目次未来


2001年09月23日(日) 散歩と食欲秋の空



 あんまりの快晴と心地よい秋の風につられて、哲学の道を銀閣寺界隈まで散歩に出かけた。アメリカで悲惨な事が起こり、世界的に大変な事になりそうな気配にも関わらず、三連休の始まり、人々は三々五々哲学の道の散歩を楽しんでいる。これでいいのだ。人の世はこんなもので、心にわだかまりがあっても結構強い。なるようにしかならん!

 銀閣寺までとろとろ歩き、目立たないがたいへんな老舗のラーメン屋で夫婦そろって食事をし、その後御影通り近くのレシャンドールから独立したケーキ屋、ルブレ二階の喫茶店でゆっくりすごし、少し歩いて、今度は二条寺町のブションでビールを一杯引っかけ、それから前に一度偶然訪れた ビストロ、ルラシオン(relation)がどうしても気になって今夜の夕食をそこでとることにした。界隈の西洋饂飩屋・西洋お好み焼き屋は大盛況、満杯なのが通りからも伺える。フランス料理のパリの朝市、リヨン食堂なんて一杯で、張り出されたメニューには2000円でグラスワイン一杯付きの主菜無し?!のオードブル大皿てんこ盛り?でデザート、コーヒーが付いているという。なーるほどそれで満席か!

だけど、主菜が別売りの夜の食事というのは一体何なんだ?
これと似た商法が三条高倉界隈にあって、西洋饂飩屋経営のスペイン料理屋を装った所だが、ここは何と夜のメインのコースにパンが付いていないんだぞ! んな、馬鹿な!と思うだろうがついてないんだこれが。
晩飯はファッションとは違うのだ。こういうところは以後行かない。

 そこで、ルラシオン。わずか二通りの定食しかない。が、前菜・主菜の選択肢は各4.5種類、の中から選ぶ。日本で言うお通し(今回は)はカリッと焼いた香ばしいチキンが出てきた。前菜はおち鰹のカルパッチョ、相棒はパルマ産生ハムとイチジク、主菜は真鯛のポワレと、牛肉のブルゴーニュ風そのいうブッフブルギニヨンヌという奴、これなんか普通高級店でもサイコロ状になったものが出てくるんだけど、ここはステーキのような固まりでドーンとでてくる。本場フランスブルゴーニュのボーヌで食ってもサイコロ状である。当然、肉自体のうまみは出てしまってカスカスな感じになる。
しかし、こういう風に調理すると、うま味は当然残る、したがって旨い!ということになる。こんな旨いもん出すのに、他の店が流行っているのにここは閑散として少し悲しい。こんな量質と値段の「関係(ルラシオン(relation))」がお値打ち(フランスではカリテプリという)感がある店は最近ないぞ! 

 量はたっぷりしているけれど、おいしくないとか、旨いけど、出たら饂飩でも食いなおさな腹が満たないというところはよくある。
 ここは、姉小路通りと堺町通りの交差した道の南西にある。
地味な看板に「relation」とあり、メニューの精細が書かれている。ワインの値段も手頃だ。+何百円のよくあるせこい商売はしていないから、額面の通りの値段でおいしくいただける。カウンター席が7.8席あって奥にはテーブル席も用意されている。
まぁ、行ってみ、損はしない。









2001年09月20日(木) 哲学のみち界隈



 哲学の道界隈は、改めて思うけれど、自然が一杯だ。若王子神社下を起点に銀閣寺までの2km位続く道沿いには、取水地から流れ出る大人の膝まで位の深さの疎水があり、そこにはだれかが放した錦鯉、カメ、その他フナ、小魚が一杯泳いでいる。
 琵琶湖から東山を飛び越えて鴨が来る、先の繁殖期にはカルガモのこどもがよちよち7・8匹親の後を泳いでいく様子が見られた。月夜の晩に散歩している時に偶然、ムササビが樹木伝いに飛来し、目の前の大きな木に着地したのを目撃したこともある。姿勢は頭を下にして木に捕まっていた。

一昔前、裸の人間もこの道を朝早く走り抜けるのを、近所の早起きのお年寄りが目撃したりしている。普通そういうのは町中に出るんだけど、よく出てたらしい。蛍も毎年沢山ではないが、舞う。途中ある、鹿ヶ谷という所、地名からも分かるように、ちょっと前までは鹿も出たらしい。
大晦日には除夜の鐘があっちこっちから聞こえてくる。
この環境は他に例がないかもしれない。信州や南仏が好きだけれど、はっと足下を見ればいい環境にいるのだ。
ここをいつも散歩がてら、とろとろ歩いている。











2001年09月18日(火) 酸橘と2002年サッカーW杯



 鳴門の事でもう一つ。家族同様に思っている親しい友人一家から沢山のすだち・芋などが届いた。さっそく礼状を書いてといっても、Eメールだからクリックした瞬間もう相手に届いている。便利といえば便利だけど、これでは郵便屋はもうすぐすると仕事がなくなるかも知れない。
 送られて来た箱の中に徳島新聞が入っていた。一通り目を通していると「ドイツ2002年W杯のキャンプ地に鳴門市最有力候補」とあった。

この記事を見た瞬間、「ああ、ドイツ人は鳴門の事忘れていないんだ」と思った。
現在は鳴門市になっている、板東という所に、第一次大戦の時に捕虜収容所が出来た。そしてここにドイツ人千人近くが入れられた。収容所長の松江豊寿陸軍大佐は、「勝てば官軍」に敗れた会津藩士の出である。敗者の悲哀、弱者の苦しさをよく分かっていた。

そういうこともあって、地域の中で、自由な活動を許した。地域住民達も彼らからヨーロッパ文化や、工業・医学の知識を得ようと、彼らに敬意をを持って接した。その結果、パン屋あり、ソーセージ屋ありの小さなドイツ人街が出来た。
 1918年6月1日、ここのドイツ軍楽隊によって、日本で初めてベートーベン第九交響曲が演奏され、第四楽章「歓喜の歌」が日独両国民、合い和して歌われた。日本人が東京で正式に演奏したのはそれから6年後となる。
国際法を忠実に守り、捕虜を寛大に人道的に扱う日本は、当時ヨーロッパ諸国から高く称賛されて、感謝状までもらっている。
そういう事をドイツ人はしっかり覚えているのだろう。深く知らない人は捕虜になった地でキャンプなんて、ドイツ人はいやじゃないかと思ってしまうだろうが、上に書いたように素晴らしい扱いをしていて、当時のドイツ人の心に深く残っているのだ。
捕虜でも文化的な誤解で虐待されたという英国人がいる。聞けば木の根っ子を食べさせられたという。調べてみると、日本人が当たり前に食っているゴボウだったりするわけだ。(ゴボウはフランス人も食べる)。当時まったく文化に干渉せずに自治に任せた事が本当によかった。
 今からすだちを輪切りに紅茶にいれて飲もうとおもう。檸檬のようにきんきんしない上等の味になる。感謝。












2001年09月16日(日) 百円式と珈琲のイノダ



 百円式とは内田百聞先生のひゃっけんからとった。本来、正しい表音表記にすれば、関西では100円はひゃっけんと発音することがあるのでこう書いてもいいはずだ。歴史的背景のある書き方、蝶々(てふてふ)は、ちょうちょうと書かねばならんと国が決めてから、日本人の混乱が始まった。
だから、「例えば」は「例へば」が今でも正解、「向こうえ」ではなくて「向こうへ」が正解なのは誰もが知っている。

 百円式とは、1000円の金を工面しに行くのに3000円使っても頭が回りかねるすかたんをいいます。
イノダの珈琲屋に通ってはや、27年((;゚゚)ワーッ!)、通い方は百円式。どう言う事かというと、400円だかの珈琲を飲みに行くのに、往復2000円(タクシー代)を払って行くからで、かといって勿体ないとか損とか思いもよらない、百円式の所以ナツバラハウンドドックなんである。
 黙って座ればぴたりと珈琲の角砂糖の数、新聞はどれと前に出てくる。初めて来た客は目を白黒させてこれを見る。
 大きな円卓の中にいる従業員が、挨拶にそれぞれ来、答え、後、新聞に目を通す。客はその様子から「ははん!馴染みの客か」と悟る。昨日、2.3年前に引退してここを退いた、珈琲道40数年の猪田さんに偶然会った。
中におられるときは、終始気を配りながら、こちらが本を読みふけり知らぬ間に数時間経た時、普通なら嫌な客だと思うだろうが、猪田さんは、半分くらいの量の新しい珈琲を淹れてくれたりした。最初は恐縮してお金を払おうとしたが、請求書に書いてないものはレジは受け取らない。その内、いつしか甘えて終い、退職の日まで屡々その恩恵をうけた。

その猪田さんが来ていた。良く来るらしいのだけど、週一二回の内に、偶然出会う確率は少ない。聞けば、徳島の鳴門に珈琲の講演にこの十月行くという。もう四年目になるという。この鳴門の珈琲屋は高校時代の同級生がやっている。カナダ製の馬鹿でかいログハウスに、イノダを模してカウンターが作られている。なんでそこまで気に入ったかは知らない。高校時分に高田渡という人が歌って流行ったコーヒーブルースという曲の中に「イノダに行こう」というフレーズが出てくる。良く歌っていたようだから郷愁があったのだろう。

 その同級生とは現在つき合いはないが、わざわざ呼んで講演してもらっているのはなぜだろう。きっと有名人好みなんだろう。猪田さんはTVコマーシャルにも出たことがある。
 猪田さんがカウンターの中に立たなくなって久しいけれど、中にいる男ばかりの従業員は、他にない位の真っ直ぐな職業意識を持った若者達だ。かっこええのだ。この場合、かっこええは、姿形ではない。東京から来る常連、地場の常連そのほとんどの客の好みと読む新聞を把握している。立ち姿も気持ちいい。近頃良くいる、動物に近いくず店員とは同列に出来ない。
猪田さんを見て育ったと言える。音楽も流れていないので静かである。

 百年目の再開のごとく握手し、内心健康の無事を確認して喜び合った。何年か前から鳴門に行っている事は知らなかった。久しぶりに猪田さんにあったら、その同級生を○○さんと名前で呼んでいたから、もうかなり親しくなっているんだろう。店は繁盛しているそうで、それはそれで目出度い事ではある。小柄で足が悪いのだけど、握手した際、握力の強さにはびっくりした。まだ現役でいてほしいと心から思った。









2001年09月15日(土) 祝:開店



(^O^)/C□☆□D\(^_^ ) カンパーイ♪

(*^^)∠※PAN!。・:*:・゜☆,。・:*:・゜

今日新装開店します。B版のお試し日記は、少し長過ぎ理屈付け過ぎという意見あり。有難う。出来るだけ簡潔にそして面白い日常を綴ってまいります。
どうぞ御贔屓に。

箱をつくるのにへとへとで、中身がまだこれからです。トップページの左下に更新報告書きますので目安にしてください。











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