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2002年05月29日(水) 捨てられないつながり

前の会社の後輩と飲みに行きました。
辞めた後も何かと連絡をくれる後輩です。
「今度、飲みに連れてってください」
とかわいく私に言ってきた数年前からはずいぶんと態度は変わりましたが、それでも気心知れていて、落ち着いて飲めます。

彼女を見ていると、彼女の歳のころの自分をよく思い出します。
けっして自分に似ている、というわけではないけれど、彼女が悩み考えていること、行動しようとしていることはよくわかります。わかっているつもりです。
だから放っておけなくて。
彼女は、捨てられない「人と人とのつながり」の一人です。

おやすみ。


2002年05月28日(火) 逃げではなくて

神戸まで仕事の打ち合わせに行ってきました。
久々なことで、しかも相手に渡す名刺までできていず、少しあたふたしました。
が、いつものペースに戻るのはそんなに難しいことではなくて。

その後、旅の友が映画に誘ってくれました。
それは、今の私にはとてもとても救いになりました。
ありがとう。ホントにありがとう。

私は、これから、……、を考えるのはもうオワリ。
オワリにしてから考えます。
なんにも考えない時期があるのも、きっといいことなんだと思います。
それは、けっして「逃げ」ではないのも、知っています。

おやすみ。


2002年05月27日(月) 旅の途中に

さて、明日から本格始動です。
といっても、まだ旅の途中ですが。


2002年05月24日(金) 大雨

宿を出る前に少しピアノを弾きました。
宿のパソコンの設定もしました。
思った以上に時間がかかりました。

駅まで送ってもらって、走って改札を抜けました。
さて、「私の旅」は一時休憩。
気分が重いのは、きっとこの大雨のせいでしょう。


2002年05月23日(木) ジンギスカンパーティー

今日は、旅の友と宿の人といっしょにフゴッペ温泉まで行きました。
ツルツル温泉で気持ちよかったです。

仕事の都合で、明日、小樽を離れることになりました。
だからというわけではありませんが、今日は近所に住む人たちを呼んでジンギスカンパーティーです。
楽しい楽しいパーティーになりました。

それでもときどき気分が重くなるのは、明日、ここを離れるから、ということでしょうか。

おやすみ。


2002年05月22日(水) 打ち上げ

ピアノを弾いたりギターを弾いたりして、1日を過ごしました。
午後から小一時間ほど散歩をして、帰ってきてまたピアノを弾いて。
この単純な流れが疲れていた心と体を休ませます。

夜は、宿の人たちと3人で近所の居酒屋に行きました。
いろんな打ち上げを兼ねています。
宿の隣りに住む人は店の人を交えて、総勢5人の飲み会になりました。
とても楽しい楽しい夜でした。

そして、例によって飲みすぎの夜。

おやすみ。


2002年05月21日(火) 斜里→小樽・スタート地点で休憩

いろいろと考えた結果、小樽に戻ってきました。
旭川まで出て、その後、石北峠を越えました。途中、大雪や層雲峡を見て、何度か道の駅で休憩して、それでもまだ時間があるので、小樽までイッキに帰りました。
8時間近くかかりましたが、なぜか疲れはありません。
むしろ、小樽に向かっていることにとてもワクワクしていました。

すっかり知床・斜里の魅力にとりつかれていましたが、やはりこの街にはかないません。
知りつくしている街並みが見えたとき、「あ、ここだ」と思いました。
私のなかの何が変わろうとも、この街への思いだけは変わらないでしょう。
「おかえり」と「ただいま」の繰り返されることの意味を、今日はひしと感じました。
この場所がこの地にあってよかった。
そう思っているのは、おそらく私だけではないでしょう。

戻ってきたけれど、まだまだ旅の途中です。
ここは、私のスタート地点だけど、ゴールではありません。


2002年05月20日(月) 能取、網走、屈斜路湖・だれにもあげない

今日のアスパラ取りは中止。
昨夜、寒かったため、あまり伸びていませんでした。
予定を変更して、少しドライブをしました。

隣町の小清水原生花園を見てから能取湖に行きました。
小清水原生花園は、野焼きをしたばかりで辺り一面まっくろ! あまりキレイとはいえない景色でしたが、見頃はこれからとのこと。
花がキレイなころは、国道244号線が大渋滞するほどにぎわうとか。
今度、花がキレイなときの写真でも見せてもらおうと、その場は退散。
濤沸湖と藻琴湖の脇を通って、能取岬まで行きました。
岬には草原が広がっていて、たんぽぽがたくさん咲いていました。風が強かったのと防寒着をもってくるのを忘れたため、車から降りませんでした。
それでも少し休憩したあと、能取湖の横を走る美岬ラインを通って、今度は網走湖を目指しました。
だんだんと車から降りるのが億劫になってきたため、網走湖は横目にみるだけにとどまり、美幌にある「峠の湯」で休憩しようと思っていたら超満員。
仕方がないので、美幌峠を越えることに。
屈斜路湖を一望できる大パノラマの広がる峠、とガイドブックにあるとおり、「うわあ〜っ」と思わず叫んでしまうほどキレイでした。
思えば雪のない時期の屈斜路湖って初めてかもしれません。

摩周湖斜里線を通って、清里近辺まで帰ってきたらまだ15時。
早く回りすぎました。
少し宿に戻って休んでいたところに、「斜里の夕陽スポット」の情報が入り、17時ころにまた出かけました。
雲がいっぱいだったので、夕陽は無理かな、と思っていたら、ちょうど雲が途切れて、海に沈む夕陽を見ることができました。夕焼け雲がいつまでも赤く、どんなに遠くからでも見えました。
今日のこの夕陽が、どれだけキレイで、どれだけ私の心を打ったかなんて話はもうどうでもいいのです。
いつまでも覚えていたい夕陽であること、そしてこの夕陽は誰にもあげたくないことだけは、間違いありません。

明日は斜里を出る予定。
そろそろオワリにしないと…。


2002年05月19日(日) 斜里滞在・アスパラと知床博物館

アスパラ取りをしました。
畑ににょきにょきと生えているアスパラをナイフでざくざくと切っていきます。
泊まっている宿の宿主さんの農場で、取らせてもらいました。
初めての体験でとても楽しかったです。

午後から、知床博物館を見に行きました。
斜里や知床の歴史を知りたかったからです。
初めてこの地に移り住んだ人々やアイヌ人とのかかわり、生活と風土など、いろんな知識が得られました。

そのあと、この街をもっともっと知りたくて、いろんなところをうろうろしました。
日曜日なのに人気の少ないこの斜里という街に、なぜこんなに魅力を感じるのでしょうか。

夕飯は、宿主さんの農場仲間といっしょにハウスのなかでジンギスカンでした。
地元の話、近所の話、農家の話、斜里の話、網走の話、北海道の話、たくさん話題があって、とても楽しい楽しい夕飯でした。

その後、やはり温泉に入ってのらりくらりとして、今に至る、です。

明日もアスパラ取りです。
がんばらねば!


2002年05月18日(土) 標茶→斜里・壮大な湿原と知床連山と

今日はたくさん走りました。
標茶から厚岸をぬけて霧多布まで行って、その後、海沿いの道244号線を北上。
知床峠をまわり、斜里の宿に泊まっています。
厚岸ではなんと桜祭りが開催されていました。葉のある桜がなんともまたキレイ。カキの産地でもあるので、屋台には焼きガキがありました。
でも、節約モードの私は素通り。霧多布まで急ぎました。
霧多布岬でようやく「ここって太平洋だ」と実感。なんとなく自分の知っている海に出会えたような気がしました。
少し休憩してから出発。そろそろ旅の終わりに向けて移動しなければなりません。
「よし、イッキに知床半島だ!」
と、ヤケに気合いを入れて出発。そんなにたいした距離でもないのですが。

浜中でムツゴロウ動物王国を横目に眺め、湿原の真ん中を突っ切りながら北上。
湿原に抱いていたイメージがこの2日間で一変しました。まさに「生命の宝庫」です。
海沿いの道を走り、野付半島を過ぎたあたりで、海の向こうに陸地を見つけました。
何かの半島の先かなと思いきや、なんと国後島でした。
その距離は約24キロ。こんなに近いのかと驚きました。霧でぼんやりしていましたが、それでも晴れた日にはもっと近くに見えるのでしょう。

北方領土について少し自分の知識を整理しながら、どんどん北上。
あまり知識がないことに気づいたころに、国後国道に入りました。いよいよ知床です。
途中から山道に入り、さすがに登りがつらくなりました。のんびりと走っていると、どんどん追い越していってくれます。
まだ雪をかぶった羅臼岳がどんどんと目の前にせまってきて、思わず車を停めました。
今回の旅で心に残る場所の一つになるだろうその岳は、「雄々しい」という言葉がぴったりのように思えます。
夏場は登山も可能とのこと。なんとなく魅力を感じます。
峠のてっぺんにある「羅臼国後展望塔」でも、羅臼岳に見入りましたが、人が多かったのでそそくさと帰ってきました。

峠を越えて斜里の街に入ると、今度は斜里岳が見えてきました。
広大な大地とだだっぴろい空とそのなかにぽつりとある独立峰。
初めて訪れた斜里は、そんな街でした。

ということで、斜里の宿に宿泊中。

■今日の昼飯
なし


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