欠乏症

終わりを告げることばを、
どこかで期待している。
そのときがくるのを。

失うことが怖いくせに、
持ち続けていられる自信もなくて。
嫌われたくないから、嫌われたくて。
自信がないから責任転嫁。

自分に都合のいい答えが出るまで回し続けるスロット。
その一瞬のために、永遠を失うかもしれないのに。
ひとは、なんて、わがままなんだろう。
いまあるもので満ち足りないのは?
わたしは、十分もう持っているはずなのに。
2013年01月21日(月)


一点突破、全面展開。
学徒が見た地平。
2012年11月25日(日)

無力な微力

自分を肯定したら、
世界に目が向いた。
等身大の自分は、
世界の前では無力だけれど
だけどひとつの存在としてある。

なにもできないけれど、
なにもできなくはない。

幸せに生きること。
まわりを幸せにすること。

体現することが、それがきっと行動すること。
2012年11月24日(土)

平らな

フラット。

いまの自分を素直に肯定できる
そんな稀有に感謝しよう。
たとえこれがつかの間の、一瞬だったとしても。

心象風景。
明確なイメージではないけれど。
2年前の私は
吹き溜まりのなかにいた。
全てが淀んで、濁って、凝っていく場所。

いまは、凪。
とってもフラット。
2012年10月23日(火)

乱される

この感情は、とってもやっかいだ。
いらないわけじゃない。
ステキなことではある。
だけど、制御できない。

乱される。
自分が自分としてふるまって
全てを統制しているつもりでも
この1点から綻んでしまう。

自分のことだけ考えていられれば
起こらない予測不能なこと。
だけど、積極的に関わりたい予測不能なもの。

あなたはどう考えていますか?と
自分のために聞く。

いつか来るかもしれない終わりを微かに考える事で
均衡を保つのは、
きっと自分の防御機構。

「やっぱりそうだった」って
言わない未来を夢想しながら。
2012年10月22日(月)

幸せの定義。

さいきん、とみに自分を幸せと思う。
ほんとうに素敵なこと。
同時に、なくしてしまったときのことを考える。
自分は自分でいられるんだろうか。
なくしてしまってもなお、幸せでい続けることのできるものが
自分の源泉なのだろうか。
それを慈しみ、大切にできたらいいのに。

目の前の人に受け入れてもらえたという幸福感。
もやもや考えていた問題を共有してもらえる存在。
いや、たぶん、共有っていうよりは、
向こうにもってもらう部分がおおきいのだけれど。

だからかな、あんまり浮かんでこないや。
ほんとうに素敵なこと。
2012年10月12日(金)

伝播するという、とある幸福

やっと聞いてくれた。
という思いで、私はなんだか
重い荷を少し降ろした気持ちになったのでした。

あんなに傷ついたけれど、
目の前の人に思いが伝播したことは、肯定された事は
やはり嬉しいことなのでした。

否定され続けた過去も、
何もできなかった自分も、
その瞬間のためにあったような気がしているのでした。

もちろん、現実が劇的に変わるようなことはないけれど。

話を聞いてくれた
思いを理解してくれた
という
当たり前で稀有な、些細でおおきな、
そんないちにちを経験して
わたしの半年間は、
このためにあったのではないかと錯覚するがごとくの
安堵感を得たのでした。
2012年08月01日(水)

雑文気分 / aqua

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