不動産担保ローン チラシデザイン コンのみ日記
コンのみ日記
紫 |MAIL

My追加
目次過去の日記未来の日記


2002年10月07日(月) 目覚める場所

最近、いろんなところで寝ています。
だから、朝目覚めたときにまずすることは、場所の確認です。
「ここはいったいどこだったっけ」
だいたいは雰囲気ですぐにわかるのですが、ときどき目の前がぐるぐると回るときがあります。
そういうときは、たいていどこか別の場所にいるような感覚。
たとえば、子どものころに住んでいた家だったり、祖母と暮らした家だったり、小樽の宿のベッドだったり、病院のベッドだったり。

もう、ありえる場所のないところで目覚めた朝は、ちょっと思い出を整理します。

今朝は、久々に我が家で目覚めました。
そして、「あぁ、帰ってきたんだな」と思いました。

おやすみ。


2002年10月06日(日) ホント

国際通りに行きました。
公設市場に行き、海ぶどうを試食。それから、壷屋通りに行って壷屋博物館に行きました。
私は資料館や博物館を巡るのは大好きです。
この博物館もけっこう楽しく、琉球の歴史をかいま見ることができました。
いろんな博物館に行っていると、ふと断片的な歴史がつながることがあります。
今日も、沖縄での歴史が少しつながりました。

壷屋通りで、後輩がおみやげを買っていました。
小さな壷を一生懸命に選んでいる姿が、とても楽しくてほほえましくて、ちらちらと横目で眺めながら、私もおみやげを買いました。

那覇空港まで行って、15時の飛行機に乗って伊丹に到着。
短い旅だけど、終わってみれば長く充実した旅でした。

取材以外では写真をあまり撮らないのと、一人旅に慣れてしまっているのとで、どんどん先に歩いて行ってしまうのですが、彼女は、気になったところをどんどんカメラにおさめて行きます。
こういうこまめさも私には必要なのかもしれないなあ、と思いつつ、一人で歩きたがる身勝手な私は、やはり「人」といっしょに旅をしないほうがいいのかも。
でも、彼女といっしょだからこそ見つけられたものもたくさんあります。
今回の旅は、思いがけず「自分」を見つめ直した旅にもなりました。

家に帰るまでに考えたこと。
「ホントの自分」は、私はあることをきっかけにどこかに葬り去りましたが、「ホントの自分」はいつまでも大切にしていたほうがいいな、思いました。

おやすみ。


2002年10月05日(土) 那覇での夜

10時のフェリーで島を出ました。
旅の友と、宿主さんが見送ってくれました。
港と甲板が近くて、小樽や礼文での見送りを思い出しました。
歌もなく、呼びかけもないけれど、とてもとても温かい出航でした。

行きと同じく、甲板で海を眺めて30分。本部港に着きました。
置いていたレンタカーで、辺戸岬まで行き、そのあと、東海岸のほうを南下。ここもまた海の色が違います。
小さな村をたくさん通り越して、大渋滞にはまりながらもホテルに到着。
今日は、泊埠頭の近所のビジネスホテルに宿泊です。

近所の居酒屋で、この旅で初めて沖縄料理をたらふく食べました。
ソーメンチャンプルー、おいしいもずく酢。もずくの天ぷら、やんばる地鶏の唐揚げ、ゴーヤサラダ、ポーク卵、などなど。
オリオンビールと、泡盛の楽しい夜でした。

いろんなことを考えて。

おやすみ。


2002年10月04日(金) レンタサイクルで島一周

レンタサイクルを借りて、島を回りました。
島のシンボルのタッチュー以外は、ほぼ平坦な道が続いています。
海岸沿いに続く道を自転車で走ります。
港の近所の堤防で、買ってきたお弁当を食べて、オリオンビールを飲んで、のらりくらりと、海を眺めて写真を撮って。
ぜいたくな時間です。

千人洞という大戦中に防空壕になった洞窟や、真っ黒な伊江牛。そして、島の反対側にあるワジー展望台から見た景色。
「キレイ」が口癖になったかのように、ついつい口から出てきます。

当たり前なのかもしれないけれど、礼文で見た海とも小樽の海ともまったく違う海が広がります。南の国の海はどこか親しげで「いっしょに遊ぼうよ」と言っているようでした。
海岸で、靴を脱いで海に入りました。
満ちていた潮がざばーんと足にまとわりついたとき、ふと、熱川(あたがわ)の海を思い出しました。
自転車に乗っていると、どんなに遠くても暑くても寒くてもできる限り自転車でいろんなところに行っていたことを思い出しました。
初めて訪れた場所なのに、なんとなく懐かしい気分がするのは、こうして自分のなかの思い出を知らず知らずに呼び起こしてしまうからなのでしょうか。

そんなことを考えながら、宿に戻ろうとすると、後輩が、
「ここに入っていいですか」
と言いました。「反戦資料館」です。
その後輩の意外な一面に驚きながらも、入館。
そこには、また違う驚きが待っていました。

伊江島には、米軍基地があります。
戦前から戦時中、戦後の歴史と現在の様子が、写真と文章と、そしてたくさんの手榴弾や爆弾、米軍の着ていた服や靴などといっしょに展示されていました。
この明るく温厚な人たちの歴史と、今も続く闘争がそこにありました。

初めて沖縄に行ったとき、その基地の多さに驚きました。
それから少しずつ少しずつ沖縄の基地や戦争について、調べるようになったけれど、この島の小さな小さな資料館には、今まででいちばん大きな衝撃を与えられました。
そしてまた初めて沖縄を訪れたときのように「もっと知りたい」という気持ちが芽生えました。

そんな気持ちを胸に宿に戻って、またまた「ゆんたく」。
でも今日は静かでした。
宿主さんの「ギターを弾いてよ」の一言に、「感謝」でいっぱいの気持ちでまたギターを弾いて歌いました。
こんな私のギターを聴いてくれてありがとう。

明日は、伊江島を出ます。


2002年10月03日(木) 伊江島へ

少し早起きをして、伊丹空港に向かいました。
今日からいよいよ沖縄です。
三泊四日の短い旅です。
ホントは、2週間ほど放浪しようと思ったけれど、お金がないのと、辞めた会社の後輩も行きたいとのことだったので、格安パック旅行にしました。
沖縄は4回目です。

何も決めていなかったけれど、旅の友が先に沖縄に行っているので、彼女を訪ねて「伊江島」に行くことにしました。那覇から車で2〜3時間ほどの本部(もとぶ)港からフェリーで30分です。
那覇からもフェリーがあるのですが、レンタカーを借りていたのと、後輩が沖縄初めてだったので、とりあえず本島を一周しようと思い本部まで移動することに。

昼過ぎに那覇に着いたのですが、旅の友を訪ねたりお昼ごはんを食べたり、道に迷ったりしている間に、だんだんと時間がなくなり、少し飛ばして本部に到着。30分前に着きました。よかった。

車は港に置いてフェリーに搭乗。
海がとても澄んでいます。
「キレイですねー。キレイですねー」
とそのまま感動を口にする後輩に、初めて沖縄に来たときのことを思い出し、久々に新鮮な感動が呼び起こされました。

人といっしょに旅をするのは、かなり久々です。
きっと一人だったら、「この海がキレイだった」ということはすぐに忘れていたでしょう。
たまには、人の感動を聞くのもいいなあ、と思いました。

フェリーには、旅の友が待っていてくれました。
彼女の泊まっている宿に行って、わいわいと楽しい夕食。そして夜からは恒例らしい「ゆんたく」が始まりました。
半年前に彼女といっしょにギターでデビューしようと約束していました。
今日は、ようやく念願が達成できました。
いっしょに歌って、宿主さんの三線を聴いて、とてもあたたかい気分。
私は、泡盛をたらふく呑んでへべれけになって、いつものように記憶を落としてきました。
落としたのは、伊江島の海岸あたりだと思います。
誰か拾ってくれるかな。


2002年10月02日(水) またね

今日も同じ「ツボ」の同僚と、昼食に行きました。
古巣を訪れるのは、今度は来週。

今日は、ちょっと忙しいので、また明日。

まだ寝ないけど、とりあえず。
おやすみ。


2002年10月01日(火) 大掃除

大掃除をすると、ときどき思い出がこぼれ出てくることがあります。
それは、くすぐったいモノであったり、くすっと笑えるモノであったり、びくっとするモノであったり、ぼんやりするモノであったり。

今日、こぼれ出てきたモノは、私の知らない「思い出」で、それについてみんなが、思い出を語り合っていました。
そうして私は、彼らと思い出を共有していきます。

それは、あらたな悲しみを呼び起こす、ということに、今日、ようやく気づきました。

おやすみ。


2002年09月30日(月) とくにとりたてて

とある理由から、日記をまとめて書くことが増えています。
まとめて、アップしているだけで、書くのは毎日、書いています。

と、いいわけは、このへんにして。

今日は、とても暑かった。
今日のうどんはおいしかった。

そう、今日はとくに書くことがないのです。

早めに寝ます。
おやすみ。


2002年09月29日(日) まだ

なんとなく忙しい毎日です。
それでも充実しています。
昼も夜もだれかと何かについて笑いあえるって、幸せだな、と思います。

まだ、大丈夫。
うん。


2002年09月28日(土) のらくら

今日は、のらりくらりと過ごしました。

おやすみ。


目次過去の日記未来の日記


紫 |MAIL

My追加