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去年の今頃、何度か大阪のR・カールトンに出向いた。それ以来非常に気に入ってしまって、先日もちょっとした用があり訪れた。 ここのホテルは、他の一見、名が通っているホテルと全然趣を異にする。本当の高級感がある。ヒルトンであろうが、リーガロイヤルであろうが、比べものにならぬ。例えリーガロイアルのスイートが一泊100万円で、R・カールトンのそれが、45万円でも、確実に後者が高級感がある。
それは、部屋の広さだとかそういうものではないと言うことで、行ってみればわかるが、例えば、5階のジャズバーに続く廊下には、馬をテーマの絵画が掛かっている。何が良いかというと、決して一級の絵画ではないけれど、一つのテーマを元に、自分達の目で選んでいるということに尽きる。 それは、無難に印象派他、すでに知られすぎた絵を飾るのではなく、絵一枚にも、確固たる意志の現れが感じられて、まるで個人経営のプチホテルを思わせるのだ。
ジャズバーは週末は朝一時まで開いている。 ここには、ガキん子がいない、ちゃらちゃら茶髪もみかけない(暗かったので見えなかっただけかもしれない)。 カウンターに座って、ジャズに聞き入って、細巻きのハバナを燻らせている紳士はどこの国の人だろう。この余裕綽々のまはとてもまねが出来ない。しかし、多分日本紳士も着物を着て、床の間のある室で、晩酌をするとこのまはひとりでに現れてくると思うのだ。 やっぱり、まだ、西洋音楽が本格的に入ってきて60年くらい、服を着始めてようやく100年位では、本能にまだ組み込まれないのだろうか。 あんまり気持ちよく時を過ごしすぎて、ついに最終の電車がないのに気づき、タクシーで京都に帰ってきた。 ここの料理屋、支那料理は各皿事にワインを換えて出てくる。フランスの高級料理屋と同じ趣向。日本料理屋も、突然演奏者が入ってきて目の前で控えめに演奏したりする。まったく心憎い演出なのだ。 最高のホテルだと思う。
大東亜戦争
今日の日に関連したことなどの備忘録。
日米開戦前、
日本は戦争を避けるために最後の最後まで平和交渉を続けた。
それを拒否したのはルーズベルト。
ハルノート
こんなものつきつけられたら、我が国でも宣戦布告している(モナコ公国)
先制攻撃はアメリカであった
ルーズベルトの苦労(先に日本に攻撃させる画策-スティネット「パールハーバーの真実」)にもかかわらず、日本のハワイ襲撃1時間20分前に公海において米国は日本の潜水艦を攻撃して撃沈させている。
-米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類第75(1945年6月7日)による日本語訳は『現代史資料』35巻(みすず書房)-
日本軍国主義
一般にいわれているような、それだけのために国が軍国主義であったことはなく、そうと言われていた時期、軍事予算は削減されて、それをめぐって、陸海が予算争奪している。
原爆
終戦3ヶ月前、日ソ中立条約を結んでいるソ連を通じて米国に平和停戦、平和交渉を依頼している最中に米国は広島、長崎に原爆を落とした。
人々の言葉
毛沢東主席
社会党の佐々木更三委員長が、毛沢東主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶すると、「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利権をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか、皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう」 (東大近代中国史研究会)
支那事変勃発
周恩来首相
「あのとき我々の軍隊が日本軍と中国国民党軍(蒋介石軍)の両方に(夜暗にまぎれて)鉄砲を撃ち込み、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨げたのが、我々(中国共産党)に今日の栄光をもたらした起因である」
アムステルダム市長サンティン氏
「あなた方日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分をさげすみ、ペコペコ謝罪しているがこれは間違いである。あなた方こそ自ら血を流して東亜民族を解放し救い出す人類最高の良いことをしたのだ。日本の人々は過去の歴史の真実を目かくしされて、今次、対戦の目先のことのみ取り上げ、或いは洗脳されて悪いことをしたと自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は私ども白人が悪いのです。百年も二百年も前から、東亜を征服し自分の領土としてきた・・・・血を流して戦ってきたあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむ事を止め、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」
インドネシア大統領特使、アラムシャ陸軍中将
もし日本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、中東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。そうすれば、南アフリカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」
インドネシア、サンパス将軍(東欧大使歴任) 「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った××首相演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。××さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」
マレーシアのガザリー・シャフェ外相 「日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら、次のように言うだろう。 「「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国はないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らからどんなひどい仕打ちをこうむった事を忘れたのか?」」と。
終戦後 マッカーサー元帥が「日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に立ち上がったのは正当防衛であった」と証言した 最高司令官マッカーサー元帥は、昭和25年10月にウェーク島においてトルーマン大統領と会見して「東京裁判は誤りだった」と告白。 翌26年、米国上院で「日本が行った戦争は自国の正当防衛のためであり、即ち侵略戦争ではなかった」と証言した
東京裁判ウェッブ裁判長の反省 「東京裁判は誤りであった」 東京裁判、日本糾弾の急先鋒であった首席検事キーナンの告白 裁判後数年にして「東京裁判はいくつかの重大な誤判を含むのみならず、全体として復讐の感情に駆られた、公正ならざる裁判だつた」
インドのパール判事 「日本は国際法に照らして無罪である」 「大東亜戦争は日本は無罪である。(田中正明著『パール博士の日本無罪論』慧文社)欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人である。 日本の教育書は子弟に「日本は侵略の暴挙をした」「犯罪を犯した」と教えている 日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流されてゆくのを、平然と見過ごす訳には行かない。」
英国枢密院顧問官国際法権威ハンキー卿
『戦犯裁判の錯誤』を著わし、裁判官パール氏の主張が絶対に正しいことを、「私は全然疑わない」
英法曹界重鎮FJPビール氏
「東京裁判は戦勝者が敗戦者に加えた野蛮な行為にほかならない。」
英国国際法で有名な W・フリードマン教授
国会議員であり、王室弁護士R・T・パジョット博士等、皆パール博士を支持した。ロンドン世界事情研究所監修『世界情勢年鑑』(1950)は東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏付
アメリカのチャールス・ベアート博士歴史学政治 『ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究』を著しその中で、日本が真珠湾を攻撃するより数ヶ月前に、ルーズベルト大統領はアメリカ軍部をして、海外駐屯軍に秘密に軍事行動を指令したと発表し、パール博士の指摘した点を裏づけた。
米国、国際政治評論家ラティモア氏は「白人の侵略の終着点」 「日露戦争の勝利が有色民族解放運動の出発点であり、終着点はまさしく大東亜戦争であった。」
仏大統領ドゴール 「シンガポールの陥落は、白人の植民地主義の長い歴史の終焉(しゅうえん)を意味する。」
プラモード元タイ首相 「日本は独立の母である」と感謝 「日本のお陰でアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母胎を損ねたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、米、英と対等に話ができるのは一体誰のお陰であるか、それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。」
ほとんどの日本人が以上を知らない。教科書で教えないからだ。
ジンジャーの発明が世界を変えるなんて言うことが、去年ぐらいから言われていて、それはスケートようなもので、宙に浮かんでいて滑っていく、とまことしやかに囁かれ噂され、そりゃ凄い!と大いに期待していたが、出来たものを見て、なーんだという思い。
あんなものが町中走り回ったら迷惑だ。一人一台持って走り回ったら、あちこちで事故が起こるだろう、静かだから出会い頭の人との接触、車との接触、頻繁に起こる。ブレーキは体の重心移動によるジャイロの働きで止まるそうだから、そう簡単に体重移動突然には出来ないと思う。 この場合、慣性の法則はどう働くのだろうか?
車道と歩道のどちらを走ればよいかも問題になってくる。二人乗りのちび車がついにひろまらなかったのは、他の迷惑になり、危険だったからと考えられる。
そういうことから、売れなくても、ジンジャーだけにしょうがない??
ヤマネの写真集を出している、西村豊の展覧会と講演を聴きに行った。子供は、大人の小指第一関節程の大きさしかない。大人は親指くらい。背中には縦に一筋黒い線がある。これがヤマネの特徴。 (昔、北八が岳を一週間彷徨してさがしたが、ついに見つけることができなかった。) 著者は富士見市に住んでヤマネを撮り続けている。展覧会の写真も、とても愛らしく撮れている。文句無し。 …が、講演の内容はこの手の、環境を大切にする人達にありがちな内容があり、絵描きは絵で、写真家は写真でものを言うべきで、それ以上でも以下でもないと改めて思った。 「みなさん、命に差は?ないのです。ありんこも人の命も…等しく同じなのです」 「小さな生物は滅びかかっています」 てな事を子供達に言うのはまだ良いのだけれど、本当に大の大人(なぜか会場には白髪の老人が目立った)に面と向かってよく言えるなぁと思った。命がみんな等しく価値あるのだったら、ガン細胞もゴキブリも、狂牛病のウィルスもみな、慈しむべき命である。が、それを取捨選択せねばならんのが人間の世界というものだ。 こんなことも言った。「大人が子供の目の前で、ありんこを潰すから子供はそれを見て、潰す」のだそうだ。 はっきり言えるが、そんなことはない。
これは本能に近いものです。カエルに2B(昔売っていた、プリッツェルの半分くらいの長さの爆竹)を突っ込んで爆破したり、ざりがにの両腕もぎってしまったり、これは、男の子の通って来る道です。 山で、鳥を撃ち落とし、首をひねって取り去り、羽を抜き、携帯燃料で、あぶって焼いて食べる。そう言うことをしてきたので、やわな環境保護の戯言を聞くと、しらけてしまう。 逆に言うと、今ほど人に守られている環境や生物はないだろう。これは、余剰のたまものである。金持ちの婦人がすることがなくて、手を出す、慈善事業のようなものだ。
絶滅しようと奮闘しても、アルカーイダや、どぶネズミ、ごきぶりはいなくならない。一方、あっさりとその種が絶滅してしまうものもある。人も、うかとしていられないのだ また、「人に危害を加えるものは別」と言うようなことも言った。これを言い出すと、アメリカやヨーロッパの馬鹿団体のグリンピースのように、自分達の文化尺度を世界基準にしてしまい、「危害を人には加えない上に知能の高い鯨を、なぜ殺して食うか?」という事になって、環境団体が押し寄せる。 展示されている、ヤマネの愛らしい写真を見て、こんな小さな動物はすぐ死んでしまいそうだから、大切にしようと思えば、それで良いのだし、唐揚げにして食ったら美味そうだと思えば、食えばいい。 ある一つの意見をキャンペーンをやって、考えを一つにする必要は全然ない。 極端な結論を言えば、この世は、人が牛耳っているのだ。よかれあしかれそうだ。だとすれば、人が存亡の危機に立たされたとき、その愛すべきものをどうするかによるのだ。わたしゃ食べる! ペットの存在は、本来そうした備蓄食糧の発想から出てきたことがわかっている。食料が安定し、純粋のペットになった。では世界的に、食料が枯渇したらどうする??
今年の南座、『當る午歳 吉例顔見世興行東西合同大歌舞伎 十代目坂東三津五郎襲名披露』の二万数千円の席がなんと一万円で出ていた。行くつもりで、問い合わせたら、午前の部、十時からの席しかなかった。 十時と言えば起きたすぐだ。頭もぼんやりしている。頭がさえ出すのはどう見積もっても、十一時を過ぎないと無理だ。半日考えてからやっぱり年一回のことだし早起きして見に行こうと、チケットの手配をたのんだけれど、ああ、すでに売り切れ御免であった。
そうだろうなぁ、約三万円の席が一万円だもの。みなさん放って置くわけはない。今年の十二月は、狂言のチケットも手に入らなかった。今年は最初、買いに行ったのがあまりに早すぎて、まだ発売しておりませんといわれ、少し日がたって買いに行ったら、なんと全て売り切れていた。んな、馬鹿な!!しかし完売なのだった。
ううむ…。日本の庶民の底力。まだまだ、不景気ではないぞ! 悔しいが今年はどちらも見られない…。
とがっかりしていたら、友人の音楽家から、法然院で読経のあと、リュートの演奏会、その後、忘年会?をやりますのメールが来た。いつもなら、京都の吉田山荘で、フランス料理を食った後、演奏会が恒例のようで、昨年は聞きに行ったが、今年は法然院でやるようだ。
なんにしても、いつも招待状をもらっているのに、最近は大阪千里丘まで行くのは良いけど、帰りがつらく、つい足が遠のいていた。だから、京都に来る演奏会は出来るだけ全部聞きに行くようにしている。最近またCDを出したようなので、宣伝しておく。
2001年10月20日発売 AEO-518 イングリッシュ・リュート・ソング集 ¥3058 『クロリスはため息をつき』 平井満美子/ソプラノ 佐野健二/ルネサンスリュート in G & F、リウトアテオルバート 森よ、岩よ、山よ/語れ 真実の涙/ファンシー/流れよわが涙/ついため息を 他全21曲
いつだったか、西部開拓時代を描いた、西部劇を何気なく見ていた時に、「へ〜ぇっ!」と思った事があった。野良作業や牛追いで汚れた恰好をしていた父とその息子達が、母親の食事の合図と共に、食堂に集まってきた時のその服装だった。あたりは荒野の一軒家で決して都会の家ではない。
その荒くれ男達がジャケットをきちんと着、西部スタイルの棒タイをつけて、席に着いた。さらにかっこいいことに、食事の前の敬虔な祈りの言葉を捧げて食事となった。この映画は残念なことに、この場面しか印象にない。誰も見ていないところでは、裸で食事したところでかまわないように思うが、この人達は神が見ていると思って暮らしているのだろう。 まことに格好良く思ったものだ。
ところが、今の日本はどうだろうか。自分自身は着替える事はしないけれど、「いただきます」の食事前の感謝の言葉は無意識に出るし、そうするのが当たり前だと思っていた。 しかしである。今の子供は食事前の「いただきます」を言わないようにしつけ??られているらしいのだ、学校で! どういう事かというと、学校の給食時に「いただきます」という、感謝の念をどこかに向かって言わせることは、子供の思想信条に干渉し、宗教の自由に反するからタブーなんだそうだ。 開いた口が塞がらないとはこのことだ。
学校給食法は、昭和29年に出来て、その主な目的は、戦後の子供達の育成のために栄養バランスのよい食事を与えることと、食事作法を学ばせる事から始まった。 戦前には、古今東西の偉人の伝記などを教えた「修身」という教科があった。敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)によって禁止され、昭和三十三年、「道徳」が設けられた。が、日教組(日本教職員組合)などの政争の具にされて、形骸化した。で昔当たり前だったことが、教えられなくなった。 結果が上の一文、子供の思想信条に干渉し…なのだ。
出されたものを感謝も無しに、黙って食う人の群というものはもう、人ではない。果てしなく獣に近い何者かだろう。 そういう基本無しで育った人の、どこに思想信条という御大層なものが宿るのだろうか…。もちろんダンディズムとは無縁の輩である。
ネットオークションで、アルトリコーダー (木製 ドイツSchreiber)を手に入れた。木製のは前から欲しかったのだけれど、ちょっと気ままに吹くには高価すぎて手が出なかった。勝手なもので、自分にとって一番興味あるものに対しては、同じ金額でもまったく気にならないことが、二番三番目の興味対象となると、途端に消極的になる。
木製のリコーダーは手間が大変だ。多分30年くらい吹かずに眠っていただろうこのリコーダー、まったく音が出ない。やっぱり小学校時代に使ったアルトリコーダー(40年位前)と音を比べてもまったく出ていない。 そこで、さらっぴんをおろすときと同じように、まず、人肌に暖めてから、毎日、15分吹いては止めのアイドリングをしている。かなり枯れているので、内側に、リンシードオイルを薄く塗った。
これで、まだ王がKingでなく、Rexと呼ばれていた頃の中世西洋の曲を一人もさもさと吹く。そうすると、乾いてなんだかとても寂しいけれど、日本にはない感覚になる。これがいい。木は暖まってくると、なんともいえない柔らかな音色になる。プラスチックは何時間でも同じ感じでふけるけれど、それでは味の素だ。いつでもどこでも同じ味。 木のリコーダーは二時間以上吹くと木が湿りそれ以上吹くと壊れる??ので、止めなければならない。そこがまた生き物のようで楽しい。 この楽器は元いくら位のものか知らない。安物かも知れないが、あんまりそう言うことには興味なく、これから、継ぎの所に、糸を巻き、蜜蝋で止めて、修理した後、どういう音が出るのかが楽しみだ。 もし納得いかなければ再びオークション行きになるかも知れない。 de Feschのリコーダーソナタト長調 を吹きたいと思っているのだけど、道は険しい。
その昔、リコーダーで、山中、熊に出会ったとき、笛部だけを取り出し、思い切り吹いて、子連れの月の輪熊を追っ払ったことがある。
獅子座流星群を見ていた、朝の4時半過ぎまで見ていた。シャワーと言うほどのこともなかったが、残像に残るくらいの尾を引いて行く物もあって、今まで見た中では一番だった。 寒い中、夜空を見上げていて久しぶりの感慨のようなものが湧いた。中学生の頃毛布を持って屋根の上でくるまり寝て、一晩中星を眺めて夜明けを迎えたことがあった。その頃、普通の夜でも、30個くらいは見えた。 只今回のような大きな物はそう幾度も一夜のうちには見られない。 ずっとそうしていると、心がとても豊かな気分になって、この世の細かい出来事いろいろなことが、あまり気にならなくなる。
オリオンの星座を見ている内に昔読んだ、稲垣足穂(いながき・たるほ)の短編を思いだした。大正11年に婦人公論9月号に載ったのがはじめてらしいが、とても印象に残る短編だった。 その昔(明治の頃?)神戸に星を造る人がいて、注文すると、その人は、神戸の海の上空一杯に、花火のように次から次にとぎれる事なく、星を天空から鏤(ちりば)め振りまき、それは六甲の山からもよく見え、空が昼のように明るくなったと、書いてあったように記憶している。 実際にあったかのような書き方だった。 この人の本は一時期ほとんど読んだ。伏見桃山にに晩年住んでいたこともあって、親近感があった。 足穂について作家達は次のような言葉を残している。
「このような文学は即刻叩き潰すべきである。」 (菊池寛)
「日本の文壇は、ああいう才能をわかってはやらないだろうな」 (谷崎潤一郎)
「我が国は君のような文学に対して冷淡であるが、書けるうちにドシドシ書いてください。」(芥川竜之介)
足穂は「終わり始まる」といった。 死出の旅路は、新生の始まり。死ぬのは怖いことではない、次世界への期待があり、終わりが始まりなのだ、楽しみだとどこかに書いていた。
いままで、絵、額、本などを置いておくために。岩倉実相院近くのアパート(二間ぶち抜き)を借りていた。そこの、同じ大家さんから蔵を借りないかと話があった。蔵は壁が分厚い。何かの保存には恰好である。蔵は二階建てになっていて、大きい。温度もほぼ一定でワインセラーにもなりそうだ。家にあるセラーは200本入るが樽なども入っているのでもう満杯。
もうケース単位でワインははいらんなぁと思っていた矢先に、蔵を借りられるとは本当についている!! 近い内に引っ越しをしなければいけないけれど、ごちゃごちゃしているので、めんどくさい。10畳ほどの所にびっしり入っている物を、また出さなくてはいけないと思うと気が重い…。
いつも一杯ひっかけに行く、ビストロとブラスリーとレストラン足したような、便利なブションというのが寺町二条にある。最近、家にまとまった量のCh,ラフォンメノーが手に入ったので、ご馳走しようと訪れた。 いつものごとき、カウンターに肩肘ついての飲み姿勢、イスはない、と思ったら、今日初めてイスが二脚用意されていた。オーナーの心遣いだそうで、しかし、座らない。立って飲むことでかなり体力を使う、これを見越してのんでいるんだからイスはいらない。 14日、明日解禁というボジョレー・ヌーボーが用意されてあった。しかし15日はこの店は休みだ。何も日本人が、一部のイギリス人が始めたお祭りの慣例に従うこたぁない!今ここにあるのなら即刻あけよと、開けてしまった。え?味ですか?テレビでなんか好きなこと言って喜んでいる連中は幸せだよね。
う…ん!…。ボジョレーヌーボーです。只の。え!これは即醸じゃない方法で作っている? う…ん! それでも、ボジョレーヌーボーです。只の。
ところがです。近くの老舗の和菓子屋の親父さんが持ってきた、一升瓶入りの、カレー毒物混入の容疑者と同姓同名の名を持つ作り手の作った、天然醸造ワイン、これは白ワインだったが驚いた! ラ・フランス、洋梨の香りがはっきりして、飲んだカウンターのこちらとあちらで、「洋梨の香り」!だ。
最近日本酒醸造元が、ピーチワインなどを作っているので、梨でつくっているのかと思ったくらいのものだったが、ちゃんと葡萄で作っていた。 酸がほどよく、さっぱりしていてこりゃー!いけまっせ!だった。 日本もやれば出来るんやないか! もう一種の一升瓶の白、ブション提供の月山山麓はこれはマスカットだった。
Ch.ラフォンメノーの飲んだ後の余韻はそれなりに心地よく、酔えた。
んで、ボジョレーヌーボーはどうしたって? なんか瓶に一杯残ってたデ。
飲んで酔っぱらって騒ぐほどのもんかい、ボジョレーヌーボー
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