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椰子の実日記【JOYWOW】
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2003年05月05日(月)


自分の古典

ここのところ、自分の古典に回帰している。「自分の
古典」とは、「昔から何度も繰り返して読む本」の
ことだ。哀しいかな、度重なる引越しで紛失した本
が多いので、買いなおすことになる。
昨日も、もう、これまで何度読んだかしれないが、
しかし、手元になくなってしまった類の本を書店
で求めた。

・渡辺昇一、知的生活の方法
・清水幾太郎、論文の書き方
・漱石、坊ちゃん
・中島敦、山月記ほか

『論文の書き方』はこれで三冊目である。アマゾンの
読者書評を読むと「わからない漢字が多くて挫折した」
というのがあって、愕然とする。一体、日本の国語教育
はどうなっているのか。

・・・は、置いておくとして。
何度もなんども読み返すことで、本の中身が自分の身体化
する。結局のところ、読んでいて心地いいのも、こういった
自分の古典なのである。

 

2003年05月04日(日)
じいさんとスローな旅に

なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ
行って来ようと思う。
 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等
には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。
私は五十になった時分から、これからは一等でなけ
れば乗らないときめた。そうきめても、お金がなく
て用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るか
も知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には
乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌い
である。

内田百�里犬い気鵑痢愨莪谿に捨鷦屐戮僚颪�出しだ。
ブルースハープのCDから流れる黒い音を流しながら
読むと、至福のひとときである。

百�里犬い気鵑里茲Δ瞥靴售靴譴拭∪い里錣�った大人
の男の文章を、母国語で読める幸せ。

この連休中は、じいさんとスローな旅をしよう。

 

2003年05月03日(土)
自動的なセリフ

ニューヨーク時代からNHKの朝ドラが好きで、観ている。
マンハッタンの朝、エンパイア・ステートビルを窓の外に
借景しながら沖縄の海を見るのはなかなか
オツなものであった(『ちゅらさん』)。
現在の「こころ」、浅草の心意気がよく、楽しみに
しているのだが、主人公こころとそのダンナとの
二人の描写に厚みがなく、彼らだけの芝居になると
急激に品質が下がる。たとえば、芝居で大事な
「見染め」がない。どこでお互いに心を奪われたか、と
いう場面がなかったのだ。すると「結婚することが目的」
になってしまい、ついつい「アホちゃうか」と思う。

ゆうさく(ダンナ)がこころの親に「嫁に下さい」と
挨拶に行った際、「こころさんの夢を実現する手助けを
したい」と言うが、ではこころの夢って何なのかわから
ない。先のドラマのヒロイン満天のように「宇宙飛行士
になる」という夢がないのである。

今朝も、客室乗務員の仕事を辞めて家の仕事に専念しようか
というこころへ「そんな簡単にあきらめられる夢だったのか」
とゆうさくは言うけれど、そもそも夢が見えないんですけど、と、
つい画面につっこんでしまう。

どうもああいう場面(女性が仕事を辞めて家事に専念しようか
どうか迷う場面)で男が言う「自動的なセリフ」を言っている
だけのようだ。そしてこの「自動的なセリフ」というのは実は
日常会話でわれわれもよく使っている。

ベーゴマ、メンコ、などという遊び道具を指して「昔懐かしい」
という形容詞が必ずつく。しかし、私はベーゴマやメンコで遊んだ
世代ではない。懐かしくないのである。この自動的セリフは
注意しなければならない。仕事でも、よく使われているのでは
ないだろうか。「不況の昨今」「消費者マインドの冷え込み」
「多様化する価値観」「デフレスパイラル」

ロシア・フォルマリズムという文学理論の唱える「異化」の効用
が、ここにきてようやく理解できた。自動的なものいいに
対して、「ん? ちょっとザラつきがあるな」と、異化させる
のだ。必要だよね。

 

2003年05月02日(金)
経営はスポーツである

経営はスポーツである、と思います。アタマで考えすぎ
ては、いいアイデアも浮かびません。かといって、身体
だけでとにかく動け、というのもパフォーマンスが悪い
ことまさにスポーツと同じです。バランスの問題なので
すが、しかし、高学歴日本ではややもするとアタマに
傾きがちです。

大阪産業創造館で開講している起業家向けの講座、
次回は「体操のできる服装で」クラスに来るよう、
言いました。私が毎朝やっている柔軟体操を伝授
しようと考えているのです。腹式呼吸も一緒に
伝えます。経営における身体性の復権は、こういう
具体的な動きから生まれると考えています。
言った手前、私自身も、体操のできる服装で飛行機
に乗らねばならなくなり、さて、どうしようかと
考えているところです(笑)。

 

2003年05月01日(木)
清水幾太郎

学生時代、アイドルは清水幾太郎でした。1907年に生まれ、88年に
他界した社会学者です。ジャーナリストとしても名を馳せた人で、
私は彼の文章術を学びました。岩波新書から出ている『論文の
書き方』など、赤線があちこちにびっしり引かれ、あまりに
ぼろぼろになったため、もう一冊買ったほどです。60年安保闘争、
日本全体が熱い頃の思想的リーダーを果たした人で、にもかかわらず
晩年は「日本よ、国家たれ」と雑誌「諸君!」に刺激的な論文を
掲載し、国家たるためには核も保有し、自前の軍隊をもつべきである
などと、極端な右旋回をして物議をかもした人でした。
論文「戦後を疑う」を発表した時、私は大学生で、周囲の
友人たちから「清水さんはおかしいのと違うか」と、まるで私が
清水さん本人であるかのように責められたことがあります。

ゼミの論文購読では彼の「流言蜚語」を取り上げ、みんなで議論
したことがあります。流言蜚語とは、デマのこと。デマは社会学
でとても興味深い研究対象であり、指導いただいた杉山助教授
(現・東大教授)にも「オルレアンのうわさ」という翻訳書がある
くらいでした。SARSや戦争など、人間にとって災禍がふってわいた
時、流言蜚語は飛び交います。阪神大震災の折にも、「あらぬ噂」
が発生しました。この「噂」を使って「手軽に」「無料で」広告
宣伝をしようと呼びかけるマーケティング手法が本になったりして
いますが、社会学的基礎のないままこれをやると、大変なことに
なると思います。

清水さんの思想から学んだことははっきりと言語化できないです。
ただ、彼のindependentな生き方は、大好きです。
そして、彼から学んだもう一つのことは、接続語で「が」を使うとき、
警戒しなさい、ということ。「が」は、つなぐ文章の前後が「順」
であろうと、「逆」であろうと、つながってしまうことが非常に危な
いのです。論旨を明確にするためには、接続詞に「が」を使わない
こと。これ、文章の秘訣です。・・・と言いつつ、私も使っていますが。

 

Kei Sakamoto |株式会社JOYWOW