晴れたり 曇ったり
めぐみ



 ●旅立つ先は・・・

昨日から焦って年賀状書き。
「荷造りしたの?」とばっちゃん心配顔。
「まだなの」

今日になってから開始。
弟のトランクが空なのをよそ目に
「もう寝る!」となったのは朝の3時だった。

6時起床。6時半自宅出発。
外はキーンと音がしそうな寒さだった。耳がもげそうだ。
7:02最寄りの駅発。7:25バスで成田へ。
空腹の為かバスに酔いそうになる。寝る。

空港はラスベガスに行った時とはガラリと違いだいぶ混雑していた。
手荷物チェックの所は行列だ。
11時集合。添乗員:山口さん。元気爆発の女性だった。
ツアー客の面子・・・う〜ん弟が最年少とみえる。

フランクフルトゆきのANAは少し遅れて飛び立つ。
11時間50分のフライト。
食事2度。合間におにぎりorバナナマフィンが配られた。
映画は2本中1本をみる。
ひとつはこの間ベガスへゆくときに見た猿の惑星だった。
食っては寝の繰り返し。

「ドイツは税関厳しくなっています」

煙草1カートン酒1本。

3人のところ実はめぐ一家カートン持っていた。
黙っていた。山ちゃんすんません。。。めぐ一家悪です!
母は少々ドキッとしていた。




ドキ

ドキ

ドキ





正直者はばかをみる!






厳しいどころか





監視の人すらいないではないか!

いつの間にか外に出ていたんだ。

フランクフルトの地を踏んだのは夕方5時半ちょっと前。
辺りは真っ暗で雪が降っていた。
0度!と聞いた時は「寒い」と思ったが朝、
駅まで向かう時より暖かく感じた。
ホテルまでの道は幻想的だった。
ヨーロッパは雪が似合う。
絵本の中を走り抜けホテルには15分ほどで着いた。
チェックイン。ツアーで来ると添乗員任せなので楽である。

どこかで見かけた人が・・・
数年前チュニジアを旅した時同じツアーにいた人、うぅさん(仮名)だった。

「お久しぶりですぅ!!」

深々と帽子をかふっていた私に

「よく顔見せて」と言う。

帽子をとった方が余計分かりにくい。出会った頃私は
ふたつにしばりリボンをつけているような女の子だったからである。
現在サルカットのびぎみ。ぐふ!

うぅさんも同じ旅行会社で参加であったが
今回は人数が多かった為2グループに分かれてしまい別グループだった。
残念。

我ら山口組(注:決してやく○さんではない)は
少し部屋で休んでから夕飯となった。
◆ハーブスープ
◆食え〜といわんばかりのソーセージ&マッシュポテト&キャベツの酢付け。←おぉ名前忘れた。
◆離乳食の様な?林檎おろし生クリームかけ


今回3人で参加なので2人部屋に簡易ベットが入った。
もちろんちびの私がそちらに。

今日のホテル
"HOLIDAY INN"
Mailaender Strasse 1 D-60598 Frankfurt,GERMANY
TEL:49-69-6802-361

中心からは離れている

ココのホテルは余分にベットが入ろうとも悠々とした広さ。
早くも就寝。

↑投票ボタン。字が変わるのよ

2001年12月29日(土)



 ●フランクフルトを離れる

昨日早く寝過ぎたせいでしょうか?
時差ボケでしょうか?
母と弟は朝の4時から元気元気!
モーニングコールまでまだ1時間半もありますよ>お二人さん♪
外はまだ真っ暗な時間(6時半)から朝食:

胡瓜、トマト、赤カブ、チーズ、ハム、ピクルス
マメのトマト煮(甘口)、ナゲット、フライドポテト
ソーセージ、ミニハンバーグ、パン各種
コーヒー、紅茶、100%生オレンジジュース(自分で絞る)
フルーツ、ヨーグルト

ざっとこの中から御自由にどうぞ♪
時間ぴったりに来たと言うのにツアーの皆さん、
もうとっくに席についておりました。早ッ!
のんきに食べるめぐ親子。周りにだ〜れも居なくなってきましたよ。
それもそのはず、まだ出発まであと25分あると思っていたのが
実際はなかったのですから。

「7時半かと思ってたら7時10分の集合だった!」

母上〜、急に言われても。。。
ヨーグルトは流し込まれる次第ですよ。ふ〜。
今日はフランクフルトからまた飛行機に乗る
予定だったので遅刻は厳禁だったのです!危ういぜ!
雪景色の中、大きなお月様が下の方に輝いておりました。
大きな月だったわ〜。うっとり。

空港内には可愛いサンタさんが至る所に飾られていましたよ。
早速カメラの出番でございます。
再集合時間まで弟と撮りまくり!
弟の目的はサンタではなく全く別の物だったんですけどね。
他人の視線の向こう側って実に面白い。
今日の日記、「一言で言うと?」と問われれば
「写真撮ってました」でスッキリ納まる勢いです。

9:30発 LH3826便にて一路向かう先は・・・

↑どこか知りたい人は押したくなっちゃう 投票ボタン


◆そろそろ機内へ御案内します♪(めぐみ@1月17日)

3席3席の小さな飛行機で2時間20分のフライト。
その短い間にランチが運ばれてきた。(ここでも写真を一枚)
空港はコジンマリとしている。
それもそのはず!
着いた国は日本で言うなら淡路島程度の広さしかないのだから・・・








地中海に浮かぶ世界遺産の国
マルタへようこそ♪

まず現地に着いてすること:両替え
マルタの通貨はマルタリラ=302.129円(30日現在)
もうすぐユーロになるからと母は古いお金を引っ張り出して来ていた。
「これ使って!」
と言われたが、、、古すぎた。。。
「フランスに私が居た頃ですら、すでにこの金じゃなかったよ」

案の定受け付けてはもらえず米ドルをマルタリラに。
3人でとりあえず100ドル両替え→→→
両替えで戸惑うのは、ちゃんと両替え分が手許にあるかどうか。
初めて手にするものはどれがどの単位なのか分からない。
大概、その場を離れてゆっくり数えるとちょろまかされていたりする。
例のごとく、紙に書かれている分ぴったりなかった!

「やられた!」

嗚呼すでに遅し。。。








と思いきや、





こんなこともあるのね☆









得してましたーーー!!

100ドル出したのに、130ドル渡したことになってたのだ。ぐふふ!
え?ちゃんと返すべきだって?
悪魔がささやくように、山ちゃんの集合がかかってしまったのぉ。
両替所のお姉さんアイムソ〜リ〜。。。さようなら♪

。。。

さて、ガイドのジョセフィーヌさんと合流して観光開始☆
まずは聖ヨハネ騎士団が来島以前、
マルタの首都として栄えた町(イムディーナ)の
外に発達した町:
古都ラバトへ・・・
モロッコの都市と同じ名:ラバト(単に『町』の意味)。
これは870年から始まったアラブ統治のなごりである。

騎士たちの時代以前のマルタの歴史のエッセンスがつまったような古都は、
マルタの人々にとってまさに故郷と言ってもいい!


らしいが、今日は何の日?じぇんじぇん人を見かけません。
入り交じった血を持つマルタ人。顔も様々らしいが。。。
「どの人がマルタ人?」
「店の椅子2つも使って寝てるあのおじさん?」
「あなたはマルタ人ですか?」

と、ラバトの中心にすえられている
■聖パウロ教会@パリッシュ広場を前におじさんの写真を一枚。パチッ!
1572年のもの
漂着した聖パウロが隠れ住んだと言われる洞窟の上に建てられた。


↑そんな旅好きさんは押してね☆投票ボタン


◆つづき・・・(めぐみ@1月27日)

会から少し歩いた所にカタコンベ(地下墓地)がある。
4世紀から8世紀まで使われていた。
家族用、貴族用などさまざまの大きさあり。
色もほどこされていたのが分かる。

中は湿気があり苔が生えていた。
なんか生温かくて気味が悪い。
ここでは写真は取らない。
だって、幽霊さん顔出しそうだもん。
燃やさないで放置したとなると
皆さんまさかねずみの餌食じゃぁあるまいなぁ。。。

続いて博物館:ローマンヴィラへ。
バスを降りた所のすぐ横。
そこまで同じ道を戻る間、わたしは弟と色分けして

「めぐは赤担当」

とか言って赤いものを見つけてはシャッターを切っていた。
案の定、先頭を歩いていた2人は最後尾に・・・最後は走るはめに。
団体行動しましょうね♪ハイ!

博物館へ着く頃にはすでに1本目が終了しようとしていた。
そこでカメラご機嫌斜めに。。。(未来日記参照)
がっくりしちゃっためぐは
モザイク張りの床が一見の価値あり!
なのにそれどころじゃぁございませんよ。まだ観光初日だよ。ぐぅ。


都として栄えた町:イムディナへゆく。
またの名をサイレントシティー。
新しい町:ヴァレッタに対して「オールドシティー」と呼ばれ、
以降、あまりに静まりかえった様子からこう呼ばれる。
もともとフェニキア人によって築かれた丘の上の砦を
ローマ人が町として発展させたもの。
次いで、アラブ人が来て迷路のようになった。
その後ノルマン人がやってきてノルマン様式の建物が残した。


彫刻や、文字の彫り込まれたメインゲートをくぐるとすぐ右手に文化庁
かつてはフランス騎士団長の館だった。
本当に静か。

大聖堂の前にはちらほら観光客が見られたが、聖堂はただ今CLOSE。
先に見晴らしがとても良いテラス:保塁広場へ。
遠くに、ヴァレッタ、正面にモスタの教会etc.
石灰岩でできた建物が並ぶ。
決してほこりっぽい訳ではないのだがなんとなく口がじゃりじゃりしそうな色。
わたしが求めていた色がここにはなかった。
なんだか思っていたより寂しい色の国だ。

遠くまで見渡したあとは、先ほどの大聖堂へ戻る。
どこから集まったのか?この人たち。
ココは 13世紀に建設されたが大地震で倒壊。
ロレンツォガファーにより、1693年の地震のあとに再建された。
見所は、大地震から奇跡的に無傷で残った「聖パウロの難破風景」


フリータイム♪
わたしは葉書を購入。町中では一枚12c(約36円)
のちのちゆく港町のが断然安かった。(慌てて買いすぎたか?)
切手は日本まで37c(約112円。日本とあんまり変わらないね)


今夜のホテルはMERIDIEN PHOENICIA
The Mall Floriana Valletta16, MALTA
TEL:356-2122-5241


夕飯:
-マッシュルーム赤ワインリゾット
-コンソメスープ
-マグログリル
-チョコレートケーキ

夜、ツアー参加者の皆様と顔合わせがあったけれど
とても覚え切れません。
めぐ家族は3人で参加なので分かりやすい。
皆さんよろしくお願いします。仲良くなれるかなぁ。

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2001年12月30日(日)



 ●首都ヴァレッタ観光(3月2日完結)

晦日の今日は、首都ヴァレッタへ歩いて出かける。

その前に腹ごしらえ。
朝食:
クロワッサンアップルパイ、(その他パン各種。耳みたいなパンがあった。中身はピッツアぽかったと言う。「明日にでも」と満腹なめぐは思っていたがとうとう帰る日まで一度も出ることはなかった。「美味しいよ」と勧めてくれた弟の満面の笑顔が今でも浮かぶ。あ〜食べるべきだった。。。)生野菜(トマト、きゅうり)焼トマトソーセージベーコンジュース3種ヨーグルト果物シリアルもあり・・・

気は晴。
ホテルのすぐそばに形はさまざま、
色は黄色に統一されているマルタバスを見ることができる。
慌てて車窓からカメラに納めなくても大丈夫!
ココで嫌と言うほど見られるからね。

可愛らしい。でも、このバス、ドアがないのだ。
がたがた道放り出される人いないのだろうか?
朝からバスターミナルからいろんな所へでかける人で賑やか賑やか・・・

んな光景を右手にずっと見ながら、
シティーデートをくぐって散策スタート♪

おっと、その前に手前の要塞を見学。
これ、 オスマントルコの包囲(グレートジージ)後に
1日8000人が5年もかけて作った
らしいよ。
あまりに大きいから写真撮ってもただの岩になりかねない。
「どこだこれ?」
「なんじゃこりゃ」
だね、きっと。

エジプトのピラミッド前で写真撮る時も注意しよう!
ちゃんと入り口の所に「ほにゃらか」と文字が書いてあるから
そこで記念撮影しようね☆
じゃないと、本当に「なんで岩の前で撮ったの?」ってなっちゃうから。
まぁ、とにかくこの要塞もデカいってことよ。


ァレッタ大統領府や議会、首相官邸、主要な国の機関をもつ、
れっきとした政治、経済の要。
この街が興味深いのは、一国の歴史ある首都というだけでなく、
中世の大規模な城塞都市として築かれた姿をそっくり今にのこしているとこ。
もちろん、世界文化遺産なり!

まぁ、疑問なのは富士山はゴミが原因で指定を受けられなかったのに、
ここはゴミがあっても世界遺産ってことかな。
人が住む町だからゴミが出るのは当たり前だけど・・・


+++ さ〜気合いを入れて歩きだそう!(3/2) +++

ートをくぐった所がリパブリック広場
各種イベントが行われる会場になることが多い。
--私達が歩いた頃は、車が台の上に飾られてたわ。
--別にアッと驚く凄い車って訳でもなかったけれど。


正面に真直ぐ続く道
リパブリック通り(ヴァレッタのメインストリート)を通って、
勝利の聖母教会へ。
ヴァレッタ建設の時、最初につくられた建物。
となりには建築家、ジロラモカッサールの家あり。

カステーリャの宿舎(今は首相官邸)。
玄関に2門の大砲。
衛士が立つ。(写真に一緒に写ってくれる優しい人でした。)
聖ヨハネ騎士団は出身言語の別に8つのグループから出来ており、
ここは、それぞれの本部として使われた建物。
騎士団の紋章 +マルタ十字+ は
この8つの構成グループを象徴するデザイン。
--もちろんその十字架のアクセサリー記念に買ったわ。

アッパーバラッカガーデン
イタリアが管理していた庭園。
素晴らしい景色!
この町の威容を知る為にまず出掛けてみるのもいいと思うわ。
ここに立つと、地中海に開ける湾口から右手奥湾まで、
地中海随一ともいわれる天然の良港
グレートハーバーの深い入り江の全貌が見られるの。
--写真を撮るなら時間帯を考えた方がいいわね。
--めぐが行った時は逆光でした。うぅ。


こで太陽を一杯浴びたら
イタリアの宿舎
向かいに外務省すぐ近くにカステーリヤのチャペル

考古学博物館 National Museum of Archaeology
TEL:221623
では、
マルタの先史時代の出土品、眠れる女神、子孫繁栄を願う像多数!
1574年、カーサルによる建築。元、フランス騎士団宿舎。

聖ヨハネ教会堂
この町で最も重要な建物。
1578年ジェロラモカサールにより建てられた。
騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられたの。
騎士団の中心的教会。
マティアプレティによる天井画はあぶら絵。彼の自画像もあり。

左右両サイドに配置された8つの礼拝所は、
騎士団を構成するグループごと:入って左手手前より
>ドイツ
>イタリア
>フランス
>プロバンス
 騎士団長ラバレシトの墓
>イギリス
>アラゴン
>オーベニュ
>ポルトガル・カステーリャ
右手奥から入り口に戻って来る。

大聖堂に隣接しているミュージアムお見逃しなく!!
1607年にこの国に逃れて来たルネッサンス画家:カラヴァッジオ作
中央に「聖ヨハネの斬首」
 普段サインをしない彼。しかしこの絵の中ではサインが!
 しかも、切断された首から流れる血の中に。。。
右に「聖ヒエロニスム」
写実的で明暗を強調した絵です。
<彼について>
聖ヨハネ騎士団の十字章を手に入れたいと言う思いから
イタリアを離れ、この地を目指した、しかし、一年前にローマで
犯した殺人事件からの逃亡の果てにたどりついたとも言われる。
「もうひとりのミケランジェロ(イタリアルネッサンスの巨星)」と呼ばれる。


騎士団長の館
この建物はマルタの現大統領府と国会議場として使われている。
--めぐが行った時は正面玄関は工事中。
--写真を撮るにも作業中のトラックが邪魔でした。
--中世の香りが漂いながらも現代を感じざるを得ない光景。。。


2階の騎士団時代の幾つかの重要な部屋が公開中♪
●タペストリーの間
●グレートジージの壁画のある広間
●武器庫


少し遅めの昼食 "The Carriage"
22/5 Valletta Blds.,
South street,Valletta - MALTA
TEL:247828

 蛸のサラダ -不思議なほど柔らかかった-
 魚介のスパゲッティー -ふにゃふにゃ位に茹でるのがマルタ流-
 フルーツポンチ
 カプティーノ or 紅茶

眺めがよくて最高のランチが楽しめました☆
ビジネスマンはここをよく交渉の場として使用するとか。
美味しい物食べて、気分も良ければ、サインもさらりとしちゃいそう。
交渉がうまく行くんでしょうね。デートもうまくいくわね、きっと。


腹が一杯になったら少しお散歩。
坂を下って下って・・・
マルタエクスペリエンス
 45分のマルタの歴史映画決定版!を観ます。
 言語は選べる様になっています。
 マルタの複雑に入り交じった歴史が分かります。
 めぐは頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃったけどね。
 

夕食"Bacchus"
今年最後の晩餐。だけど、そんなに盛り上がりも見せず終わり。
レストランはもっと遅い時間からなのかな?
私達がたどり着いた頃は飾り付けの真っ最中。
大きな風船を幾つも天井からぶら下げるのだけど。。。











バン♪





バン♪





割れて恐かったぁ。
おちおち食べてらんないよぉ、全くぅ。

今日最後、今年最後の観光はイムディナの夜景!!
でも、寒いから希望者のみでした。
もちろん、私は行ったよ。
昼間とは全然違う顔。埃っぽい色の街だったのに。
小さな明かりがちらちら。
とても何万ドルの夜景とは呼べないけれど
月が輝く小さな街は私の目にはとっても綺麗に写りました。
「今いるのは何時代なのだろう?」
そんなことを思った2001年最後の日。



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2001年12月31日(月)
はじめ いま いろいろ ひとこと


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