| 2005年09月03日(土) |
TATOOの話、その2 |
Nの夫君は「隊長」と呼ばれていた。 そう、探検隊の隊長さんだ。 近所の子供達にも好かれ、幼稚園のお楽しみ会で 手品を披露して喝采を浴びた。
Nは 一人息子にも、「Nちゃん」と呼ばれ 「パパ」「ママ」ではなく、 「隊長」「Nちゃん」と呼び合う素敵な3人家族だった。
離婚前の一ヶ月。
Nは どんどん変わっていった。
ベランダは、みるみる荒れ果てて行った。 たくさん集めた鉢のバラ達は、雨水だけで生きている状態だった。 黄色く変色したつるバラの葉が落ちて、吹き溜まりでカサカサ音を立てた。
「Nちゃん、どうなっちゃったんだろうねえ」 仲の良かった主婦友達も、みんなで心配した。
お互い名字だけ呼び合う主婦仲間だが Nのことは みんなも「Nちゃん」と呼んで そう呼ぶ人はみんな 「隊長と彼女の家族」が 好きだった。
やがて どこからか Nは、年下の若い男と付き合ってる、という噂が聞こえてきた。
近所の不良中学生達が Nのアパートにたむろするようになっていた。 小さい頃から、Nが可愛がって、隊長とも一緒に遊んだ連中だったが・・
半年前に注文した球根が届いたと連絡が Nから来て 私は受け取りに行った。 部屋の中には、Nが 注文したたくさんの球根が、あふれていた。 キッチンにも玄関前にも、そしてたくさんの新しい鉢、鉢、鉢・・・ それは、あきらかに 『常道を逸している』様子だった。
半年前といえば、ちょうどNが、市の介護講習に通いだした頃だ。 半年前から、Nは、何を考え初めていたのだろう。
一人息子は喘息持ちで、中学生の たばこの煙でむせこんでいた。 が、Nはおかまいなしに、中学生に向かって 「たばこ切れたの?ほら!」と ニコニコしながら新しい箱を放り投げた。
私は 切れた。
友人Nが、TATOO(入れ墨)を入れるから その下絵を描いてちょうだい、と くったくなく笑って言った。
若い頃の話ではない。
お互い、幼稚園年長の子供がいて、役員の仕事をまじめに やっていた頃の話だ。
Nは、美人でスリムで、そして幼稚園お母さん方と一線をひくように 「おしゃれ」だった。
新しい雑誌を見て、新しい服を買って、アパートの一室は 服で埋まってるという、 翌日着ていく服を、部屋のトルソに着せて、コーデイネイトを考える、 そういう「超おしゃれママ」だった。
入れ墨の下絵のことは 私は 最初は 相手にしなかった。
幼稚園の卒業アルバム用のイラストを頼むように 彼女は、気軽に私に言ったのだろうが。
「鳥の絵がいいの、それも猛禽類。大きく翼を広げて はばたいている姿を お願い。」
Nは「バラ友」だった。
一緒に、一本一本オールドローズの名前を覚え、 通販で買って、それが咲いたと言っては 飛んで見に行っては 一喜一憂し、 来年は何を植えようか、何を買おうか、どう植え付けしようか 時間のたつのも忘れて話し込んだ。
彼女の一階のアパートのテラスは、美しく花で飾られた楽園だった。
あけびのつるのバスケット、夫君が流木で作ったベンチ、 ハンギングからこぼれる花達も、 イギリスからタネを取り寄せて咲かせた花達も すべて見る人を幸せにした。
それが、なぜ、TATOOなのか。
そのつながりは まったくわからず、しばらくほって置いたのだが ある日曜日の朝、テレビでアンデスの空を飛ぶ鷲の姿が映った。
「あ、Nが欲してるのはこれか。」と思った。 Nは、アンデスを舞台にした小説を一本書いていて、親しい 主婦仲間で回覧したこともある。
私はすぐ描いて それを FAXで送信した。
Nは、喜び、そして、 夫君の運転で栃木の彫り師のところまで行き、 右肩後ろから背中に、大きく翼を広げて飛ぶ鷲のTATOOを入れて帰ってきた。
彼女が、離婚したのは、その一ヶ月後だ。
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