東京の片隅から
目次|きのう|あした
ふと気がつくと、日没が遅くなってきている。年末は会社を出る時間はもう真っ暗だったけど、この頃はまだ夕暮れの名残が。まだまだ寒いけど、季節は移り変わっていくのだな。
駅前の交差点にヒヨドリの死骸。車に刎ねられたのか寿命なのか病気だったのか。 その上の階段の軒では、ハトが愛を囁いている。
2019年01月15日(火) |
インフルエンザはじめました |
年が明けてインフルエンザのニュースが聞こえてくるようになった。 小学校でもぽつぽつと休んでいる子はいるらしい。職場では私の知る限りまだいない。 ただ、インフルエンザではないが風邪を引きかけている感覚はある。 今のところ食事と睡眠で夜にリセットして何とかなっている感じ。油断しているとやられそう。
そういえば、最近会社に子どものリンゴ病が感染った人がいて「すげー大変だった、死ぬかと思った」とのこと(笑)大人がかかると重症化するって本当なのね。 リンゴ病は自分自身は小学生の頃に罹患済みで、熱はすぐ下がったのだがその後の登校禁止期間は家に缶詰なのでとても暇だった記憶だけがある。
もともと人を叩くような突っ込みのあるお笑いが嫌いなのでほとんど見ないのだが、トーク番組で垣間見られる松本人志の女性観というか対人感覚も、もともと好きではなかった。
それにしてもNGT48の一連の事件に対するコメントはひどかった。 出演者との普段の関係が良好だからあれは予定調和だというファンの擁護もあるようだが、放送は日曜日の午前中だ。彼のファンだけが見ている番組ではない。それに、後日の出演者のツイッターは、ふざけているようにも予定調和にも読めなかった。 こういう発言が続くならば、彼は深夜枠から出てくるべきではないと思う。
そもそも彼自身の発言は彼の家族にブーメランになるのではないだろうか。 以前の報道が正確なら、彼の妻だって元お天気お姉さんの「一般人」だ。それに、例えば将来、娘がアルバイトの面接に落ちたとき「もっとスカートを短くして行けば良かったやん」とか言えるのだろうか。
彼は言うんだろうな。そんな気がする。
2019年01月13日(日) |
生誕100年 歿後20年 相原求一朗の軌跡 −大地への挑戦− |
年末に放送していた「日曜美術館」で見て気になっていた相原求一朗の展覧会を川越市立美術館に見に行った。 独りで川越までふらりと行くつもりだったのだが、まーさんと子どもも一緒に行くことになり、車で出かける。埼玉横断は結構遠い。 美術館から近い町外れのJAの駐車場に車を止め、しばし別行動。
相原氏は川越の人で、家業の傍ら北海道の山の絵を主に描いていた画家らしい。 といっても生涯それ一辺倒ではなく、国内外の街の絵や戦時中派兵された満州からの絵手紙なども展示されている。 スケッチ旅行の際の撮影映像なども流れていた。バスからの風景、駅の駅名標やバスの行き先表示などを入れ込んでどこの映像かわかるようにしてあるあたり、几帳面な人だったのだろうと思う。家業の関係か、映像は冬ばかり。 絵のタッチは塗り重ねると言うよりも重ねた絵の具を剥ぎ取っていくもの。厳しい、というのが絵から受けた印象だった。
絵を見た後まーさんと子どもと合流したのだが、川越は人だらけだった。聞いてはいたが、想像以上の人出。これは暮らす人は大変だ・・・。 道が細く街を迂回する道路も乏しいので、車も多い。車歩道分離されていない場所も多く、なかなか気軽に歩くのは難しかった。まーさんによると、川越周辺は市街地を迂回する道路がないのが欠点だとか。 それでもせっかくなので菓子屋横町で駄菓子を買い、JAの直売所で野菜などいろいろ買い込んで帰宅。
やっとスキーの道具などを片付けた。 日曜日の晩に帰宅すると、道具や鞄類は次の週末まで一週間放置することになる。 こういうとき、玄関脇にウォークインクローゼットを作るべきだったなと思う。(そのスペースはないんだけどさ) それでも冷蔵庫の中身を気にしなくていい(義父母に任せられる)ぶん、我が家は恵まれていると思う。 風を通した小物もまとめて鞄の中に収納する。次に使うのは3月。
会社の新年会。 イカ料理が売りの店だったが、この日のイカはアオリイカで、活け造りにはならなかった。残念。 鮮度はさすがで、おいしかった。 2次会に向かう男性陣を置いて一足先に帰宅。
子ども、九九に苦戦中。 一つ朗報は、五の段の計算が時計の長針と関連していることに気がついた模様。「腑に落ちる」までが長いんだこの人は・・・ 今までは今何分?と聞くと1分から数えていた(汗)。文字盤の1は5分、2は10分であることは、私からも教えていたけど、自分の中でやっと繋がったらしい。 暗唱させてみると、とりあえず五の段まではなんとかなっている。そこから先は時々つっかえる。 2年生のうちにきちんとマスターしておかないとこの先がない。間に合うかな・・・。
川口、小笠原、中澤、楢崎と引退が続いて、時代の終わりを感じる。 横浜フリューゲルスはあと遠藤ひとりなのか。
小学校の3学期が始まった。 これまで小学校では薄着推奨というお題目のもと長ズボン禁止(といってもレギンスは可)で、長ズボンを穿くときは連絡帳記載を要求されるというどこの昭和だよ!状態だったのだが、今月から連絡帳への記載は不要となった。 当たり前である。 今年の冬から体育の授業の時も、準備体操の時は上着可になった。 平成も終わりというこの時期に、小学校はやっと昭和から脱したらしい。
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