紫
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花祭り、だけど、今日は行きませんでした。
港に旅人を見送りに行って、その後はハイジの谷に向かいました。
途中で、元地の海岸を見てとある有名なユースホステルを見て、ハイジに行って、そのあと、おいしいと評判のソフトクリーム屋さんに行きました。私は食べませんでしたが。
ハイジの谷でたくさん歩いたのですが、まったく疲れていません。
ほかの旅仲間に誘われて、宿の近所のスコトン小学校前で小宴会。それでもまったく酔えません。
なんとなく無気力な自分を感じながら、夜は宿主さんが歌を歌ってくれました。
まだみんなが集まる前の数分間に、ブルーハーツの「青空」を歌ってくれました。
旅のオワリにここを選んでよかった。
泣きたい、と思ったけれど、それでもまだまだ泣くわけには行きません。
7時に目が覚めました。
1時間ほどの仮眠のあと、ガソリンを満タンに入れて稚内を目指します。
礼文へのフェリーは最終15時10分発に乗ればいいので、のんびりと国道を走りました。
もう太陽もすっかり顔を出して、走りやすくなりました。
まっすぐ行くと、時間がかなり余るので、浜頓別のほうを回って宗谷岬で休憩しました。それでもまだまだ時間が余るので、サロベツまで行きました。初めて利尻岳を眺めた場所です。
利尻はまったく見えなかったし、風が強くて車からは降りなかったけれど、サロベツから見る海が、私に元気をくれたように思えました。
そんななか、礼文で私を迎えにきてくれる旅の友から電話がありました。
久しぶりにちゃんとした声を出して、ようやく我に返った気がします。
フェリーに乗って約2時間。
香深の港で手を振っているその友に、大感謝。
ここは、まだ「ただいま」と言える場所ではないけれど、それでも待っていてくれる人がいるのは、とても心強く思いました。
明日は礼文の花祭りです。
| 2002年06月06日(木) |
真っ暗なオロロン街道 |
仕事を終えてから、関西空港に向かいました。
小樽に置いてきた車を取りに行くためです。もっともっと旅を続けようと思ったけれど、だんだんと続けられなくなってきました。
最初は、車を取りに行ってすぐに帰ってこようと思ったけれど、旅のオワリは旅で締めくくろうと、礼文まで渡ることにしました。
23時近くに小樽に着きました。
預けていた車を駅まで持ってきてもらって、さて出発です。
声を出すと、泣いてしまいそうなくらいのせつなさに耐えて、礼文に向かいました。
真っ暗なオロロン街道を進んでいると、このまま海に落ちても不思議じゃなくて、むしろそのほうが当たり前のような気になりました。
吸い込まれるような闇に呼ばれているような気にもなりました。
そんなことを考えている自分が怖くなり、途中から山道に入りました。
眠気はまったく感じず、今日一日のことが何度も何度も思い出されました。
なんでさっき泣いてしまわなかったのだろうと後悔するほど、気持ちがむせて仕方がないけれど、それでも、私はまだ泣くわけにはいきません。
3時半ころから空が白みはじめました。
夜明けがとてもうれしい。
稚内まで寝ずに行ってしまえそうだったけれど、音威子府でガソリンスタンドが開くまで仮眠をとりました。時間は6時。
6時間、休みなしに真っ暗闇のなかを走っての睡眠は、たくさんたくさん夢を見ました。
続きは明日。
強がっていることを、たったひとつ減らすだけで、今日はとても気が楽になりました。
素直になるということは、生きる強さにつながるのでしょうか。
おやすみ。
| 2002年06月04日(火) |
あまりにもまずい中華 |
母の誘いで、千里にできたという中華街まで行ってきました。
オープンしてまだ一週間も経っていないため、平日ではあるけれど人でこみあっていました。
あまり、こういう場所には行きたくなかったのだけれど、家でいろんなことを考える時間が減ってよかったです。
ただ、あまりにもまずい中華を食べたため、気分は別の意味でどんよりと重くなってしまいました。
きっとほかの店ならおいしかったのでしょう。
本当は気になって気になって仕方がないことがあるのだけれど、私には何もできないのがはがゆい毎日です。
おやすみ
一晩明けたら、すっかり元気になっていました。
理由はとくにありません。
まだ、旅の途中のはずだったけれど、少し本腰を入れて仕事を始めるため、旅を終わらせることにしました。
旅のオワリに向けて、準備中です。
準備の合間にとあるミュージシャンのライブチケットをインターネットで購入しました。
私は、本人の歌はあまり聞いたことがないのですが、知り合いがよく歌っていました。
8年ほど前にテープを送ってもらったのですが、ほとんど聴かずじまい。
聴かなかった理由は、いっしょに送ってもらったほかの歌を聴きたかったから。
旅のオワリは、いつももの悲しくなります。
旅が終わっても次の旅に向けて準備できるように、8年目にしてようやくライブに出向きます。
ライブは7月。
それまでに、いろんなことが終わっていればいいな。
1日、家にいました。
十分に睡眠はとっているのに、強烈な眠気に襲われて午後から4時間ほど眠りました。
夢をたくさん見て、何度も目が覚めそうになるけれど、瞬く間に夢の世界に引き戻されます。まるで夢を見させられたような感じです。
はっきり言っていやな夢でした。
でも。
所詮、夢は夢。どうでもいいのです。
私の決心が揺らぐことは、ないでしょう。
多分……。
今日は旅の友の写真展に東京の友といっしょに行きました。
わいわいとお昼ごはんを食べて、それから写真展を開いた友の家に遊びに行きました。
ほぼいきなり押し掛けた状態なのに、快く迎えてくれました。
たくさん話してたくさん笑って、少し気が紛れました。
これから喪失するいろんなことのために、今日はパワーを蓄えたような気がします。
私よりもたくさん悲しく口惜しい思いをしている人に、私ができることは、ただひとつ。
それが何かは、今は言えません。
おやすみなさい。
東京から、旅の友がやってきました。
私の大好きな友の一人です。
大阪の友だちも誘って3人で吉本新喜劇を観に行って、そのあと、私が初めて「大阪」を感じた店に行きました。
吉本の人たちがそのまま出てきたような店です。
そこで、生の「ボケ」と「つっこみ」を観察。
大阪人のつっこみはこうして訓練されるんだなあ、と思いました。
少し酔っぱらったあと、尼崎の旅人が集まる店に移動。
なんだかんだと集まって、かなりの人数になりました。
ときおり、わけもなくこみあげてくる悲しみをこらえきれずに、何度か席を外したけれど、それでも今日はこの人たちといっしょにいられてよかったと思いました。
今のこの関係が、いつまで続くのかわからないけれど。
私の悲しみなんて、本当はちっぽけなものなのでしょう。
だから、大丈夫。
大掃除をしました。
段ボール箱が山積みだったので、一つ一つ整理していきました。
ついでに押入にあった段ボールも整理しました。
一つの大きな封筒が出てきました。
そのなかには、私の旅の思い出がたくさんつまっていました。
二十歳のころから今に至るまでのたくさんの手紙や旅日記。
泣きたくなるほどせつない思いをかみしめて、どんどん思い出を整理していきました。
「不可能」が「可能」になるよりも、「不可能」は「不可能」のままのほうがいいのかもしれない。
これからの自分に対して、そんな言葉を見つけた1日でした。
でも、そんな言葉に惑わされる私ではないことも見つけた1日でした。
おやすみ。
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