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2002年01月14日(月) 人に成る



 日が暮れたので、玄関の国旗を降ろした。今日は成人の日で祝日。昨日の日曜日式が各地で行われて、今年もおこるぞと思っていたら、やっぱり各地で式場で沙汰があった。
成人とは「人に成る」と書く。 一人前の大人として責任と義務を果たす事が出来る年齢になったと、社会に認められた証として、成人式を祝う。
昔は成人を迎えると、男女ともに髪形を変え、着物を変え、成人した事が誰にでも分かるようにして、すべて大人と同格に扱われた。

 成人を迎える年齢は時代によってさまざまだが、平安時代は15,6歳位で、また、武士の場合は元服(成人)すると扶持(給料)が貰えた。 商家の場合は、20歳(数え年)の誕生日を迎えると成人として認められ、神棚の前で祭事をしてもらい、着物一式をプレゼントされ、丁稚から手代へと昇格した。
それだけにその責任は重く、社会のルールを守ることは当然で、大人になるまで育ててくれた恩返しとして、両親を養い、家族を養い、家を守る義務を生じた。
大人の仲間入り出来る喜びと、背負う責任の重さを感じながら行われた昔の成人式は、神聖なものであった。

最近、この日を半旗にしようかとも考える。騒ぐ馬鹿者共は、警察の世話などにならず、式典に参加している自分達で決着をつけよ。
だがしかし、上知と下禺は移らず(じょうちとかぐはうつらず)とも言うし、いずれ自身でさとるしかないのかもしれない。

 近所で国旗を掲揚していたのは官公庁を除き、うちをいれて4軒、多いほうではないだろうか? 誰が日本のこの習慣をなくさせたか?マッカーサーが禁止令を出して以降のことである。以後撤回されたが、もう元に戻る事はなかった。 当時、その国の文化慣習までに、たとい戦勝国と言えども口出しするのはあきらかに国際法違反事項であった。
 
「真の馬鹿はいかなる弁舌をもってしても説得することは出来ない」と言う意。
   馬鹿はしななきゃなおらない! いや死んでも治らない。









2002年01月11日(金) ゑべっちゃん



 昨夜、ゑべっさんにお参りしてきた。なかなかの盛況で、笹が飛ぶように売れている。一本一本の笹は、巫女さんが持ち、くるくる回って念を入れる。それを買って鯛や蔵や、俵の小間物を買い足して和風のツリーにする。ゑべっさんの顔の張りぼてもある。つり下げるものは、同じものが重なっても福が重なると言って全然問題ない(商売がうまい!)。恵比寿神社に行く途中、通りには沢山のテキ屋が店を連ねるが、昔に比べて売るものが直接的なものばかりで、つまらない。昔ならちょっとした修行を必要とするだろう、飴細工や、風船の細工、綿菓子などがいたけれど、最近はケンタッキーみたいのや、竹輪を串に刺し、天ぷらにしたものとか、誰にでも出来るものがほとんどでつまらない。
 
 ところで、このゑびすさんは、正式な名前を八代言代主大神(やえことしろのぬしのおおかみ)と言い、イザナギノミコトの第3子蛭子尊とも、いなばの白ウサギの伝説で知られている、大国主命(おおくにぬしのみこと)の御子とも伝えられている。
と言うことは、現代の天皇家のご先祖ということになる。現代の天皇陛下がご即位されて百二十五代天皇になる。
ギリシャでも有名な王様がいるが、遡っていくと、やはりギリシャ神話にその系図がつながっている。ギリシャの最初のころの王様といわれたアガメムノン王のおじいさんのおじいさんくらいがゼウスの神である。

インド、ヨーロッパも同じような物語だ。ゲルマン人も途中から先祖は神様だったし、勿論日本でも、初代の天皇のおばあさんのおばあさんは天の神だった。ただ神話から現代まで天皇(王朝)の歴史が連綿と続いている国は世界中見渡しても日本を除いてどこにもない。

 新約聖書のマタイ伝の書き出しには、アブラハムの子イザークから始まって、二頁近くイエス.キリストの系図が続くようだが、全部裏付けになる証拠がない。ところが日本の場合は、『日本書紀』のどこを開いても、各天皇ごとに膨大な資料がある。証拠は一杯あるのだ。
具体的にこういう事があって、こういうお宮を開いてこういう事件があってなどというように書かれている。天皇の悪口まで!書いてある。
神話の時代から現代まで、一本につながっている希有な国が日本なのだ。

文明の衝突などと言って、元は同じ神さんなのに、イスラム・キリスト教はいまだに、反目しあい、殺し合っている。ところが、ゑべっさんを始めとする、大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋尊・ 福禄寿・寿老人、の七福神は室町時代初期にすでに、インド人・中国人・そして日本人のゑべっさんと国際的に仲良く同じ舟に乗っているんである。西洋の神さんとはひと味ちがうのだ。
これは世界に自慢して良い事だろう。

 余はいかにしてクリスチャンではなく、エベッチャンになりしか上の如し        f(^^;)









2002年01月10日(木) 悪党は静かに微笑む



本当の悪党はだれか?
 先頃新聞に「ハンセン病患者、国と和解」の記事が出ていた。何が和解なのかどうもよくわからなかったが、調べていく内になんだか変な事が分かってきた。ハンセン病は昔、癩(らい)病と言った。昔言って今言わないのは、変な言葉狩りのせいである。アメリカは昔、黒人をニガーと言ってはいけない、ニグロと呼びなさいと言い、やがてそれでもいけないからカラード・ピープルに変え、アフロアメリカンもしくはアフリカンアメリカンとなってきりがない類のもので、問題は言葉自体にあるのではないことに気がつかないからこういうことになる。
 癩について、朝日新聞などはナチスのアウシュビッツの強制連行に例えて報道していた。それで、あまりに国が悪いことを患者にして、その患者が訴えて、国は上訴しないで和解したというのだ。
ここで裁判で「和解」というのはどういうことか。これは、裁判所の思考停止状態をいいます。ようするにこう言う事です。
「あなたが言う賠償額8万円は出せないが Aさんは5万円出すと言っている。もし争うなら、通例のように裁判はながびくよ、裁判費用もかさむ、これで手を打ってはどうか?」

そうして手を打つのが「和解」と言うことで、審議を尽くして手を打つのではない。
 癩病は、関節がふくらんだり、鼻が溶けてなくなったりして容貌が著しく醜くなり、その昔ひどい差別をされたらしい。働くことも出来ないから、家族にも見放され、今で言うホームレスになってさまよった。それではいけないというので、初めて公的に隔離することになった。ロシアの皇太子アレクセイの訪日をきっかけに、1872(明治5)年、政府は、町にあふれる浮浪者を一掃するため、本郷の旧加賀邸に約200人を収容する。
このような時代背景を経て、ライ予防法が施行され、患者が収容されなかったら、おそらく皆、生きてゆくことは出来なかったろう。
 ここで、注意して欲しいのは、加賀邸に収容していることで、特別な場所にではなく、一般の乞食ともども収容しているということだ。どこの国も、来賓に対して不快な思いはさせたくないと思うことは同じだろう。
だけれど、訴えた人達はこれを迫害と受け取るのだ。

 今は、薬で完全に治癒する。それに伝染性も微弱で、よっぽどの深い粘膜接触がないかぎり心配ない。
この度、「らい予防法」の不当で訴えた全生園という施設のA さんはなにが不満だったんだろう。ここで、当時法に基づいて、収容された、もしくはされている人々の待遇はどんなものか見てみると、患者さんたちは、裕福な人が多く、例えば、いつも海外(英、仏、伊)一などの巡礼を共にしていたM氏などは、傷療軍人手当てが、年六百万円もつき,その他全患者は衣食住(全貝個室)が全額無料の上、障害者手当てが月十数万円もつく。医療費は無論全額無料で不自由者には一人宛二十四時問、介護員がつくし、医者や看護婦は、もともと奉仕でこの道を選んできた人が多いので、ケアはいたれりつくせり。 
ということだ。
どこへ行くのも自由で、外出外泊は勿論、毎年海外旅行に行く人もすくなくない。前記の A氏の如きは、園の外にマンションを持ち、外での生活がゆきづまって金がなくなると、また、園に戻ってくるというくりかえしで、優雅な生活を送っているらしい。
裁判を起こしたA氏を先頭にする人たちは、全体の一割にもみたない少数者で残りの九割は、反対だった。

 ところが、お金がからんできてから、今まで神様のように褒めていた医者たちを、ヤブとののしり、園の生活を自由を奪って拘禁する人権躁躍だ、とまでいうようになってしまった、これを新聞が煽る。ついには、患者自治会の圧力に屈して、患者側の証人として「ライ予防法はまちがいだった」と証言する職員まで現れるにいたったというのが真相であるらしい。いった本人は関係者に非公式に謝罪しているがそんなもの、新聞は載せない。

 朝日のアウシュビッツの例えはとにかく確信犯的にひどい。妊娠中絶させたり、断種させたり「強制による人権侵害だ」と書いた。
が、患者自身達の発行する自治会報「全患ニュース」には、出産によって発病あるいは病勢の進行を来したと思われる者は七四・三%にのぼる、と書かれている。約七割である。これを見てもなおかつ生みたいと願うものがいるのかどうか、それを朝日は強制だと書く。アウシュビッツが出たついでに書いておくと、ナチスの毒ガス室を見たことがあるだろうか?
プロの建築家でなくとも、あんな所でガスを使って、大量にユダヤ人を殺したなんてちょっと考えれば不可能なのだ。これも、マスコミその他を疑ってかかるいい材料になる。あのガス室にはガラス窓がある。ガス室の数メートル前にはなんと病院があり、殺した人を埋葬する場所がもっともその建物から離れている。写真でちゃんと見た。屋根にとって付けたような排気口があるが、毒ガスをどこに流すつもりだったんだろう。これだけでも、不可能である事がわかる。それに、何十年も残る、ガスの陽性反応?が出ていない。

話は戻る、朝日新聞が、カラーで宣伝していた、群馬県草津町の栗生楽泉園の記事は、日本の「アウシュヴィツツ」だとして、患者を監禁して死に至らしめる「重監房」があったというもので、これも、病気した人、貧乏な弱い人はみな善人と思い込む単細胞で、犯罪者も癩病患者になるのだ。「重監房」は、その人達の収容所だった
最後に訴えた A氏のこと
「ハンセン病元患者」の眉書きで参議院比例区に立候補したA氏をマスコミは、まるで英雄のように宣伝しているが、全生園の患者さんたちからは、総スカンを食っている。彼は金銭上のトラブルが非常に多くて有名な人物で、「自分はこの裁判を一番先に起こしたのだから、一番金をとる権利がある」といい、「俺のキライな奴等は医者も看護婦も患者たちも、俺が権力を握ったら、園から追放してやる」といっていた。当選したら口をつぐんでしまった。
おまけにその写真をニューヨークなどで、氏が自己宣伝に使い「自分はマザーテレサに百万円献金した」といった事から、カトリックの人たちは大いに怒り、以後マザーテレサを自分の宣伝に利用しないという一札を彼から愛徳会(全生のカトリック教会)に入れさせた事件があった。
            参考資料:月曜評論11月号 
            -元都立嚢教師■大野玉江 癩病の報告書、他









2002年01月08日(火) 七草の粥と餅



 ようやく、左親指の抜糸が済み、なんとか左手が使えるようになりつつある。年末に予定していた餅つきが出来なかったので、旧暦の正月に搗くことにした。旧正月は2月12日だ。まだ一ヶ月位あるので、その頃にはもう左手が完全に使えるだろう。新潟で作ってもらっている、無農薬コシヒカリの玄米の餅米を搗く。玄米餅だ。これに、黒豆・昆布をいれる。これを5kg搗き、余分は、大きな冷凍庫にいれ、今年の暮れまでちょくちょく食べる。

 昨日は、料理屋で洗練された七草粥を食べ、ムルソーの赤ワインが琥珀色した白ワインに変わったと言う、半ばシェリー化した赤ワイン??があけられた。どう味わってみても、シェリー化した白ワインだと思うんだけど、主人がそういうのだからそうなんだろう。
ムルソーは普通白が売りの産地である、が、赤だ(った)というから、それ以上追求しなかった、
 さて今日の夕飯は、玄米七草粥、七草は錦市場で仕入れて、ニジマスの甘露煮といただいた。ぼらの卵から作ったからすみとブルゴーニュのREGNIEとを会わせたら、存外いけた。ものすごく生臭くなるとおもったけれど、納豆と赤ワインと同様になかなかおつなものだった。









2002年01月01日(火) 謹賀新年



昨年末、二重のアクシデントがあった。突然鼻と喉からの出血、その二三日後に、左親指の下から爪の横までカッターナイフで深く抉り、8針縫う事故!おかげでキーボードに触れられなかった。幸い、指の怪我は順調に回復に向かって、5日には抜糸が出来そうな見込みだ。が、が、鼻喉の出血は今だ出ている。
これがとまらないと第二段階、CTスキャンをかけることになりそうだ。いっぱい書きたいことがあるのだけれど、こんなことだから、ゆるゆる行きます。これからもどうぞよろしく。(^_^)

(*^^)∠※PAN!。・:*:・゜☆,。・:*:・゜









2001年12月24日(月) 紐育〔ニューヨーク〕育ちの日本人青年



 一昔前、週刊ポストの一番後ろ頁のギャラリーにも取り上げられた事もある、新聞やちょっとしたものを売る、紐育街角のキオスクをスーパーリアルな方法で描いて、人気があった日本人画家がいた。名前はもう忘れてしまったが、その人と家族がBSだったかで、テレビインタビューを受けていた。今度の紐育テロに関してである。
戦争が本格的になって来た場合どうするか?という質問に対して、母親は「戦争は反対、息子には絶対行って欲しくない」といっていた。母親としては正直な気持ちだと思う。
そこで息子にインタビューがされた。息子は
「大学の友人達も、戦争になんか絶対行かないと言っている。自分も戦争は絶対反対だ」と、ここまでは誰にでも受ける意見だろうけれど、ここからがすばらしい。
「戦争に、個人的には絶対反対だけれど、国を守るためになら僕は行きます」とはっきり言った。なんか感動してしまった。
紐育在住の日本人画家の息子は、昔の日本人が当たり前におもっていた、自分達の家族の集まりが地域、地域の集まりが国土としてなりたっている事を知っている。だからそれを守るために行くのだと、ごく当たり前に答えたのだ。
 一方日本の若者は、自衛隊に入れば、その操縦する戦闘機で、国外へ自分だけ逃げられるからいいなぁと考える人がいる。
戦争をただ悪いものとしてだけ教えられてきた戦後の日本人は、戦争になったら「誰でも殺しても良い」と、どうやら思っているらしい人達がいるのだ。自衛隊を満期になって、民間企業に再就職した人に、勤める部下が「だれを一番に殺したいとおもっていますか?」と聞いたそうだ。

「戦争」は戦時国際法に基づいて、行(おこな)ってもよいと言うことを普通の日本人は知らない。国際的に否定はされていないのだ。戦争は人間が考え出した制度に近いもので、地球規模で、警察や法律がない以上、話し合いで解決出来ない場合どうしますか?ということから、それでは決闘いたしましょうというものだ。善悪の問題ではない。両方合意の上での決闘は許される。
付け加えて、
宣戦布告されれば、その国はうけてたつしかないのだ。

 民間人が国のためにと愛国心を掻きたてられて、徴兵され、戦争に行くようになったのは、あのナポレオン・ポナパルトの発明で、それ以前は金で雇われた兵隊(傭兵)が戦っていた。何らかで影響力ある国の内、世界で軍事の学校がないのは日本だけだ。
が、なんにも自慢にならない。なくて済んでいるのは、背後にアメリカがいるからだ。アメリカが日米同盟を止めたらと思うとぞっとした。
自立しようにも、もう土壌がないように思えるからだ。











2001年12月19日(水) 国家予算と酒の関係



 戦前は国家予算の半分(40数%)近くが酒の税金でまかなわれた。だからこれを味噌(今はつくらんけど)のように各家庭で作られると、ただでさえ貧乏な日本は大打撃を受ける。だからどぶろくのようなものも含め家庭で作ることは禁止されて今日に至っている。
このところ、ビールの一本あたりにかかる税金があまりに大きいので、業者は考えて、麦芽の%の少ないビールと銘打って、アルコール飲料をつくりだした。まぁ、これは日本人のお家芸で、昆布のグルタミン酸に対しての味の素、中華そばに対してインスタントラーメン、蟹に対して蟹かまぼこなどと同じ発想で、ビールとは別物でなおかつビールのようなものとして考え出した。したがってビールにかけられている税率は適用されない、その他の雑酒として扱われる。

 ところが、これにも税金をかけるというので、酔えりゃなんでもいい酒飲みタイプの国民が騒いだ。あんなものビールじゃないと思っているので、ぜんぜん課税されても、買わないんだからなんとも無いが、今、酒税は国家予算の何%を占めているのか気になったので、財務省主税局にメールを書いて質問してみた。
 結果、83兆7.133億円が国家の予算、その内酒税は8.810億円だそうで、割合としては、1.1%にすぎない。ううむ…つい最近まで3%だとばかり思っていたけれど、ほとんど無いに等しいなぁ!こりゃ、取りたくなるわな!
 ニューヨークなどで徴収しているホテル税をみならってか、石原東京都知事がやろうとしているホテル税にも田舎の知事が反対するし、どうなってるんだろう。
世界一の貯蓄率はいまだ変わらない。酒税やホテル税(100円)位何を惜しむことがあるんだろう。酒税がいやであれば、ちょっとの暇と手間をかければ、100%のビールワイン簡単に自家醸造出来る。上に書いたように、酒税が国家予算に占める割合は、1.1%。ほとんど影響ない。国が沈みかかっているんだから、そういう手間がいやな人達は、気持ちよく税金払ってもいいと思うゾ。









2001年12月16日(日) 第九十六回京料理展示会



 勧業館に名だたる京料理老舗の自慢料理盛りつけを見に行った。第九十六回というのは単純に考えてみると、年一回として、九十六年前から開催しているということで、1905年以来となる。途中戦争で中断したとするともっと前と言うことも考えられる。
1905年というと、日本は奉天会戦でロシア軍を破り、日本連合艦隊は日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅し、決定的な大勝利を収めた。日露戦争の最中である。
こんな時にも、料理界の人々は研鑽を積み、それを世に問うていたとすると、日本料理の体系だったものはすでにとっくに出来上がり、世に問おうとしていた事が興味深い。凄いの一言に尽きる。会場で実演していた、生間(いかま)流包丁式は平安時代に始まっている。
今日当たり前のように思っている、「ヨーロッパ」の概念がまだどっこにも存在しない時代だ。その時代に、「生間(いかま)流包丁式」が行われた。
平安時代に宮廷で祝いごとがあった際、食前の儀式として行われ、今に伝えられている。包丁と銀ばしだけで、手は一切触れずに魚をさばくものだ。
藤原家摂関政治の全盛の頃、西洋では、ようやく神聖ローマ帝国建国(962)している。その頃、包丁作法としてすでに完成している。
世界史の中の日本の文化熟成度を考えると、その文化程度の高さはただただ唖然とするばかり。
そんな事を思いながら、老舗の盛りつけを見て回る。瓢亭・たん熊・魚新・菊水・美濃幸・菊の井などなど名だたる名料理屋が腕によりをかけての展示。寿司組合の寿司店の出す変わり寿司も興味深かった。ただ、キティちゃんをいくら上手に寿司で再現しても、子供にこびる以外なんの事もない。
止めた方が良いと思った。
今回非常に印象に残ったのは木乃婦(きのぶ)の日本料理だった。大胆に、料理の最初からシャンパーニュではじまり、ワインで酒の変わりとし、本格的な新日本料理の体をなしていた。大皿にフカヒレ丸の儘を蒸して、葛でとろみをつけた、まるで支那料理のような大胆なものなど、とても印象に残った。ここには近い内に食べに行くつもりだ。
改めて、一に日本料理、二に支那料理、三にフランス料理となるなぁ、食べたい順番は。









2001年12月14日(金) 謎が解けたぞ!?オサマの陰謀!?



ビデオ見た。
オサマビンラディンは、飛行機が激突する場所から上の方、鉄が航空燃料の爆発で溶け、壊れると予測していた。航空機がぶつかった上は、モルガン系の金融会社がある。そしてそこの社員は前日に神風特攻があると、全社員自宅待機で助かっている。
そうすると、オサマはあらかじめ、関係社員に神風特攻をリークしておき、最小限に犠牲者を留め、脅しをかけるつもりだったのではないか?
ところが、全壊してしまった。そこで、「これは予想外な出来事であった」と、思わずもらしたのではないだろうか?なぜモルガンを助けたのか?多分自分のマネーロンダリング(資金洗浄)にモルガン系を使っているのかも知れない。

大幅に予想外の結果となってしまったこと、多分天は彼に味方せず、アメリカの猛攻を招き、壊滅させられるだろう。アメリカがこうなったのは自業自得だとすると、オサマがこうなったのも自業自得、因果応報。

An ill life,an ill end.(悪い生活をすると悪い死に方をする)

「因果てきめん朝帰り湯が休み」(古川柳) 

風呂屋に来たら風呂屋がやすみ、風呂ば休、英語でブローバック理論とこれいう??わっかるかなぁ?(^_^)
しかしねぇ、こういう理論は消極的理解と言って、「だからどうなんや?」と言われてしまえば、はいそれまでよ。
原発事故にもあてはまる。公害にも当てはまる。ほら揺り戻し、天罰、万能理論。だからいったじゃないの理論。









2001年12月11日(火) 火事




 今朝四時過ぎ、そろそろ寝ようと寝間着に着替えていたら、外で男の「火事やぁ!」の声。縁側に出て外を見ると、表通りの方がオレンジ色になっている。寝間着の上から外套を羽織って飛び出した。走って20歩位の場所。表に出たら、もう、門のすぐ後ろ、家の前中央から火の手があがっていた。
はす向かいの家の小母さんが呆然と立っていて、他に自分以外誰もいない。
こんな事経験したことありますか?

草木も眠る丑三(うしみ)つ時から二時間は経っていたけれど、ほんとに自分の目の前で家が燃えている。おばさんの立っている家の前に、常備消火用の赤いちいさなバケツが二つあったから、それを火に向けてかけた。焼け石に水とはこのことで、何の助けにもならない。

右隣の家の門戸をこじ開けて、玄関を力任せに拳でたたき、足で蹴って開けようとしたけど、開かない。こういう時、外敵から守るに適しているという丈夫さは、反対の環境になったとき、要塞化して救えるものも救えないと言うことがよくわかった。とにかく頑として開かない。
怒鳴り倒して、火事を知らせた後、また近所にあった常備用消化器で、もう燃えている家は無理なので、隣の家の隣接した壁に消化器をかけた。二本使ったが多分何の効果もなかった。

消防が来たのは10分後ぐらいで、もう、二階まで火の手があがった後だった。見つけたすぐに、太い消火栓が近くにあったら確実に消せてたと思った。燃えている家の横の家に飛び込んでいくとき、火よりも怖いと思ったのが、焼け落ちた電線のスパークで、何か鉄にでもふれたのか、青白い炎をだして、バシーンとショートして凄い音を出した。
明け方と言うこともあって、このとき、少し遅れて出てきた、隣の男の人とまだ二人きりであった。やがて消防が来て、人びとが起き始めて見には来ていたが、もう火は二階を焼き尽くしていてほぼ全焼だった。
かなり早くから起き出して来ていた人も、消火活動は手伝ってくれなかった。多分人には二通りあって、何かに直面すると勝手に体が動いてしまう人とそうでない人に別れるのだろう。これは資質みたいなもので仕様がないことかもしれない。

 その、燃えた家というのは、長年の家庭内暴力で、荒れていて、七十過ぎた親に三十過ぎの息子が絶えず暴力を振るうらしいのだ。警察が出てきた事も度々あるらしく、今度も違う線で捜査しているようだ。よく生傷が絶えないお婆さんを見ると家人が言っていた。
昔、村八分と言って、そこの村でどんな嫌われても、後の二分、すなわち火事と葬式は協力してくれるというのがあったけれど、今は、そういう事が希薄になっていると思う。みんなそういう専門の所に任せて、頼りすぎて個人はまったく無気力無関心になっているように思える。
消防の消火で収まるような気配だったので、帰ってきた。
頭からずぶぬれになっていた。
何よりも禅林寺(永観堂)が近くなので、心配したが大事には至らなかった。










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