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帝国劇場「喝采」の舞台で
男役限定復活のなおちゃんを観てきました。 あぁ〜 …ずるいよ… なんていったらいいんだろう。 24時間うっとりメロメロ状態だった ディープなファン時代を思い出しました(^^;)。 それから後も、宝塚は観るし なおちゃんも応援しているし ほかの趣味も楽しんだりしてたけど 去年の6月22日をもって あの時の、あの特別な感覚は 二度と味わってなかったんだなぁ ということを、改めて認識しました。 あの感覚をもう一度味わいたい 今なら、帝劇に行きさえすれば テレビの映像や思い出の中ではなく 目の前で確実に、あの感覚を味わえるんだ …それは強い誘惑です。 けれど、それはこの公演だけの限定で 自分は、既に終わってしまったものを演じる 別な人を観て、昔を蘇らそうとしているに過ぎないのだ ということも分かっています。 なんていったらいいんだろう。 たとえばそれば 麻薬中毒厚生施設で1年過ごし やっともうすぐ退院か、ってときに またヤクをはじめちまった という状況に似てます。 竜宮城から戻った浦島太郎が 世知辛い現実に打ちのめされて すがる美しい玉手箱。 立ち上る煙が消えれば全ては幻。 それでも玉手箱の誘惑には勝てない。 そんなことを連想すると わたしってほんとうに 常にこの世ならぬものに 心奪われていなければ 人生立ちゆかなくなる 現実逃避野郎なんだわ と落ち込んでしまいます。 でも、好きなものを観て なんで落ち込まないとあかんのよ。 好きなものは好き 感動して幸せになったらそれでいいじゃない ―――――と単純に考えることにします。 それにさ、こんなお仕事が存在するなら これからだって、例えば将来また別のトップさんの 退団後初舞台に出演するかもしれないじゃない。 例えば、それがわたるくんのための企画だったりしたら わたしの密かな念願である「Switch」再演 みたいな企画もまったくあり得ない訳じゃなくない? と思ったりして…。 |
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「Everything is Illuminated」は
イライジャ・ウッドが今現在 プラハで撮影中の新作映画です。 今日プラハでの(おそらく役の扮装の) イライジャの写真を発見。 ―――――ガーン。 なんだかすごく妙な髪型でした。 イライジャの元々の髪の色はプラウンらしいけど 今回黒に染められており、それはいい。 黒は茶色より青い目が引き立つような気がするから。 しかしヘアスタイルが ぺったんこな七三分けなのだ(泣)。 どうしてなんだろう。 どうしてその美形を生かす格好をしてくれないんだ〜。 (役作りだから仕方ないって) そういえば「Everything is Illuminated」は コメディらしいと聞いたけど イライジャのあのヘアスタイルも コメディのうちなのだろうか。 いや、そんなはずはない。 写真たった2枚だけで決めつけるのはまだ早い。 それにそんな心配より前に この映画が日本でちゃんと公開されるかが もっと重要なのだ…。公開されますように。 |
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以前「メモ帳」の方にも書いた事があるのだけど
とあるサイトで公開されている小説が本当に面白い。 現実の人を素材にしたパロディ小説みたいな ぶっちゃけて言えば「LotR」関連なのですが。 とにかくこのジャンルの、この種のお話の中で これほど繊細で確固とした世界観があるものは なかなかないのではと思う。本当に感動する。 今日また新しい話がupされているのを 発見したんですが、ここ最近読む度に まじに泣けてしまうぐらい感動してしまう。 現実を題材にした創作だと 変えられないイメージや物事があるのだけど 創作小説である限り、話の中には必ず 書き手の世界観が大きく投影される。 わたしが見ている現実と その人が見ている現実の差って一体なんだろう。 とにかく、同じ絵の具を与えられても その人はほかの誰にも出せないような色で 見る人を虜にする絵を描くことが出来るわけだ。 もちろん、わたしはその人ではないので その人の世界観をどんなに羨ましいと思っても その人の話を読むことでそれを追体験して 共感したり感心したりすることしかできない。 それでいいと思う。 でもわたしが本当に羨ましいのは こんなにも長い話を綴り続けられる ゆるぎない世界観、自分の世界を 外に向かって表現できる力。 どうしたらそんな風になれるんだろう… |
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「パッション」を見ました。
覚悟はしていたけれど…グロかったです。 物語は、イエス・キリストが ゲッセマネの園で祈るシーンから始まります。 イエスは、この時自分が捕らえられて 殺されることを知っていたので、苦悶の中で 「どうかこの杯を取り除いて下さい。 けれどわたしの願いではなく御心のままに」 と父なる神に祈ります。 やがて裏切り者の使徒ユダがやってきて イエスを祭司たちに引き渡します。 血の涙を流して祈るイエスと そばで眠りこけてしまう使徒たち やってきたユダに向かってイエスが言う 「お前は接吻でわたしを裏切るのか?」 の言葉、使徒に耳を切られた兵士を癒すイエス などなど、福音書に記されているとおりの出来事を ひたすら淡々と堅実に描いているといった感じです。 出演者全員、英語ではなくアラム語とラテン語を 話しているところに描写へのこだわりが感じられます。 そして、イエスが捕らえられ 人々に罵倒され、鞭打ちに処せられるあたりからは 人々の残虐な仕打ちと、イエスの受けた痛みが 微に入り細に入り容赦なく映像化されてゆきます。 ムチ撲ちは、最初は細い棒で 背中を打っているのですが そのうちにそれが棘付きのムチになり 撲つとその先は背中に突き刺さり ムチを引くと同時に背中の皮は無惨に捲れます。 背中が終わると今度は胸も何回も何回も撲ち やがてイエスの体は全身の皮が剥がれたように 真っ赤に染まってしまいます。 それでなくても彼は既に顔中を殴られて 別人のような顔になっており そして、そんな彼を撲つ兵士たちは まるでゲームか何かのように面白がっているのです。 この時点で、わたしはもう どうしようもなくいたたまれない気分で これから更に十字架の道行き、そして クライマックスには磔があるのだと思うと このまま見続けられるのだろうか もう席を立って出て行こうかと考えました。 結局座ったままでしたが、それからはもう 映画鑑賞と言うよりは一種の苦行のような心境でした。 この映画で感動して泣く人はいるのでしょうか。 わたしは涙を流しましたが、それは感動と言うよりも あまりにもむごくて悲惨なものを見た辛さからです。 この映画の作り手は、ある意味信仰の試練として この映画を作っているのかもしれません。 とにかくなんだか自虐的なものを感じます。 「神はじつにそのひとり子を お与えになったほどに世を愛された」 というのは有名な聖句ですが そこには「自分は赦されている」という 温かい癒しの響きがあります。 この映画で描かれる「パッション」 =キリストの受難にも、ある意味 この聖句について描かれている と思うのですが、そこで表現される 「神がそのひとり子をお与えになる」様子は 壮絶な苦難と痛みです。 けれど、そんな艱難辛苦の果てに 自分を殺す者ために祈るキリストの姿を見て 感じるのは、神の愛や癒しではありません。 感じるのは、近しい人の拷問と処刑を 目の前で見せられるような辛さと 自分がキリストを処刑し、または見殺しにした 罪を問われているような恐ろしさなのです。 映画では、イエスが息を引き取ると 聖書のとおり神殿の垂れ幕は裂け その後復活したイエスの横顔が映り映画の幕は閉じます。 けれどもこの映画にカタルシスは感じませんでした。 キリストの受難なくとして救い無しなのだろうけれど この映画については受難あれども救い無しといった印象です。 作り手はこの映画から なにを感じ取って欲しかったんだろう 確かに古代の人たちは あんな風に残虐な拷問の仕方をしたのかもしれないし 今だって別な方法でもっと惨いことが行われているようだし 人間はいつの時代でも信じられないぐらい残忍に 非人道的になれる生き物なのかもしれない。 この映画もひとつの描き方として間違っているとは思いません。 けれど、わたしはそういうものを見ることで 神様を信じる方向に気持ちがゆき難いですし 見せようとする心理にも理解しがたいものがあります。 アメリカでは大ヒットしたというけれど 具体的にどの辺りがそんなに支持されたんだろう…。 日本の風土にはあわなさそうな映画ですよね。 ちなみに、わたしはクリスチャンでは ないのだけど、小・中校と教会学校に行き 高校も大学もキリスト教系だったのですが でもわたしの中に根付いているキリスト教と この映画の作り手のキリスト教とは しっくり来なかったのかな…。 「社交の場では宗教と政治の話はするな」 と言われるように、宗教と政治は 古今東西、あらゆる戦争の元になっています。 たとえ同じ宗教を信じていても まったく同じ神様を共有しているとは 言えないのかもしれない。 神様について、意見を言うのは 自分自身の心の中の神様と対話するのが 一番なのかもしれません。 |
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シアターに設置した画像アップ式の
掲示板がなかなか気に入って DRにも画像アップ式を導入してみました。 しかし、DRのは日記形式なので この「つれづれ日記」と内容が 重なってしまいそうです。 一応DRの方はメモとしたけれど これからどうやって使い分けてゆこうか…。 とりあえずここは、ひっそりリンクなので より個人的なことを書くことにします。 決算期が来てやることが増えた上に 更に今日、また別な仕事が増えた(泣)。 間違いだらけの紙切れ1枚 意味不明の説明と共に渡されても…。 まずなにをしたらいいのか理解し その紙を修正しなければ仕事に取りかかれない…。 その前日もやっぱりまた意味不明の通知文を 最初から全部作り直して発送したんだぞ。 もう今では君の事は嫌いではないし憎んでもいないけど 時々ムキーっとなるのは止められません。 愚痴ってやる。ここで思い切り愚痴ってやる〜。 なんなんだ一体〜〜〜!きぃ〜〜っっ。 でも…いつかやらなきゃいけないと それはきっとわたしがやるんだろうと 何年も心の片隅にひっかかってた ものだからいいんだけど…。 そんな待ち案件が、まだあと2件ほどあります。 ああ――――― この世の中はどんどん変わっていくのに わたしだけは池の水みたいに動かないで そのうちに干上がってしまうそうな気がする…。 今年はほんとうにわたしの周りで 沢山の変化がありそうな年です。 職場に新しい人がたぶん3人ぐらい入るというのが 一番身近な変化ですが、それ以外に 肉親や身近な人たち、好きな人や事柄 みんなの変化を、しみじみと 実感することになる予感がする。 そんな中、わたしはしっかりと自分を失わずに マイペースでいられるかどうか、自信がありません。 けれど、今までの自分を振り返ってみて 一番挫折感を味わった時期に比べれば ずっと安定しているように思います。 その時期は過ぎたので、もう二度と 同じ理由では挫けないと思いたいけど それでもまだ自分の中の弱さは変わりません。 そこを突かれるとまだ痛いのです。 わたしに今必要なのはたぶん 諦めではなく自覚、思い上がりではなく自信。 「さしむかう 心は清き 水鏡」 |
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ティム・バートン監督の映画
「ビッグ・フィッシュ」を見ました。 CMを見て「なんとなくわたしの好みっぽい」 と思っていたんですがまさにそのとおり。 父親エドの話す荒唐無稽な物語と エドと正反対に現実的な息子ウィルの物語です。 映画は、おとぎ話と現実が交互に描かれます。 前者は、かつてエドが息子に語った自らの若き日の冒険物語。 後者は、ウィルの見た死の床にある現実の父親の姿。 もうすぐ子供が生まれるジャーナリストのウィルは 父エドワードの話す荒唐無稽なおとぎ話に苛立っています。 エドの話は、聞く人を愉快で幸せな気分にさせたし ウィルも小さい頃はそんな父親が好きでしたが 大きくなるに連れ、ホラ話で人を煙に巻く 人気者の父親の本当の姿は一体なんなのか 分からなくなってしまったのです。 ウィルは思います。 「実際の現実は、おとぎ話なんかじゃない。 どうしていつも本当のことを言わないんだ? なにか隠しているのでは? それとも自分のいるここでの現実が嫌いなのだろうか?」 たとえば、エドは息子ウィルが生まれた時の話を こんな風に語ります。 「わたしは、その日川で伝説に謳われた 大きな魚(ビッグ・フィッシュ)を釣っていた。 それは、川で死んだ大泥棒の化身ともいわれる 決して誰にも釣られないと言われた特別な魚だった。 わたしは特別な餌を用意した。 それは妻との結婚指輪だった。泥棒の化身なら餌はこれだ。 するとどうだろう。ビック・フィッシュがかかってきた。 しかし同時に釣り糸が千切られてしまった。 わたしは必死で魚を捕まえて "それは僕の大切な結婚指輪だよ、返しておくれ!" と叫んで、やっとのことで取り返した。 魚はそのまま川へ帰っていった。 それがウィル、お前の生まれた日の出来事だよ」 ところが医者がウィルに語ってくれた現実は違う。 「君のお父さんはその日営業で仕事に出かけていた。 出産に立ち会いたがっていたが、予定日より一週間早かった。 あとでとても残念がっていたよ。もし間に合ったとしても その当時出産に横で立ち会うっていう習慣はなかったがね。 お産は特に大きな問題もなくすんだよ」 医者は付け加える。 「こんな変哲もない現実より、君のお父さんが 話してくれたエピソードの方がわたしはずっと好きだがね」 父の冒険の物語。 幼い頃片目の魔女に会いに行き 自分がどうやって死ぬかを予言してもらったという話。 巨人と一緒に旅をして、暗闇の森で冒険をし、 道に迷ってたどり着いた幸福の街「スペクター」の話。 時が止まるほどの運命を感じた女性との出会い。 その女性の名前を知るために、 狼男が団長をするサーカスで何年も働いた話。 運命の女性・サンドラに告白するため 4つの州の水仙を集め花畑の海を作り 大告白を敢行し、見事ゴールインした話。 戦争に召集され、妻の元に早く戻るため 大スパイ作戦に加わり世界を横断した話。 政府から戦死通知が発行されるも 絶望に沈む妻の元に 劇的に生還した感動の物語…etc.etc.。 父はどうしてこんな話を作り出したのか? おとぎ話はほんとうに実際とは違うのか? そんなウィルの疑問は、 映画が進むに連れて次第に解き明かされてゆきます。 ある時ウィルは、父が若い頃訪れて奇妙な体験をしたという 「スペクター(幻)」の街の登記簿を発見します。 ウィルはスペクターの街が現実に実在すると分かると 今度はそこに住む女性が父の愛人だったのではないかと勘ぐります。 スペクターの登記簿の家を訪れると 果たしてそこに住む女性はエドを知っており しかもエドを愛していると言うのでした。 しかし同時にこうも言いました。 「わたしには決して報われることのない愛でした。 あの人は奥さんだけを愛していました。 あの人にとって女性は、奥さんと、それ以外の女性でした。 わたしはあの人のおとぎ話の中の登場人物に過ぎません。 ですからわたしは、あの人の物語の中で 時にスペクターの町長の娘になり また時には片目の魔女にもなりました。 けれどあなたは違う。息子のあなたは 現実にあの人のそばにいられる」 ウィルが生まれた日 見事なビッグ・フィッシュを釣り上げ 結婚指輪を取り返したと言う父。 それはやはり作り話かもしれないけれど だからとって嘘といえるのか…。 父はどうしてこんな話を作り出したのか? おとぎ話はほんとうに実際とは違うのか? ウィルが家に帰ると、父は危篤でした。 病室で寝ずの番をするウィル。 するとエドは目を覚まし、息子に 「自分の死ぬ時の話をしてくれ」 とせがみます。 「でも父さん、その話はまだ聞いたことがないよ」 エドが幼い頃片目の魔女になにを予言されたのか ウィルは知らなかったのです。 「じゃあ…父さん、せめて話の出だしだけでも言ってくれないかい?」 「出だしは…この病室の中だ」 ウィルは周りの様子を気につつ どきまぎしながら、生まれて 初めておとぎ話を話し出します。 「僕が病室で目を覚ますと、父さんは起きていた。 父さんはまるで病気じゃないみたいに元気だった。 "ここを出るぞ!"と父さんは言った。 僕は父さんを車いすに乗せて病院を逃げ出した。 先生の止めるのを振り切って 母さんと僕の妻が先生を邪魔する手伝いをしてくれた。 車に乗せようと、父さんを抱き上げると 不思議なことに父さんは全然重くなかった! "川に行くぞ!"と父さんは叫んだ」 ウィルはもう夢中で話を続けました。 「川岸には父さんが冒険で出会った人たちみんなが待っていた。 これが最後だってのに、そんなの信じられないぐらい まるで何かのお祭りみたいにみんな笑顔だった それで僕は父さんを抱き上げて、みんなに見送られながら川に入った。 最後に母さんが別れの挨拶をすると 父さんは口の中から結婚指輪を取り出して "さらば!わたしの愛しい川の妖精よ"と笑って言った。 そして川に沈むと父さんは、もう父さんではなく あのビック・フィッシュになっていたんだ。 魚になった父さんは沖に向かって泳いでいった。 それが、僕の見た父さんの最後の姿だったよ…」 ウィルは泣いていました。 エドは満足げに 「そうだ…そのとおりだった」 とつぶやいて、そのまま二度と動きませんでした。 エドの葬式の日、エドを愛する様々な人たちが墓地に集います。 エドの冒険話の登場人物のモデルになった人たちでした。 本物の魔女や、巨人や狼男ではないけれど みんなどこかしら面影を備えていました。 そして、彼らはウィルが最後に父に話して聞かせた あのおとぎ話のとおり、揃って笑顔でエドを見送りました。 みんながエドのおとぎ話を愛していました。 ―――――というお話しです。 最後の病室のシーンは号泣でした。 おとぎ話の中にこそ真実がある、という事を さりげなくしみじみ物語ってくれるいい映画です。 「味気ない現実よりもつくり話にした方がよっぽど素敵」 なんて言うと、まるで現実逃避みたいにも聞こえるけど 確かにファンタジーには現実逃避な部分もあると思う。 この間見た「ピーターパン」も、ピーターパンという 大人になることから逃げている男の子が主人公の物語です。 でも、だからといってファンタジーが 否定的に捉えられることはないと思う。 現実とファンタジーは表裏一体で ファンタジーは別の視点で見た現実でもあるのだから。 つまりは、別の世界へ行き 新しい視点で物事を捉えて 命の洗濯をしたりすることが 人生をより豊かに生きる糧なんだろうと思います。 |
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先日買い物途中で発見した
漢方ブティックに立ち寄り カウンセリングしてもらい これから漢方を飲むことにしました。 特に病気ってわけじゃなくて 肌荒れを治したかったんです。 体質から。わたしが飲むのは 「桂枝茯苓丸加よく苡仁(ケイシブンリョウガンカヨクイニン)」 という薬で、主にホルモンバランスの乱れによる 肌荒れなんかでよく処方される薬のようです。 市販もされてますが わたしのは毎晩煎じて飲むものです。 不味いけど、その分効き目は早いみたい。 しかし…薬なのに保険が利かないし 毎日使う品にしては高価なのがつらいところです。 漢方がこんなに高いなんて知らなくて 値段を聞いたときには絶句してしまいました。 フルコースで服用しようとしたら 月なんと6万ぐらいかかってしまうのです。 もちろんそんなお金はないので 1コースしか選ばなかったけど それでも1日で吹き出物の炎症が 治まったからえらいもんだと思います。 もう本当に肌荒れには何年も何年も何年も 悩まされ続けているので 今度こそおさらばしたいよ〜〜〜〜。 話は変わって。 昨日はなおちゃんのおだんじょうびでした。 サイトではなんにも祝わなかったけど(^^;) それもさっぱりしてていいんじゃないかと。 親睦会はどうだったんだろう…詳しく知りたい。 閑話休題。 このあいだネットで エリック・バナが オーランド・ブルームの物真似を している動画を発見しました。 エリック・バナはブラット・ピット主演の 「トロイ」に出演する俳優で オーランドはエリック・バナの弟役で出演します。 物真似はテレビのトーク番組に出た時のもので それはもう、ものすごくうまくて感心しました。 悔しいのは英語がよくわからない ところなんだけど、おそらく 「ぼくニュージーランドでさ ロード…の撮影したんだけど そこで飛行機にのったら なんと、ぼくの顔が描いてあったんだヨ!! ものすっげー感動しちゃってさ、信じられる?」 みたいなニュアンスではないかと… 思うのだけど…全然ちがうかもしれない。 とにかくオーランド・ブルームの あの語尾が切れるような舌足らずな言い回しと 子供みたいに早口で甲高い早口が ものの見事に再現されてて オーランドは有名になってもまだこんな風に ヘナチョコでばかっぽ… いや…子供のように無邪気に 感動を語る人なんだなぁ と思ってちょこっと嬉しかったです。 オーランド・ブルームは美形だけど 話すとイマイチと思うのはわたしだけかな。 ちなみにベッカムも話すとヘナチョコに見える…。 そしてこの二人が女性に人気があるのは 顔が綺麗なだけじゃなく、話し出したときの雰囲気の そのヘナチョコ加減にあるのではないかと思うのです。 愛すべきという感じなんじゃないかな…。 もう1つ発見したのは ファンのために催されたチャットに イライジャやドム、ビリーらが参加した時のログです。 これはこの世にあるということは知っていたけど 場所が全く分からず随分さまよって、ついに アーカイヴの中から掘り出しました(^^;)。 ビリーの公式ウェブサイトの中だったのか…。 せっかく見つけたけど これも難しくて意味が分からないです。 チャットは短い文なので 長い構文を訳すことを思うと 楽なのかもしれないけれど、それがまた厄介で 日本語のチャットでも最初は訳が分からないのに 英語チャットの言い回しなんてもっと分かりません。 それに、チャットならではのスペル間違えなのか わざとの言い回しなのか、誰と誰が会話しているのか ということを突き止めるのに時間がかかる上 チャットはなんとおよそ二万語もあることが判明。 更に加えて、イライジャとドムは 同じコンピューターを使っているので 「Elijah:」と書いてあっても どっちが喋っているのか不明。 たぶん、明るくてお行儀いいのがイライジャ ユーモラスで口の悪い方がドムという感じがするけど わたしの先入観なのでなんとも言えない(^^;)。 というわけで、ちょっと今お手上げ状態です。 ああ…英語がスラスラ読めたら…(泣)。 |
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今日はファーストデイなので映画を見てきました。
「ピーター・パン」 ニューズ・ウィークの批評を見て かなり新鮮なとらえ方で 大人も楽しめる映画みたいで 期待していったのですが 確かに、ゴールデンウィークに関わらず 子供の観客はほとんどいませんでした。 「ピーター・パン」の話は ほとんど忘れてしまっていたのですが これはエンデの「はてしない物語」に 通じるものがありますよね。 「はてしない物語」も 「ピーター・パン」も現実の少年少女が 自ら作り出したファンタジーの世界を旅し そしてまた戻ってくることで 成長を遂げる物語です。 今日、映画の感想を母と話していて (といっても母は映画を見ていないですが) いろいろ考えがまとまったのですが これにはとても大切な意味が 込められていると思いました。 子供たちが異世界に旅することは 一種の通過儀礼なのでしょう。 これまで育った世界を離れ 様々なことを体験し自分自身を見つめ そして自分の意思によりまた戻ってくること それが大人になるということなのだと思います。 こういったモチーフは 童話のなかにたくさんあります。 「ねむり姫」「もりの中」「またもりへ」 「かいじゅうたちのいるところ」 そういう物語が世界に溢れているのは 子供が心身共に大人になることが 簡単な事ではない、じつは非常に 難しいことなんだというの現れでもあると思います。 また、注目すべきは 「はてしない物語」の主人公・バスチアンや 「ピーター・パン」のヒロイン・ウェンディーが なぜ選ばれておとぎの世界にやってこられたのか? というその理由です。 彼らがファンタージェンや ネバーランドで必要とされたのは、 勇敢だからとか美しいからではなく 「おはなしができるから」なのです。 おとぎの国の登場人物たちは 夢そのもので、ありとあらゆる あこがれと理想を兼ね備えた存在ですが 自分たちのストーリーの続きを知ることや 未来を語ることはできないのです。 お話しを語り、物語を完成させられるのは 現実に生きる人間にしかできないことなのです。 それは非常に象徴的であると共に 「おはなしを語り伝えること」 の大切さをも表していると思います。 おとぎ話を語り伝えることは 子供を寝かしつけるための 単純な方法に過ぎないのではない。 もっと人間の歴史、心の奥深くに繋がる 大切な伝統なのだと。 映画「ピーター・パン」の話に戻ります。 この映画のウリは ピーターとウェンディの 淡い恋の物語です。 宿敵・海賊フック船長を懲らしめた後 ピーターとウェンディは 星の輝くネバーランドで 空を飛びながらデュエットダンスを踊ります。 それを物陰から目にしたフック船長は 「彼はとうとう見つけた。ウェンディを見つけた。 もう一人じゃない。でもわたしは一人で孤独だ」 と淋しげにつぶやきます。 ウェンディーは、ピーターに問いかけます。 「あなたの心の中に、愛はある? わたしのことをどう思っているの?」 しかし永遠の少年であるピーターは 「愛なんて知らないよ」 と言って飛び去ってしまいます。 傷心のあまり泣き続けるウェンディ。 けれどフック船長は ピーターにとってもウェンディーが 掛け替えのない存在になっている ことを見抜いていました。 愛すべき者を持つことで ピーターもまた孤独を知り 弱点を持つ者となったのだ、と。 そしてフック船長は、ピーターに向かい 「お前の大切なウェンディーは大人になってお前を捨てるぞ。 そしてウェンディーのそばにいるのは、お前じゃなくて夫だ」 という言葉で彼を打ちのめします。 ピーターは飛ぶ力を失い空から転落します。 (ちなみにフック役はウェンディーの父親役と 同一人物が演じるのが伝統だそうです。 それもまた意味深いですよね) フック船長がいよいよ ピーターを殺そうとすると ウェンディーが駆け寄り 「大人になるわたしを許して。 けれど、わたしの贈り物は 永遠にあなただけのもの」 と告げてピーターにキスします。 すると、ピーターは力を取り戻し フック船長を打ち負かすのでした。 しかし、ピーターとウェンディの恋は ネバーランド最後の決戦で 一瞬の重なりを見せたこの時以上に 発展することはなく、二人は別れ 二度と会うこともありませんでした。 ウェンディーにとって ピーターとの出逢いは 掛け替えのないものだったのですが 彼女のこれからにとっては ピーターのような人は 必要ではなかったということなのかな。 ピーターにとってもまた同じ事なんでしょう。 なんだかほろ苦い話ですよね。 お父さんとお母さんに囲まれて 新しい道を歩み出すウェンディーを そっと窓の外から見ているピーターは ちょっと淋しげで、可哀想に思えます。 ピーターもやはりフック船長と同じように孤独なのです。 けれど、彼はフック船長と違い 今だけを生きる永遠の若さがあり そしてウェンディのキスも持っているのだから やはり子供たちの憧れの存在であり続けるのだと思います。 ちなみにピーター役のジェレミー・サンプターは 現在15歳になっているそうですが 約1年がかりで撮影したこの映画の間に 実に20センチも背が伸び、今は180センチ以上あるそうです。 イライジャ・ウッドより高いよ…。 |
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昨日は月組バウ。
今日は指輪の鑑賞オフ会に行ってきました。 移動に体力消耗して今はぐったりです。 ********* 月組バウ「愛しき人よ」 まず月組バウですが 「ヴィンター・ガルテン」の悪夢再び… という感じであまりにも話運びが唐突でした。 プロローグとショーとエピローグだけで いつまで経ってもお芝居が始まらず 思わせぶりな伏線は至る所にあるのに その説明や謎解きは一切なく 進めば進むほど、クエスチョンが増え 頭の中のハテナマークに邪魔されて 出演者の熱演にも集中できませんでした。 キリヤンは、素晴らしい役者だし なんでもこなす実力派だけど 齋藤作品独特の耽美的世界観は 持ち味が合わないというのもあったと思います。 「巌流」がそうだったように 脚本がイマ一歩でも 演出やイメージがハマってさえいたら、 それだけで客席を感動の坩堝に陥れ 名作であると納得させてしまう 齋藤マジックが起きることもあるのです。 でも今回は、客席を納得させ 感動させる要素があらゆる面で あまりにも弱かったと思います。 キリヤン復帰主演作だというのに… 齋藤先生、ナチスものは 鬼門なのではと思う今日この頃…。 けれど、劇的な展開や ドラマティックな台詞 耽美的なシチュエーションはやはりさすが。 いっそのことこれをショーにしてしまったら 名作だったかもしれないと思います。 舞台も年代も近い「異邦悲恋」と こないだ花組でやった「SAVEGE-K」を 混ぜ合わせたようなショーになりそうで 観てみたいです。 齋藤先生、脚本をちゃんと 繋がるように書いてくれないと いつまでたっても本公演で お芝居デビューできないじゃないか〜〜(泣)。 色々辛口を書いてしまったけど 基本的には齋藤作品が大好きだから 余計にもどかしく思ってしまうのです。 ********* オフ会 熱心な「LotR」ファンだけで スクリーンを借り切って 好きな時に好きなだけ 歓声と拍手をして 思い切り映画を満喫しよう というテーマの元で開かれた オフ鑑賞会でした。 まったく知らない人たちの中に 一人で行くのは不安だったので 迷いましたが「どうせするなら 行った後悔より、行かなかった後悔」 というなおちゃんファンの方に学んだ教訓を 思いだし、決意して良かったと思います(笑)。 後悔どころか二度とないようないい体験でした。 企画を立ち上げ、とり仕切って下さった 有志の幹事の皆様はほんとうに素晴らしいと思います。 3時間半、ただ座って画面を見て お互い知り合いでもなく 語り合うわけでもないというのに 初めてあった人たちの気持ちが 1つにまとまるのは感動でした。 ちなみにかけ声は フロドがゴラムの計略にはまり サムに「ゴー・ホーム」と言うところで 「ふろどのあほ〜」 また、執政のデネソールが息子に 「兄の代わりに弟のお前が代わりに死ねば良かった」 と言って息子を死地に追いやるシーンで 「おやぢのあほ〜」 というものでした。 関西系つっこみという感じ(笑)。 泣けるシーンなのに笑えてしまったです(^^)。 全体的に和気藹々とした会場だったので 最後まで泣かないかもと思っていたけれど やっぱり最後には泣けてしまう「RotK」。 これで7回ぐらい観たことになりますが すべての回で泣いているなんて 自分としては前代未聞です。 そもそもこんなに同じ映画を観ることもないし。 それにしても、 名場面での喝采やかけ声、 エンドロールでの温かい拍手は まるで、さよなら公演の 千秋楽を観ているようでした。 ただ、舞台を観て拍手する場合は いつもその役者さんの演技に 感動して拍手するのですが 今日スクリーンに向けてした拍手は 役者さんの演技というより スクリーンの中で生きている 「LotR」の登場人物の生き様そのものに 向けての拍手だったと思います。 「指輪」の世界を愛し 理解している人たちの中に いられたからこそ、こんな特別な感覚を 味わい共有することができたのだなと思いました。 うまくいえませんが、 ほんとうに指輪の世界に 入り込んで観る事が出来たので フロドが最後に西へ旅立ってゆくシーンでは いつにも増して、決別の哀しさと終わりを実感しました。 そして、それはまた三部作の最後 「王の帰還」の上映ももうすぐ終わり、 来年はもう新しい「LotR」を観ることもないんだ という現実の別れや終わりとも重なりました。 指輪のキャストたちが日本の増上寺イベントで プレミア活動の最後を飾ったかのごとく このオフ・イベントが、わたしの中の 「LotR」フィナーレのセレモニーでした。 といってもまだ前売り券が余ってるので あともう一回は観ようと思ってるけど…。 |
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今日はつい数日前加入した
スーパーチャンネルでやっている ドラマ「ホミサイド」に イライジャ・ウッドが出る回でした。 この日を待ってたのだ。 「ホミサイド」はオムニバスの刑事ドラマで 警察署内で連続しているエピソードのシーンは 突然見ても分からない部分が多かったけど メインの殺人事件は単発で終わるので 一話だけでも差し障りなかったです。 ただ、ものすごく残念だったのは 日本語吹替の声優さんが 「ビバヒル」でブランドンの声やってる人だったのでした。 この声はもう既にブランドンの声というか ジェーソン・プリーストリーの声として しっかりインプットされてるので それをイライジャの顔で言われても どうもなじめませんでした…(>_<)。 さて。この回はイライジャが 特別ゲスト出演ということで もちろん彼が犯人役でした。 この頃から首は太いけど 顎は今より細くて本当に美しかったです。 たぶん16〜7歳ぐらい? 息子を猫可愛がりする検事を母親に持ち 私立の名門校に通うエリートぼっちゃまな役でした。 以下ネタバレですが 外見とは裏腹に彼の内面は非常に残酷で 下級生を暴力によって従わせ 自分の手は汚さないまま 殺人まで犯させてしまう、という とんでもない少年だったのでした。 そんな彼の犯した罪を検事の母は 自分の権力を盾に必死で隠し 彼を守ろうとしますが 実は彼が最終的に殺そうと計画していた人物こそ 何を隠そう彼の母親だった…という結末です。 初登場は聖歌隊ルックで賛美歌を歌う 外見どおりの純粋無垢なイライジャなんですが 刑事たちに尋問されるシーンになると豹変。 自分が最大の容疑者にされてる事に気づいてるけど 同時に絶対逮捕されないと分かってるので 余裕綽々挑発しまくり。ほんとうに小憎たらしいです。 お話自体はそれほど 面白いとは思わなかったけど この役はイライジャのいろんな 持ち味の可能性を示唆しているようで とても面白かったです。 またこんな残酷な悪役や 二重人格みたいな役を見てみたいです。 「LotR」で、みんなに守られてた お姫様チックなフロドとは違う あの指輪王宣言をした時のような 邪悪な役をもっと見てみたい。 |
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