ドビュッシーで朝

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2006年12月13日(水) 眠いんだよ

眠いんだよ
寝かせろよ

信州のコロンボ面白すぎだよ!
うっかり見ちゃってもうこんな時間!やべ!


2006年12月11日(月) これ終わったらやること

こっちにタブレットをつなぐ
こっちにフォトショップをいれる

部屋の掃除しる
年賀状をだす
映画を観る「王の男」「パプリカ」「トゥモローワールド」(まだやってる?)
ワンピースを作る

そんな風に年越ししたいです


2006年12月10日(日) 朝4時

ちょっと休憩〜と思ってたら
朝になってしまった。
すごい不快で目覚めて風呂入ったら
目が冴えた。
けどバイトまで寝ないとたぶんバイト中寝るから最悪。
明日で最後だーー伊勢丹。いいバイトだったなあ。
主婦になったらお歳暮お中元バイト比較と称して
伊勢丹とか西武とか大丸とか
いろいろでやろうかなあ。バイトが趣味の妻。

今日母と古本屋さんの話をしました。
私が大学に入るまで古本屋を敬遠していたのは
母のせいだ。お母さんが汚い汚いって言うからだ。
と言ったら、
憤った母が
私が古本屋が汚いって言ったのはおばあさんのせいだ。
あるとき古本屋さんで漫画を買ってくると
(本じゃないところが母らしい)
虫がぼたぼた挟まっていて、おばあさんにそのことを報告すると
古本屋で買ったからだよ、買うなって怒鳴られたって
言う。

私が言いたかったのは、古本には安く手に入るという特だけではなく、
新品を売る本屋さんや、図書館にもなかった資料的価値のある
古い本や雑誌を手に入れることができすばらしい。
たまにある古本市などではそれらがランダムに並べられていて、
うっかり掘り出し物と思える本に出会えたら面白いね。
という話だったんだけどね。
それで、それまで古本屋さんが面白いって知らなかったのは、
と続くのだが、
母いわく
昔は安く手に入るイメージしかなかったよ。
ていうか今までそんなこと知らなかったし思わなかったよ。
って言うのね。
それって昔はじゃなくて、そもそも
お母さんもおばあさんも
ほとんど本読まなかったから、
お母さんが安く手に入るイメージしかなくて、
おばあさんにも安く手に入るイメージしかなくて、
それが改変されることがなかったんじゃないのだろうか。
(その前におばあさんは大正の人で、古い文学には詳しいが)
昔から古書には価値があったよね。昔のほうがあったよね。
そういうのって流行の波があると思うけど。

この話は卒論で本を置いているカフェについて
取り上げるからで、ぜんぜん関係なくはないよ。

私だって本を読む?って聞かれても、
読むとはいえるほど読んでない。
「ぜんぜん読まない人よりは読む」

料理はする?と聞かれて、
「ぜんぜんしない人よりはできる」というのと同じこと。

私の読書と料理は同レベルなのか。

音楽は
「気になったものと薦められたものを延々と聞いてる」
だからまたそれは別。

映画は
「わりと見る」

映画はジャンルの分け隔てなく見る。
現代も古いのも見る。
邦画も洋画も見る。
アクションもクラシックも見る。でもそれはそんな見てない。
日本が舞台の洋画の吹き替えは
日本語でしゃべってる部分と
英語でしゃべってる部分が同じ吹き替えなので意味わからんくなる。
せめて字幕にしたらって思ったけど
そういう映像に差し込むのはできないのか。
前タイタニックのときやってなかったか。


2006年12月09日(土) トルココーヒー

amazon見てたら、
小島麻由美のアルバムを2枚(ベストと一番新しいやつ)と
ウアと成孔先生のアルバムを買いました。
W氏に言ったら全部持ってる(のに)よと言われました。

そういえば自転車の鍵が壊れて自転車に乗れませんので、
毎日徒歩でミュージックライフを楽しんでいます。

100円均一で鍵が売ってたのででかした!と思って
買ったけどすぐなくして2個目を購入。
頑丈そうだでな、100円で十分じゃがと
思っていたのだが、
錠が頑丈すぎて、鍵をさしてまわしている最中に鍵が折れ内部に残り、
鍵が開かなくなりました。
その夜はかついで帰りました。
何度も警察官やパトカーに遭遇したけど、
堂々としてたので(そのせいか)止められることは
ありませんでした。
もともとついてた鍵をなくした時にもかついで帰って、
そのときかついだせいで、かつぐのが楽々になってしまったから
これもいけない。
「あ、鍵がねーやしょーがねーや今日もかついで帰るかー」みたいに。
最初の時は鍵を破壊してから、鞄の中で鍵が発見されたけど、
あれから不幸続き。
家に帰ってきてさ、とペンチで持って鍵を破壊しようとしたんだけど、
あの直接ついてるかしゃんてやつより頑丈でやんの。
恐るべし100均。我武者羅に強い。無意味!
切れない!
毎日15分のペンチで鍵チェーンを切ろうとするトレーニング。
ということで今日も徒歩で大学へ行く。

そのためにCDを3枚も買ったのでした。
amazon便利だな。料理もamazonな時代。
あ、今日はこれ食べよう→注文→くる。
流通ーーー

後ろの機械音はプリンターです。


2006年12月06日(水) 序章

序章
私はカフェが好きです。一人のとき、二人のとき、大勢のとき、どんな日でも誰とでも訪れる機会があり、チャンスは逃さずに常にカフェへ足を運びたいと思っています。目的は毎回異なります。一人のときは一人で過ごすゆったりとした時間を、二人のときは二人だけの話を交わす空間を、大勢のときは大勢でわいわいとする楽しいおしゃべりを求めています。私だけではありません。カフェを訪れる他の多くの人々もやはり同じような目的を持ってそこに訪れています。目的がなく訪れることも目的の一つであると思います。時間や空間という普通お金で買えないものを欲することは常であり、目的とは呼ばないのです。そしてそれらを買うことができるのが唯一、カフェです。一杯のコーヒーを買えば自然とそれは付いてきます。(たまに、それらに加えてお茶菓子やお水まで付いていますので大変お得です。)そこで得た時間と空間の中で、人が考えを巡らせ、会話をし、そこでは常に考えたことや、話したことの意味が生まれています。何でもない意味ばかりだという人もいるでしょう。しかし、それは今だれにも気づかれていないだけで、いずれそれの持つ大変興味深い意味が表れてくれるのだとしたら…。カフェでボゥっとしている人をただの暇人だと思っていたらバチが当たるでしょう。延々とおしゃべりをし続けるご婦人たちをうるさいと邪険に扱ったらいつか報いが来るでしょう。カフェはその存在がヨーロッパ社会に定着するようになった16世紀の終わり頃から、人々の考えや会話が絶えず交錯し、もともと日常的であったそれらから、特別な意味を持ち、いずれ「文化」と呼ばれるようになるものを生み出してきたということです。そこでボゥっとしていた人は後々、その考えを飯に替え、会話を本に替え、名誉と財産を得ていたというのです。とくに19世紀末、ヨーロッパの文化の多くは、カフェから生まれたというではありませんか。文化を生み出した人はもちろん、ウィーンにいました。夜は自宅で眠りました。それでも一番長い昼の時間の多くを過ごし、創作活動を行った場所は、カフェ、カフェなのです!なぜカフェでなくてはいけなかったのか。具体的にどのような文化が生まれたのか。そもそもTEEではなく、KAFFEEだったのか。興味の扉をいざ開かんとしたいと思います。


2006年12月05日(火) そんで今日

(卒論提出まで2週間)
(先生に見せなきゃ行けない2日前)

新宿区立中央図書館でどっさり本を借りてきたよ!
それは今することじゃないけどね!
さあ今日は昼まで結局寝てたし、
夜にバイトから帰って来たら、
朝からバイト行くまでじっとりできそーな気がする!
するだけ!

とりあえずアルテンベルクの短編を訳し始めた!
いえい


2006年12月04日(月) 雑誌でましたよ

そういや雑誌が店頭に並ぶ日!
本屋めぐりすんの忘れた!
忘れたんじゃない、できないんだ。

今日伊勢丹のバイト終わって
さー暇ーーじゃないなー(卒論)
暇だったら飲みに行くのになー(一人でも)

そ、そつ、そつろーん
ろーん

逃げたい。寝る。朝やればいいじゃん(しない)!
寝たいんだよ!寝る!寝てやる!みんなどっか行け!


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