして、試みても出来ない。こちらのソフトが原因かと思い、初期設定から何からすべてやりなおしてもだめだった。後、SETI@homeのホームページを見て初めて、つながりにくくなっていて、原因不明という記事がある事を知った。おかしくなって一ヶ月近く経っていた。 にわかに協力者が増えたとも思えないのに、不思議である。そうして毎日様子を見ていたら突然昨日いつの間にかコンピュータはデータを取り込み動いていた。世界中からアクセスしてくるのだから、二重三重に対策は講じているはずなのに、一時とまってしまった。まるで何かに妨害を受けているかのように…。 とまれ、下衆の勘繰りをすることで、このまったく絶望的な作業の手伝いに、「ひょっとしたら」の希望も湧こうというものだ。 感謝状
2002年07月18日(木)
七月17日付け淡譚削除 訂正
先日、7月17日付の淡譚で、石原慎太郎に非難されている(北朝鮮に拉致されている子を持つ親に対して、淀号乗っ取り犯と北朝鮮がやったことを区別せよというようなことなど、諭すような電話をかけたとされる)中山議員は、中山正暉で、以下のリストにある、金正日祝賀会の中山太郎(兄)とは関係ありません(どちらにしても、同じ穴の狢ですが…)。 淡譚のまったくの名前覚え違いによるものでした。ゴメンナサイ。(敬称略) 名前が覚えにくい頭を持っていて、以前も作家の堀田善衛と、画家の飯田善國をながいこと同一人物と思っていて、各文章を読んでいて、どうも何だか変だと思い、改めて調べてみたら全然別人だったということがありました。 というようなわけで、前回の文章はそれで組み立てられているので削除しました。 がしかし、この人々(特に政治家)は覚えておくべきだろう。 古くは、ラングーン爆弾事件や大韓航空機爆破事件、拉致事件、ミサイル実験、など1997年当時すでに周知の事となっていたにもかかわらず、宴で飲み食いした人達です。 ●金正日総書記推戴の祝賀宴に参加した主な日本の各界人士リスト(敬称略) 1997年10月23日に東京で行われた祝賀宴の出席者(役職は当時) ・野中広務(自民党幹事長代理) ・土井たか子(社民党党首) ・鳩山由紀夫(民主党幹事長) ・中山太郎(自民党外交調査会会長) ・伊藤茂(社民党幹事長)・堂本暁子(新党さきがけ議員団座長) ・石井一(新進党幹事長代理)・久保亘(民主改革連合最高顧問) ・矢田部理(新社会党委員長)・林義郎(元蔵相) 谷洋一、久野統一郎、馳浩、上原康助、大脇雅子、田英夫、清水澄子、中西績介、 海江田万里、大畠章宏、肥田美代子、金田誠一、山元勉、梶原敬義、 伊東忠治、山崎力、鈴木正孝、坂上富男、武田邦太郎、細川律夫、常田享詳 ↑諸氏をはじめとする国会議員 鈴木二郎(日朝国交正常化促進国民フォーラム代表委員)、森田三男(創価大学教授)、 三潴信邦(筑波大学名誉教授)、前田哲男(東京国際大学教授)、田辺誠(AFM代表) 津和慶子(日本婦人会議議長)、尾上健一(チュチェ思想国際研究所事務局長) 若林?(朝鮮統一支持日本委員会事務局長)、多々良純(日朝文化交流協会副理事長)、 竪山利文(元連合会長)、花輪不二男(チュチェ思想研究会全国連絡協議会事務局長) 中小路清雄(日朝学術教育交流協会会長)、近藤龍夫(朝日イブニングニュース社長) 滋野武(NHK報道局長)、石川一彦(日本テレビ報道局長)、三辺吉彦(TBS報道局長) 早川洋(テレビ朝日報道局長)、渡辺一彦(テレビ東京報道局長) 1997/10/28 朝鮮新報
2002年07月13日(土)
1979年のボルドーワイン
1979年のボルドーの赤、CHATEAU FORT-DE-VAUBAN, Cussac-Fort-Medoc, AOC Haut-Medocを開けた。この赤ワインはENCYCLOPEDIE DES CRUS BOURGEOIS DU BORDELAISによれば、飲みごろは瓶詰め8年前後だそうで、この辞典の発売が1988年で、其の時点ですでに飲みごろとある。それから実に、14年経っている。瓶詰されてからは23年だ。 豚のとろ火煮込みに栗添えと合うと書いてある。シナ料理なら東坡肉(とんぽうろう)というところか。 コルクの寿命はだいたい15年くらいだから、高級ワインは最低でも4.5〜5cmの長さを必要とする。長期熟成が前提だからだ。コルクの長さで高級かどうかの一つの目安になる。一週間程、酒庫に立てて澱をキュ(瓶の底のせり上がった部分)の回りに沈めてから抜く準備をした。 抜いてみると案の定、コルクの下半分がやせ細り劣化していた。移し替えて味見、味はもうとっくに峠を過ぎていた。香りは、アプリコット、ベリー系から洋梨アーモンドと変わり・・・・、なんてあほな、にわかソムリエのような事は言わない。ただ、木の香りがした。改めて辞書を当たってみたら、森の香りがすると記されてあった。 これぞ、辞書。納得するところがあった。それから、6時間程置いて味はともかく香りの変化を楽しんだ。このワインが出来た年はどんなことがあったろう。 政治は、 中国と国交を樹立、カンボジア人民共和国樹立宣言、カンボジア代表はポル・ポトになる。後、政権崩壊までに、映画俳優は最後の一人を残して全部殺され、知識人・芸術家も殺された。ポルポトは、知識人・芸術家は邪魔と言う結論をパリ留学中に思いついた。 EC外相理事会でデンマークが「日本人はウサギ小屋に住む仕事ばか」とのEC対日秘密文書を批判した。 国連総会は新加盟国として東カリブ海の「セントルシア」を承認。 イランを一党独裁国家にとホメイニ師表明。 韓国の釜山で、学生の反政府デモ、市民も巻き込んで暴動。 朴大統領は非常戒厳令を発令 朴大統領、ソウルの夕食会席上で、金載圭中央情報部部長に射投される。学習院大学教授の篠沢秀夫フランス文学教授はその著書で、「このまま行くと大統領は暗殺される」と予言して不幸にも当たってしまった。 金大中氏の自宅軟禁を解除。 円相場は1ドル=250円割れ下落 消費税採用断念 スポーツ関係では、 東京・立川女子高生登山隊がヒマラヤのゴーキョ・ピーク(5360m)の登頂に成功、女子高生では初。 登山ガイド長谷川恒男さんがグランドジョラス北壁の単独登頂に成功。 世界で2人目の冬季北壁三冠王。後に遭難死する前に、上高地の横尾で、テントが隣あわせになったことがある。山岳ガイドをしていたようだ。 伊の登山家ラインホルト・メスナー、前年のエベしストに続き、K2も酸素なしで登頂。 アリ引退で空位の世界ヘビー級王座決定戦、テート(米)が王座獲得 具志堅用高、アベラ(比)をKOで破り、世界J・フライ級10回目の防衛 スイスの国際オリンピック委本部は郵便投票の結果、大差で中国の五輪後帰を承認したと発表。 我が国の歴史 奈良市東部の茶畑で「古事記」の選者、太安萬侶の墓誌銅板と骨を発見。 京都で平安初期の貴族邸跡を発見 コンピュータでは、 マイクロソフトがMS−DOSを発売。 遡る アップルコンピュータ『Apple』は1976年に発売。 インベーダーゲームが大流行する。 世界最長の上越新幹鍵・大清水トンネル(22.2k)が貫通。 国立大の初の共通一次試験が全国一斉に始まる。 NHKテレビが南極から初の生中継。 四畳半裁判で野坂昭如被告らの控訴を棄却、有罪判決 。 愛のコリーダ裁判で東京地裁、大島渚監督ら2被告に無罪判決 国語審議会が常用漢字表の1926字案を決定、中間答申。無茶したものだ。 これでいまだにコンピュータの漢字表示も満足に出来ない。 阿蘇中岳が爆発、噴石に直撃され観光客3人が死亡。 景色もうつろう。 長野の白根山に高校時代修学旅行で行った。何十年か後に、懐かしさで北軽井沢から、車で訪ねて驚いた。修学旅行の十年後くらいに、爆発で吹き飛び、思い出の群青の火口湖も山容もまったく面影がなかった。 ノーベル平和賞は「カルカッタ貧民街の聖女」修道女テレサ尼、 カンヌ国際映画祭では、作家フランソワーズ・サガンが審査委員長 パルム・ドール ブリキの太鼓【西ドイツ】 地獄の黙示録【アメリカ】 これに出てくる主人公は、本国アメリカの言うことを聞かなくなった、 マッカーサー(日本統治をした)、を象徴的に描いた映画である。後、マッカーサーは日本を強制退去された。日本国憲法をでっち上げた人。 審査員特別賞 シベリア【ソ連】 監督賞 テレンス・マリク『天国の日々』【イタリア】 若い映画賞 あばずれ【フランス】 国際批評家賞 地獄の黙示録【アメリカ】 ブラック・ジャック【イギリス】 1979年ワインが生まれた年、主にこのような出来事があった。古いワインを開けるとき、人類が究極のΩ(オメガ)点に向かって、生きていく足跡を振り返るのもいい酒の肴となる。
2002年07月06日(土)
韓国という近くてますます遠い国。
最近、 「親日派のための弁明」(ソウル・文芸春秋社)と題する評論集の訳本が日本で出版されることになり、日本に来るはずであった著者は、ソウル大出身の若手評論家、金完變氏(キム・ワンソプ 三十八)。ところが、なんと韓国政府が拒否、出国禁止となってしまった。 で、金氏は一体何を書いたのだろうか?まだ翻訳本は手に入れていないが、以前要約は読んだ。要するに、韓国併合時代の日本を全面的に肯定、慰安婦の事なども兼ねてから日本の良識派が主張してきた事を支持するもので、 「日本統治時代は我々にとって祝福だった」「日本は(西欧帝国主義と異なり)植民地を単純に搾取の対象としてではなく、投資や開発、教育(拡がらなかったハングルを学校で教え普及につとめた)を平行し文字通り共存共栄の政策を行った」「韓国の反日感情は意図的な歴史歪曲によるものであり、歴史を歪曲しているのは日本ではなく韓国である」と。 さらに韓国の国民感情を最も刺激する竹島(韓国名・独島)をめぐる領土問題についても「無主の無人島として日本が一九〇五年に島根県に編入したもので日韓併合は関係ない」と日本の主張を支持している。 その上、「戦後分割されたのは日本で、台湾・韓国・北方四島をアメリカの手によって分割された」と言う。これは「日本の学者評論家の視点にも無かった」ということを、現代コリア研究所のどなたかが書かれていた。確かに併合は50年近く続き、日本で”あった”、のである。 それに韓国は独立を自らの手で勝ち取って独立したのではない。日本の敗戦で突然放り出された、そこを狙って、共産化しようと中国が介入し、朝鮮戦争が起こり南北分断となり、旧ソビエトは革命の英雄に仕立て上げた若き金日成を送り込み、休戦体制のまま現在に至っている。 韓国の刑法に「外患罪」というのがある。「外患罪」は「外国と通じ、わが国に敵対する罪」で最高は死刑、出版物などによる「外患扇動」だと懲役二年以上となっている。 韓国は民主主義の国であるはずだ(実際にスパイ活動を行っての事なら、この罪で裁かれるのも仕方がない)。ならば、言論の自由は遵守されなければならない、著者は評論家で言論人なのである。それを今裁こうとしている。そうして、驚くべき事に焚書坑儒(ふんしょ・こうじゅ)を国がやっている。結局、韓国内で発売された著者の本は、ポルノと同じ扱いで事実上販売されなくされてしまった。 一方日本では、橋本龍太郎元首相とより親しい関係にあった女が、中国の女スパイだった事が暴露されたが、国家の一大事とも思わないのか、いまだに現役の議員である。ドイツやイギリス・アメリカでは即責任を取らされて非常に重い刑を受けるようだ。 日本なら反日日本人教授・作家・評論家・他一杯いる。韓国式だとみな死刑か懲役である。 そうならないのは、「言論の自由を標榜している国」 だからである。 が、韓国は国(マスコミ)を挙げて、先に結論(日本は悪、韓国は善の二元論)があり、それにあわない者は厳しく罰せられる。言っただけで書いただけで懲役になるのである。 韓国と日本は国として仲良くなれないだろう。ちょっとサッカー共催したからと言って、それ以上はないだろう。歴史的に事大主義(その時どきに応じて強きにつく)の国であって、今又、中国に目が向かっている。